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カテゴリ:読書いろいろ
著者は元「赤旗」の記者で、89年から92年に掛けて平壌特派員として北朝鮮に滞在したこともあるそうです。
まず、この本の帯の表紙側には「北朝鮮、衝撃の現代史!」とあります。 「90年代、金正日は「二つの戦争」を戦った。一つは金日成に対する路線闘争。そしてもう一つは国内「敵対階層」への殲滅戦である―。」とも書かれています。 この本の中では驚くべきことが続々と出てきます。 帯の裏表紙側にその驚くべきことが書かれています。 ○93年ごろから、金日成と金正日の間の対立が高まっていった ○金日成は、農業・経済優先であり、金正日は軍優先であった ○金日成は、死の前日の会議で、原子力発電所の援助ではなく火力発電所の援助要請にきりかえることを主張していた ○金日成の死後、食糧援助を引き入れたにもかかわらず餓死が急増する ○餓死被害は、咸鏡道に集中する ○94年から咸鏡道への食糧配給は止められていた 驚くべき事柄ばかりです。 この中にはありませんが、金日成の死も疑問視される部分があるのだとか。 前日まで、バリバリと精力的に仕事をこなしていた金日成が急にあっけなく亡くなったことがおかしいのだそうです。心臓に持病があったそうですが・・・。 咸鏡道は「敵対階層」ばかりを押し込めてあるところだそうで、食糧配給も意図的に止められたのだとか。食料で人民をコントロールしようとしていたわけです。 食糧不足などを「苦難の行軍」などと呼び、人民の不満をそらすため、さもアメリカが攻めてくるような言い方でごまかしたわけです。 韓国に亡命したファンジャンヨプ氏は「96年には100万人が餓死した」と言っています。食糧配給が止められたり、減らされたりした結果、97年には最悪の200万人の餓死者が出ていたそうです。統治者のすることでしょうか、これが。 以前紹介した「北朝鮮飢餓の真実」と言う本がこの本でも引用されています。 私にはわかりづらかった本ですが、著者が一部表にして引用されてます。 それは北朝鮮国内の穀物の生産量と、支援食料と商業輸入の合計なのですが、この表から見ると北朝鮮の穀物生産量は1995年から1999年にかけて平均すると大体200万トン強から300万トン弱の間です。ここから見ると北朝鮮国民が一年間最低ぎりぎり必要とする食料は380万トンなのですが、これより収穫が少なかった都市は96年97年98年2001年で、不足遼は11万トンから35万トン、この程度の不足なら国際援助の食糧で十分まかなえるそうです。 それなのになぜ数百万の餓死者が出たのでしょうか?これは意図的に餓死するように仕向けているのだということが、この統計の表からわかるそうです。 国際援助も入っているし、北朝鮮は食糧を相当量輸入しています。その援助された食料や輸入した食糧はどこに消えているのでしょうか?特権階層のみがまさに「おいしい」目を見ているわけです。木の皮や草の根を食べている人たちがいるのに。 この章だけ読んでも、怒りがこみ上げてきます。 数字的には確かに北朝鮮国民を十分食べさせる量が入ってきているのです。 しかし実際はどうでしょう。毎年大量の餓死者が出ています。 そもそも金正日が、韓国に対抗する手段として核を持ちたいと意図したこと、核開発に拍車をかけたのはソ連の変化でした。 チャウシェスクの処刑や東欧社会主義国の崩壊も核保有の一因でした。生き残り策としてアメリカとの核対決となっていったわけです。 これ見よがしに核開発の証拠をスパイ衛星に捉えさせて見せびらかし、クリントン政権が金正日に格好のエサを渡したわけです。 金正日はこれからも周りの国々を核兵器と食糧援助で振り回していくことでしょう。自分にとって都合の悪いことには目をつぶり、人の揚げ足やミスを狙って執拗な攻撃も仕掛けてくるでしょう。 誰かがこれを止めないと、そのうち本当にミサイル攻撃を仕掛けてくるかもしれません。金正日は小心者だからミサイル攻撃はない、と言ってる人もいますが「窮鼠、猫を噛む」と言うことわざもあります。追い詰められると何をしでかすかわからない人です。 この本は一度読んだだけではわかりづらい本です。 参考文献や引用した本などにも目を通して何度か読むともっと理解できるとは思うのですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 18, 2005 11:41:03 PM
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