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昨年の終わり叔母が癌でなくなった。
その後はショックから立ち直ってパン作りに精を出したり、自分の目標を叶えるべく頑張っていましたが・・・。 今年の初め、最愛のおばあたまが癌になってしまいました。 最初は腸閉塞と聞いていたのですが、検査の結果大腸ガンになっていたことが判明。 かなり気が動転しました。 もんが~はかなりのおばあたま好き! 兎に角一緒にいるだけであんなに大好きだ~~~~~~~~~~! と感じる人も珍しいぐらいの大切な人です。 92歳のおばあたまは 最近、食欲が無かったらしいのですが・・・・ 実は癌になってしまったためでした。癌の細胞が腸をふさぎ、食物を通らせないようにしていたそうです。 そのため、20~21日にお見舞いに行ってきました。 その時、病室には「絶飲食中」という文字が・・・。 かなり衝撃的でした。 血管が細いため、腕ではなく頚動脈のあたりから点滴で栄養を取っているという話は聞いていましたが、「絶飲食中」ということばに 私は一瞬凍りつきました。 おばあたまの体重は35キロ。腕も脚もとてもほそく折れてしまうのではないかと心配になるくらいだったからです。 そのおばあたまがこの1ヶ月は何も口にすることが出来なかったのが本当にショックでした。 ただ、おばあたまはその年齢の割には体力があり、手術を受けるだけの体力は十分ということだったので不幸中の幸いというかんじでした。それでもやはり心配なのですが・・・。 おばあたまの様子はほわ~んとして何時もと変わらず、もんが~の愛娘チッチとナナを見てとても和んでいらっしゃいました。 その後、26日に最終的な検査結果と手術日が決まりました。 28日の朝9:00に手術が始まることになり、もんが~のお父たまとお母たまは27日の午後から浜松へと向かいました。 本当はもんが~もとんで行きたかったけれど、お寺の留守を守らなくてはならなかったので行けませんでした。 28日は子どもたちを保育園に送ると定例どおり掃除や洗濯を済ませ、本堂をの掃除や家計簿をつけようとしましたが、気が落ち着かず・・・・。 時計の針ばかりを気にしていました。手術は何の問題もなく進めば4時間で終わると聞いていたからです。 つまり午後1時には終わるということでした。 しかし、お父たまからもお母たまからも連絡はなく(多分病院にいるから)時間は午後3時。 矢も立てもたまらず、ふたりの携帯電話に連絡しましたが一向に繋がりませんでした。 そんな中永平寺の旦那様から電話が掛かってきました。 緊張の糸は切れ、話しているうちにもんが~は泣き出してしまいました。 それから子一時間たった頃、漸くお父たまの携帯電話に連絡が通じ、手術は無事成功!!!!!!! という返事が。おばあたまも本当に元気な様子で握っていた手を強い力で握り返してきたということでした。 手術は実際には午前9:30に行われ、午後1:30似終わる予定だったそうです。 しかし、1:30になっても手術室のドアは開かず待合室で待っていた叔父夫婦とお父たま達は固唾を飲んだそうです。 そして時計の針が40分を過ぎた頃、手術室のドアが開いたのでした。 実際のがん細胞の大きさはニワトリの卵1個分と大きく、それにおまけがついていました。 なんと梅干の種24個!! がん細胞が食物を通せんぼしていたと話しましたが、おばあたまは24個の梅干を丸呑みしていたので種が消化されずそのまま原形をとどめ残っていたというのです。 これにはかなり驚きました。 92歳のおばあたまは無意識のうちに朝食に毎食出される梅干を飲み込んでいたようなのです。 しかし、絶飲食が始まったのが1ヶ月前なのでこの梅干の種はそれ以前のものということになります。 梅干の種は真っ黒に色が変わっていたものの大きさもそのままだったと言う話です。 ヒエ~~~~~~~~~~~(*0*) そして29日の朝、今度はお葬儀が入りました。 お母たま達は名残も惜しむ暇も無く浜松からとんぼ返り。なんとも慌しい日が続きました。 こうして1月はあっという間に過ぎました。 でも、おばあたまが元気になってくれて本当に感謝です。 嬉しくていまでも泣いてしまいます。 神様、仏様、皆様本当に有難う御座いました!! そんなわけで少しでも嬉しいことがあると毎日合掌している今日この頃です。 長くなりましたが日記を読んでくださった方方有難う御座いました。 また、メッセージを下さっているたくさんの方々、お返事が遅くなってしまいましてごめんなさい。 これからゆっくりHPの訪問をさせていただこうと思っています。 それでは・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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