ツァガンサルは変わっていく?
1月もすでに下旬となり、コロナでもともと正月気分の薄かった今年の日本ですが、正月の余韻などというものも全くありません。モンゴルではこの頃からツァガンサル(モンゴルの旧正月)の準備が始まるわけですが、今年は例年とは全く違ったお正月になりそうです。ちなみに今年は2月12日です。モンゴル政府は既にツァガンサルに関する公式行事はやらないと発表しています。公式行事のみならず、国民には「大勢で集まるのはダメ」「知人の家の行き来も禁止」と言っており、実際現地からの情報では、ツァガンサルらしい光景はほとんどなくなるだろうと思われているようです。具体的には、里帰りがなくなります。通常はこの時期の休暇を使ってUBから田舎に帰るのが一般的です。日本の帰省と同じです。が、どうやらその長距離バスの運行は中止になるとのことです。昨年の大騒ぎがまだ記憶にあるでしょうから、無理して田舎へ行く人はほとんどいないでしょう。昨年のツァガンサルの前に既にコロナで国境は封鎖されていましたが、実際には多くの人たちがUBから田舎にバスで向かいました。ですが、休暇中に「UBへ入るバスは禁止」となり、帰省した人の多くが帰るに帰れないという事態に追い込まれたのです。今年は事前にバスは中止と言ってるわけですから、それを破ってでも行こうという人はほとんどいないでしょう。私もツァガンサルで友人に同行して親戚宅回り、友人宅回りに行きました。UB内でのちょっとした民族移動みたいな感じでしたが、それも無くなるでしょう。要するに同居している家族だけでささやかにお正月のお祝いをするということになると思います。そうなると、どういう変化がみられるのか?まず、経済活動が相当落ち込むと思います。お正月の訪問者にはどこの家もちょっとしたお土産を用意します。それはまさに「雑貨」という言葉が当てはまる通りで、いろんな小物です。石鹸もあるし、文房具もあるし、タオルもあれば、小さなおもちゃもあります。ほとんどが安価な小物です。しかも、来客全員にお土産を渡しますが、それは一つじゃないんです。通常は複数で、3つも4つも渡すことが多いです。来客は100人を超える家も普通にありますから、こうした小物を数百個用意するのです。そのために、今頃からザハ(市場)で買い集めて準備をしますが、今年はそれはほとんど必要ないでしょう。各家庭で数百個と考えると、モンゴル全体では膨大な量が消費されますが、その需要も消失するでしょう。肉も大幅な減少でしょう。ボーズは1月下旬のまさにこの頃から作り置きをしていきます。今の時期ならベランダにおいておけば自然に冷凍されます。これも多くの来客があるので、少ない家でも数百個から千個程度、普通の家は2千個程度は作られます。そのための肉(メインは羊肉ですが、牛肉の家庭もあります)の消費量はこれまたけた違いに多いのですが、それも今年は家族だけとなれば100個もあればいいんじゃないでしょうか?同じ肉でも、丸焼き(実際には丸煮)用の羊の需要はまた別にあります。各家庭で羊の丸煮をメインテーブルの上にどーんと乗せて飾りつけをするのですが、これも来客がなければとても食べきれるものではありません。これも多くの家庭では省略か簡略化することでしょう。というわけで、昨年も一部そうであったかもしれませんが、今年は大幅にツァガンサルの光景が変わることともいます。ですが、私はこれは単にコロナが時の流れを早送りしただけのことだと思っています。どういうことか?日本の正月を見たモンゴル人がこんなことを言ったことがあります。「日本人は正月をあまり大きくお祝いをしないんですね。モンゴル人は親戚がたくさん集まって、ボーズをたくさん食べて、いろんな遊びをして過ごします。ツァガンサルは大切な行事です。」と。確かに東京の正月を見たら、なんだかやけにさっぱりしていると思ったことでしょう。その時私は「日本人は正月を大切にしない」とか「モンゴル人は正月を大切にする」という比較の問題ではないと言った覚えがあります。要するに時間の問題だけだと。私の子供の頃の記憶はまさに「大勢の親戚が集まって」「お年玉などをやりとりし」「凧あげやコマなどで遊ぶ」というまるで童謡の世界がまだ残っていました。もちろん、親戚回りもしました。ですが、都市化、核家族化で、親戚といえども居住地域が広域化し「簡単には親戚一同が一か所には集まれない」状態になるとともに、「本家に集まる」という家意識も薄まってきて都市部を中心にそんな童謡の世界からは程遠い正月となっています。今の子供は新学期が始まったときに「お正月にお餅いくつ食べた?」なんて会話するのでしょうか?モンゴルにも既にそうした予兆は見られていました。そもそもUBから遠い地方出身者にとっては、真冬のこの時期の移動はリスクもあって大変です。特にモンゴルの場合は若い世代が外国で働いたり、勉強したりする比率は日本よりもずっと高く、都市部を中心にそんなに簡単に「親戚一同が集まれる」というのが難しくなっていました。昔はみんなついた餅を食べてたけど、今の主流はスーパーの切り餅というのと同じように、モンゴルでも市販の冷凍ボーズがどんどん広まっています。そういう意味では私はあと10年もすればツァガンサルは様変わりし、今までのツァガンサルは日本の「昭和のお正月」みたいな存在になっていくと思っていました。そうした傾向を一気に早めたのがコロナです。昨年、今年とコロナ禍でのツァガンサルを経験した後では「何百個もお土産用意しなくていいんだ」「あんなにたくさんのボーズを手作りしなくてもいいんだ」「無理して遠い親戚全員と顔を合わせなくてもいいんだ」となっていくのではないかと思います。そもそも今の若い学生(私が縁があるのは在日留学生やウランバートルの大学生)の半分か半分以上はUB出身者で、馬も乗れない、乳しぼりも未経験、ゲルは好きじゃない、なんて若者が多いんです。あと10年もしたら日本人の私が「昔はね、みーんな集まってそりゃあ賑やかだったんだよ」「大人も子供もいくつも家を回ると手にもてないほどのお土産を抱えたもんだ楊」「正月にボーズ50個100個食べた子供なんてざらにいたよ」なんてジジ話をするんじゃないかと思うほどです。近代化と伝統の両立はなかなか難しいものだと思います。徐々に変わっていくところを、コロナが一気に変化のスピードを変えてしまった、という側面は確実にあると思います。