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田崎正巳のモンゴル徒然日記

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日本とモンゴル(文化・交流)

2019.06.18
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2017年10月10日付け本ブログ「ウランバートルがNHKのBS番組「世界街歩き」に登場」へのアクセスが急増しました。

2年も前の記事になんで急にアクセスが増えたんだろうと思って新聞のテレビ欄を見ると、同名の番組がNHK・BSに出ているではいないですか!

早速番組を見てみました。その番組を見たときからちょっと引っかかっていることがありました。それは「再放送」と書かれてなかったからです。

しかも番組中でも「この番組は2017年・・・に放送されました」という表示もない。大した話ではないですが、どうにも気になりました。

なぜならNHKはこういうことには結構きちんとしていて、初の番組か再放送かをきっちり区別しているからです。なので私も「これは2年前とは違う内容なのか、同じなのか?」が非常に気になっていました。

私の記憶なんていい加減なものですから、正直言って詳細は覚えていませんでした。が、小倉寛さんの優しい語り口は覚えていたので、再放送にしか思えません。でも、再放送とは告知しない。なぜか?

NHKのホームページも不思議な書き方をしています。「世界ふれあい街歩き「ただいま変貌中 ウランバートル~モンゴル~」」を見ると、2017年10月10日の放送には「初」のマークがついてます。つまり、最初の放送ということです。

ところが今回の2019年6月18日にも「初」マークがついているのです。しかも、来週6月25日分にはちゃんと「再」マーク、つまり再放送だと明示しているのです。

要するにNHKは同じ番組であるにもかかわらず、再放送であるはずの6月18日分を初放送と表示したわけです。ちょっと謎です。

結論から言いますと、その謎は解けました。(正確には、解けたつもり)その謎ときの手掛かりは、2017年10月10日付けの私のブログに「証拠?」が残されていました。

2017年10月10日付け本ブログ「ウランバートルがNHKのBS番組「世界街歩き」に登場」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201710100000/)

このブログは、ご丁寧にも番組の進行が結構詳細に書かれています。この内容を見れば、今回の番組が前回と全く同じであることは明確です、たった一つの文字を除けば。映像も語りも全く同じなのですが、一瞬の字幕だけが違っていたのです。

2年前に見たときの記憶が蘇ってきました。番組の中で、モンゴルでの人気料理トップ3を紹介するところがありました。第3位はボーズです。ま、これは定番ですね。

第2位がツイバン、モンゴル焼うどん。これも国民食です。私は当時この番組を見ていた時、「そうか庶民系の料理なんだな、じゃあ、1位はあれに決まってるよ、ホーショールに!」と思ったのでした。

ですが出てきたのはなんとホルホグ!単なる茹で肉ではなく、熱い石を入れて蒸すところは間違いなくホルホグです。ちなみに、私が一番好きなモンゴル料理はこのホルホグです。

ですが、これはかなりの「ご馳走」であり、街のレストランでは普通は食べれません。田舎へ行ったときに、羊一頭丸々使って作るような、豪勢で時間がかかる料理です。

観光地テレルジで食べたいと思っても、普通は前日までに予約しないといけないような料理なのです。でも、これがホーショールではなく、トップ3の1位になったのは、半分当然と思いながら、半分は意外に思いました。

番組を見ただけで、こんな感想を持つくらいですから、そのことは鮮明に覚えていたわけです。ところが!!!

なんと当時の番組ではこれを「チャンスン・マハ」と紹介していたのです。チャンスン・マハは単なる塩ゆで肉です。おかしいなとは思いながらも、番組の監修をモンゴル人がやっているんだから、私はそのままブログに書いたのを覚えています。

ですが、同じ疑問を持った「仙台ざらあさん」から以下のコメント頂いたのです。
「映像では、圧力鍋の中に肉の塊と石、ニンジンなどの野菜が見えました。これは正しくはホロホグではないでしょうか。チャンスン・マハは、単に肉の塊を塩ゆでしただけのもののはずです。」
との鋭い指摘!

そしてなんと、今回の番組の方の字幕は「ホルホグ」とあるではないですか!!しかもナレーションもホルホグに変更されてます。但し、この部分は小倉さんではないので、別の人が録音し直しをしたのでしょう。

NHKも「ミスをした」と公表するほどではないけど、かといってちょびっとでも変更しているので、再放送とも言えない。きっと悩んだんじゃないでしょうか?

というわけで、2年前と99%は同じ内容でありながら、ホルホグだけ違っているのでNHKは敢えて「初」にしたのでしょう。同じ内容で、2回「初放送」がある番組って、他にもあるのでしょうか?

また私のブログの2年前の記事へのアクセス急増は、このことと関係あるのでしょうか?そこまではわかりませんね。






Last updated  2019.06.20 19:58:32
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2019.06.11
先日「初めて」モンゴルのマンホールチルドレンの番組を見ました。しかも3本続けて!

モンゴルへは2002年から時々訪れるようになりました。私がモンゴルへ時々行くということがわかってくると、周囲の日本人が「マンホールチルドレンが多いんでしょ?」と声掛ける人が何人かいました。

2008年からウランバートルに実際に住むようになってからも、「マンホールチルドレンってまだ多いの?」と聞く人がいました。私はそのたびに「何それ?知らないよ。」などと言っていたものです。

実際には話には聞いていましたが、なんだか日本人のモンゴルに対する感想がマンホールチルドレンに集中しているのが気に入らなくて、やや反発していたこともあります。

その原因となった番組がNHKのマンホールチルドレンについてのレポート番組です。私は見たことなかったので、見ようにも見れないもどかしさを感じていましたが、それが今月再放送されたわけです。

第1回目は1998年の放送でした。90年代の悲惨さは、多くのモンゴル人からも聞いていましたが、社会主義から民主主義への移行期の混乱は、想像を絶するものであったと思います。

第1回目の放送ではマンホールチルドレンが4000人もいたとありました。その当時のモンゴルの人口は200万人でした。

単純に今の日本に当てはめるとどうなるか?単純計算でなんと26万人にもなります!これはとんでもない数字になります。ものすごく多いということです。

その生活ぶりは悲惨でした。東南アジアでも貧しい子供がいるとの報道は過去にもありましたが、最大の違いは「どこでも寝れるかどうか?」です。

モンゴルの冬はマイナス40度にも達しますから、たったの一夜でも暖かく過ごせる場所がなければ、即、凍死を意味します。

戦争孤児というわけでもないのに、なぜこんなにたくさんの身寄りのない子供たちがいたのか?

番組を通じてわかったのは、多くのケースでは親や親せきは存在していたが、親の離婚、飲酒による暴力、虐待などで、子供自身が飛び出してきたというのが多いようです。

モンゴル人は言います。「モンゴルは昔から、金銭的には貧しいことはあっても、食べることに困るようなことはなかった。」と。確かに遊牧民で自給自足していた時代はそうだったのでしょう。

しかしながら、社会主義時代も含め都市住民にとっては食べ物はお金を出して買う(配給される)ものになっていたので、民主化後の失業にモノ不足、物価高のウランバートルでは日々の食糧にも困る時代であったのです。

本来、子供や家族を非常に大事にするモンゴル人ですが、多くの家庭崩壊を招いてしまうほど、90年代の貧困や混乱は凄まじかったのだということです。

NHKが凄いのは、マンホールチルドレンの取材を20年間も続けていたということです。そして1998年に続き、2008年、2018年にも続編を放送していました。

しかも最初に出会った3人の少年少女の「その後」をずっと追いかけていたというから、驚きです。今回私はこの3つの番組をまとめて見たということです。

2008年は私がモンゴルに住み始めた年です。日本人にマンホールチルドレンの話を聞かれても「そもそもマンホールには蓋があるんだから、子供が住めるはずないよ」と答えたのを思い出しました。

番組では、政府がマンホールチルドレンの締め出しを狙って、マンホールに蓋をするようになったとありましたから、時代は変わっていたのでしょう。

当時も少しは蓋のないマンホールはありましたから、私は穴を見つけるとは中を覗いていました。もちろん、一度も子供を見たことはありません。

番組を見ていたら、98年ごろは市の中心部だったけど、2008年ごろにはマンホールチルドレンの数も減り、場所も市の中心部から外(今でいう、インダストリアル・エリア、発電所や多くの工場があるような地域)に移っていたようです。

2018年版は、まさに昨今の豊かになったモンゴルです。当時10歳だった子供たちも30歳になっています。

細かいストーリーはここでは書きませんが、今UBで幸せそうに暮らしている大人の中にも、相当辛い経験をしてきた人がいるんだなと思いました。

この番組を見ての私の感想です。

この番組は当時の世界でも注目された番組のようです。そもそも90年以前は外部からは伺い知れない国だったモンゴルの様子を世界に向けて発信できた数少ない番組だったようです。当時の欧米は、同じように民主化した東欧に興味を持っていたでしょうから。

マイナスは、日本人にとってのインパクトが大きすぎたことかもしれません。私自身も周囲から言われたように、もともと国としてのイメージを持っていなかっただけに、モンゴルは貧しい、暴力、酒乱のある「かわいそうな国」という印象がかなり長い間ついてしまったことです。

モンゴルで日本人観光客を迎えるガイドさんらも、自分たちとはあまり関係のないマンホールチルドレンのことを多くの日本人が口にするので、困惑していたようです。

そのために「かわいそうな貧しいモンゴル人」との偏見を持たれてしまったことは、当然ながら楽しいはずはありません。ガイドさんの多くは大学の日本語学科を優秀な成績で卒業した人が多く、そういう過去とは無縁だったのですから。

ですが、こうした事実を隠した方がいいと言っているのではありません。こうした報道により、日本など海外からの支援が増えたことも事実としてあると思います。

望むべくは、今ではたくさんいる金持ちのモンゴル人自身らが、今も当時の後遺症(失業、字が読めない、身体障害が残るなど)で苦しむあの世代の人々を救う活動してくれたらいいなと願っています。






Last updated  2019.06.13 12:45:25
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2019.05.17
日経新聞の首都圏版に五反田バレーのことが書かれていました。

五反田バレーというのは、渋谷がビットバレーと呼ばれたように、五反田や大崎駅付近に多いスタートアップ企業群のことを指しています。もちろん元祖はシリコンバレーですけど。

五反田付近にスタートアップ企業が多いのは、一に家賃や生活費が安いからです。実はビットバレーと呼ばれた渋谷も、当初は家賃の安さで起業家に人気を得ていたのです。再開発前の渋谷は古い中小ビルが多く、それ故都心に近いのに結構家賃が安かったのです。

ですが東急が大規模な再開発をここ何年もやっているので、そうした安いビルはどんどん減っていって、当の東急本社自体が「このままでは渋谷からITベンチャーが消えるのでは?」と危機感を持つほどになっています。

そうした背景もあり、渋谷と品川の2大ターミナルに挟まれた五反田や大崎がその家賃の安さで人気を博しているのでしょう。記事では、品川区がこの五反田バレーのベンチャー系を支援しているとあります。

その一環で、ものつくり企業に対しては、モンゴル高専生の中小企業への就職を支援するとあります。

19年は6月に卒業する高専生を1社に1人、全部で5人の採用を目指すとあります。今月14日にはウランバートルで現地説明会を開き、品川区の企業8社が参加したそうです。

この背景としては、モンゴルの高専ができたのが2014年で今年が初の卒業生が出るということがあります。そして現在工場などの現場での人手不足もあり、日本の高専生は起業に引く手あまたなんだそうです。

東京高専の場合は、19年3月卒の実績で求人倍率はなんと22倍だそうです!22倍はすごいです。1人に対して22社もの求人が平均してあるということなんですから。

それゆえに、日本の高専生は大企業に行く傾向が強く、中小企業にはなかなか来ないということなんです。

この両方の事情が重なって、今回のモンゴル高専生の就職紹介になったというわけです。で、これだけなら、「めでたしめでたし」なんです。

これが可能なら問題はないのですが、私はこれが本当に実現できるのか疑問です。少なくとも、表面的に書かれているようにはスムースにはいかないでしょう。

なぜなら、それは就労ビザの問題があるからです。日本の就労ビザでは、モンゴルの高校や高専を出たばかりの若者は通常は就労ビザは取得できません。大卒だってまず無理です、モンゴルからは。

高専ですから技術者ということになりますが、これは相当高度な技術を持ち(最低限大学、大学院卒業)、10年以上のその分野での就業経験が必要となります。

そうだとしても審査を通るかどうかはわかりません。日本にとって相当有意義な技術であることも必要になってくるからです。

もしアジア各国の大学や短大(高専は短大と見なされる)卒業生がすんなりと日本の就労ビザが取れるなら、ものすごい数の労働者がやってくることでしょう。ですが、日本政府はそこはまだ門戸を開いていません。

となると、一体どういう名目なのか?日経新聞ともあろうものがその一番大事な問題をスルーして書いているので、推測するしかありませんが、いくつかの方法は考えられます。

1つは、例の悪評高い「技能実習生制度」を使って呼び寄せる。これなら確かにできそうですが、これであるなら何も高専生である必要はなく、はっきり言ってだれでも大丈夫です。

現にモンゴルからたくさん来ていますし、特段技術などなくても採用されます。が、その分、問題は多く、日本国内でも一種の奴隷制度みたいなもんだと批判されています。

低賃金で、その会社が嫌になっても転職の自由はなく、そもそも研修生ですので、日本の労働者と同じ保護があるわけではないのです。これがあまりにひどいので、今年から「特定技能ビザ」なるものができたのです。

なので、この「技能実習生制度」であるなら、日経新聞が大々的に報じるようなものではなく、どちらかといえば「恥ずかしい話」的に扱うべき事案です。

2つめは、その「技能実習生制度」ではなく、今年からできた「特定技能就労ビザ」なのかも。ですが、これも基本的には単純労働者受け入れビザです。

しかもこれはモンゴルでの日本語試験を受けるとか、全体では定員があるとか、簡単に品川区が「はい」と言えば簡単に実現できるものではありません。

現実には単純労働受け入れなんだけど、受け入れ企業だってどうせならモンゴルで「日本式高専」の教育を受けた人がいいに決まっていますから、途中のプロセスの問題がなければこれのほうが、技能実習生よりはいいでしょう。

3つめは、ちょっと考えられませんが、例えば日本の夜間大学に通わせてあげながら、社員として雇用するというのはあります。日本の大学へ学士入学(3年生から入学)して卒業まで会社が面倒を見るという形です。

ですがこれだと週28時間しか働けませんから、純粋な労働力が欲しい中小企業には負担が大きすぎるでしょう。

こう見てみると、今年からできた特定技能就労ビザが有力ですが、会社側と学生側が同意すれば簡単に取れるというわけではないので、もしあるとしたら、品川区が何らかのサポートができるということなんでしょうか?

恐らくモンゴル側は大いに誤解していることでしょう。

「日本は高専の卒業生が引く手あまたで、モンゴルの高専卒業生も欲しがっている。日本側の協力で、高専卒業生は正規の日本での就労ビザを取得できる。」

これを宣伝すれば、もっと学生が集まってくるだろうと。

残念ながら就労ビザは出ないのが現実です。






Last updated  2019.05.17 16:23:54
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2019.04.30
このブログでも何度か書いた「特定技能」在留資格ビザへの応募者が殺到しているそうです。モンゴル云々ではなく、アジア各地で。

私もモンゴルのブログにも寄稿したこともあり、新制度のスタートが気になっていました。やはりというか、「予想を上回る」応募があって、対処しきれていないようです。

このブログは、モンゴルで読んでおられる方もいますので、その辺の事情を新聞等からの情報をここでお伝えします。

要すれば「準備不足」と「予想以上の人気」ということです。準備不足は当初からわかっていたことです。

法務省も外務省も従来との整合性とか、やる場合のシミュレーションなどほとんどできないままに、安倍総理が強引に国会を通したのですから、ある意味最初から分かっていたことでした。

具体的に言えば、「日本語の試験をするというが、それはどこが作るのか?」「どこで試験をやるのか?」「どのレベルなら合格なのか?」「どういう基準でビザを発行するのか?」

「国別に割り当てるのか、すべての人を対象に一斉に試験で決めるのか?」「どういう基準で民間会社に紹介するのか?」などなど、きりがないほどの疑問には全く答えられないまま、法律は成立したのです。

ですが、法律成立時には新聞などで「準備の不備」が指摘されていましたが、その後はほとんど報道されることなく、4月1日の実施日を迎えました。

以前お伝えしたように、外食、介護など14業種でこの制度が認められました。そのうちの「外食」についての例が書かれてました。

4月25日に外食の特定技能試験があったのですが、その試験を受けることができる定員は340人。

ところが、3月に募集開始したら、応募殺到しわずか1日で枠が埋まりました。あわてて翌日に1000人追加で受験できるようにしたが、それも満杯に。

6月には全国7都市で実施するときには、2000人の枠を設けるが、それも足りないとみられているようです。

4月14日は「宿泊」があり、これまた760人の定員はあっという間に埋まったそうです。が、当日のドタキャンが半数近くあったようです。

これは受験申込にお金がかからないので、気楽に申し込んだ人が多かったという事情もあるのでしょう。

これらの数字はあくまでも「外食と宿泊のみ」「日本国内での受験のみ」ですから、今モンゴルにいてこの制度に関心を持つ人は対象ではないのです。

なぜそんなにたくさんの外国人が日本で受験できるかというと、以前からある悪名高い「技能実習生」や「現在日本にいる留学生」の応募が殺到したからです。

なぜ彼らは応募に殺到したか?この制度は正式な労働ビザが日本語を話せる彼らには比較的簡単に取得できるからです。

「技能実習生」はあくまでも実習生、研修生ですから、正式な労働ビザではなく、それゆえに不当な扱いをされてきました。

ですが、こちらの資格に切り替えれば5年間は日本で正式な労働者として働けます。恐らく賃金水準も技能実習生よりは高いでしょうし、労働者の権利も日本人と同様になるでしょう。

留学生にとっても同じです。有名大学を出た一部の優秀な留学生は日本企業でも人気あるでしょうが、多くの一般私費留学生にとっては、簡単にビザ付きの就職は出来ません。なので、この制度に受かれば、やはり長期滞在ができます。

国外でも既に試験は行いました。4月13日にはフィリピンのマニラで「介護」分野の試験があったが、こちらも受け付け開始当日に予定定員がすぐに埋まったそうです。

現在、海外での試験が行えるように政府間で日本と協定を結んだ国はフィリピン、ネパール、ミヤンマー、カンボジアそしてモンゴルです。ベトナムなどの他の国は、まだ政府間協定が結ばれてないようです。

なぜ予想以上の人気となったのか?それは一言で言えば「情報不足」です。モンゴルもそうですが、アジア各国では日本への憧れは強く、イメージは日本人が思う以上に良いのです。

しかも、今までの技能実習制度だって、我々から見れば相当ひどい制度でも、現地には伝わりません。いや、直接私がモンゴル人に伝えても「大丈夫。とにかく日本へ行きたい!」という反応になります。

なのでいくら「日本人の嫌がる仕事」「大学出て誇りを持てるような仕事じゃないよ」と言ったところで、ほとんど聞く耳を持ちません。とにかく行きたいのです。

そういう多くのアジアの若者に対して、こうして正式なビザの制度を創ったら、そりゃあ殺到するに決まっています。

私の言う「情報不足」というのは、日本政府だけの問題ではなく、要するに長年の日本の良いイメージが、実際にどんな労働環境が待っていようが、すべてを打ち消して日本に行きたいくなるのです。

長期的にこの制度でアジアから人が来続けるかはわかりませんが、当分の間は超人気制度となるでしょう。

モンゴルではいつ試験が行われるかはわかりませんが、モンゴルの希望者はベトナム、インドネシアなど人口大国で行われる前に受けた方が良いかもしれません。

ああいう国で試験したら、ものすごい数の応募者が来る可能性もありますから。






Last updated  2019.05.04 19:36:16
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2019.04.20
4月中旬に田舎の新潟に帰ってきました。目的は、高校の同級生らとのゴルフ&飲み会。それに合わせて、もう一つプライベートでゴルフと別の飲み会も。この時期に帰郷することは滅多にないので、楽しかったです。

最初のゴルフは、兄と兄の友人のお二人と。お二人とも地元中小企業のオーナーで、とても気さくな方でした。

私は中途半端な新興住宅地で育ったものですから、本物の「新潟弁」は心地よいものでした。ゴルフコースは、新潟で最も古いとかで、伝統を感じさせる立派なコースでした。

お二人とも「田舎のおじさんの良いところ満載」でしかも、厳しい地方経済の中で成功されている方なので、とても懐深く余裕がある感じでした。都会のビジネスマンとはまた違う、地方ならではの成功者という感じです。

一方、翌日同級生らと回ったのは新潟で最もプレステージの高いゴルフ場とかで、確かに立派な施設、コースでした。同級生の何人かこのクラブのメンバーになっているようで、全体にフレンドリーな感じでした。

私の腕前は大体どこへ行っても「中の下」という感じですが、ここでもまさにそんな感じでした。同級生とはいっても1学年450人もいた学校ですから、実質「初めまして」という人もいましたが、それはそれで楽しく過ごせました。

ゴルフ終了後、一旦自宅に引き上げて、夕方から飲み会を再開。地方都市ならではです。東京ではとてもそんな芸当は出来ませんね。夜6時半の集合でした。

前日は新潟駅前で友人と飲んだのですが、その時は結構な人出に「おお、新潟も大したもんだな」と思ったものですが、翌日の方は・・・

会場の店は、古町8番町。明治以来の新潟の歓楽街の中心地です。少なくとも、昭和の時代までは名実ともに新潟の中心地でした。

が、そこが廃れていくのはもちろん承知していましたが。日曜日とはいえ、午後6時過ぎの通りです。



でも、店の中は盛り上がり大変楽しい時間を過ごせました。


新潟滞在中に地元紙を読んでいましたが、そこにモンゴルの文字が。新潟日報の「窓」という読者投稿欄です。題名は「モンゴルへの支援広がれ」です。

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なんで新潟で突然モンゴル支援が?と思い、読み進めました。

先日新潟市で「夢の太陽」というボランティア団体が開いたモンゴルフェアがあったんだそうです。この団体は医療支援や車いす寄付などを通じて、モンゴルと親善交流を続けているそうです。素晴らしいですね。

この時のイベントには、馬頭琴、ホーミー、モンゴル料理とお馴染みの催しがあったようです。

で、この投稿者は元留学生の講演に大変なショックを受けたとあります。この元留学生がモンゴル人なのか日本人なのかは、この文章からはわかりませんでした。

内容は、児童虐待、育児放棄が深刻な社会問題になっているとのことでした。被害を受けた子供を保護する公的機関がないため、世界各地の同胞が募金し、施設建設・運営をしているとのことでした。

最後に「共通の問題で悩む日本からも、支援の輪が広がってほしい」というものでした。

こうした小さな記事や関心が全国に広がり、モンゴルへの認知度アップと両国の交流が増えればいいなと思いました。






Last updated  2019.04.22 16:40:37
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2019.04.17
先場所優勝時の三本締めは、昨年の万歳三唱に続く問題となっている白鵬ですが、いよいよ国籍問題に断を下したようです。





モンゴル人からすれば「おめでたい席で、なんで万歳三唱やってはいけないのか?あれは日本の文化ではないのか?」とか「三本締めは最後を締める習わしだから、千秋楽にふさわしいのではないか?」と疑問が出るでしょう。

私もはっきり言えば「別にやったっていいんじゃない?」と思えるようなことです。これが野球やサッカーなどの純粋スポーツなら問題にはならないでしょう。そこが伝統を重んじる「国技」となると、変な理屈がつくのです。

私も「その通りだ!」言うほどではありませんが、まあ相撲協会が「あれはやってはいけない行為」という説明は、一応理解できます。

大体、相撲の世界は昔から日本人にだって「理屈の通らない世界」「黒いものでも親方が白と言えば白」という世界なのですから、一般のモンゴル人が納得しないとしても、それは仕方ないでしょう。

で、その理不尽にも思える相撲協会ですが、そこに残るには国籍条項があり日本人のみとあります。

過去、高見山や曙、武蔵丸が親方になりましたが、みなアメリカ国籍を捨てて帰化しました。そういう前例がありながらも、白鵬はモンゴル国籍のまま親方になれる道を探っているよう見えました。

北の湖親方は確約はしていませんでしたが、同じ大横綱経験者として白鵬には理解があったといわれています。

ですがその北の湖親方は亡くなり、今は元北勝海の八角親方です。八角親方がどういう人かはわかりませんが、白鵬は説得は難しいと感じたのでしょう。

白鵬がそれまでの外国出身親方と違うのは、その母国での立ち位置です。ハワイ勢3人はもともと全米では無名でしたし、地元ハワイはともかく全米的には何のプレッシャーもなかったでしょう。

しかし白鵬は違います。先日亡くなったお父さんはモンゴル人初のオリンピックメダリストですし、モンゴル相撲の名横綱でした。要するに誰もが知る国民的英雄でした。

その子供の白鵬が日本で活躍することはモンゴル人は喜びましたが、他のプレッシャーもありました。最初は奥さんでした。

「モンゴル人の英雄は、モンゴル人と結婚し、モンゴル人の血を残すべき」というプレッシャーがありました。

普段は日本とモンゴルの交流に前向きなモンゴル人でさえも、白鵬の嫁さんの話になると「日本人は絶対にダメ!」との声が多かったです。

ですがそんなプレッシャーの中、日本人と結婚しました。モンゴル人の中には今でも「なんであんななよなよした女と結婚したんだ!」とか「息子は日本人の血が入っているから、あんなに弱いんだ」(わんぱく相撲で勝てない)とか、言いたい放題です。

そして国籍問題。白鵬はまだまだ強いですし、先場所も全勝優勝でした。ですがこのところ怪我が多く、休みがちです。

来年のオリンピックまではなんとしてでも続けるでしょうけど、それ以降は目標も失い引退が頭に浮かぶことでしょう。

国籍問題は1か月や2か月で片付くものではありません。1年や1年半かかることもあります。

そうなると、今のタイミングがギリギリのリミットとも言えます。白鵬は申請さえすれば、抜群の実績ですから何の問題もなく国籍は認められるでしょう。

このニュースがモンゴルへ届くとどうなるか?私は、騒ぐ人もいるでしょうけど、多くのモンゴル人は半ば「やっぱりな」と思うと思います。

私も国籍は別にして、白鵬は後進の指導に当たってほしいし、できれば1部屋1人の外国人弟子の制度を緩和か撤廃してほしいものです。その際には、白鵬が理事長になっていても全然おかしくありません。

そんな姿が見られたらいいですね。






Last updated  2019.04.17 15:21:51
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2019.04.03
上位ランクの中では、2つの集団が見られます。100万人当たり5~7人というのが、ベトナム、マレーシア、スリランカの3国です。

それより多いのが、10~13人のタイ、台湾、韓国です。絶対数の多いインドネシアは、3人程度です。

そしてモンゴルです。ここはなんと75人です!!!桁違いです。モンゴル国内でいかに文科省国費留学生が認知されているかが、想像できるというのもです。

なんでこんな数字を引っ張ってきたかというと、新モンゴル学園の実績を見て驚いたからです。最近の実績を聞いたら「国費留学生が16人だった」というのです。

しかも在モンゴル駐日大使館からの推薦留学生(当然試験はある)のほとんどは新モンゴル学園出身者だというのです。

文科省全体で9400人ですから、学部生、院生(こっちが多いかも)、高専生などを多用にありますので、1学年辺りがどのくらいかわかりませんが、高校出て日本の大学に入れる枠は、せいぜい1000人~1500人くらいなんじゃないでしょうか?

そこに学生の2割近い人数が国費で入り、私費も入れるとその倍の人数が日本に留学するのです。しかも、それ以外にもアメリカや韓国へも行くといいますから、モンゴルでは一種の「エリート校」となっているのではないかと思います。

というか、もしかして「日本の文科省国費留学生を送り出している高校としては、世界一かもしれない」とも思いましたね。

受験競争というほどではないでしょうが、やはり「自然体」だけでは、中国や東南アジアのライバルには勝てません。夏には日本語の「特訓セミナー」もあるそうです。

これは単に日本語が上手になるためだけではなく、日本語の試験で高い点を取るための対策セミナーのようなもので、日本的思考を相当教えるとも聞きました。いやはや、まさにエリート進学校って感じです。

恐らく子供を持つモンゴル人の親の中では「新モンゴルには入れれば、日本の一流大学へ留学できる」というイメージが相当浸透しているのではないかと思います。なので私は意地悪な質問をN校長に投げかけました。

「モンゴルのことですから、うちの子を入れてくれ!というプレッシャーが大きいのではないですか?」と。「政治家ルート」「お金持ちルート」「親戚縁者ルート」さまざまです。

「そうなんです、そこが一番大変なところです。でも、そこはきちんとしないといけません。」と言ってました。

小学校からの学校ですから、イメージとしては慶応?でもあそこは大学までですから、むしろ麻布や開成みたいな存在になっている、あるいはなりつつあるんだろうなと思いました。

これからの新モンゴル学園に大いに期待したいと思いましたが、それは同時に今後の難しさを示唆しているようにも思えます。

それは日本のいわゆる一流大学と言われるところに毎年相当数のモンゴル人学生が進学します。国費留学生は、日本企業にとっても「一流の証」ですから、有名大企業には人気があります。

実際、今回も卒業生の就職先として日本の有名大企業の名前をいくつも聞きました。彼らの思い描く姿は「日本企業で勉強して、遠くない将来にモンゴルへ帰る」というものです。

ですが、モンゴルに帰ってそれを生かせる職場があるのか?日本企業進出がほとんどないモンゴルで、給料も含めて彼らが満足できる仕事先があるのか?

清水建設で最先端の土木工学を学んだ30歳の若者が活躍できる建設会社がモンゴルにあるのか?現地の建設会社の実情を知っている身としては「難しい」としか言いようがありません。

N校長先生も「帰国後のフォローをどうするかは、大きな課題です」と言ってました。国際的な大仕事を手掛ける醍醐味を味わった若者が、日本に残るという選択肢も大いにありなのかとも思います。

でもそれでは何のための「国費留学生」なのか、という疑問も残ります。個人のキャリアと国の発展は、相変わらずモンゴルでは難しい問題なのです。

(完)






Last updated  2019.04.03 13:54:27
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2019.04.02
この会場に入ったときは誰一人知人はいませんでしたが、やがてぷつんぽつんと、どこかで私とつながっている人がいることがわかりました。

まずはG理事長です。途中から入場した顔も知らない日本人(?)を見て最初に声をかけてきたのが、G理事長です。「どのような関係の方ですか?」と。

私はその方が理事長だとは知らなかったので、「はい、モンゴルでお世話になっていたことのある者で、以前はムイス(MUISモンゴル国立大学の略称)に行ってたことがある者です。」と言うと、「どうぞごゆっくり」と言って下さいました。

そしてしばらくすると、通訳用のイヤホンやプログラムを書いた紙を持って来ていただきました。

その後、本ブログのコメント欄では何度か「お話し」している、「仙台ざらあ」さんこと、日本人のMさんともご挨拶させていただきました。

ブログ上では随分前からお話ししていますが、こうして直接会うのは初めてですので、ちょっと不思議な気分です。

更に、新モンゴル学園の校長先生をしているNさんからも声をかけていただきました。

私がモンゴルとの縁を話している中で「ああ、それで私は見たことがあるんですね」とおっしゃっていただいたのです。モンゴル人は顔認識能力と言いますか、一度見た顔は忘れないという「特技」を持った人が多いのです。

Nさんとのつながりはこうでした。私をムイスに呼んでくださった当時の経済学部長のK先生は、モンゴルの首相に呼ばれ「国家戦略室室長」の設立及び室長を任命されたのです。

日本で言えば、竹中平蔵教授のような立場の人です。なので、私は時々その国家戦略室へ顔を出していました。

Nさんはその国家戦略室では、K先生の部下だったのです。なので、私の顔に見覚えがあったのです。しかも私に対して「断捨離の本を書かれましたよね?」とまで言うではありませんか!

私は驚いて「はい、モンゴル語版でも出させていただきました。」というと「あの本はTeさんの翻訳ですね」と翻訳者まで知っています。

私が「翻訳者のTeさんは、私の友人のTuさんのお姉さんなんです。それでお願いしました。」というと「そのTuさんは私の長い友達です」というではないです。NさんとTuさんは共に京大卒業ですから、そういう縁もあるようでした。

いやー、世の中狭いです。誰も知る人がいない会場の雰囲気でしたが、私も段々リラックスできてきました。で、Nさんからもいろいろお話聞きました。

現在新モンゴル学園は年に100人くらいの高校卒業生を出しているそうですが、その半分から3分の1が海外留学するそうで、その半分以上が日本へ留学するのだそうです。

そして驚くべきことは日本の文部科学省の国費留学生が多いということです。ここで文部科学省の国費留学生に関するおさらいをします。

国費留学生は経済的にはかなり恵まれており、私が実際に聞いた複数の経験者によれば「経済的は恵まれている」「アルバイトをしないと生活できないということはない」「住居費も含め、学生としては余裕はあった」という優れものです。

なので、アジアを含め多くの新興国では希望者が多いと同時に、熾烈な競争を乗り越えないといけない試験なのです。

文科省のHPによれば、現在世界各国からの国費留学生は9,423人ということです。その中での絶対数ランキングは1位中国の1,018人、2位インドネシア897人、3位タイ723人などに続き、モンゴルは233人と8位となっています。

ですがこれはあくまで絶対数です。その国の人たちの中でいかに文科省の国費留学生が多いかを見るには、その国の母数となる人口を見ないとわかりません。なので、人口100万人当たりの国費留学生数を計算してみました。

そうなると、中国は人口100万人当たり0.7人とランク外になります。要するに、中国という国の中では日本の国費留学生は大きな位置付けではないということになります。

どこが多いのか?

(続く)






Last updated  2019.04.02 14:24:17
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2019.03.31
学生の発表が終わるころ、元横綱の日馬富士が会場に入ってきました。日馬富士の紹介を聞いて、日馬富士がモンゴルで学校を始めたというニュースの中身を知りました。

日馬富士は元々、日本社会や制度の良い点をモンゴルに持ちかえりたいという気持ちが強かったそうです。

日馬富士の奥さんが岩手大学の留学生だったことは知っていましたが、彼女は新モンゴル学園の第4期生だったんだそうです。その縁で、新モンゴル学園の理事長であるGさんに日馬富士は教育についても相談していたそうです。

そしていろんな関係者の協力を得て、新モンゴル日馬富士学園を昨年9月に開校したということでした。

日馬富士が横綱を引退してから学校を作るまでが「随分、短い時間だな」と感じていましたが、本人の引退とは関係なく教育事業を進めていたということです。





新モンゴル日馬富士学園も既存の新モンゴル学園も基本的には同じ、小中高校一貫校です。両行とも運営は新モンゴル学園が担うようで、日馬富士は基本的には日本にいるということも聞きました。

地理的には、新モンゴル学園は13地区ですからウランバートル市東部になりますが、日馬富士校は空港方面ですので西部となりますから、地理的な棲み分けは出来そうです。

昨年秋の第1期生、当然小学生ですが、にはなんと1000人もの応募があったそうです。これは後述しますが、新モンゴル学園が相当な人気校になっていることを示すものでしょう。

無償の公立学校よりも授業料高くても(いくらかはわかりませんが、決して安くはないようです)いい学校に入れたいと願う親が多いということでしょう。


日馬富士のあいさつの後は、新入生の歓迎と卒業生の送別式です。我々は一旦部家の外に出て、会場作りを待ちました。そしていよいよ開場です。

モンゴル人はエンターテインメントの工夫がとても上手です。部屋は暗くなっており、留学生全員が「手のトンネル」を作って、入場者は全員そこをくぐりながら入ります。





その後は、踊りや歌あり、卒論発表会の表彰ありで楽しい時間でした。





ですが、その全てが当然のことながらモンゴル語なので、多分半分も楽しめなかったと思います。

なぜなら卒業生20人近くが一人一人の思いを語ってくれるところが大切なのですが、モンゴル語が分からない私にはただただ時間が過ぎるのを待つのみでした。優に1時間以上はありましたから。

留学生の発言で興味深いのは「先輩」「後輩」という日本語が非常に多く飛び交っていたということです。日本人の間で聞かれるこの言葉の回数よりずっと多いだろうと思いました。





それには二つの理由があると思いました。一つは、そもそもモンゴルにはそういう言葉がないですし、概念的にも「先輩を敬う」とか「後輩を指導する」などという感覚がないということです。

もう一つは、日本で学ぶ上でこれらの言葉が彼らにとっては非常に大事、逆に言えば、日本社会ではこういう考え方が非常に大事だと学んだからなんだと思います。

今の若い日本人よりも、よっぽど先輩後輩のつながりを大事にしようとしているようにも見えました。

今回の新モンゴル学園の留学生会を見て、ほんの少しですが、モンゴルの教育事情も垣間見える気がしました。

(続く)






Last updated  2019.04.01 16:43:33
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2019.03.30
先日、私が在日モンゴル人留学生の会に講演に呼ばれて行ってみたけど、準備不足どころか開催不能だった話を書いたときに、本ブログ読者の「仙台ざらあさん」から、100人近く集まる留学生会があるということを教えていただき、ご紹介いただいたうえで行ってきました。

留学生会の日程は28日と29日の2日間のようでしたが、私は仕事の関係で29日金曜日の午後からの参加となりました。

場所はなんと「衆議院第一議員会館」というではないですか。実際に行ってみると、なんとも立派な会場でした。





衆議院議員会館は何度か行ったことはありますが、議員の部屋ばかりしか行ったことはなく、1階の奥にこんな立派な会議室があるとは全く知りませんでした。

そして、今回の留学生会というのは、モンゴル人全体の留学生会ではなく「新モンゴル学園卒業生で日本に留学している人たちの会」だということがわかりました。

なので、こんなところを借りられるのは当然学生の力ではなく、学校関係者が日本の政治家を通じて借りたとのことです。





会場は広く立派で、確かにたくさんの留学生がいました。出席者はおよそ80人程度とのことで、例年の100人前後よりは少ないとのことでした。

ですが、九州や東北からの出席者もおり、「こんなにモンゴルから留学生が日本に来ているのか」と実感しました。





またこれは今年の3月に日本の大学を卒業する卒業生と4月から日本の大学に入学する新入生の「歓送迎式」を兼ねた研究発表会だということも知りました。

ですので、主催は新モンゴル学園であり、数人のボランティアがやろうとしていた先日の「留学生の集まり」とは全く性格が異なるものだということも理解しました。

なので、こちらがいくら立派でも、先日のボランティア的な留学生会とは比較するべきものではないことを、予めお断りしておきます。(こちらは公式行事ですから、モンゴル人の段取り力云々とは関係ないでしょう)


到着した時には、午後のプログラムが始まっていました。





この方が、仙台ざらあさんを通じて、私に連絡をくださった留学生会幹事のBさんで、現在名古屋大学に通っている方です。

話す言葉は全部モンゴル語で、プレゼンも全てモンゴル語なので、当たり前ですが私にはチンプンカンプンでした。まあ、聞いている人の9割以上がモンゴル人ですからそれも当然かもしれません。

基本的にはモンゴル人のモンゴル人によるモンゴル人のための会ですから、それは当然でしょう。

ですが途中、通訳用のイヤホンを借りたり、スライドが英語だったりする人もいたことで、ほんの輪郭くらいは理解できました。発表内容は、20人程度の今年の卒業生による卒論内容の発表でした。(1人10分)





内容はかなり難しそうでした。言葉の問題もあり、私には理解できないものばかりでしたが、プログラム表を見るとその内容は推測できます。

一部題名を列挙します。
 ・Cryo-electron microscopy structures of INX-6 gap junction channel
 ・電気刺激に対する分散培養細胞の発火率の応答
 ・乳業用乳酸菌由来オリゴDNAケモカイン誘導能
 ・モンゴルの路床材料物性の調査とPS灰を用いた凍結融解対策に関する基礎的検討
などです。

タイトルが英語でも日本語でもわからないのばかりでした。理系の発表だけではなく、社会科学系のもありました。
 ・パス解析を用いたD&I施策の有効性に関する実証研究
 ・試験・選抜を通じてみるモンゴルの能力主義 ~オリンピアードの機能の歴史的変遷に着目して~
 ・モンゴルにおける暴力被害者シェルターの現状と課題 ~日本との比較の視点から~
 ・モンゴル語自然会話における反応を表す表現に関する考察 ~モンゴル語のZaとAanhaanの使用に着目して~
など、多彩です。

こういう発表が20近くもあるのですから、できれば全部英語にしてモンゴルや日本、そして世界に向かって発表すればいいのになと思いました。

せっかくモンゴルのテレビ局が来て撮影しているのですから、この英語版がネットにアップされれば、モンゴルの若者たちがこれだけ多様な分野に挑戦しているかがアピールできるのになと思うと、ちょっと残念でした。

もちろん、新モンゴル学園の方もテレビ局の方も、視線の先は世界ではなくモンゴル国内でしょうから、ちょっともったいないなと思います。

学生の発表が終わり、次のプログラムに進みました。

(続く)






Last updated  2019.03.31 15:17:51
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