ウランバートル徒然日記(4)(最終日) (2008年7月)
モンゴルから日本へ帰国した後の本ブログはモンゴルの情勢の分析などが中心で、モンゴルそのものを伝える機会が少なかったように思います。ですので、本ブログの開始前に書いた内容を時々アップしようと思います。ちょっと古い内容ですが、まだモンゴルのことをあまり知らなかった頃です。お楽しみいただければと思います。 今回は2008年7月付け「ウランバートル徒然日記」(最終日)という題名の記事です。サマーハウスから再びウランバートルの都心に向かいました。私は今夜のパーティが一体何なのか全然知らなかったので道中教えてもらいました。友人のBさんは、元国営企業だったカシミヤ会社のG社の再建を社長としてやっていました。そして、見事再建をやってのけ、その成果はモンゴル国内でも話題になったほどです。Bさんはテレビにも出たりして、ちょっとした有名人になったようです。そのBさんは、今年の春に社長を辞めコンサルティング会社を立ち上げましたが、社外取締役としてG社との関係は今も続いています。そのG社が、ウランバートルの都心部に新しい店を出すというので、今晩パーティがあるというのです。G社は国営企業時代はパッとしなかったようですが、Bさんの改革のおかげで今ではモンゴルでも最もファッショナブルな企業の一つと目されているのです。車は市の中心部に着きました。先ほどまでの、ポーカーやバーベキューのパーティとは一転して、何やら華やかな雰囲気が漂ってきます。エレベータを降りて、すぐに出てきたコンパニオンのお姉さんの雰囲気が、既に今までのモンゴルっぽさとかなり違ってました。パーティ会場というのは特になく、ショップそのものが会場となっていました。会場は所狭しと、会話を楽しむ人たちでいっぱいでした。さすがにファッション系企業のパーティだけあって、モデルさんもたくさん来ていました。カメラを向けると、皆屈託なく笑顔を見せてくれました。日本でもモデルさんをたくさん知っているわけではないですが、時折六本木辺りでは見かけます。こちらのモデルさんは、モンゴル人ということもあって皆背が高いです。私なんかより優に高くて、180cm超の人が多かったような気がします。右の女性は、モンゴルでも有名なモデルさんだそうです。年齢が40を超えていると聞いた時には、確かにびっくりしました。歳を取らない女性は時々いるんですね。パーティでは、プロの歌手も二人やってきてミニコンサートも開かれました。この女性は「モンゴル人の95%は知っているでしょう」という有名な歌手だそうです。日本でもコンサートを開いたことがあるのだそうです。日本語も勉強したことあるとかで、かなり上手でした。とてもリラックスした素敵な方でした。パーティに来ていた人は、ビジネスパーソンもモデルさんも芸能人も皆、英語か日本語は話せすのには驚きました。英語はともかく日本語とは驚きです。日本留学経験者もかなりいました。日本のイメージは悪くないようで、安心しました。楽しかった最終日ももう10時過ぎです。さすがに空港に向かわなくてはなりません。長い1日でしたが、本当の1日はこれから始まるのかもしれません。人々が眠る時間に、飛行機に乗り込みました。午後11時20分発でした。(続く)