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カテゴリ:新潟、佐渡
伯母の家の裏手に「黒木御所」というのがあります。
これは順徳天皇の墓とされています。佐渡は確かに流人の島ではありますが、京の都からは貴族や文化人らがたくさん流されてきました。 その中には、天皇もいたのです。その順徳天皇が滞在した場所として、この御所が残されています。 島内には、こことは別に真野御陵というのがありますから、本当の墓がどっちなのかは私は知りませんが、私の祖母は昔からこの黒木御所を守ってきました。 守って来たというのは、私財を投げうって守って来たということです。 御所の献灯にも祖母の名が刻まれています。長年、天皇の墓を守って来たからでしょうか、祖母の晩年に右翼の大物(笹川なにがし)から帝国ホテルに呼ばれ表彰されていました。 天皇以外にも、日蓮宗の日蓮聖人や能の大成者である世阿弥などが佐渡に流され、佐渡の文化に大きな影響を与えてきました。 ですので、佐渡文化の基本は「上方文化」であり、越後とはほとんど縁のない文化になっているのです。 母方の実家は、いかにも田舎という場所ですが、父方の実家は佐渡としては「街中」にありました。 今ではすっかり落ちぶれてしまった商店街ですが、昔はもちろんもっと活気がありました。私もこれらの商店主の家に遊びに行ったものです。 行ってみると、ここもやはり老人ばかりの街になっていました。でも、近所のおじいさんらに声をかけると、快く話してくれました。 でも、こうした自分のルーツというか、田舎とのつながりは近々途絶えてしまうのだろうと思います。 私らの代は、かろうじて佐渡での思い出がたくさんありますが、その次の世代にとっては、「幼い頃に一度だけ連れて行ってもらったことがある」という程度のようです。 自分のルーツが佐渡だというアイデンティティはほとんどないのです。 私の祖父は8人兄弟の末っ子で、婿養子でした。その祖父の実家方面にも行ってみました。 その中で、有名な街があります。宿根木(しゅくねぎ)というのですが、江戸時代は廻船業で栄えたところで、巨大な千石船が往来していたそうです。 これは観光用に柵を作ったのではなく、元々海岸近くにできた集落なので、風よけにこうした防風柵があるのです。 小さな海岸沿いの敷地に、寄り添うように100棟ほどの民家が密集しています。 この写真で見える家が全てです。 ですので、中は狭い通路だけしかありません。 両手を広げると、家の壁に届く狭さです。 これはまるで船のような家です。 船大工が作った家なので、狭い敷地でも船を作るように建てたのだそうです。 この狭い敷地では無理ですが、ちょっと丘を上がったところには田んぼがありました。 ここも狭い敷地を目一杯使って、稲作をしていました。黄金に輝くイネは本当に美しいです。 新潟は「魚沼産コシヒカリ」で有名ですが、佐渡産も負けてはいません。私も子供のころから佐渡のコメの美味しさは実感していました。 今では新潟コシヒカリとは別ブランド「佐渡コシヒカリ」が認められ、東京のコメ市場でも、魚沼産に次ぐ全国第二位の高値で取引されています。 短い佐渡滞在でしたが、自分のルーツに触れることができ、とても楽しい帰郷となりました。 当然ですが、佐渡前のうまい寿司、新潟のへぎ蕎麦とは全く違う美味しい生蕎麦(きそば)は、堪能しました。 また来ます。 「完」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.03.13 21:49:18
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