カテゴリ:日記
最近毎日のように、原発事故や震災の特集をテレビでやっていますね。
昨日も、原発マネーと、ベラルーシの放射能汚染についてのNHKのテレビを見ていました。 ベラルーシの方は、表面をさっとなぞったようなあっさりした感じで、もっと詳しく掘り下げてほしかったです。 原発マネーは、もう言葉がないですね・・・お金のない自治体が、原発でお金を手にすると、もう自力では立てなくなるのでしょうか。今の、震災がれきを受け入れたい自治体と同じかもしれませんね。瓦礫を受け入れるには、しっかりした安全対策ありきなら、もっと反対も違ってくるのではないでしょうか。とにかく安全を前提にした視察などの様子を見ていると、これでは信用されなくても仕方ないかも、という気持ちになってしまいます。ちなみに私は、私の住んでいる地域と同じくらいの汚染度のものなら受け入れてもよいのでは、と思っています。でも、本当にそれが実現できるのか、不安があります。 ところで今日、朝のテレビで「震災後の、首都圏での買占め」についてやっていました。あの頃の事は、私自身トラウマのようになっていて、思い返すと苦しくなる事があります。いまだに、ガソリンはメーターの半分以下になると、入れてくるまで落ち着きません。 地震のあの日、夫との連絡もつかず、「この先停電になったら困るな」って、半壊したスーパーで、なんとなく懐中電灯を買いました。その他のものは、ストックをしない主義だったのですが、それでも二日分くらいの食材を買いました。その懐中電灯が、その後にそれほど役に立つなんて、その時は思いませんでした。 家には、震災に対する備えは全くありませんでした。物置の奥にあった懐中電灯は壊れていたし、電池も単3が何個かあるだけ。食材も、すぐ買いに行けるんだし、と冷蔵庫の中もガラガラでした。 でもあっという間にお店に食べ物もなくなり、道路にはガソリンを入れる長蛇の列が出来ていて、明日食べるものもあるかないか分からない。家にはラジオすらなく、計画停電になったら原発の様子も分からない。ラジオはその後、なんとか買えましたが、付属の電池以外の電池は全く売っていない状態でした。単3電池は、ラジオや懐中電灯には役に立たないんですよね。一つしかない懐中電灯では不便だし、せめてろうそくだけでも、と思ったのですが、お店で目の前の人が根こそぎ全て買い占めて行った時は、もう呆然…となりました。 今、あの頃の事を思うと、有事の前に備えをしておく事の大切さを感じます。震災後は、毎月少しずつ、その場にあるものを数個ずつ、という感じで色々なものを備蓄していました。何かあった時、最初の2週間でも落ち着いて家にあるもので過ごせたら、大分違うと思うんですよね。幸い私には、西に頼れる親族もいて、とても助けてもらえたので、おかげで何とかなったという感じでした。 この日本で、まさかそんな事が起こるわけがない。被害の少ない私の住んでいる場所で、流通が滞るわけがない。先進国の日本で、原発の情報が隠ぺいされるわけがない。 そんな思い込みが、足元からひっくり返ったような一年でした。 どこかいつも、心の中には、悲しみが残っていて、チリチリ痛んでいる時があります。 今も自分は、検査されていないものを、「食べて応援」はできません。でも、それ以外の部分で、検査されたものを探す事、自分に出来る応援をする事、探して、これからも出来る範囲でやっていきます。 また春がそこまで来ていますね。今年はもっと、しっかり歩いていけるかな。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.03.09 10:49:49
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