1月22日は春節&テト。2023年のモンゴル・ツァガンサルは?
1月21日は中国春節でした。コロナの移動禁止がなくなり、中国では数十億人が大移動しているとの報道がありました。実際には延べ21億人だそうです!片道10億人が往復したというレベルですね。やはり人口大国には間違いありません。最近は、中国人の日本入国が少なくなったこともあり、実質的に日本にいる外国人で一番多いのはベトナムになりつつあるようです。そのベトナムでは旧正月をテトと言います。先日、郊外を走っていた時にベトナム専門店らしき店を見つけて、ちょっと覗いてみました。基本的にはベトナム関連の食料品店です。コンビニよりも小さい店に、所狭しとたくさんのベトナム食材が売られていました。商品名などは全てベトナム語で、日本語は一切なし。完全なベトナム人向け食材店として成立するほど、在日ベトナム人が多いということなんでしょう。冷凍の食材が多く、豚肉や鶏肉はもちろん、カエルやアヒル、虫!などの食材も直輸入されていました。ほとんどがベトナムからの直輸入品で、一部中国からの調味料もありました。そんな中、日本ブランド品がたった一つだけありました。味の素の1kgです。この写真は、日本の味の素が日本国内向け業務用に売っているものです。ネット価格を見たら1290円でした。これに送料などもかかるのでしょう。ですが、そのベトナム食材店にあったのは489円と500円を切っていました。これはインチキ品?と疑うところですが、れっきとしたベトナム味の素で販売されている正規品です。半値以下なんですね。つまり、ここで売っているものは「珍しい食材を日本人に高く売る店」ではなく「本場の食材をベトナム人に安く供給する店」だということが、うかがい知れました。で、モンゴルです。ネットで「モンゴル ツァガンサル 2023」と入れても、ツァガンサルのことは出てきません。中国やベトナムは、今年の日程なども詳しく出てくるのに。それだけ在日モンゴル人はまだまだ少ないということでしょう。なので、私のこのブログが検索に引っかかってくれるといいです。今年のツァガンサルは2月21日です。大晦日は20日ですね。ここ3年ほどコロナでツァガンサルができなかった(あるいは家族だけ)ですが、今年は制限がないので、大いに盛り上がるのでしょうか?久しぶりに田舎でツァガンサルをやるという声も聞こえてきます。新年の日の決め方が異なる(これについては、本ブログで以前説明)ので、中国とは毎年微妙に違いますが、今年は1か月も違います。これは結構大きな差です。ここでちょっと疑問に思ったのは「内モンゴル人は1か月も違うときは、どうするんだろう?」ということです。当然ですが、全ては漢人ベースで決められているので、職場も学校も休みは春節です。で、ちょっと内モンゴル人に聞いてみました。ですが、内モンゴルでは春節をツァガンサルということにしてお祝いしてきた記憶があるとの答えでした。あるいは、最近モンゴルに行った内モンゴル人は「春節とツァガンサルの日程が違うということ」「つまりモンゴルと内モンゴルのツァガンサルが異なる日にちであること」に驚いたというのです。ただ、この件に関してこれ以上突っ込んで聞いても、そもそもツァガンサルに関しての歴史的、文化的教育は内モンゴルではほとんどなされてないので、よく知らないとのことでした。なので、以下は私の推察です。中国は歴史的にこよみ(暦)を決められるのは皇帝だけです。現在の皇帝は習であり、共産党ですから、それ以外の人々に暦を決める権限はありません。いわんや少数民族が漢人様の春節にケチをつけるなんて許されません。もしかして100年前には、内モンゴルもモンゴル人が独自に日程を決めていたのかもしれませんが、共産党になってからはそんな抵抗もできないので、代わりに春節をツァガンサルということにしたのでしょう。もっと言えば、春節のモンゴル語訳がツァガンサルとなっているのでしょう。なので、現代の内モンゴル人には春節とツァガンサルが本来は別物だということがわからなくなっているのでしょう。自分たちで暦を決めることができる権利は、意外と重要なのですね。更にある外国人に「日本人はどうして旧正月を捨てたの?」と聞かれました。確かに私の幼少のころは、田舎で旧正月らしきことをやっていた記憶がかすかにあります。あれはどうしたんでしょうか?調べてみると、明治5年(1872年)に明治政府が旧暦から新暦に切り替えたことが直接の理由のようです。でも、他のアジア諸国だってどこも公式には新暦を使っています。ただ新暦に変わっただけでなく、どうやら明治政府は「もろもろの祭りごとを旧暦で行っているものは新暦の日付に当てはめて行うべし」との指示を出したからのようです。当時の明治政府は、当然強権的で民衆を従わせようとしたので、各地の役所もそれに従ったようです。現在も旧正月の色合いが強く残っているのが沖縄本島や南西諸島です。これは明治5年当時にはまだ琉球王国としての独立色が強く、明治政府の指示も浸透してなかったことによるのが今も残っているようなのです。私の幼少期にかすかに残っているとはいえ、佐渡の実家ではなく実際に育った家で旧正月をお祝いした記憶は全くないですね。内モンゴル人もこれと同じで、ツァガンサル=春節であると教えられた世代が大きくなると、「え?ツァガンサルって春節のことじゃないの?」という世代がメインになってもおかしくはないですね。