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桃の缶づめ

桃の缶づめ

~最終章~

~~~~呪いの椿油 最終章~~~~



桃和香は、叫んだ。
「千恵子をこんなところに、置き去りになど、できませんっ!たとえ、オババの姿でも良い。一緒に家へ帰りましょう。」

しかし、千恵子が「それは、出来ないのです、桃ねえさま・・あああぁぁ!!髪が、髪が」と、言うがはやいか、千恵子の黒髪は、みるまに、ひとすじひとすじが、ぐんぐんと太く変わり、伸び、うねり、からまりつつ、見よ!何十匹、何百匹の、黒くぬめぬめと
光る蛇に変わったではないか!ギリシャ神話にあるという、メデューサとかいう悪魔もかくやと思われる、世にも恐ろしい光景である。

そして、それらの蛇たちは、ちろちろと細く赤い下を出しながら、千恵子の手といわず、足といわず、胴といわず、巻き付き、締め付けていく。なかでも、ひときわ太い一匹の蛇が、しっかりと千恵子の首にからみつき、じわりじわりと輪を引き絞っているのだ。

「あああぁぁぁ!!!千恵子!千恵子に蛇がっ!千恵子、私はどうしたら良いのっ?」
桃和香は、恐ろしさも忘れ、必死に、千恵子にからみついた蛇を、なんとかはずそうと
渾身の力を込めるが、いかんせん。非力な女の力では、呪いの邪蛇にかなおうはずもなく
千恵子は、ますます全身が絞られていくのである・・

すると、突然、千恵子の口から、オババの声がした。
「桃和香。千恵子の髪についた、椿油を洗い流すのじゃ。さすれば、千恵子の命は助かる。早くするのじゃ。」

それを聞いた桃和香は、まろび転げるように台所へ行くと、水が一杯に入った桶と柄杓を
持ってきた。

「待っていてね、千恵子。今すぐに、椿油を洗い流し、貴女を助け出しますから。」
そう言って、柄杓に水を汲み千恵子の髪に、掛けようとしたそのとき、千恵子は苦しい息の下から訴えた。

「桃ねえさま、水を掛けるのは止めて。たとい、命がながらえても、また、あのオババの姿に戻り、心までもとりつかれてしまう。せめて、このまま、千恵子のままで死なせてください。桃ねえさまにこうして、お会いできて、もう、思い残すことはありません。
ねえさま、お、愚かな千恵子を許して・・父さま、母さまには、千恵子は遠い国へさらわれて行ったと伝えて・・桃ねえさま、千恵子のぶんまで、幸せに、なっ・・・」

桃和香は、ついに、椿油を洗い流すことは、かなわなかった・
この水で、髪を洗えば、千恵子の命は助かると知りながら・・
しかし、呪われた命を、これ以上ながらえたとて、千恵子にとって、それは、地獄の苦しみでしかない。
嗚呼、その、たった数分の間の、桃和香の煩悶と苦悩たるや、想像するに固くない・・

ついに、千恵子は、ガックリと首を垂れた。
「千恵子!千恵子!千恵子ぉ!」千恵子にすがりつき、ただ、千恵子の名を呼び続ける桃和香。そのとき、おぞましい蛇の姿に変わっていた、千恵子の髪は、千恵子の運命を狂わせた、美しい黒髪に戻り、千恵子は呪いからやっと逃れ出た安堵のためか、あたかも微笑むかのような穏やかな表情で二度と開かぬ、瞼を閉じていたのである・・・


どれくらい、時間がたったのであろうか。
桃和香は、ポタリ、ポタリという静かな音を耳にして、目を上げた。


荒れ庭の、椿の花が、まだ、美しく咲いたままに、落花する、音であった・・・


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