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田崎正巳のモンゴル徒然日記

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2019.06.11
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先日「初めて」モンゴルのマンホールチルドレンの番組を見ました。しかも3本続けて!

モンゴルへは2002年から時々訪れるようになりました。私がモンゴルへ時々行くということがわかってくると、周囲の日本人が「マンホールチルドレンが多いんでしょ?」と声掛ける人が何人かいました。

2008年からウランバートルに実際に住むようになってからも、「マンホールチルドレンってまだ多いの?」と聞く人がいました。私はそのたびに「何それ?知らないよ。」などと言っていたものです。

実際には話には聞いていましたが、なんだか日本人のモンゴルに対する感想がマンホールチルドレンに集中しているのが気に入らなくて、やや反発していたこともあります。

その原因となった番組がNHKのマンホールチルドレンについてのレポート番組です。私は見たことなかったので、見ようにも見れないもどかしさを感じていましたが、それが今月再放送されたわけです。

第1回目は1998年の放送でした。90年代の悲惨さは、多くのモンゴル人からも聞いていましたが、社会主義から民主主義への移行期の混乱は、想像を絶するものであったと思います。

第1回目の放送ではマンホールチルドレンが4000人もいたとありました。その当時のモンゴルの人口は200万人でした。

単純に今の日本に当てはめるとどうなるか?単純計算でなんと26万人にもなります!これはとんでもない数字になります。ものすごく多いということです。

その生活ぶりは悲惨でした。東南アジアでも貧しい子供がいるとの報道は過去にもありましたが、最大の違いは「どこでも寝れるかどうか?」です。

モンゴルの冬はマイナス40度にも達しますから、たったの一夜でも暖かく過ごせる場所がなければ、即、凍死を意味します。

戦争孤児というわけでもないのに、なぜこんなにたくさんの身寄りのない子供たちがいたのか?

番組を通じてわかったのは、多くのケースでは親や親せきは存在していたが、親の離婚、飲酒による暴力、虐待などで、子供自身が飛び出してきたというのが多いようです。

モンゴル人は言います。「モンゴルは昔から、金銭的には貧しいことはあっても、食べることに困るようなことはなかった。」と。確かに遊牧民で自給自足していた時代はそうだったのでしょう。

しかしながら、社会主義時代も含め都市住民にとっては食べ物はお金を出して買う(配給される)ものになっていたので、民主化後の失業にモノ不足、物価高のウランバートルでは日々の食糧にも困る時代であったのです。

本来、子供や家族を非常に大事にするモンゴル人ですが、多くの家庭崩壊を招いてしまうほど、90年代の貧困や混乱は凄まじかったのだということです。

NHKが凄いのは、マンホールチルドレンの取材を20年間も続けていたということです。そして1998年に続き、2008年、2018年にも続編を放送していました。

しかも最初に出会った3人の少年少女の「その後」をずっと追いかけていたというから、驚きです。今回私はこの3つの番組をまとめて見たということです。

2008年は私がモンゴルに住み始めた年です。日本人にマンホールチルドレンの話を聞かれても「そもそもマンホールには蓋があるんだから、子供が住めるはずないよ」と答えたのを思い出しました。

番組では、政府がマンホールチルドレンの締め出しを狙って、マンホールに蓋をするようになったとありましたから、時代は変わっていたのでしょう。

当時も少しは蓋のないマンホールはありましたから、私は穴を見つけるとは中を覗いていました。もちろん、一度も子供を見たことはありません。

番組を見ていたら、98年ごろは市の中心部だったけど、2008年ごろにはマンホールチルドレンの数も減り、場所も市の中心部から外(今でいう、インダストリアル・エリア、発電所や多くの工場があるような地域)に移っていたようです。

2018年版は、まさに昨今の豊かになったモンゴルです。当時10歳だった子供たちも30歳になっています。

細かいストーリーはここでは書きませんが、今UBで幸せそうに暮らしている大人の中にも、相当辛い経験をしてきた人がいるんだなと思いました。

この番組を見ての私の感想です。

この番組は当時の世界でも注目された番組のようです。そもそも90年以前は外部からは伺い知れない国だったモンゴルの様子を世界に向けて発信できた数少ない番組だったようです。当時の欧米は、同じように民主化した東欧に興味を持っていたでしょうから。

マイナスは、日本人にとってのインパクトが大きすぎたことかもしれません。私自身も周囲から言われたように、もともと国としてのイメージを持っていなかっただけに、モンゴルは貧しい、暴力、酒乱のある「かわいそうな国」という印象がかなり長い間ついてしまったことです。

モンゴルで日本人観光客を迎えるガイドさんらも、自分たちとはあまり関係のないマンホールチルドレンのことを多くの日本人が口にするので、困惑していたようです。

そのために「かわいそうな貧しいモンゴル人」との偏見を持たれてしまったことは、当然ながら楽しいはずはありません。ガイドさんの多くは大学の日本語学科を優秀な成績で卒業した人が多く、そういう過去とは無縁だったのですから。

ですが、こうした事実を隠した方がいいと言っているのではありません。こうした報道により、日本など海外からの支援が増えたことも事実としてあると思います。

望むべくは、今ではたくさんいる金持ちのモンゴル人自身らが、今も当時の後遺症(失業、字が読めない、身体障害が残るなど)で苦しむあの世代の人々を救う活動してくれたらいいなと願っています。






Last updated  2019.06.13 12:45:25
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2019.06.09
「昔の面白いブログシリーズ」の第15回目です。2010年6月30日付けの「モンゴル、サッカーといえば、朝青龍です。」を載せます。前回「6月15日付け「サッカー、日本勝利を祝う人は、日本人以外にもいます!」の続編です。引退直後の朝青龍の日本愛が描かれています。

以下、再掲します。

前回のカメルーン戦をモンゴル人の日本留学組の人たちと一緒に、市内の日本食屋さんで応援したことは2週間前にお伝えしました。
(6月15日 「サッカー、日本勝利を祝う人は、日本人以外にもいます! 」 http://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201006150000/ 参照)

今回のパラグアイ戦も同じお店でやると、当日にテレビ局の社長のUさんからメッセージが届きました。

私もまたあの興奮を再び!と出かけました。試合はモンゴル時間で午後10時スタートですが、早めに行ってUさんと一緒に飲もうと1時間前に到着しました。

Uさんから先日モンゴルに来た拉致家族の方々のモンゴル滞在の様子などを伺いながら、試合開始を待ちました。前回よりも若干少なめですが、徐々に席が埋まってきました。

そして、いよいよ開始です。私たちは、スクリーンの目の前の「特等席」で食事していましたが、始まる前にUさんが「大使が来られるので、私たちはあっちに動きましょう。」と端の方に移動しました。

モンゴルの人たちとビール飲みながらの観戦、一人自宅で見るよりずっと楽しいです。

しばらく時間が経った時に、なにやら大きな音がします。聞いたことあるような・・・そうです、あのブブゼルの音が聞こえてきました。

スクリーンからではなく、店の入り口の方です。見ると大きな影が店内に入ってきました。朝青龍です!

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日本から戻って来た時の記者会見での姿を最後に彼を見ることはありませんでしたが、とても陽気でたのしそうでした。

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着席するなり「ニッポン、ニッポン」を連呼し、皆も大きな声で連呼します。

さすがに朝青龍です。モンゴル人はもちろん、日本人もあっと言う間に引き寄せられます。

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立ちあがって、いよいよノリノリになりました。参加者全員が「ニッポン」を叫びます。大使の隣の席に座りました。(私たちが最初に食事していた場所です)

aishito

駐モンゴル大使も来場していましたので、ツーショットとなりました。

そうなると、モンゴル人以上に日本人は朝青龍とのツーショット写真を撮りだしました。彼も全く気にするそぶりを見せず、気楽に応じてました。

以前、成田空港で一緒になった時、私がカメラを向けた時に大声で止めるように叫んだのとは全く違います。

見るからにリラックスしています。やっぱり日本にいる時とは全然違うのでしょう。余計なパパラッチもいないし。私も思わずツーショットをお願いしちゃいました。

ハーフタイムの休憩時間には、皆に挨拶もしました。

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もちろん、日本語で挨拶です。ニッポンを連呼し、日本語で話すのは、彼の状態が引退直後よりも相当良くなったということなのでしょう。

髪はまだ髷です。もちろん、床山がいるわけではないので、大銀杏とはいきませんが。

後半になっても、たびたび「ニッポン、ニッポン」を呼びかけます。

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こうして、モンゴル人、日本人を問わず大人気のまま、会場で過ごしました。

そして後半の途中、延長戦前に一緒に来た(おつき?の)人たちと共に帰りました。サッカーを楽しみに来たというよりは、日本人や日本に関係するモンゴル人らと盛り上げにやってきたという感じでした。

とにかく、リラックスして楽しそうだったのが印象的でした。まだ今後の活動はどうなるのかも未定のようですし、髷もどうするのか?相撲界も断髪式どころじゃないって雰囲気がありますし、どうなるのでしょうか?

横綱の品格と言っていた理事長までが今回謹慎させられたことを考えると、品格を持った理事もあまりいないように見える最近の相撲界です。

試合は、大変残念な結果となりましたが、遠い異国で、日本人以外とこんなに楽しく応援できたことにとても満足しています。






Last updated  2019.06.10 07:59:04
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2019.06.08
ああ、これがあの「細い店か!」と土曜日のランチに並んでいる店を「発見」しました。

先日近所の居酒屋さんに行ったとき、「あの先の細い店が、トランプさんのハンバーガー出したのよ。」というママさんの話を聞きました。「え?トランプ?細長い店??」

そうです、トランプ大統領が来日していた時のランチに、ハンバーガーが提供されたというのは確かに報道で見た覚えがあります。それがこの辺にある?

でも、この辺だったら大体の店は知っているはずです。ま、この辺とは言いながら、ちょっと離れた場所なんだろうくらいに思っていました。

が、ランチでも食べようかと歩いていたら、数名が並んでいるところが見えました。「え?あんなところに店なんてあったっけ?」と思って近づいたら、「細い店」と言われたのを思い出したというわけです。

ただ、これが本当にトランプ大統領に出した店かどうかはわからないと思っていると、並んでいる人の声で「ここがトランプに出した店だよ」というのが聞えました。

私はハンバーガーを食べに出かけるなんてことはまずありませんが、なんとなく気になって入ることにしました。

恐らくできてまだ1年くらいだろうと思います。平日はともかく、土曜日にも満席で行列ができるなんて、この辺では近所の有名ラーメン店くらいです。

店の名前からして「THE BURGER SHOP」ですから、個性があるのかないのかわからないような店です。

お値段は1000円から2700円(トランプさんの絵があったので、これを提供したのかも?)と、いわゆる高級手作りバーガーってことでしょう。私はチーズバーガーを注文しました。

  • IMG_0921.jpg


ここのハンバーガーはちょっと変わった形で出てきます。写真の丸いお盆に乗っているのが、チーズバーガーです。右下がパテとチーズ、左がパンの上の部分。右上にあるのがレタスなどのサラダにマヨネーズが乗っています。

店員さんから何の説明もないのですが、なるほど、自分でパテの上に野菜を乗せて、その上からパンを乗せろということなのかなと思いました。

で、周囲を見ると、袋状になったペーパーに包んで食べています。ナプキンの隣にあった袋状ペーパーを取り出し、そこに自分で重ねたハンバーガーを押し込んで食べることにしました。

もし一人できていたら、そもそもどうやって食べるのかもわからなかったかもしれません。袋状ペーパーのある場所さえ、よくわからないのですから。

小袋ケチャップはありましたが、小袋マスタードはありませんでした。お願いすれば持って来てくれかもしれませんが、標準では置いてないのかもしれません。高級店にしては、サービスがちょっとぞんざいすぎるかも?

味は?まあ、私はハンバーガー愛好者でもグルメ評論家でもないのでわかりませんが、この手の店としては標準的じゃないでしょうか?以前に行った、人形町?浜町?にあった店の方がインパクトはありましたね。

チーズバーガーとコーヒーで締めて1600円なり!どう考えてもコスパは悪いですね。いくら近所でも、再び訪れることはないような気がしました。

でも、帰ってからネットの口コミを見ると随分といいことが書いてありますので、ハンバーガー愛好家にとっては良い店かもしれません。

モンゴルには、マクドナルドはありませんが(多分、今も?)ローカルブランドとしてベルリンバーガーやシティバーガーがあります。

シティバーガーには何度もお世話になりました。肉食のモンゴルですから、マクドナルドみたいなハムみたいなパテではお客さんも納得しません。ちゃんと「肉」って感じです。

アメリカ系ではバーガーキングが何店かUB市内にあります。こちらも、マクドナルドよりはお肉らしいパテです。でも、そんなに混んでいた記憶はありません。

ファーストフードではありませんが、ハーンバンク本店近くのカリフォルニアレストランのハンバーガーは、確かにアメリカっぽかったです。値段もファーストフード並みとはいきませんが、欧米人も結構見かけました。

肉好きなモンゴル人ですから、今後もっといろんなハンバーガ屋さんが出てくるかもしれませんね。






Last updated  2019.06.08 14:12:43
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2019.06.07
「昔の面白いブログシリーズ」の第14回目です。2010年6月15日付けの「サッカー、日本勝利を祝う人は、日本人以外にもいます」を載せます。サッカー好きが多い超親日モンゴル人の日本応援の様子をご覧ください。

以下、再掲します。


昨日は、見事にワールドカップ海外初勝利を挙げた日本チーム。さぞかし日本でも興奮して見ていた人たちが多かったことでしょう。

ここモンゴルでは、例によって「皆さまのNHK」は海外に住んでいる日本人のことは全く考えていないので、NHKは中継どころかニュース画像すら放映されません。

ですが、他国のテレビ局はもちろんそんなことはありません。同じケーブルテレビのチャンネルでは、ロシアのテレビ局も中国のテレビ局も、もちろんモンゴルのテレビ局も放送しています。

数日前に、モンゴル人の友人から市内の日本食屋さんで夜10時から日本チーム応援視聴会をやるという連絡を頂きました。

参加者はモンゴル人の日本留学卒業生の会のメンバーたちだそうです。なるほど、家で一人で見るよりはよっぽど面白そうだと思いました。

ですがその後、在モンゴル日本人が集まって、別の日本食屋さんで応援する会もあると聞きました。多分そちらへは、日本人がたくさん集まるのでしょうが、私はモンゴル人の人たちと見たいと思ったので、その日本留学組の人たちと一緒に見ることにしました。

9時過ぎにその店に行って、サバの塩焼き定食(800円くらい)と生ビールジョッキ(こちらは300円ほど)を頼んで腹ごしらえをしました。

10時に近付くと、結構な人数になりました。ざっと見たところ、80人から100人近くはいそうです。

もちろん、ほとんどモンゴル人です。一部、日本の大企業の駐在員の人も顔を出していました。

更には、駐モンゴル大使も来ていました。彼らは、席のど真ん中にいかにもVIPという感じで座っていました。

こんなにたくさんの日本留学経験モンゴル人がいるのか、とちょっと感激しました。そして不思議なのは・・・一般的に見られるモンゴル人となんとなく違うのです。そう、多くの人たちが日本化しているのです。

一般的には、ごつそうな、いかめしそうな風貌のモンゴル人が多いのですが、この会場にいるモンゴル人は、なんとなく穏やかそうなイメージです。女性も、どことなく日本人かなって思ってしまうような雰囲気の人が多かったです。

知っている顔と言えば、ほんの数人でした。この日の昼間も一緒に仕事をしていた友人のBさん、テレビ局の社長のUさん、このレストランのオーナーの企業グループの社長さん、あとそれ以外もほんの数人でした。

試合前には、席の周りの人たちと自己紹介し合ったり、名刺を交換したり。当然皆日本語はペラペラです。多くは、自分で起業したり、大手企業の経営者や幹部などでした。日本留学組には是非頑張ってほしいものです。

そしていよいよ試合開始です。


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こんな感じで、大きなスクリーンを見て応援しました。

テレビ局は、ロシアがいいかモンゴルがいいか、などと言ってましたが、さすがに解説が聞けるモンゴルのテレビ局にしました。といっても、私にはモンゴル語はわかりません。時々「マツゥーイ」とか「ナカザァワ」という名前が理解できる程度です。


そして待望のゴール!!!やったーーーー!

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すごい盛り上がりです。本当に日本人が喜んでいるかのように、いやそれ以上に喜んでいます。その姿を見て、私は二重に嬉しくなりました。

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皆、ハイタッチで喜んでいます。

ハーフタイムの時に、ちょっと興ざめが。大使や日本企業駐在員の方々が、席を立ったのです。要は、日本人がたくさんいるもう一つの会場へ向かうためのようです。

なんだか、こんなにワイワイ騒いでる時にも、「あちらにもこちらにも顔を立てる」という感覚が、日本人くさいというか、仕事っぽいというか。

中座するくらいなら、来なくてもいいと思いましたね。はっきり言って、自分たちが思っているほど「顔を見せてくれるだけでもありがたい存在」ってわけではないですから。

そして試合終了。皆、席を回って喜びあいました。

その後も、深夜までお酒を片手に語り合いました。友人のBさんは、私が今いるモンゴル国立大学経済学部の入試で2番だったとか、日本留学組の何人かは高校生の数学世界大会のメダリストだったなど、さすがに優秀な人が多かったです。

今までワールドカップを海外で見たことはもちろんありませんし、こんなに日本チームを応援したこともありません。

モンゴルはもちろん非出場国ですが、日本や韓国の活躍でかなり盛り上がっています。日本が出場できなかった頃、ワールドカップなんて意識したことあったかと思うと、ほとんどというか、全くなかったような気がします。

ある意味、モンゴルは小国でるからこそ、自分の国ことだけでなく、他の国、とりわけアジアの国のことをよく知っているし、関心も持っているんだなと思いました。

最近の「自国にしか関心を示さない若者」が多いと言われる日本とは、とても対照的だと思いました。

野球を見るのは好きですが、確かに世界規模での熱狂を産むという点では、とてもサッカーにはかなわないと実感しました。

ちなみに、写真は今回で本当にキャパ一杯となりました。早くブログの引っ越し先を見つけたいと思っています。






Last updated  2019.06.07 21:58:15
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2019.06.05
カテゴリ:世界とモンゴル
昨年6月15日付け本ブログ「突然注目を集めたウランバートル対話」って何?」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201806150000/)で書いたように、昨年突然この「対話」が話題になりました。

そして今年もやはりこの名前がニュースに出てきたのは、北朝鮮のおかげ(?)です。

毎日新聞ニュースによれば、「安倍晋三首相は無条件で日朝首脳会談に臨む意向を打ち出し、モンゴルで5、6の両日開かれる国際会議「ウランバートル対話」で日本側は北朝鮮側との接触を試みる。」とあり、この舞台の活用を考えているようです。

「ウランバートル対話」はマイナーな国際会議ではありますが、日本が北朝鮮と同席できる唯一?或いは、数少ない国際会議の場であることは事実です。

それを可能にしたのは、モンゴルが北東アジアのどの国とも友好関係にあるからです。

ただ、これは「対話」であって「会議」ではありません。何かを決めるという会議体ではないということです。

北朝鮮問題がないとしたら、この「対話」の存在意義がどういうものであるか、将来も続ける価値があるのかどうかはわかりません。

ですが、北朝鮮同席の国際会議だという意味では、日本政府はこの「対話」継続を支持し続けるのではないかと思います。とはいえ、連日の報道の通り、北朝鮮と前向きな「対話」ができるかどうかはわかりません。

毎日新聞ニュースも「ただ北朝鮮側の日本に対する警戒心は強く、首脳会談に向けた道のりは平たんではない。」と伝えています。


新聞ニュースと言えば、先日、国際交流会議「アジアの未来」で来日したモンゴルのサンダンシャタル国会議長が、日経新聞のインタビューに応えていました。

それによればやはり新空港の開港は2020年5月とのことです。本ブログでわざわざ「今年はありません」と書いたときには「そんなことはない、年内開港と報道されている」との声もいただきましたが、やはり年内はないということです。

モンゴル国内の情報に接することができる人でもなかなか正しい情報を得られないのがモンゴルです。

情報を混乱させているのは、7月に開港式をやるからです。これは「2019年に開港する」と言ったことのためのアリバイつくりみたいなもんで、モンゴルではよくある話です。

「確かに3年前にそのような約束はしたが、約束を守るとは言ってない」とかね。なので今回も「2019年に開港すると約束し、事実7月に開港する。但し、開港後も継続して飛行機を飛ばすとは言ってない。」みたいなもんです。

日本人なら誰だって、「開港式をするなら、その後継続して飛行場として活用するだろう。」と思うのですが、そこはそうじゃないのが、モンゴルなんですね。

皆さんも、モンゴル人と約束するときは「具体的に何を約束しているのか?」を確認するようにした方がいいですね。もっとも、約束したからと言って、そうなる確率は高くはないですけど。






Last updated  2019.06.05 12:44:05
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2019.05.21
カテゴリ:モンゴルと中国
先日、米中の貿易戦争に関するニュースを見ていたら、習が「文明への尊重・・・」とかなんとか言っているのを聞いてビックリしました。しかもそれは、アメリカへの批判であることを意味していると聞いて二度ビックリ。

自分自身の反省ならともかく、こんなことを口にできる立場じゃないのは、世界主要国の中では中国以外にはないはずなんだけどと思って、ネットでその内容を確認してみました。

彼はアジア文明対話大会での開会式で文明に関することを話したのです。その内容は、

「第一に、相互尊重と平等対処を堅持する。いずれの文明も自己を育んだ土地に根ざしたものであり、一つの国家、一つの民族の非凡な知性と精神的追求が凝縮しており、すべてが自身の存在する価値を有している。我々は平和と尊重を堅持し、傲慢や偏見を捨て、自己の文明と他の文明の差異性への認識を深め、異なる文明間の交流と対話、調和的な共存を推し進めるべきだ。」

と実に素晴らしいことを言っているのです。何の文脈もなければ、いよいよ習も反省して、政策転換したかと思うほど、今の中国に当てはまっています。

また、こうも言ってます。

「自らの人種や文化がより優れていると考え、他の文明を変えたり、あるいは置き換えることを主張するのはばかげた考えで、悲惨な結果を招く行動だ」と述べた。

いやー、遂に習も気づきましたか、おのれの愚かさを!素晴らしい。

「異なる文明間の衝突など起きていない。われわれはすべての文明に美を見いだす目を養う必要があるだけだ」と言い添えたが、米国については言及しなかった。

だそうです。当たり前でしょ、これはアメリカとは何の関係もない、中国自身の話ですから。

この立派な言葉を今までの経緯を踏まえて、一つ一つ確認してみたいと思います。これらの文章は過去の中国の反省文としては最適だと思います。

「第一に、相互尊重と平等対処を堅持する。いずれの文明も自己を育んだ土地に根ざしたものであり、一つの国家、一つの民族の非凡な知性と精神的追求が凝縮しており、すべてが自身の存在する価値を有している。」

いずれの文明も大事で、尊重すべきものと言ってます。農耕文明とは違う遊牧文明があることは、漢人なら2000年も前からわかっていたのですから、もちろん尊重すべき文化です。

牧草地息を農耕で回復不能にしたり、鉱山開発で遊牧民を失職させたりなんてできなはずです。

「一つの民族の非凡な知性と精神的追及が凝縮され、価値がある」と言ってくれてます。チベット文化の精神性は大いに尊重されねばなりませんし、その基本となるチベット仏教を大事にし、それを支える僧侶、寺院は大切にしようということなんでしょう。

また中国が歴史に登場したころから、西域から先進的な文化や知恵をもたらした西の人々、特にイスラムの人々も大事にしましょうということなんです。

違う民族に対しても「相互尊重と平等対処」が大事なんですから、暴力的支配なんてもっての外の論外です。100万人の強制収用ももちろん論外もいいとこです。

「自らの人種や文化がより優れていると考え、他の文明を変えたり、あるいは置き換えることを主張するのはばかげた考えで、悲惨な結果を招く行動だ」とも言ってます。

漢人だけが偉いんじゃない、漢字を作ったから偉いとか、人口が多いから優れているとか、そんな馬鹿な考えは許しませんよ、と言ってるわけです。

ここまで言ってる習がなんで自国の愚かさに気づかないのかわかりません。よっぽどのバカか、共産党教育に自らも飲み込まれてしまったというしかないですね。

これではまるで、「泥棒が泥棒を説教する」ことや「殺人者が人を殺すのは良くないんですよ、と説教垂れている」のと同じです。

百歩譲って
「我が国はこの70年間は愚かでした。これらは全部だめなことなんですよ、アメリカさん。現に私が今言ったように、悲惨な結果を招く行動だったってことを我が国が証明しているじゃないですか。」
くらい踏み込むなら、多少は聞いてもいいかなとは思いますけど。

遊牧文化の遊牧民を蹂躙し、チベット僧を虐殺し、大量のチベット寺院、イスラムモスクを破壊し、今なおウィグル人やカザフ人を大量に弾圧している習が、よくもまあこんなこと言えるなと。盗人猛々しいとはこのことです。

私には習の発言は、アメリカへ向けた発言などとは到底感じられず、100%天に唾した発言だと思います。






Last updated  2019.05.21 14:24:45
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2019.05.19
「昔の面白いブログシリーズ」の第13
回目です。引き続き、2008年12月16日付けの「素っ気なさは、モンゴルの特徴?」(2)を載せます。

以下、再掲します。


今日、たまたまクリーニングの引き取りがあったので、またまたそのデパートに行きました。私の人生で、こんなに頻繁にデパートに行くのは多分過去も未来も含めて、ここウランバートルだけでしょう。

その時、時計屋さんが目に入りました。実は、ここの時計屋さんは以前も立ち寄ったことがあります。モンゴルに到着早々、私の部屋に時計がなかったので買いに来たのです。ベッドの脇の目覚まし時計は日本から持ってきましたが、大きな掛け時計はこっちで買うつもりでした。

ですが、アパートの壁を見ていきなりコンクリートのように硬く(表面は何か張ってありますが、メチャクチャ硬いのです)とても掛け時計をかけるフックをつけられそうにないのです。

ですので、この時計屋さんで聞きました。「この大きな時計を買いたいのですが、家のアパートにはどうやってひっかけるのですか?」と聞くと、「それはこういう器具をつけます」と見せてくれました。それは、簡単にネジ回しか何かで付けられるような器具ではありません。

「これを一体どうやってつけるのでしょうか?」と聞くと「それは、この器具をつけてくれる専門の人を呼んで、ドリルを使ってつけるのです」というのです。

えっ??たかが、こんな2-3千円の安い壁掛け時計をつけるのに、工事の人を呼ぶの?しかも、どこにいるのかもわからないのに!それで、一気に買う気が失せたのです。

ですが、さすがにリビング&ダイニングの部屋に時計がないと不便です。私は家に帰るとすぐに時計を外してリラックスするのですが、そうすると一層不便です。

今日、時計屋さんの目の前を通って、やっぱり不便だから買おうと立ち寄ったわけです。結局、ちょっと大きめの置時計を買おうと決めました。

実は以前、中国製の置時計を買ったのですが、1日で壊れてしまい、安かったこともあり文句を言う気力もなく捨ててしまったことがあったのです。壊れ方があまりにもお粗末で情けなくなるほどでした。もちろん、モンゴルでの話です。

ここでは、例によって時計売り場に伝票を書いてもらい、それを「会計」に持って行って支払いを済ませ、その領収書を再び売り場に持って行って、実際の商品を受け取るというやり方です。

私は時計売り場のすぐ近くにある「会計」(キャッシャーとあります)に行きましたが、誰もいません。ちょっと待ったのですが、誰もいません。仕方なく、時計売り場に戻ると、「じゃあ、あっちのレジへ行け」と別の売り場のレジを指します。そこで並んで、ようやく私の番になると「これは時計売り場だから、あっちへ行け」と元の場所を指します。

またまた始まったモンゴルお得意の無責任の押し付け合いです。私は怒る気にもなれずに、買うのを止めようと思いました。

元々はクリーニング屋に来たのを思い出し、クリーニングを取りに行きました。ですが、帰って来てもまだ会計はいません。結局20分以上はたったでしょうか、やっときました。

ちなみに時刻は午後7時くらいで、デパートが一番混みあっている時間です。この30分間はこの付近の売り上げは全てストップしていたということです。

小売業で、夕刻の大切な時間に30分も売上ゼロでいいのでしょうか?日本であれば、こんな担当者は即刻クビでしょうね。小売業はいかに売り上げロスをなくすかに皆血眼になっているのですから。

私は、いかにも商売っ気がないというか、やる気がないというか、これじゃあ非効率以前の問題だなと思いました。

最終的には、その置時計買ってきました。さすがに中国製は買う気になれず、セイコーにしました。値段?5000円くらいです。日本のホームセンターなら半額程度でありそうな、飾りっ気も何もないベーシックな時計です。

まだまだ消費者よりも売り手優位の市場であることは間違いないです。

(完)






Last updated  2019.05.20 11:57:53
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2019.05.18
「昔の面白いブログシリーズ」の第12回目です。2008年12月16日付けの「素っ気なさは、モンゴルの特徴?」を載せます。これは書いてから10年以上もたちますが、今のモンゴルのサービスレベルは当時と大して変わっていません。

以下、再掲します。

今日は、商売っ気のない話を。商売といっても私ではなく、デパートです。

モンゴルは、お店も食べ物屋さんも多くは大変素っ気ないです。入っても「いらっしゃいませ」とか「こんにちは」って声かけてくれる店は相当教育されているか、高級店です。

普通は、ただジロっと見るだけです。まあ、客を見ればまだいい方で、見る気もない店も結構あります。

食堂などでも、店員の案内があるまで入口で待っていると、ずっと立ちっぱなしというのがよくあります。後から入ってきた人が、どかどかと先に入ってしまうのが普通です。メニューをすぐに持ってくる店は、やはりちょっといい店の部類です。

物販の店で何度か経験したのですが「XXXありますか?」と聞いても、あまり対応しようとしません。もちろん英語というのもあるのですが、少しでもわからないとすぐに「ありません」と言います。

それでも、こちらからもっと説明してどこにあるのか聞くと、何事もなかったかのように「無視」します。これには驚きました。客が目の前で困っていても、何の関心も持たずに無視するのです。話しかけても無視を続けるのです。日本ではまずお目にかかれない光景です。

今日も文房具屋で「封筒はどこですか?」と聞いたのですか、すぐに「ない」と言います。いくらなんでも、文房具屋に封筒がないはずないだろうと、英語で説明するのですが「そういうのはない」と簡単に答えます。

誰かに聞いてみるとか(その店は店員が10人以上いました)そういうことはしません。仕方なく、店内をくまなくうろついてやっと探し当てましたが、それを見てもその店員はなんの反応もしません。

まあそんな光景にも慣れては来ましたが、さすがにモンゴルで一番大きなデパートととなれば、とりあえずは聞くふりはしてくれます。ですが、ここでも以前似たような経験がありました。

友人のBさんのオフィスでプリントアウトしていたら、コピー用紙がなくなりました。仕方なく、私が外に買いに出ました。近所に文房具屋がなく、そのデパートに行くことにしました。コピー用紙を買うだけでデパートに行くのですから、なかなか大変です。

途中、Bさんに電話したときのアドバイスからです。「あると思った店に用紙がなかったんだけど、この辺はどこに売ってるのかな?」と電話すると「じゃあ、もうデパートへ行ってください。あそこなら確実にありますから。」と言われ行きました。

一階のインフォメーションセンターは英語のできるお姉さんが座っています。私が「コピー用紙を買いたいのですが、どこに売ってますか?」と聞くと、問い合わせるでも、探すふりをするでもなく「当店では、コピー用紙は扱っておりません。」とあっけなく言います。

さすがに私も事前にBさんからここにあることを確認していたので、食い下がったのですが、調べるわけでもなく、にべもなく「ここではそういうものは扱っていないのです。」と言います。

私が再度Bさんに電話すると「何言ってるんですか、あるに決まってますよ。そんな受付なんかに聞いたってわかるはずないでしょう。」と言います。私は「???」でした。

デパート一階のインフォメーションセンターってそのためにあるんじゃないの???でも、Bさんは「だって、モンゴルですよ。受付なんて何も知らないんですよ。」と鼻っから信じてないのです。

で、結局携帯片手にBさんから具体的なその売り場への行き方を聞きながら、文房具屋さんに辿り着きました。「あー、あったよ!」と喜んで電話を切りました。

文房具屋さんで「コピー用紙ください。」と言っても通じません。コピーの仕草をするのですが、全然通じません。仕方なく「英語を話せる人いますか?」と聞くと「ああ、イングリッシュ!」と言われて連れていかれたのが、「英語学習の教材コーナー」でした!!??

結局は、そのやりとりを聞いていた英語のできるモンゴル人がいて、通訳してもらったら簡単に見つかりました。一体、あの受付はなんであんな自信満々に「このデパートではコピー用紙は扱っていません。」とちゃんと英語で話したのか、不思議です。

(続く)






Last updated  2019.05.19 10:48:25
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2019.05.17
日経新聞の首都圏版に五反田バレーのことが書かれていました。

五反田バレーというのは、渋谷がビットバレーと呼ばれたように、五反田や大崎駅付近に多いスタートアップ企業群のことを指しています。もちろん元祖はシリコンバレーですけど。

五反田付近にスタートアップ企業が多いのは、一に家賃や生活費が安いからです。実はビットバレーと呼ばれた渋谷も、当初は家賃の安さで起業家に人気を得ていたのです。再開発前の渋谷は古い中小ビルが多く、それ故都心に近いのに結構家賃が安かったのです。

ですが東急が大規模な再開発をここ何年もやっているので、そうした安いビルはどんどん減っていって、当の東急本社自体が「このままでは渋谷からITベンチャーが消えるのでは?」と危機感を持つほどになっています。

そうした背景もあり、渋谷と品川の2大ターミナルに挟まれた五反田や大崎がその家賃の安さで人気を博しているのでしょう。記事では、品川区がこの五反田バレーのベンチャー系を支援しているとあります。

その一環で、ものつくり企業に対しては、モンゴル高専生の中小企業への就職を支援するとあります。

19年は6月に卒業する高専生を1社に1人、全部で5人の採用を目指すとあります。今月14日にはウランバートルで現地説明会を開き、品川区の企業8社が参加したそうです。

この背景としては、モンゴルの高専ができたのが2014年で今年が初の卒業生が出るということがあります。そして現在工場などの現場での人手不足もあり、日本の高専生は起業に引く手あまたなんだそうです。

東京高専の場合は、19年3月卒の実績で求人倍率はなんと22倍だそうです!22倍はすごいです。1人に対して22社もの求人が平均してあるということなんですから。

それゆえに、日本の高専生は大企業に行く傾向が強く、中小企業にはなかなか来ないということなんです。

この両方の事情が重なって、今回のモンゴル高専生の就職紹介になったというわけです。で、これだけなら、「めでたしめでたし」なんです。

これが可能なら問題はないのですが、私はこれが本当に実現できるのか疑問です。少なくとも、表面的に書かれているようにはスムースにはいかないでしょう。

なぜなら、それは就労ビザの問題があるからです。日本の就労ビザでは、モンゴルの高校や高専を出たばかりの若者は通常は就労ビザは取得できません。大卒だってまず無理です、モンゴルからは。

高専ですから技術者ということになりますが、これは相当高度な技術を持ち(最低限大学、大学院卒業)、10年以上のその分野での就業経験が必要となります。

そうだとしても審査を通るかどうかはわかりません。日本にとって相当有意義な技術であることも必要になってくるからです。

もしアジア各国の大学や短大(高専は短大と見なされる)卒業生がすんなりと日本の就労ビザが取れるなら、ものすごい数の労働者がやってくることでしょう。ですが、日本政府はそこはまだ門戸を開いていません。

となると、一体どういう名目なのか?日経新聞ともあろうものがその一番大事な問題をスルーして書いているので、推測するしかありませんが、いくつかの方法は考えられます。

1つは、例の悪評高い「技能実習生制度」を使って呼び寄せる。これなら確かにできそうですが、これであるなら何も高専生である必要はなく、はっきり言ってだれでも大丈夫です。

現にモンゴルからたくさん来ていますし、特段技術などなくても採用されます。が、その分、問題は多く、日本国内でも一種の奴隷制度みたいなもんだと批判されています。

低賃金で、その会社が嫌になっても転職の自由はなく、そもそも研修生ですので、日本の労働者と同じ保護があるわけではないのです。これがあまりにひどいので、今年から「特定技能ビザ」なるものができたのです。

なので、この「技能実習生制度」であるなら、日経新聞が大々的に報じるようなものではなく、どちらかといえば「恥ずかしい話」的に扱うべき事案です。

2つめは、その「技能実習生制度」ではなく、今年からできた「特定技能就労ビザ」なのかも。ですが、これも基本的には単純労働者受け入れビザです。

しかもこれはモンゴルでの日本語試験を受けるとか、全体では定員があるとか、簡単に品川区が「はい」と言えば簡単に実現できるものではありません。

現実には単純労働受け入れなんだけど、受け入れ企業だってどうせならモンゴルで「日本式高専」の教育を受けた人がいいに決まっていますから、途中のプロセスの問題がなければこれのほうが、技能実習生よりはいいでしょう。

3つめは、ちょっと考えられませんが、例えば日本の夜間大学に通わせてあげながら、社員として雇用するというのはあります。日本の大学へ学士入学(3年生から入学)して卒業まで会社が面倒を見るという形です。

ですがこれだと週28時間しか働けませんから、純粋な労働力が欲しい中小企業には負担が大きすぎるでしょう。

こう見てみると、今年からできた特定技能就労ビザが有力ですが、会社側と学生側が同意すれば簡単に取れるというわけではないので、もしあるとしたら、品川区が何らかのサポートができるということなんでしょうか?

恐らくモンゴル側は大いに誤解していることでしょう。

「日本は高専の卒業生が引く手あまたで、モンゴルの高専卒業生も欲しがっている。日本側の協力で、高専卒業生は正規の日本での就労ビザを取得できる。」

これを宣伝すれば、もっと学生が集まってくるだろうと。

残念ながら就労ビザは出ないのが現実です。






Last updated  2019.05.17 16:23:54
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2019.05.10
カテゴリ:モンゴルと中国
第2位はミサイル国家北朝鮮で76.0%と大きく数字が跳ね上がります。ま、中国以外はほとんど誰も相手にしない国ですからこの順位もうなずけます。

そして第1位は?もちろん皆さんお分かりの通り、我らがモンゴルでぬぁんと90.0%です。

経済制裁されて、ほとんどの国から相手にされてない北朝鮮よりも上です。90%なんていう数字は、日常的な感覚ではほぼ100%というところでしょう。

同じ中国、ロシアに隣接する内陸国家カザフスタンは22.7%とモンゴルの4分の1で17位です。政治家の意識の違いでしょう。

カザフはこのレベルでも「中国に頼りすぎて、このままでは大変なことになる」という危機意識が強いです。そのカザフから見たら、モンゴルの90%は一体どう見えるのでしょうか?

以前の本ブログにも書きましたが、モンゴルは従来からこんなに中国に依存していたわけではなかったのです。特に2000年以降の政治家たちが、人為的に中国への依存度を上げてきたのです。

本人たちは「上げるつもりはなかった」というでしょうが、日本などを排除してでも袖の下政治で依存度を増したというわけです。

東南アジアの中で「あそこはもうほとんど中国の言いなりだよ」とささやかれているカンボジアですらランク外です。

ラオスでさえも25.1%とモンゴルに比べれば超健全です。要するに世界で一番中国依存度が高い国になってしまったのが、モンゴルということです。


もう1つは、日経新聞です。中国が新興国を借金漬けにして半植民地化する問題について、英フィナンシャルタイムズの記事が載っています。

内容は中国の新興国への融資姿勢の問題に関して書かれていますが、途中から具体的な国名が出てきます。

引用します。
「はっきりしているのは、負担がとてつもなく重いことだ。欧米のアナリストらは、二十数か国がこの債務の返済に苦労しており、うち8か国(モンゴル、モンテネグロ、パキスタン、ラオス、モルディブ、ジプチ、キルギス、タジキスタン)がデフォルト(債務不履行)に近い状態か事実上のデフォルトに陥っていると推定している。」

モルディブやらジプチやら、中国とは歴史的に距離的にも遠い国が騙されたというなら同情の余地もあるでしょうが、モンゴルなんて1000年以上前から中国人に騙されてきた民族なのに、今もって騙されているのが情けないです。

しかもここまで来ているのに「中国はモンゴルに投資しているんだ。問題ないよ。」というモンゴル人エリートがいるのも残念です。目の前のお金以外何も見れないモンゴル人エリートには、歴史を勉強してほしいです。

ま、冒頭のように、国のトップが変遷してしまうほどのパワーが中国マネーにはあるわけですから、仕方ないかもしれません。

ですが、この膨大な借金は国民の負担となることは理解せねばなりません。せっかく算出される石炭などの資源も、算出と同時に、いや埋蔵時点から既に中国のものなので、いつになっても借金は減りません。

モンゴルが消滅するとしたら、この時代戦争はないでしょう。あるとしたら、合法的な借金漬けによる半植民地化。別な言い方をすれば「モンゴル側の人為的なオウンゴール」とでもいえるような気がします。

(完)






Last updated  2019.05.14 08:12:36
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