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カテゴリ:モンゴルの近現代史
ハルハ河に到着しました。
![]() 信濃川のような大河ではないですが、モンゴルとしては結構大きな河です。 近くには牛や馬たちがのんびり草を食んでました。 ![]() こうした家畜たちが、ハルハ河に水を飲みに来るのは当たり前のことですし、ハルハ河を渡って向こう岸に行くのもごく日常的な光景なんでしょう。 その馬を追いかけてきた遊牧民を見て「国境侵犯」として武力で襲ったのですから、明らかに日本側に非があったと思います。 私たちは実際の戦場となった場所へ行きました。 ![]() ここはモンゴル・ソ連連合が拠点としたところです。平原が続く中にある比較的凸凹した高台です。 ![]() 思ったより傾斜が強い登り道でした。 ![]() 頂上へ行くと、結構見晴らしがいい高台です。こちらからは日本軍は丸見えだったというのがよくわかります。 ![]() 平成4年や10年に日本から慰霊団がやってきた記念碑がありました。 平成4年と言えば1992年とまだモンゴルは民主化した直後でモンゴル社会は混乱していた時期です。 しかも当時は社会主義時代の反日教育が色濃く残っていたでしょうから、親日で優しいモンゴル人に囲まれながらここまでやってきた私たちとは全く違う苦労があったことでしょう。 何のために戦い、戦死したかもわからないような戦争で命をなくされた方、その遺族の方々の無念の思いは本当に辛いものがあったと思います。 慰霊碑にはこんなものも。 ![]() ヘルメットです。しかも弾で打ち抜かれた日本軍のヘルメットでした。むごいというしかありません。 ![]() 別の慰霊碑です。なんだか1枚でも多く慰霊碑の写真を撮って帰るべきだと思いました。もしかして何かのきっかけで、ご遺族の方が本ブログのこの写真を目にしていただける方がおられたらいいなという思いで載せてます。 私たちにできることは、黙とうして慰霊の気持ちを捧げるだけです。 ![]() 心からの黙とうの念を捧げました。 ![]() モンゴル馬頭琴奏者のトッププロのアマルバヤルさんが、ここでも馬頭琴を演奏してくれました。ここではモンゴルの曲と日本の曲も弾いてくれました。日本の調べが天に届くように祈ってます。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.07.20 21:28:10
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