はじめを辿って、目眩
幼児体験について…「少女コレクション序章」澁澤龍彦 「薄明の幼年期にこそ、大人になった私たちの感情を支配する、秘密の司令塔があるのではあるまいか。」 ちょっと前にこの章を読んだ時、うちは「あっ」と思った。何か、重要なところをなぞられたみたいな。その感覚は消えずに、ここ1週間で何回もこの章を開いてしまった。…こういうんは 絶対に「何か」が強く繋がった時の反応。 うちは3歳までの間、2回に渡って半年くらい生野にある母方の祖父母の家に 預けられてたらしい。祖父母とは、会っても数十名の親戚の中で少し雑談する位で近いけど遠い存在やった。でも今日は、一泊の許可を取る電話をした。何か…突然、行きたくなった。こんなんって、5年に1回あるかないか。 天王寺から2~3時間、なんとなくプラプラと歩いてる途中、様変わりした近所の風景の中に、どうしても心惹かれる古めかしい形をいくつも見つけた。あぁ 昔うちはここを歩いた…と 思った。 家に着いて「そういう目」でお家の中を見渡した時、びっくりした。 玄関から居間まで…まるで、花と人形の館。(おばあちゃんの趣味)おじいちゃんの部屋は、静かな暗がりと薄茶の書物の山。向かいのおじちゃんの部屋は、数百を超す骨董に囲まれてて… うちは、何と言うか、ほんまに、興奮しまくった!美術館と図書館と博物館が一緒になったみたいな?身近に、こんな面白い世界が広がってたなんて…。 それから、うちは数体の人形達のまつげの一本一本まで覚えてるんを確認した。人形が入ってたガラスケ―スの木の枠の柄や色まで…克明に。更に床の凹凸、階段の段差の高さ、木の質感、家具の模様、お風呂のタイルまで…そのことにびっくり。 分かった。うちは「はじめ」の時期に、この家にある色んなものを刷り込んだんや。脳に、胸に、皮膚に、目に、耳に、鼻に、爪に、髪の毛に…もの凄い 忘れ物をしてたことに気付いた感じ。何か、胸がいっぱいになって ちょっと目眩しながら目を閉じた。 「人間の芸術活動のひそかな目的は、 『失われた子供の肉体を少しずつ発見していくこと』」 お布団は、ふかふか過ぎて 何回も起きてしまったな。おばあちゃんと一対一で話をしたりすんのも 初めてやったかもしらん。どこか母に通じる優しさを感じたりもして…凄い、素敵な人やと思った。 いっぱい発見したから…整理が大変だ。