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田崎正巳のモンゴル徒然日記

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モンゴル2008

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モンゴル2008@ Re[4]:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) New! 七詩さん、ありがとうございます。今の中…
七詩@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) New! 社会主義体制下のモンゴルではジンギスカ…
モンゴル2008@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) じょんたのおばあちゃんさん、ありがとう…
じょんたのおばあちゃん@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) 追伸です。 Facebookに私の自分の言葉で訴…
じょんたのおばあちゃん@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) おはようございます。 確かに「ジンギスカ…

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2019.08.19
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カテゴリ:モンゴルと中国
私はこのブログでは、以前は内モンゴルと呼んでいましたが最近はできるだけ南モンゴルとか南モンゴル(内モンゴル)と書くようにしてきました。

「内」と書くのは、中国が中心だからで、モンゴル国から見れば「南」なんだということです。なので、中国的視点の時は内モンゴルと書く時もありますが、モンゴル的には南モンゴルと書くようにしてます。

「日本海」なのか「東海」なのか、地理的呼称はいろんな見方があるのは、世界どこにもあるのでしょうが、モンゴルに関してはできるだけ気を付けるようにしてきたつもりです。

ですが、今日からもうその必要はないので、きっぱりと「内モンゴル」に統一しようと思います。なぜか?

それは数日前のモンゴル初の記事を見たからです。その記事は「モンゴル/中国Expo」に関しての内容でした。要するにモンゴルと中国共同での国際博覧会を内モンゴルのフフホトやウランチャブで来月9月6日から10日まで開催するというものです。

まあ、そのこと自体はやればいいって感じです。ただ中国側の注文が面白いというか、「牛乳や乳製品、蜂蜜、ラード、豚肉製品は検疫のため持ち込み禁止」とあります。「他の肉や肉加工品については、中国への輸出許可を持っている会社のみ持ち込み可能」となっています。

恐らく日本でやるとしても似たようなルールにはなると思いますが、お隣のモンゴル人の自治区でやるのに、随分不便だなあとは感じました。

モンゴル製品から乳製品や蜂蜜を除いたら何があるのかな?羊の肉とカシミヤ?革製品?どれも中国にはたくさんありそうなものが多いような気もします。

で、問題はこのことではありません。これらの博覧会の記事には開催地として「Hohhot, Ulanqab, and Tongliao cities of Inner Mongolia,」と書かれているのです。インナーモンゴリア?内モンゴル?

これは中国人の記事か?と思いました。で、寄稿者を見るとモンゴル人女性の写真と名前が載っています。しかもメールアドレス付きで。そのアドレスはなんと「@XXXX.gov.mn」とあるではないですか!

そうです、モンゴル政府です。つまりモンゴル政府の役人がこの地域を「内モンゴル」と呼んでいるのです。「内」の主語はもちろん北京の中国です。これを見て、なんだか急に力が抜けました。

モンゴル政府自身が書いてる文章(モンゴルのWebニュースに英語で)に内モンゴルとあるんですから、もういちいち南モンゴルとか言う必要がないということです。

中国べったり、中国大好き政権なので、外国人がとやかく言う必要はないということなんだと思います。






Last updated  2019.08.22 22:35:53
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2019.08.16
モンゴルから日本にお客さんが来た時に、私が食事の希望を聞くのは「寿司?焼肉?」と至ってシンプルです。

この好みも以前とは随分変わりました。昔(10年前?)であれば、「焼肉!」と答える人が圧倒的でしたが、最近はほとんど「寿司!」と言う人が多いです。

日本に留学や仕事で経験ある人であればそれも頷けますが、日本初体験の人までそう言ったのには少々驚きました。

私のクライアントであるモンゴル人の建設会社社長Bさんが、初めて日本に来た時のことです。このBさんは、私にとってモンゴルで初めてのコンサルティングのお客さんでした。

日本語ももちろんわかりませんし日本にも来たことありませんでしたが、私に会社の経営戦略立案を任せてくれました。結果としてプロジェクトは成功し、その後その会社は大きな成長を遂げました。

モンゴル出張の折にUBで会っていた時に、「あなたのいる日本に行ってみたい」と言ってたのです。

それが実現した時に、私はB社長を食事に誘いました。頭の中では「焼肉かな?しゃぶしゃぶ?すき焼きはちょっと面倒かな?」なんて思いながらも、一応「何が食べたいですか?」と聞いたのです。

すると意外な答えが!それは「サシミ」でした。私は「サシミ」と聞いても、まさかと思いながら「サシミって、生の魚ですよ。ご飯と一緒のはスシと言うんです。」と説明すると「そのサシミが食べたい」と言ったのです。

私は刺身ばかり食べられるもんではないですから、お寿司屋さんへ連れていき「まずは、刺身二人前お願いします」と注文しました。

食べ終わるころに「じゃあ、寿司にしますか?」とB社長に聞くと、「いや、このサシミがいい」と言うではないですか。結局、寿司は全く食べず、刺身だけ2回もお替りしました。(もちろん、違うネタで)

これでもわかるように、「モンゴル人は肉しか食べない」とか「初心者には魚は無理」などというのは昔の話で、今のUBの人たちはなんでも興味を持って食べてくれます。もちろん、焼き肉が好きなのは今も変わりませんが。

そんなモンゴル人相手でも私から絶対に誘わない肉料理があります。それはジンギスカンです。羊料理なんですから、モンゴル人にはぴったりだという考え方もあるかもしれませんが、さすがにこの名前の料理を勧めるわけにはいきません。

そういう私の躊躇を明確にしてくれる記事がありました。それは「「ジンギスカンの料理名変えて」モンゴル出身教授の主張で物議「チンギス・ハンはモンゴル人にとっての天皇」という記事です。

モンゴル出身教授というのは「草原の墓標」で有名な楊海英静岡大学教授のことです。楊さん曰く「モンゴル人にとってのチンギス・ハンは日本人にとっての天皇家と同じであり、料理の名前にしてはいけない神聖な存在」なのです。

これは私の躊躇する感覚と同じですが、日本人全員が「なるほど!」と言ってくれるかどうかはわかりませんでした。しかしながら、楊さんは日本人に対して強烈な事例を示しました。

それはアメリカで補正下着ブランドとして商標登録された「Kimono」への日本からの痛烈な反発のことです。「Kimono」を下着に使うのは、「文化の盗用だ!」とか「日本の伝統衣装に失礼だ!」と騒いで、結局この商標の使用を止めさせた経緯があるのです。

「なるほど!」と思わず唸ってしまいました。事の重大性で言えば、「Kimono」よりは「ジンギス・カン」の方がずっと重いです。この投げかけには、日本人として返す言葉は見つかりません。

実際、日本にいるモンゴル人のほとんどは、この料理名に「不快」や「怒り」を感じたことがあるのではないかと思います。

ここまで浸透した料理名を変えることができるのか?実は一つだけ事例があるのです。それは「特殊浴場」といわれる、お風呂屋さんです。これは昭和の昔は「トルコ風呂」と呼ばれていました。

ですが、トルコから留学に来た青年がその意味を知ったとき、ショックで猛抗議したのです。たかが留学生一人の抗議というなかれ。マスコミに取り上げられ、トルコ国大使館なども協力し、名前の使用を止めるように政府やマスコミにお願いしました。

その結果、さすがにその手の場所の名前に国の名前をつけるのはおかしいということで、かなり短期間で全国的に変わってしまったのです。確かにあのまま放置していたら、外交問題にまで発展したかもしれません。

その時の成功の要因の一つに「じゃあ、どういう名前にすればいいのか?」でした。それがないと、切り替えるに替えられないからです。結局「ソープランド」という名前が登場して、切り替わって行ったのです。

この事例から考えると、ジンギス・カンの名称を変えるには、
① 今回の楊教授の指摘を基に、モンゴル国も名前変更の依頼を正式に日本政府やマスコミにお願いする。(内モンゴルは中国ですから、この程度のことでは外交問題にはしてくれないでしょう)
② ジンギス・カンに変わる名称を決める。
③ このまま変えないと、Kimonoで文句を言う日本人のダブルスタンダードがおかしいとか、外国の神聖な存在を日本人は料理名に使う無神経さがあることを世界に知らしえるとか、日本のイメージに傷がつくようなキャンペーンを行う。
などの方法で、変えられるかもしれないと思いました。

問題は、新しい名前ですね。「羊焼肉」ではつまらない。聞いただけであのチンギス・カン料理のイメージができるのがいいですね。何かいい名前はありますか?

ちなみに、私はジンキス・カン料理はかなり好きです。「おひとり様」でも行くことがありますから。






Last updated  2019.08.22 09:19:45
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2019.08.13
このブログで何度かお伝えしている通り、今年はノモンハン事件(ハルハ河戦争)があった1939年から80周年の年になります。

これに合わせて、7月に日本とモンゴルの合同シンポジウムがあったりしたのですが、当然のことながら80周年を「祝う」行事は他にもいろいろあります。

7月にハルハ河に行った時、日本人が建てた戦没者モニュメント前で皆で哀悼の心を捧げました。

その時にそのモニュメントの一部が壊れていたので、ウランバートルからそれを修理するためのモンゴル人が来ていたことは、このブログでもお話ししました。その修理をする建設会社の社長さんが、偶然に今年の冬に新宿で一緒にお寿司を食べた人だったことも書きました。

その時に何げなく聞いた言葉が頭に残っていました。「8月末にプーチン大統領が来るから、その時までには綺麗にしておかないといけない」ということでした。

その日程のことかどうかは確認はしていませんが、プーチン大統領が9月3日にウランバートルにやってくると聞きました。当然のことながら、ハルハ河戦争祝勝80周年を祝うためでしょう。

このこと自体は、日本人としては何か言える立場にはないのですが、残念ながら釈然としないところはあります。なぜか?

ハルハ河戦争でソ連がモンゴルを助けて、満洲・日本軍を退けたのはその通りですが、それによってモンゴルは何を得、何を失ったのかも考えないといけないと思うからです。

現代史のモンゴル歴史家であるS.バートル氏は次のように述べています。

「20世紀のモンゴル国の歴史上、最大のハルハ河の戦闘でさえも、モンゴル人民革命軍は237人が殺され、32人が行方不明となっただけだった。ところがこの戦争に先立つ1年半の間に、「国家反逆罪」で有罪とされた者はその117倍に、処刑された者は88倍の多数にのぼった。特別査問委員会の50回にのぼる会議だけとって見ても、19,895人を処刑したということは、毎日398人を処刑したことになる。」

この数字はモンゴル側だけの数字で、しかも一般的にモンゴル人の間で有名な第二次世界大戦後の「粛清」の数字は含まれていません。純粋なハルハ河戦争前の数字です。

モンゴルの被害を助けてくれたのがソ連とすると、ソ連はモンゴル人のハルハ河戦争による死亡者・行方不明者を「わずか」269人に抑えてくれたという意味では大きな意味があったのだろうと推察します。

ですが、その前にモンゴル人19,895人を処刑せよと指示したのもソ連だったのです。

2万人近くを殺しておいて、モンゴルを助けたというロシアもロシアですが、それ以上におかしいのは「ロシアのお兄さんたちのおかげで、モンゴルはハルハ河戦争に勝利した」と喜んでいるモンゴル人は、一体何を考えているのでしょうか?

もちろん、こうしたおかしな話に気づいているモンゴル人もいますが、「私たちは、何でも言いたいことは自由に言う」と威張っているモンゴル人の偉い人たちも、ロシアに対しては何も言えないのが現状なのです。

それはガソリンという現代のエネルギーの重要戦略物質をほぼ100%ロシアに抑えられているからです。モンゴルが原油産出国なのに未だに原油は100%輸出するだけで、自国内では利用できないことも、もとはと言えばロシアがモンゴルに製油所を設立することを認めなかったことに遡ります。

社会主義時代ソ連は「石油精製所建設、水力発電所建設、モンゴル鉄道の輸送力強化事業」など、数多くのプロジェクトに反対してきたのです。

2010年まではモンゴルはロシアの国営会社からその会社が勝手に決めた値段でガソリンを輸入するという方法しかありませんでした。

現在は中国からの輸入を始めたので、ロシア依存度は95%になりましたが、やはり極端に依存していることには変わりありません。

新空港とロシアとは一見何の関係もなさそうですが、実は大きな関係があるのです。

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モンゴルの評論家、ジャルガルサイハンさんによれば

「新国際空港にも燃料調達の選択ができるようになることが期待される。航空燃料に関しては2種類の規格がある。それはロシア規格のTC1と国際規格のJetA-1である。航空会社は両方の規格の燃料を使っているが、1機の航空機の主翼にある燃料タンクに混合して使うことはない。モンゴル政府は日本政府に何度も要望を出し続け、新国際空港にTC-1のみを入れる2,000トン容量の4つの燃料貯蔵タンクを建設した。」

のだそうです。つまりモンゴル政府自ら、燃料調達の多様化をできないようにしてるのです。

モンゴル国内の有力会社同士が、新空港会社への燃料調達会社になるべく争っていますが、ロシア規格の航空燃料にしたので、どう争ってもロシアの国営会社から買うしかないのです。こうした、一見表立ってはいない舞台でのロシアの政治力は全く衰えていないようです。

ハルハ河戦争は日本側が悪い。この見方に私は全く疑いの余地は持っていませんが、それを助けてくれた「ソ連のお兄さん」が、その戦争の100倍近くのモンゴル人を殺し、その後長い間、今に至るまでモンゴルを支配し続けていることを、モンゴル人は一体どう考えているんだろうと、ちょっと不思議に思っています。

9月3日に来るプーチンは、お得意の存在感ある言動で、より一層モンゴルの政界を縛り続けることでしょう。






Last updated  2019.08.18 17:56:46
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2019.08.09
「昔の面白いブログシリーズ」の第20回目です。2012年1月25日付けの「モンゴル人の心の中?(2)」を載せます。

世界に散在しているモンゴル帝国の末裔たちに語り掛ける、モンゴル人の想いが2回に渡って書かれてます。2回目です。

以下、掲載します。


声明はさらに続きます。


「現在、戦士の血を受け継ぐ1000万人以上のモンゴル系民族は世界中に散らばって生活している。民族の故郷を守っている300万人に満たないモンゴル人は、民主化革命から20年にわたり、世界の近代的モデルにより国を治め、12万人以上のモンゴル人が国を飛び出し知見を広げ、財を蓄えて生活を向上させ、また学識を深めて帰国し、祖国の発展に貢献している。」

と現状を認識しています。続いて、

「モンゴル人は自分たちの民族が世界帝国を築いた歴史を誇りを持って語る。モンゴル人は蒙古斑を持つ兄弟たち(モンゴル系民族)がモンゴル民族の故郷に帰ってくることを、口には出さないがずっと待っている。これは歴史上、その時、その時のモンゴル人が心の奥底にしまってきた願いだ。私達は長年、少ない人口で貧しく過ごしてきた。私達の力が足りなかった。実際のところ、民族の火を絶やさないように守るだけで精一杯だったと言っていい。」

と語ります。「蒙古斑を持つ」を象徴的な言葉で使っています。実は蒙古斑を持つのは、モンゴル人だけでなく、朝鮮民族もそうですし、われらが日本人もそうです。

ですが、元々の漢人にはないと言われています。(現在は混血などで、見られる場合もあるそうです)ですので、ここで蒙古斑を強調するのは、「モンゴル民族の象徴」であると同時に「中国人ではない」というアイデンティティも含まれていると思います。

「民族の火を絶やさないで守るだけで精いっぱいだった」という文章に心打たれました。歴史上、教科書的に言う「北方の騎馬民族」というのはたくさんいました。

中国側から見ても匂奴,鳥桓,鮮卑,突欣,蒙古などたくさんいますし、女真、スキタイ、キンメリア、フン・・など、数多あったわけです。

その中で、今も民族国家として独立した存在でいるのは、モンゴルだけなのです。他のほとんどは、中国に吸収されたり、漢人に同化されたりして、独立した存在ではなくなっているどころか、存在そのものもないのです。



この呼びかけは、今は経済発展をしてまさに世界中のモンゴル人に戻ってきてほしいという言葉が続きます。首相も大統領もそれを待ち望んでいると。そして、こう続きます。

「モンゴル人の姿を見て、モンゴル語で話すのを聞いて、涙を流しながら歓迎しているモンゴル系民族は故郷からはるか遠くに離れて住んでいる。彼らは民族の故郷であるモンゴル国の発展や自由な生活について聞くと喜んでいる。彼らはモンゴル人を信頼している。モンゴル人の心の底にある彼らへの思いを今こそ行動に移す時だ。彼らの消息を聞いて、座って泣いているだけではなく、彼らの座る席を用意して、共に発展する時代を私達は実現すべきだ。」

と長い間離れていた遠く離れた民族に声をかけているのです。

翻訳者のTulgatさんによれば、「モンゴル系民族は、モンゴル国、中国・内モンゴル自治区、ロシア・ブリヤート共和国以外にも、アフガニスタンのハザラ人、モゴール人のように、モンゴル帝国時代にモンゴルから派遣されたモンゴル軍の末裔や、ロシア・カルムイク共和国のカルムイク人のようにモンゴル帝国以降の歴史に翻弄され、移住した民族もいます。」とのことです。


この一連の声明文を呼んで、シオニズムを思い出しました。世界中に分散してしまったユダヤ人たちが、いつかは自分の国に集まって暮らしたいという復興運動です。それはイスラエルという国で実現されたわけですが、今も大きな問題を抱えています。

モンゴル人の場合は、既に「民族国家」があるわけですから、これから戦争をする必要はありません。

だからと言って、モンゴル国に戻れば、単純にそれでいいのかというわけでもありません。声明では

「この問題は、感情に流され、安易に考えてはいけないことは皆さんも私達もよく理解している。何百年も遠ざかっていた感情、言葉、文化的違い、また人口が多いほうに吸収されてしまう可能性などを考慮しなければならない。」

という懸念も発しています。

人口が多い方に吸収されるという表現は、人口が倍ほどもいる内モンゴル人と一緒になるということは、中国に同化してしまったモンゴル人たちと同化する可能性があるとの警告のように感じられます。

元世界大国、現人口小国の置かれた立場を理解しないと、モンゴル人の誇りや行動を理解しにくいかもしれません。

建国以来、そのほとんどを大陸から離れた小さな島国で過ごしてきた日本人と根本的に違うのは、当然のことなのです。


(完)






Last updated  2019.08.14 11:16:22
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2019.08.08
「昔の面白いブログシリーズ」の第19回目です。2012年1月24日付けの「モンゴル人の心の中?(1)」を載せます。

世界に散在しているモンゴル帝国の末裔たちに語り掛ける、モンゴル人の想いが2回に渡って書かれてます。1回目です。

以下、掲載します。




モンゴルからのニュースで、とても気になる文章がありました。それはモンゴル永住権プログラム(ブルー・カード)についてのことです。

このブルー・カード・プログラムというのは、今後大きな経済発展(年率20%)が見込まれるモンゴルへ、世界中に散らばってしまったモンゴル人、モンゴル系民族に帰って来てもらい、ともに新しい国を作って行こうではないかと呼びかけるというもので、首相も大統領も呼びかけています。

呼びかける理由は、300万人に満たないモンゴル国の人たちだけでは、新国家建設には足りないだろうという見込みと、海外各国で知識や技術を積んだ人たちに戻って来てもらいたいというのはもちろんあります。

が、より大きな視野で見れば、チンギスハーンの打ち立てた世界最大の帝国後、世界各地に散り散りになってしまったモンゴル系民族の数百年に渡る帰国願望を叶えてあげたいということも入っているのだと思います。


モンゴル人と会ったことある人はよくわかると思いますが、彼らは大変誇り高い民族です。

時として、誤解されることもありますが、根底には長く続く遊牧民としての誇り、チンギスハーンの末裔としての誇りが感じられます。

社会主義時代には、チンギスハーンの「チの時」も口にしてはならない(ロシアにとっては、チンギスハーンは史上最大の悪人?)こともあっただけに、自由になった現代では、誰もがその誇りを口にします。

「民族とは何か?」の定義は、研究者の間でも実に様々な意見があります。つまり、特段難しくもないこの「民族」という言葉の定義すら、実ははっきりしていないのです

私はある民族学者が言った言葉に「なるほどなー」と思ったことがあります。それは「同じ記憶を持つ人々」という定義です。

記憶にはいろいろあると思います。学校で教育する「歴史」はもちろんですが、もっとフォーマルでない形での記憶、例えば「神話」とか「言い伝え」などもあるでしょう。共有化した「道徳観」「習慣」などもこれに含まれるでしょう。

モンゴルの場合は、教科書でチンギスハーンのことを教えられるようになったのは、わずか20年前です。

それまではロシアによって禁止されていましたから。ロシアの前は満州人の支配があり、その前は・・・となると、当然、フォーマルな形での教育というものには乏しかったでしょう。

それでも、モンゴル人、モンゴル民族はだれもがチンギスハーンのことを知っています。物語を知っています。これは偉大な「共通の記憶」と言えるのではないでしょうか?

こういう歴史的認識を持つ現代のモンゴル人300万人が、世界中に散らばってしまったモンゴル系民族700万人に対して呼びかけているのです。

本当はもっと前から呼び掛けたかったのでしょうが、政治的経済的事情などを考えると、したくてもできなかったのでしょう。

ですが、大きな経済発展が、もう目の前に来ている今、ついに呼びかけることができるようになった、というのだと私は理解しました。

前述のように、首相も大統領も応援していますが、活動主体となっているのは「ツァヒム・ウルトゥー・ホルボー」というNGOです。

その声明文が、とてもモンゴル人の気持ちを表しているように感じたので、ここに抜粋させて頂きます。

なお、日本語訳責任者は、モンゴルで不動産などのビジネスを手掛けているTulgatさんです。京都大学出身で、日本語を完璧に話せる人です。


「800年前、モンゴル人は繁栄を極め、世界の四方を騎馬で駆け抜け、世界帝国を築いた。その後、時が流れると共に、戦士としてのモンゴル人はなりを潜め、さらに満州人の支配下に置かれて世界からは忘れ去られ、その後70年間社会主義のカーテンに閉じ込められ、民族の家であるこのモンゴルの地にわずかな人口で暮らしながら21世紀を迎えた。」

という文章から始まります。

世界帝国後のモンゴル人の置かれた立場に、無念さが感じられます。ここで読者のみなさんに気にして頂きたいのは、「満州人の支配下に置かれ」とあるフレーズです。

これは清国を意味します。「え、清?だったら、中国なんじゃないの?」と思う方もいるかも知れませんが、モンゴルでは決してそうは言いません。

モンゴル人と話していると「私たちには辛い時代もあったが、中国の支配下になったことは一度もありません!」言います。

「え?清に支配されてたのではないですか?」と言えば「あれは、中国人ではなく、満州人です。確かに満州人には支配されていました。」と素直に認めます。

モンゴル人にとって満州人とは、先祖は同じ騎馬民族であり、根本的に農耕民族の漢民族とは違うのです。

騎馬民族同士であれば、遠い昔から、領地を取った取られたはあったことなので、「基本的には先祖が同じ民族」と受け止められ、屈辱感はあまりないのです。

声明はさらに続きます。

(続く)






Last updated  2019.08.13 13:02:11
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2019.08.06
「昔の面白いブログシリーズ」の第18回目です。2011年6月5日付けの「帽子から垂れる飾りの意味は?」を載せます。

モンゴルの民族衣装はとても綺麗です。女性が民族衣装を着るときに帽子から垂れる飾りにはどんな意味があるのでしょうか?

以下、掲載します。(オリジナルの時にはなかった写真も掲載します)




かなり長い間ブログ更新からご無沙汰してしまいました。モンゴルに住んでいた時は、いくらでもモンゴル関連の話題はありましたが、日本に住み慣れてしまうとなかなかないものです。

ちょっと過ぎた話ですが、先月テレビで世界で一番寒い村であるロシアのオイミヤコンを見ました。なんでも一番寒い時にはマイナス71度にもなったとか。

ですが、通常の冬はマイナス40-50度とモンゴルの北部並のようです。登場する現地の人は、モンゴロイド系と言いますか、いわゆるアジア顔でした。

もっと言えば、日本人や中国人よりは、ほとんどモンゴル人と同じ顔と言っていい人たちです。

私はかねて、日本人とモンゴル人は似てはいるけど、やっぱりちょっと違う。一般的にいえば、モンゴル人の方が顔が大きいのです。

でもそれは、体格のせいかなと思っていましたが、このテレビ番組の説明で明確にわかりました。

こういう極寒の地に住む人たちは、副鼻腔というのが発達するのだそうです。副鼻腔とは鼻腔(鼻の内部の空間、鼻の穴)に隣接した骨内に作られた空間で、誰にでもあるものです。

極寒の地の人たちは、この副鼻腔が発達し大きくなっているのだそうです。極端に低温の空気は、そのままでは喉を痛めてしまうので、この副鼻腔で温められて喉に通じるというわけです。

確かに、モンゴル人は鼻の横、目の下の部分が大きい人が多く、まるで頬が膨らんでいるように見える人が多いです。

朝青竜の顔も、丸くて大きいだけじゃなく、この副鼻腔が大きいので、頬が大きく目が細く見えるのです。

確かに思い当たります。多くの日本人は、モンゴル滞在へ来た最初の冬に喉を痛めます。もちろん私もかなり痛めました。

最初はいわゆるエヘン虫かと思っていましたが、長期間続きモンゴルの医者にも行きました。

日本人の友人らも、程度の差はあれ喉を傷める人が多かったのは、この副鼻腔がモンゴル人ほど発達していないので、直接冷気が喉に届くことが原因だったのです。

ヒトの特徴には、必ず機能が関係しているんだなと、妙に感心してしまいました。


その話をモンゴル人に話したら、それは皆知ってるよという顔をしていました。更に、モンゴル女性の秘密も教えてもらいました。

モンゴル女性の民族衣装姿は、とてもあでやかできれいです。その特徴の一つに、飾り物があります。耳飾りをはじめ、きらきらして長く大きいものが多いのです。

帽子もいろいろありますが、その帽子からも金属製のきらきらした飾りが、顔の前まで垂れていることもあります。

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これはモンゴル女性が大きすぎる頬を隠すために帽子から下げたことが起源なんだそうです。

今も田舎に行くと文字通り「ほっぺの赤い子」が多いですが、どうも当のモンゴル女性たちもその大きく赤い頬を恥ずかしがっていたそうです。

モンゴル人は日本人とよく似ていると言われますが、この鼻の横、目のすぐ下の膨らみである副鼻腔が小さめの人は、確かにほとんど同じような顔をしているといえます。

シベリアに住むアジア系の人たちの顔が、モンゴル人と似て見えるのもこうした副鼻腔の特徴が似ているからでしょう。

目が一重とか二重とかも、寒さの違いが原因だと聞いたことがあります。人間の体も長い時間をかけて、環境適応しようと進化してきたのでしょう。






Last updated  2019.08.12 11:12:43
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2019.08.04
カテゴリ:ユーラシアの歴史
先日、日本政府が観光誘致支援のために「中央アジア一括ビザを支援する」という記事が出ていました。モンゴル観光振興の立場からも、ちょっと気になるニュースです。

記事によると「日本政府は中央アジア各国が外国人観光客を誘致する取り組みを支援する。観光客が域内5カ国を自由に行き来できる周遊ビザ「シルクロードビザ」導入を呼びかけ、年内にも一部の国との合意をめざす。」とあります。

これは外国人観光客がどこか一つの国のビザを取れれば、域内5か国を自由に移動できるというものです。ヨーロッパのシェンゲンビザみたいなものでしょう。

この5つの国とはどこか?記事には書かれていませんが、恐らくカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタンのことでしょう。

これらは地理的に言えば概ね、中国やモンゴルよりも西で、カスピ海よりも東のエリアといえます。

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歴史的には遊牧民が多く、言葉もテュルク系が多い地域です。(もちろん、細かく言えばイラン系とか多様ではありますが)またオアシスがあった場所でも有名ですから、「シルクロードの中心地」とも言えるでしょう。

この5か国の一括ビザを可能にするという案です。日本人にとっては、これらの国への訪問にはビザはどうなんでしょうか?調べてみました。

調べたのは民間のビザ専門会社のHPです。まず気になったのは「アジア」のパートに載っていなかったということです。

この会社のHPは日本人向けの「ビザ要否一覧」を載せているのですが、それが地域別に載っています。アジア、中近東、東欧、西欧・・・とあるのですが、なぜかアジアには載っていません。モンゴルはもちろんアジアに載っています。

どこにあるかと言えば東欧です。これは「旧ソ連国は全部東欧」と見なしているんじゃないかと思います。で、結果を見てみましょう。(基本は観光客です)

カザフスタン 不要。ウズベキスタン 不要。キルギス 不要。タジキスタン 必要。トルクメニスタン 必要。
という結果でした。

ビザなし国が世界一多い日本人にとっても、タジキスタンとトルクメニスタンは必要なんですね。このシルクロードビザ制度ができたら、これらの国へも自由に移動できるということになります。

この制度を導入すれば、「日本政府は域内各国と日本をつなぐチャーター便の増設を呼びかける。観光分野での人材育成を強化するため専門家を現地に派遣し、日本で研修を開く。水洗トイレの普及や公共交通機関の外国人対応などでも日本のノウハウを伝える。」と言ってます。

これは意外と、観光無策のモンゴルにとっては大きな脅威になるかもしれません。そもそも今も、モンゴルへの日本人旅行者は数は少ないですし、モンゴル国としても大した振興策はやってません。

モンゴル人は「この素晴らしい自然が売り物です」と言いますが、裏を返せば「特に何もしないので、興味があれば来てください」的対応です。

私が長年日本人観光客を観察してきた感想を申し上げれば、モンゴルは日本人にとってはあくまでも非メジャーな、秘境とは言いませんが、優先順位の高い観光目的地ではないように見えます。

一般的な日本人観光客にとっては、通常観光地を考えるときは「素敵で憧れのヨーロッパ」「身近でグルメも楽しめるアジア」「世界の大国アメリカ」などがまず浮かびます。

地域でない切り口としては、「南の島でのんびり」とか「世界遺産を求めて(南米や中東など)もあるでしょう。

モンゴルは残念ながら、少なくとも旅行初心者にはこれらのキーワードはひっかかりません。

アジアなのに、ヨーロッパみたいに航空運賃が高いとか、アジアなのにグルメ目的とは言えない、有名な世界遺産と言える建造物がほとんどない、などがその理由と言えます。

ではどういう人たちが来るのか?それは「既に世界中、いろんなところを回った。まだ行ったところに行ってみたい人」「アジアの歴史、大草原に触れてみたい」などが多いように見えます。

日本人にとってのファーストチョイスではないけど、面白そうな国、未知の世界といったところじゃないでしょう。そうなるとこのシルクロード5か国ビザは強敵になるかもしれません。

「遊牧民」や「大草原」という売り物は、モンゴルの専売特許ではなく、この5か国にも当てはまります。もちろんモンゴル人は「自分たちとは違う」と主張するでしょうが、日本人にとっては似たようなもんです。

ネーミングの「シルクロード」もアピール抜群です。講演会などでも、地味なモンゴルの歴史話よりも、シルクロードと名付けた講演の方が圧倒的に集客がいいのは経験済みです。

更にこの5か国にはイスラム系の宗教的建造物がたくさんあります。オアシスには文化の多様性を示すものも多いことでしょう。モンゴルに明確に劣るのは「知名度」くらいでしょう。

このシルクロードビザにモンゴルも入れてもらう(日本人には関係ありませんが、モンゴルのビザが必要な国のために)とか、5か国内の移動の自由(今はモンゴルからは飛行機で直接行けません)のための交通網など、いろいろ考えた方が良いかもしれません。

「いやいや、モンゴルはモンゴルの魅力だけで十分だ」なんて意地はっていると、新潟県みたいになってしまうでしょう。

以前、本ブログ2014年2月16日付け、「モンゴルと新潟県の共通点」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201402160000/)にも書いたように、どっちつかずで孤立化するということです。

「北陸新幹線記念北陸旅行!」とか「東北グルメの旅」なんてタイトルの旅行プランがあっても、新潟県はどっちにも含まれていないのです。新潟県は「北陸三県」でもなければ「東北路六県」でもない、孤高の県なのです。

なので、観光庁が訪日外国人向けに設定した「昇龍道」(中部・北陸)コースにも「東北探訪ルート」にも載っていません。もちろん単独なんてあり得ません。

モンゴルは政治面だけでなく、観光や人的交流面でももっと中央アジアと接近した方がいいと思います。新潟県を反面教師に。






Last updated  2019.08.11 14:04:07
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2019.07.29
もう既にご存知の方も多いと思いますが、ようやく新空港のオープンが実現しそうです。時期は来年春とのことです。(正確には今年7月から10か月以内、だそうです)

なんでこんなに開港時期が遅れたのか?ハードの問題(格納庫の整備、UBへの高速道の完成遅れなど)も確かにありましたが、やはり一番大きいのは空港運営会社の経営権の問題だったようです。

空港運営会社の経営権なんて、空港建設着工前から日本企業がやっると決まっていましたから、通常の契約通りであれば経営権の問題なんて起こりようがありません。ですが、そこはモンゴルです。

モンゴル人にとっては「あの時は、経営権を日本に任すと言えば空港建設用の資金が入ってくると思ったから、そういう契約をした。」だけのことなのです。

ですから「もう完成したんだから、やっぱりモンゴル側が経営権を持ちたい」と言いがかりをつけたというわけです。「それは契約違反でしょ?」というのは、日本人の認識であり、国際ルールでもあります。

でも、モンゴル人にとっては契約とは「あの時はそう思った」というだけのことで「その後のことを考えると、やっぱり違うと考えた」と合意をひっくり返すことには大して抵抗感はありません。

OT(世界最大級の金・銅鉱山)に関するリオ・ティエントとの契約も同じです。後出しじゃんけん、なんでもありがモンゴルの政治家なのです。

というわけで、とっくに決まっていたことをひっくり返されながらもなんとか正式契約にこぎつけたのが7月5日で、「ニュー・ウランバートル・インターナショナル・エアポート」(NUIA)という日・モ合弁会社が設立されたのです。

日本側が51%で、三菱商事、成田国際空港社、日本空港ビルディング、JALUXの4社です。モンゴル側はモンゴル政府です。

三菱商事は、空港建設を請け負った会社です。成田国際空港社は成田空港の運営会社で、日本空港ビルディングは羽田空港の運営会社です。JALUXはJAL系の空港関連のサービス会社です。

MIATと成田で提携しているのは全日空なので全日空系が参加するかと思っていたら、JAL系でした。これをきっかけにJALがウランバートルへ飛んでくれるといいのですが。個人的にはマイレージが使えるので、ありがたいです。

このニュースは日本にいるモンゴル人や日本語を勉強しているモンゴルにいるモンゴル人には、結構インパクトあるというか、注目されているようです。

私のところには時々日本にいるモンゴル人学生などが相談に来ることがありますが、この運営会社は願ってもない就職先と言えそうです。

断っておきますが、私は一切コネクションはありませんので、個人的な依頼にはお応えできません。ただ、モンゴル人は「甘い考え」を持つ人もいるので、その辺はちゃんと認識しないといけません。

ある留学生の方は「どうやったら、この運営会社に入れますか?」から始まって、私に相談されました。

何をやりたのかと聞くと「日本側の代表となって、新会社を経営したい」だそうです。それも「将来の話」ではなく「代表として入社できるか?」だそうです。

まあ、日本人がこういう話を聞くと「何言ってんの、その人?留学生でしょ?経営?できるはずないでしょ?」と思うわけですが、モンゴル人留学生の中には、怖いもの知らず(ほぼ同義語で世間知らず)の方もいますので、短期的に経営者になれる道を探るわけです。

残念ですが、遠い将来はともかく、近い将来に日本側代表として未経験のモンゴル人が経営者として送られることはないでしょうね。

これに近いことを言うと、素直に「なぜですか?私は出来ますよ」と返ってくるので、なかなか説明が難しいのがモンゴル人なんですね。

ま、こういう超積極的姿勢は今の日本人学生にはないものなので、私自身は一概には否定しません。そうした中から、将来のモンゴルを担う人材が出てくる可能性は十分ありますから。

現チンギスハーン空港の旅客数実績は142万人(2018年)です。三菱商事と共に建設に参画した千代田化工建設によると、年間200万人が利用可能な旅客ターミナルビルを建設するとあります。キャパは大丈夫なんでしょうか?

当然、今後はモンゴルも観光客誘致により力を入れていくでしょう。モンゴルは外国人観光客の誘致に力を入れていくにあたって、一つ難しい問題があります。

昨年、バトトルガ大統領とお目にかかったときに「外国人にもっとモンゴルに来てもらいたい。どうしたらいいか?」と聞かれました。

私は笑いながら「人数を増やすのは簡単ですよ。中国人向けビザを撤廃し、観光客を誘致すればいいのです。」と言いました。さすがにこれは受け入れ不可能だとわかって言ったのですが。

モンゴルは人口300万人の国です。陸続きの人口大国中国人がどっとやってきたら、そのうちの何パーセントが不法滞在者として残るでしょうから、数年もすれば中国人の方が多くなってしまうことも笑い事ではなくあり得ます。

内モンゴルもチベットもウィグルも、一番怖いのは武力よりも「漢人による大量進出とその結果としての漢化」ですから、それだけは飲めません。外国人観光客は増やしたいけど、最大の供給源である中国は制限したい、のがモンゴルの本音です。

大統領は「一番来てほしいのは日本人です。」とも言ってました。そうなると、ガチでベトナム、タイ、シンガポールなどの東南アジア諸国と競合になります。

今までのように「来たい奴だけくればいい」的なやり方では、日本人の動員は難しいでしょう。チケット代、交通手段などのインフラ整備、ホスピタリティなど問題はたくさんあります。

ただ、多くの問題はウランバートルの方で、地方の整備されたゲルキャンプなどは多くの日本人にも喜ばれることでしょう。今後の、観光施策に期待しましょう。






Last updated  2019.08.06 19:45:08
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2019.07.24
「昔の面白いブログシリーズ」の第17回目です。2008年10月19日付けの「モンゴル雑感」を載せます。

公共交通機関が不足気味のモンゴルで、通学にタクシーを使う子どもを見ての衝撃を書いています。

モンゴルに住み始めて、1か月余りというモンゴル初心者時代の記事です。

以下、掲載します。



今日は久しぶりにのんびりできる日曜日です。私の生活基盤についての今のところの良いシナリオは、

・今日の夕方には風呂が直り、今夜にも湯船に浸かれる
・今夜は大汗をかいて寝て、明日には私の風邪も完治する
・明日大学での登録作業などの全てを終え、私の手元にパスポートが戻ってくる
・この手続きと同時に、社会保険などの書類が手元に来る
・モンゴル語科の学生になれる
・免許証の交付が終わり、晴れて運転できるようになる
・程度の良い車が見つかり、行動範囲が広く自由になる

と、ざっとこんなもんです。明日中には無理にしても、今週中にはこれらの課題には目途をつけたいです。どれもここ1-3週間、何らかの形で取り組んできたことばかりです。

さすがにいつまでも「滑って転んで」ばかりではどうしようもないので。とはいえ、モンゴルですから気張らずに行きます。

さてこちらへ来て早、1か月近くになります。そんな中で、感じたことを少しとりとめもなく書いてみます。

まず、驚いたのが「子供がタクシーに」です。

実は、以前から何度か耳にしていたことです。私の友人Bさんに以前モンゴルに来た時に聞いたことがあります。「ウランバートルは公共交通機関が少ないけど、冬マイナス30度とかになったら、皆どうするの?皆が車持っているわけないでしょ?例えば、スーパーへ買い物に行くのにどうするの?」と聞くと、こともなさげに「そりゃ、タクシーでしょう。」と。

私が「タクシー!?スーパーに買い物行くのにタクシー?毎日の買い物だよ。それはBさんちが裕福だからでしょ?私が聞いてるのは、普通の人だよ。」すると「そうですよ、普通の人もタクシーです。だって、寒いじゃないですか。」と言われました。

なんとなく腑に落ちない中、日本で私のモンゴル語のT先生にも聞いたことがあります。「子供たちが学校へ通うのに、マイナス30度とかになったら、どうするのですか?」すると「親が車で送っていくとか・・」私が「親が車ないとか、バスは遠い人もいるでしょ?」と聞くと、やはり「タクシーですね。」と言いました。私が「子供が通学にタクシー??」

たまたまT先生の姪っ子が東京に遊びに来ていたので、私は中学生の彼女に聞きました。「学校まで歩いて15分でしょ。冬、マイナス30度になったらどうするの?」と聞くと、当たり前のように「タクシー」と答えました。

どうもこの国では、大人も子供も普通にタクシーに乗ってるようです。ですが、私の経験や常識では、緊急時はともかく普段からタクシーで買い物や通学というのは考えられなかったです。ですが、見ました。

taxi

この子は、私と同じアパートの住人らしいです。私がタクシーを拾うと待っていたら、何のためらいもなく私の前でタクシーを待ち、やってきたタクシーを前からいた私を無視して先につかまえ行ってしまいました。

実は、これよく街で目にする光景です。子供がタクシーを拾っているのをよく見かけます。東京では、元麻布の子でも一番町の子でも、小学生が一人でタクシーを拾うなんて見たことありません。あることはあるかもしれませんが、少なくとも日常の光景ではないです。

確かにタクシー料金は大体は近場は200円以下ですから、安いといえば安いです。が、それは日本の所得感覚だからであり、日本の20-30分の1の国では、やはり相応なのだとは思うのです。この辺りは、よくわかってません。

Bさんは、「この国では結構みんな子供の時からタクシー使うんです。バスは怖いですし。」だって。Bさんの仕事のパートナーのEさんは、奥さまは車を持ってますが、珍しく本人は持ってません。そのEさんも「もう20年くらいバスには乗ったことないです。」だそうです。ちなみにEさんは30歳ちょっとでとても若いです。

もう一つは、物価でしょうか。

前にも書きましたが、こちらの物価は取り立てて安いと感じることはありません。なぜなら、食料品を含め肉以外はほとんど輸入品だからです。安いと感じるのは、タクシー代(市内は100円から多くて500円)、ローカル向けの大衆モンゴル料理店(但し、高級店ではなくとも普通のきれいなお店だと1000円以上)、病院代(ブログの通り)、地元産のミネラルウォター(500mlで30円くらい)くらいなものです。

細かい雑貨品はなかなか見つからないのですが、市内に「New Tokyo」という店がいくつかあって、そこではダイソーの100円ショップの商品を扱ってます。品数はうんと少ないですが、ちょっと便利なものが置いてあります。

パッケージも日本語のままで、日本の商品そのままで持ってきてるようです。これらは、200円から500円で売られています。これでもこちらの水準からすると少し安い感じです。

昨日、初めてクリーニングに出しましたが、シャツが1枚280円です。日本と同じか、日本の安い所より高いくらいです。それでもたくさん人が並んでました。

ガソリンも高いです。日本は安くなってきているとニュース見ましたが、こちらはハイオクで188円です。それでも大型のSUV人気は全く衰えません。

昨日、スポーツクラブを紹介されて、見学してきました。ジムとプールがメインです。フィットネスのスタジオの代わりに、バスケットボールができる広い会場があるくらいで、日本のスポーツクラブより「ちょっと落ちる」というレベルです。これで毎月120ドルです。もちろん、全然安くないです。ですが、朝から子供らが結構いました。

こと、お金のことに関して言うと、到着間もない頃ブログに書いた疑問は全く解消されていません。収入と物価水準、消費スタイルの不均衡です。副業の意味もまだわかっていません。少しずつ解明していきます。






Last updated  2019.08.01 13:37:29
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2019.07.20
「昔の面白いブログシリーズ」の第16回目です。2009年8月17日付けの「1万人もニンジャがいる??」を載せます。

先日、モンゴルを「少しだけ」わかっているような日本人の方に会いました。その方が「モンゴルの中央銀行が市中から金を買っているという話を聞きましたが、目的は何ですか?これは買いオペみたいなものですか?」と。

モンゴルでそんな先進国のような金融政策があるわけもなく、そもそも中央銀行が金を買う意味が全く分かっていない、ことがわかりました。そういう疑問への答えも含めてご覧ください。

以下、再掲します。



先週も週末にビジネスミーティングがありました。そこでは鉱山開発に関するいろんな問題が議論されました。

鉱山開発とはいえ、企業単位で行うわけですから、そこには投資したお金の不正使用の問題とか、想定した以上に投資額がかかってしまい、開発がストップしてしまったとか、「どこの世界にもある企業としてのいろんな問題」が出てきます。

でも、こういう相談を受けるに従って、段々モンゴルの鉱山開発で上手くいかないパターンは大体わかってきます。

もちろん、上手くいって大きな利益を得ている会社の方が多いですが、外人投資家には難しい部分はまだあるようです。

そんな議論を終えて、私が「それにしても次から次へ、新しい開発案件が出てきますねー。」というと「モンゴルでは鉱物資源がある鉱山の30%程度しか開発されておらず、70%はまだ全く手もつけられてないです。だから、どんどん出てくるのです。」と聞きました。

そんな話のときに「・・・聞いたことあると思いますが、ニンジャもかなり多くなっています。」と言われました。

私は「ニンジャ?何ですか?日本の忍者ですか?」と聞くと「はい、日本のサムライみたいな忍者です。」と言います。

私が「なんでモンゴルに忍者がいるの?ハリウッドの忍者映画のこと?」と頓珍漢なことを聞きました。

ニンジャとは・・・ニンジャの七つ道具(?)を背中にしょって、オートバイで夜な夜な出かけ、金などの資源を採ってくる人のことを言うのだそうです。

モンゴルは、金も含めまだまだ鉱物資源の膨大な埋蔵量があります。掘るのも、地下深く特別な掘削機械で掘っていく、ということも必要ないくらいにまだたくさんあるそうです。

ニンジャの七つ道具の一つが、金に反応する探知機があるそうです。それを地面近くに近づけると、ピーピー鳴るのです。

そしたら、その辺の土を掘って、その掘った土を薄く撒いてまた探知機を当てます。するとまたピーピー。これを数回繰り返すと、爪ほどの大きさの金が出てくるのだそうです。場合によっては、小指の先くらいのも出てくるそうです。

採った金は、銀行へもって行けばお金に換えてくれるのだそうです。銀行に集まった金は、モンゴル銀行という中央銀行に買い取られます。一般の人でも、中央銀行へ持ち込めば買ってくれるそうです。

モンゴル銀行は、この金をまとめてイギリスに送って、イングランド銀行で金の延べ棒にしてもらうのだそうです。

田中貴金属のHPによると、金は1グラム3千円くらいです。精製前なので、その値段ではないでしょうが、モンゴル人にしてみたらベラボーに高い値段です。

多分、羊1頭の卸価格に近いでしょう。なので、遊牧民なんてやってられないのです。数年かけて育てた羊と、その辺に埋まっている金1グラムが同じ価値だなんて!10グラムで都会のサラリーマンの月収です。

但し、ニンジャは人目を忍びます。なぜなら、せっかく見つけた金のありかを他人に知れたら「あっという間」に盗掘されてしまうからです。

多くのニンジャは当然ですが、都会にはいません。モンゴルの国土は途方もなく広く、多くの金の埋蔵地は田舎にあります。ですから、ニンジャの多くは遊牧民であることが多いそうです。

ニンジャは夜出かけます。しかもゲルを出て、金のある方向とは反対方向へバイクで走ります。もちろん、七つ道具を背中にしょっており、馬で出かける人も多いです。反対方向へ進むのは、もちろん誰かに見られていたときのためのカモフラージュです。

全く違う方向へ進み、途中で回って金の埋蔵地に向かいますが、それでもそこまでは行きません。

途中でバイクを止め、あとは徒歩です。徹底して、極秘にするのです。そして頭につけた懐中電灯を頼りに、探知機を使って金を探すというわけです。

以前は、なんとニンジャが1万人も集まった街があったそうです。突然、何もない草原に1万人の街ができたのです。

モンゴル第二の都市ですら、人口11万人しかいないのですから、1万にがいかに大きいかわかろうというものです。そこには、店や食堂などもでき、なん風俗店までできたそうです。

ですが、よく考えればわかりますが、このニンジャのほとんど全員は、違法行為かはわかりませんが、他人の土地にあるものを盗んでいることになります。

とはいえ、その土地の所有者は、鉱山という意識もないでしょうし、だだっ広い草原ですから、ガードマンを置くわけにもいきません。

なんせ、人口密度は北海道の50分の1以下ですから、何をどう守るかすらわからないのです。田舎の草原は、所有権のない土地もまだまだあるそうです。

この1万人のニンジャの街は、結局当局によって取締りが行われ、はかなく消えてしまったそうです。ですが、そのニンジャたちは、全国に散らばって今も活動を続けています。

ニンジャは、お金ができたからといって、遊牧民は止めません。お金がたくさんできて、遊牧民を止めると、ニンジャだとばれてしまい、必ずその行動が監視されてしまいます。

そしてせっかく見つけた秘密の場所が他人に荒らされます。ですから、表向きは、遊牧民を装うのです。

とはいえ、どんどん金持ちになる人が出てきます。人もほとんどいない、家畜の数もそうでもない遊牧民がベンツやランドクルーザーを何台も持っていたりすることもあるそうで、それは間違いなくニンジャだそうです。

私の友人のEさんが田舎へ行ったとき、遊牧民(本当の姿はニンジャ)のゲルで見た光景を話してくれました。ゲルに誰かがやってきて「ちょっとお金貸して」というと「いいよ」といって1000万トゥグルグをその場で渡していたそうです。

日本円にすれば80万円ほどですが、都会の大卒サラリーマンの月収が3万円くらいなのに、現金収入の少ないゲルに住む遊牧民が、なんの躊躇もなくその20-30倍近いお金を貸しているのを見て、大変驚いたと言ってました。

ニンジャがこんなにはびこっているのは、裏を返せば、素人でも簡単に金を掘れるほど、膨大な資源が眠っており、そのほとんどがまだ手付かずでいるということの証拠でもあります。

Eさんに「こんなコンサルティングなんてしてないで、親戚一族でニンジャやった方が儲かるんじゃないの?」と言ったら「実は、少し真面目に考えてみようかなと思っているのです。」と言いました。

既にある鉱山に忍び込むニンジャもいるそうです。もちろん、これは明らかに窃盗ですが、なんせ鉱山といってもあまりにも広いので、管理しきれないのだそうです。

ただ、多くのニンジャは、いまだ開発されてない場所ですから、子供が山に入ってカブトムシを採るようなものです。日本でも母の時代は「松茸のありかは、親にも言うな。」と言われていたとか。

ニンジャそのものが完全に違法かというと、そうではないようです。その証拠に、中央銀行は買い取る時に「どこで採った」などと聞かずに、黙って買い取るのだそうです。

金の延べ棒じゃないんですから、その金は山から採ってきたものだとわかっているに決まってます。でも、何も言わないそうです。

Eさんに言いました。「今度、だれかニンジャ紹介してよ。私も一回行ってみたい。どうせ私みたいウランバートルに住む外国人なんて、遠い田舎の金の場所なんて二度と来れるはずないから、安全だよ。」と。

確かに、その姿はニンジャのイメージ通りかもしれませんね。ケイン・コスギのお父さんはハリウッドのニンジャでしたが、モンゴルには1万人ものニンジャがいるのです。もちろん、日本より多いでしょうね。






Last updated  2019.08.12 07:49:59
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