我輩はドラ猫である

2024/06/09(日)12:56

東京都0.99  さあどうする

読書(11)

少子化に歯止めがかからない。小さな?要因としてはここ3年間のコロナ禍がありますけどね。若きも老いもひきこもりを強要されましたから。出会うどころじゃなかったでしょう。ところで東京の0.99は異常です。出産費用だとか、児童手当とか、給食費無償化とか対策はしてますけど。私としては、東京の住居費が高過ぎるのも一因と思います。賃貸は何とかなるとしても、東京のマンションなんて軒並み億ションなんです。それでも即売だというから、格差がすごいのでしょう。ごくごく、一部の富裕層がいて、残りの9割は億ションなんて手が出ません。でも、仕事は東京に集中しています。生きて食べていくためには東京で働くのがいいのかもしれませんが、マイホームどころじゃない。中古マンションだって異様に高騰していて、こちらも歯止めがかからない。教育費も高いですが、一番の負担は住宅費じゃないでしょうか。子どもを持つならマイホームで、と思うのは決して贅沢なことではありません。それは私が貧しい子ども時代を過ごしたからよくわかります。子どもにそんな思いをさせたくない気持ちもよくわかります。それなら郊外に住めば、という案もあるでしょうが、今は共働きの時代です。働きながら育児に時間を捻出するためには職住接近でないと難しい。貴重な一時間を通勤に取られ、子どもは預けられっぱなしで、家では食べて風呂はいって寝る、それで精一杯になってしまいます。親子の触れ合い時間が圧倒的に少なくなりますね、遠くては。この住宅費高騰の問題が解決されないと若いカップルは子どもを持つことを躊躇してしまいます。東京はこの住宅費高騰の問題を解決しないと、少子化は進む一方です。生めばいいってもんじゃないんですから。ところでお隣の韓国はもっと少子化が進んでいます。韓国の住宅費までは把握していませんが、あちらは大変、教育熱心でダブルスクールが当たり前。学校が終わると塾へ直行。教育費はハンパないでしょう。その人たちが大人になると、そこまで子どもに教育費をかけられない、でも自分が受けた程度の教育費はかけるのが当たり前と思っているので、生めないのではないでしょうか。日本も中学受験が加熱していますね。公立は教員不足というのが知れわたっていますから、親は不安になるのです。ここは思いきって少人数学級にする、そのためには教員不足では話になりませんので、定額働かせ放題のシステムを改めないと。何もかも教員にやらせ過ぎなのです。例えばスクールカウンセラーを非常勤でなく、常勤にして、保護者のクレームや悩みはいったん、カウンセラーが引き受けるというのはどうでしょうか。格差の問題も、給食費無償化で解決しますか?こども食堂は、増えていますが、あくまでもボランティア運営なので月に一回くらいしか開催できないようです。民間の学童では夕飯も出るようですが、費用はかなりかかります。公立も頑張らないと。朝ごはんも食べられないお子さんが増えています。かたや、フードロスの問題もあり、なんとかここをつなげられないのでしょうか。それとも今はアレルギー食のお子さんが多いので、とても無理なんでしょうか。私は保育園では昔やっていたように、朝のおやつを復活させて欲しいですし、こども食堂と学童は連携できないでしょうか。住宅のことに戻りますが、私は消防車のサイレンを聞くと昔の記憶が甦ります。私の住んでいた長屋の一帯が火事になり、それはたくさんの消防車と野次馬が押し寄せました。近隣が赤々と燃えている。これだけ消防車が来ているのだから我が家に飛び火はないだろうと冷静に見ていましたが、野次馬の多さには驚きました。少なからず同級生もやってきました。長屋の住民である私がぼーっと火事を見ていると隣に同級生が来ている。その人は一戸建てに住み、会社役員の、まあ、いわゆるお金持ちのお子さんでした。同じ小学校で、こんな所に住んでいる人たちもいるのかと彼は驚いたに違いありません。私は開き直って彼を堂々と見返したら、慌てて帰っちゃいましたけどね。その後、大人になってからもその人はクラス会のたびに、「お前のところ、火事になってたなあ」と言うので、強烈なイメージだったのでしょうね。30代のクラス会では「あの住宅に住んでる人たちは問題が多かったって聞いてるけど」と言われました。それはみんな、口に出さずとも思っていたことです。荒れた家庭がたくさんありました。我が家も。病気の人たちもいました。そこに住んでいるだけでレッテルを貼られるのは残念でしたが事実でもありました。でも親切な人たちが多かったことも事実。私は両親に足りない優しさや温かさは、近所のおばちゃんたちから習いました。そういうおばちゃんたちはたとえ、貧しくとも、貧しいなりに教育熱心でした。やりくりして塾や、ピアノの習い事に経費を出していました。自分達は貧しくとも、こどもの教育費だけは出そうと言う愛情深い親に育てられたその家の子達は期待に応えて、国立大学へ奨学金を、もらって進学していました。でも教員になったらなったで、親を扶養するのに今度は大変な思いをしていたようですけど、子ども時代にしっかり、教育を受けた人はその後の人生を自分でしっかり切り開いていきました。でもそんな親ばかりじゃなかったことも事実。荒れた家庭の子どもは不良になり、少年院にいき、その後はヤクザになり、体を壊して早死にしました。そこの家ではいまで言う「虐待」、当時は折檻と言いましたが、木にくくりつけられたりしていて可哀想でした。何が言いたいかって、住宅の貧相なのは教育費と相関性が高いということです。もうすぐ都知事選ですね。教育格差を埋めてくれる人がいいなあ。子ども時代のことは一生のトラウマなのです。田舎だったので、近隣に図書館もない時代でした。でも、本屋さんはありましたね。今は街から本屋さんが消えていきます。本屋さんのない街は、その地域の文化度を示しています。でも売れないものは仕方ない。みんな食べていかなきゃいけないもの。食の充実と共に、身近に図書館があること、保育園や学童が図書館と連携すること。私は貧しく荒れた家庭のなかで、本によって救われていました。親ガチャでも先生ガチャでも、本は裏切らないのですよ。そんな私が最近読んだ本のなかにリンドグレーンの「さすらいの孤児ラスムス」があります。温かい家庭を求めてさすらうラスムス。リンドグレーン初期の本になります。リンドグレーンは波乱万丈な人生で、18才で生んだ子どもをどうしても手放さなくてはならず、七転八倒の苦しみを味わいました。だからリンドグレーンは不幸なこどもたちを見過ごせなくなったのです。悲しみを知っている人にしか書けない物語。こうした児童文学はこれからも読み継がれてほしい。格差があって、習い事や塾へ行けなくても、本が読めれば人生、変わることだってあるんです。私は算数などの勉強が苦手な劣等生でしたが、本好きだったので文系科目は嫌いじゃなかったと思います。何より、読書は評価されないからこそ、楽しめるのです。こんな教育方法もありますよってこと。0.99を克服できるような方に都知事選では勝ってもらいたいです。長くなりました。体調いまいちなので、ジムは休んでお昼寝します。

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