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カテゴリ:日本とモンゴル(文化・交流)
仕事で使う外国語の多くは英語ですし、英語以外となると中国語と韓国語でしょう。理由は簡単で、中国企業や韓国企業はモンゴルにたくさん来ますが、日本企業はほとんど来ないからです。
とにかく圧倒的に進出する日本企業が少ないのが、日本語習得者に関る問題です。JICAなどは日本語を勉強するためのプログラムを用意しますが、その後のことは無関心です。 高専についていえば、ものづくり企業がないことが大問題なのです。品川の中小企業で研修しようが、それを生かす場がほとんどないのが実情です。 それでも日本企業が進出するのであれば、そりゃあ日本語ができてものづくり経験を持つ高専卒業生は人気出るでしょうけど、そんな企業はないのです。 私が「モンゴルのことを知らない人たち」というのは、上記の二つの事情を知らないから、身勝手な日本の戦後の歴史のコピーを移植すればいいなんて、勘違いも甚だしい案が出るのです。 おそらくそういう人たちはこう反論するでしょう。 「いえいえ、私たちはモンゴル人の方と協議しながら進めており、日本人が勝手に決めているわけではありません」 「現に、モンゴル高専はモンゴルの子供たちに人気があり、優秀な生徒らが集まっています」 「モンゴルの方々からも喜ばれ、成功していると言えると思いますよ」 なんてね。こうした「先進国面(づら)した知識人」というのが、一番手に負えないというか、いいことしている善人的価値観満載なんでしょう。私に言わせれば「そりゃあそうでしょう」と言うしかありません。 「いえいえ、私たちはモンゴル人の方と協議しながら進めており、日本人が勝手に決めているわけではありません」 これについては、モンゴルは多くの点で官民ともに資金不足です。何をやるにしても常にお金がありません。 なので正直言えば「どんな事業であっても」日本人が資金を負担するなら、みな賛成するでしょう。 社会としても、(カウンターパートとなる)そのモンゴル人個人としても「日本人が何かやると言えば、とりあえずついていく」方が、金銭的にはいいことが多いからです。 「現に、モンゴル高専はモンゴルの子供たちに人気があり、優秀な生徒らが集まっています」 これも当然です。モンゴルは日本からは想像できな程「海外志向」が強いのです。というか、ネガティブに言えば、「モンゴル自身の仕組み、教育」をあまり信用していません。 なので、とにかく海外の高校や大学へ出たがります。でも、誰もが海外に行けるわけではないのは当然です。 そうした所に、日本式の教育で、日本へ留学するまたは日本企業へ就職できるチャンスがあるかもしれない学校、は人気が出るに決まっています。その学校を出れば、いい仕事につながると信じているからです。 「モンゴルの方々からも喜ばれ、成功していると言えると思いますよ」 これも当然です。まだ結果が出ていないので、まだ途中の段階です。ここまでで成し遂げたことは何か? 学校を作った。先生も雇った。事務員さんも雇った。日本へも連れて行った。子供たちが笑顔で頑張っている。親も喜んでいる。要するにお金を使ったということだけです。 ここまでのことは、モンゴル人にとってはいいことばかりに決まっています。問題はその先です。 モンゴル社会に出れば「コーセン?なんだそれは?短期大学みたいなものか?」「技術者?じゃあ、スマホのアプリ作れるのか?スマホの部品の製造?そんなのは中国だろう、モンゴルでは必要ない」と言われたとき、この設立者たちはどう答えるのでしょうか? じゃあ、どうしたら良かったのか? もしそんな熱意とお金と政治力があるなら「グーグルやアップルが採用したくなるようなIT技術者教育」をトヨタやソニー、日立の協力を得てモンゴルに作ってほしかったですね。 モンゴルにソフトウエア子会社を作るもよし、その一部は日本で採用してもよし。そうなれば、その学校は日本にもモンゴルにも、そして卒業生にも大きなメリットをもたらす存在になるでしょう。 時代遅れになった高専の再生の場としては、正直モンゴルはふさわしくありません。世界最大の製造業を持つ国の隣にある人口300万人の国で、しかも日本の製造業が進出しない国が「ものづくり」で生きていけるはずありませんから。 (完) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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超辛口のコメントですが、的を突いていると思います。
「卒業しました」から、厳しい現実に直面することになるのでしょうね。卒業生が1期、2期、3期と出てきた段階で、現実にぶつかると、高専の人気に陰りが出て来るかもしれません。 モンゴルは農耕民族ではなく狩猟民族なので、投資に対する成果を直ぐに欲しい方が多いですから。 (2018.03.21 12:58:18)
応援していますさん、ありがとうございます。
超辛口!ですか?もちろん、何もやらないよりはいいでしょうけど、どうせお金と情熱をかけるなら、もう少し現地の事情を聞いてからやってほしいといことです。そうでないと、卒業生にとっては「話が違う。結局は普通の大学へ行った方が良かった」となるだろうということです。 これを企画している人たちは「現地のニーズに応えた」と思ってやっているのでしょうね。だからきっと私が言ってる意味はわからないでしょうね。 (2018.03.21 16:51:47)
多分高専を持ち込む側もきちんと、卒業生の顛末の調査をしていないし、する意図もなかったと思います。→モンゴル側に高専を受け止める枠があるという事だけで進出したのでしょうね。
また高専に入る側も(モンゴル人は新しい事が好きなので)卒業後の絵について、パンフレットを無理やり信じ込んでいたかもしれません。 仰る通り、今の内から卒業生の受け皿対策を実施しないと、厳しい結果が待っているかもしれません。 (2018.03.21 19:10:13)
応援していますさん、ありがとうございます。
もちろん卒業後のことなんか考えていないでしょう。アジアの他の国と同じく「進出する日本企業が採用する」か「モンゴルの製造業が喜んで採用する」程度の認識じゃないでしょうか。 現在の経済状況などからすれば「とにかくモンゴルに進出して、お金を落としてくれる日本」は大歓迎という構図ですね。苦労するのは卒業生だと思います。まさか「外国人研修制度」で日本へ送りこもうというのではないでしょうね。それだったら最悪ですけど。 (2018.03.21 20:32:19)
いまだに日本の技術力は世界一だと信じている人たちが高専などを持ち込もうとしているのでしょう。
日本でコンピュータ技術を学んではと言っている人たちにも呆れ返ります。 日本は先進国ではありますが、みんなが思っているほどの技術立国ではありません。 そもそもコンピュータに関しては日本が技術的に優位に立ったことは過去においても一度もありません。 大体そう言っている人に限ってパソコンを使えこなせなかったりします。 口を開けば韓国、中国に技術を盗まれたと言うばかりです。 新幹線に見られるように既存の技術を磨きあげることには日本人は長けていますが、 全く新しい技術を開発するとか、新しい世界を切り開くなどは日本人の苦手とすることです。 技術の限らず、経営や国家戦略にも同じようなことが言えます。 外国人研修生として日本に派遣するのを前提に高専を作る人もいるようです。 日本に派遣される研修員の中でもモンゴル人は逃げる割合が高いらしく、普通のやり方ではなかなか査証が降りないのでしょう。 (2018.03.23 07:35:20)
モンゴル好きさん、ありがとうございます。
高専での教育は「世界一の最先端技術」がなくても問題ないでしょうが、その目的というか「何のために」の部分が大切だと思います。そもそも世界中200近い国のほとんどが「世界一の技術国」ではないのですから。日本もその一つだということでしょう。 日本の高度成長期の経験の移植は、モンゴルにはほとんど役に立たないと思います。 (2018.03.23 09:19:49)
モンゴル高専を好意的に捉えるマスコミや一部識者は、頭でっかちで役立たず、それが大衆化してしまった大学ではなく、高専こそが堅実な職業人をを育成するための「実践知」を教えてきたなどと言います。確かに、文科系大学乱立に対してはそうともいえますが、工科系・技術系分野で、それら知識人が振りかざす伝統的な論法が成り立つかどうか。
ヨーロッパでは理学部に価値がありました。日本では真っ先に帝国大学工学部をつくり人材を育てました。日本がその後、工業国家・産業国家になり得たのは、工業教育の中心に研究型大学を置いたからでした。(1)これによって日本で「産業」という出口が出来上がったことが先ず重要です。次に、それを中堅で支える人材として、旧制専門学校が増設されていきました。戦後の高専もその流れに一応あるのですが、もう一つ(二つ)重要なことは、(2)旧制専門学校は新制大学工学部として「実践的」教育を担いつつ残り、かつ、(3)大学工学部増設も続々進められ、その卒業生が冒頭で述べた「堅実な」「職業人」の地位に侵食してきたことでした(幸い「産業」があるから)。 この認識は先生のような研究者から見れば間違っているのかもしれませんが、しかし、高専を云々するなら、(本当にザックリ過ぎますが)以上の工業分野における教育政策との整合性がなければなりません。整合性がないと、産業なき国家において産業を支える存在か、産業ある国家において単に階層的に扱われる存在が生まれるだけです。高専が一定の役割を果たしてきたことは間違いありませんが、私はそれが「大きく」「重要」であったとは思われません。むしろ、大きく重要な役割を担うべき人材の個々が、経済的理由や新設学校への誤った期待から高専制度へ組み入れられていったことの分析こそが重要と考えています。あたかも、モンゴル人の一部がこの制度に期待し高専制度に誘われようとしています。 モンゴル高専が、高専制度を礼賛する高専関係者と同じ論法で作られようとしていることに危惧を抱いています。 (2018.10.22 21:52:25)
高専制度に疑問を持つ者としてさん、ありがとうございます。
おっしゃりたいことの趣旨が私にはよく理解できませんが、ここでは別に日本の高専の意義や歴史を申し上げているわけではありません。 あくまでも「現在のモンゴル」にとっての高専です。モンゴルの国情をよくご存じない場合は、日本における高専を思い浮かべてしまうのは仕方のないことだと思います。 (2018.10.22 22:54:20) |