田崎正巳のモンゴル徒然日記

2009/10/09(金)14:49

モンゴル人は、極端に事務・調整能力に欠けている?(その2)

モンゴル国立大学・学校、教員(52)

8日のことです。この日からいよいよ大学院の授業が始まります。 昨年のことを思い出すと、それは大変でした。ビザの関係で来蒙が遅れ、とにもかくにも10月の確か9日だったかな?とにかく、その日から始めました。 事前に、学部長と事務局(大学院の責任者)とは日本とのメールのやり取りで、いろいろ確認していました。 確認したのは、私の授業ではケースを使い、これらは全部英語で書かれており、私の授業も英語で行うことです。 学部長は「大丈夫です。うちの大学の大学院生は皆英語ができますから」と言ってました。念のため、大学院プログラムの責任者であるBさんにも「生徒にはその旨きちんと伝えてほしい」と再度確認しました。 そして、いよいよ授業の日です。私は昨年の最初の授業についてのブログを読み返しました。 http://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/200810090001/ まさに、この時と同じことが再現されました。英語で問いかけても、全く反応がありません。「私が言ってることわかりますか?」と聞いて「ノー」と言える人が、レベルが一番高いようです。 目の前の女子生徒に、ゆっくり「わかりますか?」と聞いても、「ノー」すら言えないレベルです。 他の生徒もほとんど似たようなものです。昨年の最初授業の時から、私は何度も責任者のBさんに「ちゃんと、この授業は外国人が英語でやると書いてください。」としつこいくらいに言ってきました。 もちろん、8月にも9月になってもその件は伝えてきました。学科としても、今回は英語できる生徒だけでやるから通訳は付けないとBさんにも確認してきました。ですが、結果はこの有様です。 その後、何人か生徒が遅れて入ってきて、結局この日は9人となりました。後から来たうちの一人の男性だけが英語を話せるのですが、他は完全にダメです。 その通訳の生徒を通じて、いくつか聞いてみました。まず、私の授業が英語であることを知っていたか?答えはノー。先生が外国人で、モンゴル語は全く使わないことを知っていたか?もちろん、ノーです。 私は英語のできない生徒をどうこうは思っていません。ただ、英語ができる生徒じゃないと、私の授業は成り立たないことを知っていながら、何もしてこない事務局に呆れてしまうのです。 結局、1年前の経験を生かして2年越しでお願いしてきたことは、何一つ改善されていませんでした。 昨年と全く同じように、その教室からBさんに電話しました。Bさんの反応は、別にどうってことないって感じです。私が「生徒はこのクラスが英語だって誰も知らないよ。」というと「それは生徒の問題です。」しか言いません。 更に彼は「では、今日は普通に授業やってください。今後のことはまた相談しましょう。」と言います。 私が「言葉がわからないのに、授業なんかできるはずないでしょ?何言ってるんですか?」と言うと何も返事しません。とにかく、電話口からは「それは困った」という切迫感はまるで伝わってきません。 とにかくこういう事例が多いのです。事務局は「時間と教室さえ決めれば、後は知らない」という態度です。一緒に問題を解決しよう、などという姿勢はないのです。 更には、またしてもビザ問題が起こっています。ビザは大丈夫と言われていたのに、また対外折衝部の怠慢で、いつになるかわかりません。 というか、新しいパスポートに切り替わったのに、ビザは期限切れの古いパスポートにしかないことをなんとも思っていないのです。 私が「新しいパスポートにビザがないと使えないじゃないですか?そのためにわざわざ再申請したんでしょ?」と言っても「わかりません。」しか言いません。 1年間のビザのはずが、来年4月までで、しかもそれは古いパスポートに貼ってあります。新しいパスポートにしろと言われて、更新したのにこれでは何もしなかった時の方がましです。 とにかく、この国、この大学では、あまりに事務処理が「子供の使い」的なことしかできなことに、いつも驚きます。というわけで、先月中旬以降、パスポートが私の手元にあったのはほんの数日だけ。今も、どこにあるのかさえもわかりません。 私が「どうして?」と聞くと「あなたは私たちの指示に従えないのですか?」とパスポートを人質に強硬発言に出ます。 私が「あななたちは、外国人をサポートするために仕事してるんでしょ?」というと「いいえ、決められた仕事をしているだけです。」だって。うーん、ここにはまだ社会主義が生き残っているようです。 結局、授業は男子生徒の通訳の助けを借りて超初歩的な戦略についての話をして、一応終えました。救いは「ここの生徒は皆、先生の授業に参加できることを望んでいます。来週からも、なんとか続けてください」とその通訳の生徒を通じて言ってもらったことくらいでしょうか。 パスポートは?さあ、今後どうなるのかさえもわかりません。学科長に相談したら「じゃあ、私が話してみる」とは言いましたが、その後何もありません。 この国での最大の頭痛のタネはこれら一連の事務局、事務処理関連のひどさです。

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