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田崎正巳のモンゴル徒然日記

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七詩@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) New! 社会主義体制下のモンゴルではジンギスカ…
モンゴル2008@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) じょんたのおばあちゃんさん、ありがとう…
じょんたのおばあちゃん@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) 追伸です。 Facebookに私の自分の言葉で訴…
じょんたのおばあちゃん@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) おはようございます。 確かに「ジンギスカ…

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昔の面白いブログシリーズ

2019.08.09
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「昔の面白いブログシリーズ」の第20回目です。2012年1月25日付けの「モンゴル人の心の中?(2)」を載せます。

世界に散在しているモンゴル帝国の末裔たちに語り掛ける、モンゴル人の想いが2回に渡って書かれてます。2回目です。

以下、掲載します。


声明はさらに続きます。


「現在、戦士の血を受け継ぐ1000万人以上のモンゴル系民族は世界中に散らばって生活している。民族の故郷を守っている300万人に満たないモンゴル人は、民主化革命から20年にわたり、世界の近代的モデルにより国を治め、12万人以上のモンゴル人が国を飛び出し知見を広げ、財を蓄えて生活を向上させ、また学識を深めて帰国し、祖国の発展に貢献している。」

と現状を認識しています。続いて、

「モンゴル人は自分たちの民族が世界帝国を築いた歴史を誇りを持って語る。モンゴル人は蒙古斑を持つ兄弟たち(モンゴル系民族)がモンゴル民族の故郷に帰ってくることを、口には出さないがずっと待っている。これは歴史上、その時、その時のモンゴル人が心の奥底にしまってきた願いだ。私達は長年、少ない人口で貧しく過ごしてきた。私達の力が足りなかった。実際のところ、民族の火を絶やさないように守るだけで精一杯だったと言っていい。」

と語ります。「蒙古斑を持つ」を象徴的な言葉で使っています。実は蒙古斑を持つのは、モンゴル人だけでなく、朝鮮民族もそうですし、われらが日本人もそうです。

ですが、元々の漢人にはないと言われています。(現在は混血などで、見られる場合もあるそうです)ですので、ここで蒙古斑を強調するのは、「モンゴル民族の象徴」であると同時に「中国人ではない」というアイデンティティも含まれていると思います。

「民族の火を絶やさないで守るだけで精いっぱいだった」という文章に心打たれました。歴史上、教科書的に言う「北方の騎馬民族」というのはたくさんいました。

中国側から見ても匂奴,鳥桓,鮮卑,突欣,蒙古などたくさんいますし、女真、スキタイ、キンメリア、フン・・など、数多あったわけです。

その中で、今も民族国家として独立した存在でいるのは、モンゴルだけなのです。他のほとんどは、中国に吸収されたり、漢人に同化されたりして、独立した存在ではなくなっているどころか、存在そのものもないのです。



この呼びかけは、今は経済発展をしてまさに世界中のモンゴル人に戻ってきてほしいという言葉が続きます。首相も大統領もそれを待ち望んでいると。そして、こう続きます。

「モンゴル人の姿を見て、モンゴル語で話すのを聞いて、涙を流しながら歓迎しているモンゴル系民族は故郷からはるか遠くに離れて住んでいる。彼らは民族の故郷であるモンゴル国の発展や自由な生活について聞くと喜んでいる。彼らはモンゴル人を信頼している。モンゴル人の心の底にある彼らへの思いを今こそ行動に移す時だ。彼らの消息を聞いて、座って泣いているだけではなく、彼らの座る席を用意して、共に発展する時代を私達は実現すべきだ。」

と長い間離れていた遠く離れた民族に声をかけているのです。

翻訳者のTulgatさんによれば、「モンゴル系民族は、モンゴル国、中国・内モンゴル自治区、ロシア・ブリヤート共和国以外にも、アフガニスタンのハザラ人、モゴール人のように、モンゴル帝国時代にモンゴルから派遣されたモンゴル軍の末裔や、ロシア・カルムイク共和国のカルムイク人のようにモンゴル帝国以降の歴史に翻弄され、移住した民族もいます。」とのことです。


この一連の声明文を呼んで、シオニズムを思い出しました。世界中に分散してしまったユダヤ人たちが、いつかは自分の国に集まって暮らしたいという復興運動です。それはイスラエルという国で実現されたわけですが、今も大きな問題を抱えています。

モンゴル人の場合は、既に「民族国家」があるわけですから、これから戦争をする必要はありません。

だからと言って、モンゴル国に戻れば、単純にそれでいいのかというわけでもありません。声明では

「この問題は、感情に流され、安易に考えてはいけないことは皆さんも私達もよく理解している。何百年も遠ざかっていた感情、言葉、文化的違い、また人口が多いほうに吸収されてしまう可能性などを考慮しなければならない。」

という懸念も発しています。

人口が多い方に吸収されるという表現は、人口が倍ほどもいる内モンゴル人と一緒になるということは、中国に同化してしまったモンゴル人たちと同化する可能性があるとの警告のように感じられます。

元世界大国、現人口小国の置かれた立場を理解しないと、モンゴル人の誇りや行動を理解しにくいかもしれません。

建国以来、そのほとんどを大陸から離れた小さな島国で過ごしてきた日本人と根本的に違うのは、当然のことなのです。


(完)






Last updated  2019.08.14 11:16:22
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2019.08.08
「昔の面白いブログシリーズ」の第19回目です。2012年1月24日付けの「モンゴル人の心の中?(1)」を載せます。

世界に散在しているモンゴル帝国の末裔たちに語り掛ける、モンゴル人の想いが2回に渡って書かれてます。1回目です。

以下、掲載します。




モンゴルからのニュースで、とても気になる文章がありました。それはモンゴル永住権プログラム(ブルー・カード)についてのことです。

このブルー・カード・プログラムというのは、今後大きな経済発展(年率20%)が見込まれるモンゴルへ、世界中に散らばってしまったモンゴル人、モンゴル系民族に帰って来てもらい、ともに新しい国を作って行こうではないかと呼びかけるというもので、首相も大統領も呼びかけています。

呼びかける理由は、300万人に満たないモンゴル国の人たちだけでは、新国家建設には足りないだろうという見込みと、海外各国で知識や技術を積んだ人たちに戻って来てもらいたいというのはもちろんあります。

が、より大きな視野で見れば、チンギスハーンの打ち立てた世界最大の帝国後、世界各地に散り散りになってしまったモンゴル系民族の数百年に渡る帰国願望を叶えてあげたいということも入っているのだと思います。


モンゴル人と会ったことある人はよくわかると思いますが、彼らは大変誇り高い民族です。

時として、誤解されることもありますが、根底には長く続く遊牧民としての誇り、チンギスハーンの末裔としての誇りが感じられます。

社会主義時代には、チンギスハーンの「チの時」も口にしてはならない(ロシアにとっては、チンギスハーンは史上最大の悪人?)こともあっただけに、自由になった現代では、誰もがその誇りを口にします。

「民族とは何か?」の定義は、研究者の間でも実に様々な意見があります。つまり、特段難しくもないこの「民族」という言葉の定義すら、実ははっきりしていないのです

私はある民族学者が言った言葉に「なるほどなー」と思ったことがあります。それは「同じ記憶を持つ人々」という定義です。

記憶にはいろいろあると思います。学校で教育する「歴史」はもちろんですが、もっとフォーマルでない形での記憶、例えば「神話」とか「言い伝え」などもあるでしょう。共有化した「道徳観」「習慣」などもこれに含まれるでしょう。

モンゴルの場合は、教科書でチンギスハーンのことを教えられるようになったのは、わずか20年前です。

それまではロシアによって禁止されていましたから。ロシアの前は満州人の支配があり、その前は・・・となると、当然、フォーマルな形での教育というものには乏しかったでしょう。

それでも、モンゴル人、モンゴル民族はだれもがチンギスハーンのことを知っています。物語を知っています。これは偉大な「共通の記憶」と言えるのではないでしょうか?

こういう歴史的認識を持つ現代のモンゴル人300万人が、世界中に散らばってしまったモンゴル系民族700万人に対して呼びかけているのです。

本当はもっと前から呼び掛けたかったのでしょうが、政治的経済的事情などを考えると、したくてもできなかったのでしょう。

ですが、大きな経済発展が、もう目の前に来ている今、ついに呼びかけることができるようになった、というのだと私は理解しました。

前述のように、首相も大統領も応援していますが、活動主体となっているのは「ツァヒム・ウルトゥー・ホルボー」というNGOです。

その声明文が、とてもモンゴル人の気持ちを表しているように感じたので、ここに抜粋させて頂きます。

なお、日本語訳責任者は、モンゴルで不動産などのビジネスを手掛けているTulgatさんです。京都大学出身で、日本語を完璧に話せる人です。


「800年前、モンゴル人は繁栄を極め、世界の四方を騎馬で駆け抜け、世界帝国を築いた。その後、時が流れると共に、戦士としてのモンゴル人はなりを潜め、さらに満州人の支配下に置かれて世界からは忘れ去られ、その後70年間社会主義のカーテンに閉じ込められ、民族の家であるこのモンゴルの地にわずかな人口で暮らしながら21世紀を迎えた。」

という文章から始まります。

世界帝国後のモンゴル人の置かれた立場に、無念さが感じられます。ここで読者のみなさんに気にして頂きたいのは、「満州人の支配下に置かれ」とあるフレーズです。

これは清国を意味します。「え、清?だったら、中国なんじゃないの?」と思う方もいるかも知れませんが、モンゴルでは決してそうは言いません。

モンゴル人と話していると「私たちには辛い時代もあったが、中国の支配下になったことは一度もありません!」言います。

「え?清に支配されてたのではないですか?」と言えば「あれは、中国人ではなく、満州人です。確かに満州人には支配されていました。」と素直に認めます。

モンゴル人にとって満州人とは、先祖は同じ騎馬民族であり、根本的に農耕民族の漢民族とは違うのです。

騎馬民族同士であれば、遠い昔から、領地を取った取られたはあったことなので、「基本的には先祖が同じ民族」と受け止められ、屈辱感はあまりないのです。

声明はさらに続きます。

(続く)






Last updated  2019.08.13 13:02:11
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2019.08.06
「昔の面白いブログシリーズ」の第18回目です。2011年6月5日付けの「帽子から垂れる飾りの意味は?」を載せます。

モンゴルの民族衣装はとても綺麗です。女性が民族衣装を着るときに帽子から垂れる飾りにはどんな意味があるのでしょうか?

以下、掲載します。(オリジナルの時にはなかった写真も掲載します)




かなり長い間ブログ更新からご無沙汰してしまいました。モンゴルに住んでいた時は、いくらでもモンゴル関連の話題はありましたが、日本に住み慣れてしまうとなかなかないものです。

ちょっと過ぎた話ですが、先月テレビで世界で一番寒い村であるロシアのオイミヤコンを見ました。なんでも一番寒い時にはマイナス71度にもなったとか。

ですが、通常の冬はマイナス40-50度とモンゴルの北部並のようです。登場する現地の人は、モンゴロイド系と言いますか、いわゆるアジア顔でした。

もっと言えば、日本人や中国人よりは、ほとんどモンゴル人と同じ顔と言っていい人たちです。

私はかねて、日本人とモンゴル人は似てはいるけど、やっぱりちょっと違う。一般的にいえば、モンゴル人の方が顔が大きいのです。

でもそれは、体格のせいかなと思っていましたが、このテレビ番組の説明で明確にわかりました。

こういう極寒の地に住む人たちは、副鼻腔というのが発達するのだそうです。副鼻腔とは鼻腔(鼻の内部の空間、鼻の穴)に隣接した骨内に作られた空間で、誰にでもあるものです。

極寒の地の人たちは、この副鼻腔が発達し大きくなっているのだそうです。極端に低温の空気は、そのままでは喉を痛めてしまうので、この副鼻腔で温められて喉に通じるというわけです。

確かに、モンゴル人は鼻の横、目の下の部分が大きい人が多く、まるで頬が膨らんでいるように見える人が多いです。

朝青竜の顔も、丸くて大きいだけじゃなく、この副鼻腔が大きいので、頬が大きく目が細く見えるのです。

確かに思い当たります。多くの日本人は、モンゴル滞在へ来た最初の冬に喉を痛めます。もちろん私もかなり痛めました。

最初はいわゆるエヘン虫かと思っていましたが、長期間続きモンゴルの医者にも行きました。

日本人の友人らも、程度の差はあれ喉を傷める人が多かったのは、この副鼻腔がモンゴル人ほど発達していないので、直接冷気が喉に届くことが原因だったのです。

ヒトの特徴には、必ず機能が関係しているんだなと、妙に感心してしまいました。


その話をモンゴル人に話したら、それは皆知ってるよという顔をしていました。更に、モンゴル女性の秘密も教えてもらいました。

モンゴル女性の民族衣装姿は、とてもあでやかできれいです。その特徴の一つに、飾り物があります。耳飾りをはじめ、きらきらして長く大きいものが多いのです。

帽子もいろいろありますが、その帽子からも金属製のきらきらした飾りが、顔の前まで垂れていることもあります。

  • ダウンロード (1).jpg


これはモンゴル女性が大きすぎる頬を隠すために帽子から下げたことが起源なんだそうです。

今も田舎に行くと文字通り「ほっぺの赤い子」が多いですが、どうも当のモンゴル女性たちもその大きく赤い頬を恥ずかしがっていたそうです。

モンゴル人は日本人とよく似ていると言われますが、この鼻の横、目のすぐ下の膨らみである副鼻腔が小さめの人は、確かにほとんど同じような顔をしているといえます。

シベリアに住むアジア系の人たちの顔が、モンゴル人と似て見えるのもこうした副鼻腔の特徴が似ているからでしょう。

目が一重とか二重とかも、寒さの違いが原因だと聞いたことがあります。人間の体も長い時間をかけて、環境適応しようと進化してきたのでしょう。






Last updated  2019.08.12 11:12:43
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2019.07.24
「昔の面白いブログシリーズ」の第17回目です。2008年10月19日付けの「モンゴル雑感」を載せます。

公共交通機関が不足気味のモンゴルで、通学にタクシーを使う子どもを見ての衝撃を書いています。

モンゴルに住み始めて、1か月余りというモンゴル初心者時代の記事です。

以下、掲載します。



今日は久しぶりにのんびりできる日曜日です。私の生活基盤についての今のところの良いシナリオは、

・今日の夕方には風呂が直り、今夜にも湯船に浸かれる
・今夜は大汗をかいて寝て、明日には私の風邪も完治する
・明日大学での登録作業などの全てを終え、私の手元にパスポートが戻ってくる
・この手続きと同時に、社会保険などの書類が手元に来る
・モンゴル語科の学生になれる
・免許証の交付が終わり、晴れて運転できるようになる
・程度の良い車が見つかり、行動範囲が広く自由になる

と、ざっとこんなもんです。明日中には無理にしても、今週中にはこれらの課題には目途をつけたいです。どれもここ1-3週間、何らかの形で取り組んできたことばかりです。

さすがにいつまでも「滑って転んで」ばかりではどうしようもないので。とはいえ、モンゴルですから気張らずに行きます。

さてこちらへ来て早、1か月近くになります。そんな中で、感じたことを少しとりとめもなく書いてみます。

まず、驚いたのが「子供がタクシーに」です。

実は、以前から何度か耳にしていたことです。私の友人Bさんに以前モンゴルに来た時に聞いたことがあります。「ウランバートルは公共交通機関が少ないけど、冬マイナス30度とかになったら、皆どうするの?皆が車持っているわけないでしょ?例えば、スーパーへ買い物に行くのにどうするの?」と聞くと、こともなさげに「そりゃ、タクシーでしょう。」と。

私が「タクシー!?スーパーに買い物行くのにタクシー?毎日の買い物だよ。それはBさんちが裕福だからでしょ?私が聞いてるのは、普通の人だよ。」すると「そうですよ、普通の人もタクシーです。だって、寒いじゃないですか。」と言われました。

なんとなく腑に落ちない中、日本で私のモンゴル語のT先生にも聞いたことがあります。「子供たちが学校へ通うのに、マイナス30度とかになったら、どうするのですか?」すると「親が車で送っていくとか・・」私が「親が車ないとか、バスは遠い人もいるでしょ?」と聞くと、やはり「タクシーですね。」と言いました。私が「子供が通学にタクシー??」

たまたまT先生の姪っ子が東京に遊びに来ていたので、私は中学生の彼女に聞きました。「学校まで歩いて15分でしょ。冬、マイナス30度になったらどうするの?」と聞くと、当たり前のように「タクシー」と答えました。

どうもこの国では、大人も子供も普通にタクシーに乗ってるようです。ですが、私の経験や常識では、緊急時はともかく普段からタクシーで買い物や通学というのは考えられなかったです。ですが、見ました。

taxi

この子は、私と同じアパートの住人らしいです。私がタクシーを拾うと待っていたら、何のためらいもなく私の前でタクシーを待ち、やってきたタクシーを前からいた私を無視して先につかまえ行ってしまいました。

実は、これよく街で目にする光景です。子供がタクシーを拾っているのをよく見かけます。東京では、元麻布の子でも一番町の子でも、小学生が一人でタクシーを拾うなんて見たことありません。あることはあるかもしれませんが、少なくとも日常の光景ではないです。

確かにタクシー料金は大体は近場は200円以下ですから、安いといえば安いです。が、それは日本の所得感覚だからであり、日本の20-30分の1の国では、やはり相応なのだとは思うのです。この辺りは、よくわかってません。

Bさんは、「この国では結構みんな子供の時からタクシー使うんです。バスは怖いですし。」だって。Bさんの仕事のパートナーのEさんは、奥さまは車を持ってますが、珍しく本人は持ってません。そのEさんも「もう20年くらいバスには乗ったことないです。」だそうです。ちなみにEさんは30歳ちょっとでとても若いです。

もう一つは、物価でしょうか。

前にも書きましたが、こちらの物価は取り立てて安いと感じることはありません。なぜなら、食料品を含め肉以外はほとんど輸入品だからです。安いと感じるのは、タクシー代(市内は100円から多くて500円)、ローカル向けの大衆モンゴル料理店(但し、高級店ではなくとも普通のきれいなお店だと1000円以上)、病院代(ブログの通り)、地元産のミネラルウォター(500mlで30円くらい)くらいなものです。

細かい雑貨品はなかなか見つからないのですが、市内に「New Tokyo」という店がいくつかあって、そこではダイソーの100円ショップの商品を扱ってます。品数はうんと少ないですが、ちょっと便利なものが置いてあります。

パッケージも日本語のままで、日本の商品そのままで持ってきてるようです。これらは、200円から500円で売られています。これでもこちらの水準からすると少し安い感じです。

昨日、初めてクリーニングに出しましたが、シャツが1枚280円です。日本と同じか、日本の安い所より高いくらいです。それでもたくさん人が並んでました。

ガソリンも高いです。日本は安くなってきているとニュース見ましたが、こちらはハイオクで188円です。それでも大型のSUV人気は全く衰えません。

昨日、スポーツクラブを紹介されて、見学してきました。ジムとプールがメインです。フィットネスのスタジオの代わりに、バスケットボールができる広い会場があるくらいで、日本のスポーツクラブより「ちょっと落ちる」というレベルです。これで毎月120ドルです。もちろん、全然安くないです。ですが、朝から子供らが結構いました。

こと、お金のことに関して言うと、到着間もない頃ブログに書いた疑問は全く解消されていません。収入と物価水準、消費スタイルの不均衡です。副業の意味もまだわかっていません。少しずつ解明していきます。






Last updated  2019.08.01 13:37:29
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2019.07.20
「昔の面白いブログシリーズ」の第16回目です。2009年8月17日付けの「1万人もニンジャがいる??」を載せます。

先日、モンゴルを「少しだけ」わかっているような日本人の方に会いました。その方が「モンゴルの中央銀行が市中から金を買っているという話を聞きましたが、目的は何ですか?これは買いオペみたいなものですか?」と。

モンゴルでそんな先進国のような金融政策があるわけもなく、そもそも中央銀行が金を買う意味が全く分かっていない、ことがわかりました。そういう疑問への答えも含めてご覧ください。

以下、再掲します。



先週も週末にビジネスミーティングがありました。そこでは鉱山開発に関するいろんな問題が議論されました。

鉱山開発とはいえ、企業単位で行うわけですから、そこには投資したお金の不正使用の問題とか、想定した以上に投資額がかかってしまい、開発がストップしてしまったとか、「どこの世界にもある企業としてのいろんな問題」が出てきます。

でも、こういう相談を受けるに従って、段々モンゴルの鉱山開発で上手くいかないパターンは大体わかってきます。

もちろん、上手くいって大きな利益を得ている会社の方が多いですが、外人投資家には難しい部分はまだあるようです。

そんな議論を終えて、私が「それにしても次から次へ、新しい開発案件が出てきますねー。」というと「モンゴルでは鉱物資源がある鉱山の30%程度しか開発されておらず、70%はまだ全く手もつけられてないです。だから、どんどん出てくるのです。」と聞きました。

そんな話のときに「・・・聞いたことあると思いますが、ニンジャもかなり多くなっています。」と言われました。

私は「ニンジャ?何ですか?日本の忍者ですか?」と聞くと「はい、日本のサムライみたいな忍者です。」と言います。

私が「なんでモンゴルに忍者がいるの?ハリウッドの忍者映画のこと?」と頓珍漢なことを聞きました。

ニンジャとは・・・ニンジャの七つ道具(?)を背中にしょって、オートバイで夜な夜な出かけ、金などの資源を採ってくる人のことを言うのだそうです。

モンゴルは、金も含めまだまだ鉱物資源の膨大な埋蔵量があります。掘るのも、地下深く特別な掘削機械で掘っていく、ということも必要ないくらいにまだたくさんあるそうです。

ニンジャの七つ道具の一つが、金に反応する探知機があるそうです。それを地面近くに近づけると、ピーピー鳴るのです。

そしたら、その辺の土を掘って、その掘った土を薄く撒いてまた探知機を当てます。するとまたピーピー。これを数回繰り返すと、爪ほどの大きさの金が出てくるのだそうです。場合によっては、小指の先くらいのも出てくるそうです。

採った金は、銀行へもって行けばお金に換えてくれるのだそうです。銀行に集まった金は、モンゴル銀行という中央銀行に買い取られます。一般の人でも、中央銀行へ持ち込めば買ってくれるそうです。

モンゴル銀行は、この金をまとめてイギリスに送って、イングランド銀行で金の延べ棒にしてもらうのだそうです。

田中貴金属のHPによると、金は1グラム3千円くらいです。精製前なので、その値段ではないでしょうが、モンゴル人にしてみたらベラボーに高い値段です。

多分、羊1頭の卸価格に近いでしょう。なので、遊牧民なんてやってられないのです。数年かけて育てた羊と、その辺に埋まっている金1グラムが同じ価値だなんて!10グラムで都会のサラリーマンの月収です。

但し、ニンジャは人目を忍びます。なぜなら、せっかく見つけた金のありかを他人に知れたら「あっという間」に盗掘されてしまうからです。

多くのニンジャは当然ですが、都会にはいません。モンゴルの国土は途方もなく広く、多くの金の埋蔵地は田舎にあります。ですから、ニンジャの多くは遊牧民であることが多いそうです。

ニンジャは夜出かけます。しかもゲルを出て、金のある方向とは反対方向へバイクで走ります。もちろん、七つ道具を背中にしょっており、馬で出かける人も多いです。反対方向へ進むのは、もちろん誰かに見られていたときのためのカモフラージュです。

全く違う方向へ進み、途中で回って金の埋蔵地に向かいますが、それでもそこまでは行きません。

途中でバイクを止め、あとは徒歩です。徹底して、極秘にするのです。そして頭につけた懐中電灯を頼りに、探知機を使って金を探すというわけです。

以前は、なんとニンジャが1万人も集まった街があったそうです。突然、何もない草原に1万人の街ができたのです。

モンゴル第二の都市ですら、人口11万人しかいないのですから、1万にがいかに大きいかわかろうというものです。そこには、店や食堂などもでき、なん風俗店までできたそうです。

ですが、よく考えればわかりますが、このニンジャのほとんど全員は、違法行為かはわかりませんが、他人の土地にあるものを盗んでいることになります。

とはいえ、その土地の所有者は、鉱山という意識もないでしょうし、だだっ広い草原ですから、ガードマンを置くわけにもいきません。

なんせ、人口密度は北海道の50分の1以下ですから、何をどう守るかすらわからないのです。田舎の草原は、所有権のない土地もまだまだあるそうです。

この1万人のニンジャの街は、結局当局によって取締りが行われ、はかなく消えてしまったそうです。ですが、そのニンジャたちは、全国に散らばって今も活動を続けています。

ニンジャは、お金ができたからといって、遊牧民は止めません。お金がたくさんできて、遊牧民を止めると、ニンジャだとばれてしまい、必ずその行動が監視されてしまいます。

そしてせっかく見つけた秘密の場所が他人に荒らされます。ですから、表向きは、遊牧民を装うのです。

とはいえ、どんどん金持ちになる人が出てきます。人もほとんどいない、家畜の数もそうでもない遊牧民がベンツやランドクルーザーを何台も持っていたりすることもあるそうで、それは間違いなくニンジャだそうです。

私の友人のEさんが田舎へ行ったとき、遊牧民(本当の姿はニンジャ)のゲルで見た光景を話してくれました。ゲルに誰かがやってきて「ちょっとお金貸して」というと「いいよ」といって1000万トゥグルグをその場で渡していたそうです。

日本円にすれば80万円ほどですが、都会の大卒サラリーマンの月収が3万円くらいなのに、現金収入の少ないゲルに住む遊牧民が、なんの躊躇もなくその20-30倍近いお金を貸しているのを見て、大変驚いたと言ってました。

ニンジャがこんなにはびこっているのは、裏を返せば、素人でも簡単に金を掘れるほど、膨大な資源が眠っており、そのほとんどがまだ手付かずでいるということの証拠でもあります。

Eさんに「こんなコンサルティングなんてしてないで、親戚一族でニンジャやった方が儲かるんじゃないの?」と言ったら「実は、少し真面目に考えてみようかなと思っているのです。」と言いました。

既にある鉱山に忍び込むニンジャもいるそうです。もちろん、これは明らかに窃盗ですが、なんせ鉱山といってもあまりにも広いので、管理しきれないのだそうです。

ただ、多くのニンジャは、いまだ開発されてない場所ですから、子供が山に入ってカブトムシを採るようなものです。日本でも母の時代は「松茸のありかは、親にも言うな。」と言われていたとか。

ニンジャそのものが完全に違法かというと、そうではないようです。その証拠に、中央銀行は買い取る時に「どこで採った」などと聞かずに、黙って買い取るのだそうです。

金の延べ棒じゃないんですから、その金は山から採ってきたものだとわかっているに決まってます。でも、何も言わないそうです。

Eさんに言いました。「今度、だれかニンジャ紹介してよ。私も一回行ってみたい。どうせ私みたいウランバートルに住む外国人なんて、遠い田舎の金の場所なんて二度と来れるはずないから、安全だよ。」と。

確かに、その姿はニンジャのイメージ通りかもしれませんね。ケイン・コスギのお父さんはハリウッドのニンジャでしたが、モンゴルには1万人ものニンジャがいるのです。もちろん、日本より多いでしょうね。






Last updated  2019.08.12 07:49:59
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2019.06.09
「昔の面白いブログシリーズ」の第15回目です。2010年6月30日付けの「モンゴル、サッカーといえば、朝青龍です。」を載せます。前回「6月15日付け「サッカー、日本勝利を祝う人は、日本人以外にもいます!」の続編です。引退直後の朝青龍の日本愛が描かれています。

以下、再掲します。

前回のカメルーン戦をモンゴル人の日本留学組の人たちと一緒に、市内の日本食屋さんで応援したことは2週間前にお伝えしました。
(6月15日 「サッカー、日本勝利を祝う人は、日本人以外にもいます! 」 http://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201006150000/ 参照)

今回のパラグアイ戦も同じお店でやると、当日にテレビ局の社長のUさんからメッセージが届きました。

私もまたあの興奮を再び!と出かけました。試合はモンゴル時間で午後10時スタートですが、早めに行ってUさんと一緒に飲もうと1時間前に到着しました。

Uさんから先日モンゴルに来た拉致家族の方々のモンゴル滞在の様子などを伺いながら、試合開始を待ちました。前回よりも若干少なめですが、徐々に席が埋まってきました。

そして、いよいよ開始です。私たちは、スクリーンの目の前の「特等席」で食事していましたが、始まる前にUさんが「大使が来られるので、私たちはあっちに動きましょう。」と端の方に移動しました。

モンゴルの人たちとビール飲みながらの観戦、一人自宅で見るよりずっと楽しいです。

しばらく時間が経った時に、なにやら大きな音がします。聞いたことあるような・・・そうです、あのブブゼルの音が聞こえてきました。

スクリーンからではなく、店の入り口の方です。見ると大きな影が店内に入ってきました。朝青龍です!

bubuzara

日本から戻って来た時の記者会見での姿を最後に彼を見ることはありませんでしたが、とても陽気でたのしそうでした。

asa1

着席するなり「ニッポン、ニッポン」を連呼し、皆も大きな声で連呼します。

さすがに朝青龍です。モンゴル人はもちろん、日本人もあっと言う間に引き寄せられます。

asa2

立ちあがって、いよいよノリノリになりました。参加者全員が「ニッポン」を叫びます。大使の隣の席に座りました。(私たちが最初に食事していた場所です)

aishito

駐モンゴル大使も来場していましたので、ツーショットとなりました。

そうなると、モンゴル人以上に日本人は朝青龍とのツーショット写真を撮りだしました。彼も全く気にするそぶりを見せず、気楽に応じてました。

以前、成田空港で一緒になった時、私がカメラを向けた時に大声で止めるように叫んだのとは全く違います。

見るからにリラックスしています。やっぱり日本にいる時とは全然違うのでしょう。余計なパパラッチもいないし。私も思わずツーショットをお願いしちゃいました。

ハーフタイムの休憩時間には、皆に挨拶もしました。

aisatu

もちろん、日本語で挨拶です。ニッポンを連呼し、日本語で話すのは、彼の状態が引退直後よりも相当良くなったということなのでしょう。

髪はまだ髷です。もちろん、床山がいるわけではないので、大銀杏とはいきませんが。

後半になっても、たびたび「ニッポン、ニッポン」を呼びかけます。

asa3

こうして、モンゴル人、日本人を問わず大人気のまま、会場で過ごしました。

そして後半の途中、延長戦前に一緒に来た(おつき?の)人たちと共に帰りました。サッカーを楽しみに来たというよりは、日本人や日本に関係するモンゴル人らと盛り上げにやってきたという感じでした。

とにかく、リラックスして楽しそうだったのが印象的でした。まだ今後の活動はどうなるのかも未定のようですし、髷もどうするのか?相撲界も断髪式どころじゃないって雰囲気がありますし、どうなるのでしょうか?

横綱の品格と言っていた理事長までが今回謹慎させられたことを考えると、品格を持った理事もあまりいないように見える最近の相撲界です。

試合は、大変残念な結果となりましたが、遠い異国で、日本人以外とこんなに楽しく応援できたことにとても満足しています。






Last updated  2019.06.10 07:59:04
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2019.06.07
「昔の面白いブログシリーズ」の第14回目です。2010年6月15日付けの「サッカー、日本勝利を祝う人は、日本人以外にもいます」を載せます。サッカー好きが多い超親日モンゴル人の日本応援の様子をご覧ください。

以下、再掲します。


昨日は、見事にワールドカップ海外初勝利を挙げた日本チーム。さぞかし日本でも興奮して見ていた人たちが多かったことでしょう。

ここモンゴルでは、例によって「皆さまのNHK」は海外に住んでいる日本人のことは全く考えていないので、NHKは中継どころかニュース画像すら放映されません。

ですが、他国のテレビ局はもちろんそんなことはありません。同じケーブルテレビのチャンネルでは、ロシアのテレビ局も中国のテレビ局も、もちろんモンゴルのテレビ局も放送しています。

数日前に、モンゴル人の友人から市内の日本食屋さんで夜10時から日本チーム応援視聴会をやるという連絡を頂きました。

参加者はモンゴル人の日本留学卒業生の会のメンバーたちだそうです。なるほど、家で一人で見るよりはよっぽど面白そうだと思いました。

ですがその後、在モンゴル日本人が集まって、別の日本食屋さんで応援する会もあると聞きました。多分そちらへは、日本人がたくさん集まるのでしょうが、私はモンゴル人の人たちと見たいと思ったので、その日本留学組の人たちと一緒に見ることにしました。

9時過ぎにその店に行って、サバの塩焼き定食(800円くらい)と生ビールジョッキ(こちらは300円ほど)を頼んで腹ごしらえをしました。

10時に近付くと、結構な人数になりました。ざっと見たところ、80人から100人近くはいそうです。

もちろん、ほとんどモンゴル人です。一部、日本の大企業の駐在員の人も顔を出していました。

更には、駐モンゴル大使も来ていました。彼らは、席のど真ん中にいかにもVIPという感じで座っていました。

こんなにたくさんの日本留学経験モンゴル人がいるのか、とちょっと感激しました。そして不思議なのは・・・一般的に見られるモンゴル人となんとなく違うのです。そう、多くの人たちが日本化しているのです。

一般的には、ごつそうな、いかめしそうな風貌のモンゴル人が多いのですが、この会場にいるモンゴル人は、なんとなく穏やかそうなイメージです。女性も、どことなく日本人かなって思ってしまうような雰囲気の人が多かったです。

知っている顔と言えば、ほんの数人でした。この日の昼間も一緒に仕事をしていた友人のBさん、テレビ局の社長のUさん、このレストランのオーナーの企業グループの社長さん、あとそれ以外もほんの数人でした。

試合前には、席の周りの人たちと自己紹介し合ったり、名刺を交換したり。当然皆日本語はペラペラです。多くは、自分で起業したり、大手企業の経営者や幹部などでした。日本留学組には是非頑張ってほしいものです。

そしていよいよ試合開始です。


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こんな感じで、大きなスクリーンを見て応援しました。

テレビ局は、ロシアがいいかモンゴルがいいか、などと言ってましたが、さすがに解説が聞けるモンゴルのテレビ局にしました。といっても、私にはモンゴル語はわかりません。時々「マツゥーイ」とか「ナカザァワ」という名前が理解できる程度です。


そして待望のゴール!!!やったーーーー!

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すごい盛り上がりです。本当に日本人が喜んでいるかのように、いやそれ以上に喜んでいます。その姿を見て、私は二重に嬉しくなりました。

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皆、ハイタッチで喜んでいます。

ハーフタイムの時に、ちょっと興ざめが。大使や日本企業駐在員の方々が、席を立ったのです。要は、日本人がたくさんいるもう一つの会場へ向かうためのようです。

なんだか、こんなにワイワイ騒いでる時にも、「あちらにもこちらにも顔を立てる」という感覚が、日本人くさいというか、仕事っぽいというか。

中座するくらいなら、来なくてもいいと思いましたね。はっきり言って、自分たちが思っているほど「顔を見せてくれるだけでもありがたい存在」ってわけではないですから。

そして試合終了。皆、席を回って喜びあいました。

その後も、深夜までお酒を片手に語り合いました。友人のBさんは、私が今いるモンゴル国立大学経済学部の入試で2番だったとか、日本留学組の何人かは高校生の数学世界大会のメダリストだったなど、さすがに優秀な人が多かったです。

今までワールドカップを海外で見たことはもちろんありませんし、こんなに日本チームを応援したこともありません。

モンゴルはもちろん非出場国ですが、日本や韓国の活躍でかなり盛り上がっています。日本が出場できなかった頃、ワールドカップなんて意識したことあったかと思うと、ほとんどというか、全くなかったような気がします。

ある意味、モンゴルは小国でるからこそ、自分の国ことだけでなく、他の国、とりわけアジアの国のことをよく知っているし、関心も持っているんだなと思いました。

最近の「自国にしか関心を示さない若者」が多いと言われる日本とは、とても対照的だと思いました。

野球を見るのは好きですが、確かに世界規模での熱狂を産むという点では、とてもサッカーにはかなわないと実感しました。

ちなみに、写真は今回で本当にキャパ一杯となりました。早くブログの引っ越し先を見つけたいと思っています。






Last updated  2019.06.07 21:58:15
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2019.05.19
「昔の面白いブログシリーズ」の第13
回目です。引き続き、2008年12月16日付けの「素っ気なさは、モンゴルの特徴?」(2)を載せます。

以下、再掲します。


今日、たまたまクリーニングの引き取りがあったので、またまたそのデパートに行きました。私の人生で、こんなに頻繁にデパートに行くのは多分過去も未来も含めて、ここウランバートルだけでしょう。

その時、時計屋さんが目に入りました。実は、ここの時計屋さんは以前も立ち寄ったことがあります。モンゴルに到着早々、私の部屋に時計がなかったので買いに来たのです。ベッドの脇の目覚まし時計は日本から持ってきましたが、大きな掛け時計はこっちで買うつもりでした。

ですが、アパートの壁を見ていきなりコンクリートのように硬く(表面は何か張ってありますが、メチャクチャ硬いのです)とても掛け時計をかけるフックをつけられそうにないのです。

ですので、この時計屋さんで聞きました。「この大きな時計を買いたいのですが、家のアパートにはどうやってひっかけるのですか?」と聞くと、「それはこういう器具をつけます」と見せてくれました。それは、簡単にネジ回しか何かで付けられるような器具ではありません。

「これを一体どうやってつけるのでしょうか?」と聞くと「それは、この器具をつけてくれる専門の人を呼んで、ドリルを使ってつけるのです」というのです。

えっ??たかが、こんな2-3千円の安い壁掛け時計をつけるのに、工事の人を呼ぶの?しかも、どこにいるのかもわからないのに!それで、一気に買う気が失せたのです。

ですが、さすがにリビング&ダイニングの部屋に時計がないと不便です。私は家に帰るとすぐに時計を外してリラックスするのですが、そうすると一層不便です。

今日、時計屋さんの目の前を通って、やっぱり不便だから買おうと立ち寄ったわけです。結局、ちょっと大きめの置時計を買おうと決めました。

実は以前、中国製の置時計を買ったのですが、1日で壊れてしまい、安かったこともあり文句を言う気力もなく捨ててしまったことがあったのです。壊れ方があまりにもお粗末で情けなくなるほどでした。もちろん、モンゴルでの話です。

ここでは、例によって時計売り場に伝票を書いてもらい、それを「会計」に持って行って支払いを済ませ、その領収書を再び売り場に持って行って、実際の商品を受け取るというやり方です。

私は時計売り場のすぐ近くにある「会計」(キャッシャーとあります)に行きましたが、誰もいません。ちょっと待ったのですが、誰もいません。仕方なく、時計売り場に戻ると、「じゃあ、あっちのレジへ行け」と別の売り場のレジを指します。そこで並んで、ようやく私の番になると「これは時計売り場だから、あっちへ行け」と元の場所を指します。

またまた始まったモンゴルお得意の無責任の押し付け合いです。私は怒る気にもなれずに、買うのを止めようと思いました。

元々はクリーニング屋に来たのを思い出し、クリーニングを取りに行きました。ですが、帰って来てもまだ会計はいません。結局20分以上はたったでしょうか、やっときました。

ちなみに時刻は午後7時くらいで、デパートが一番混みあっている時間です。この30分間はこの付近の売り上げは全てストップしていたということです。

小売業で、夕刻の大切な時間に30分も売上ゼロでいいのでしょうか?日本であれば、こんな担当者は即刻クビでしょうね。小売業はいかに売り上げロスをなくすかに皆血眼になっているのですから。

私は、いかにも商売っ気がないというか、やる気がないというか、これじゃあ非効率以前の問題だなと思いました。

最終的には、その置時計買ってきました。さすがに中国製は買う気になれず、セイコーにしました。値段?5000円くらいです。日本のホームセンターなら半額程度でありそうな、飾りっ気も何もないベーシックな時計です。

まだまだ消費者よりも売り手優位の市場であることは間違いないです。

(完)






Last updated  2019.05.20 11:57:53
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2019.05.18
「昔の面白いブログシリーズ」の第12回目です。2008年12月16日付けの「素っ気なさは、モンゴルの特徴?」を載せます。これは書いてから10年以上もたちますが、今のモンゴルのサービスレベルは当時と大して変わっていません。

以下、再掲します。

今日は、商売っ気のない話を。商売といっても私ではなく、デパートです。

モンゴルは、お店も食べ物屋さんも多くは大変素っ気ないです。入っても「いらっしゃいませ」とか「こんにちは」って声かけてくれる店は相当教育されているか、高級店です。

普通は、ただジロっと見るだけです。まあ、客を見ればまだいい方で、見る気もない店も結構あります。

食堂などでも、店員の案内があるまで入口で待っていると、ずっと立ちっぱなしというのがよくあります。後から入ってきた人が、どかどかと先に入ってしまうのが普通です。メニューをすぐに持ってくる店は、やはりちょっといい店の部類です。

物販の店で何度か経験したのですが「XXXありますか?」と聞いても、あまり対応しようとしません。もちろん英語というのもあるのですが、少しでもわからないとすぐに「ありません」と言います。

それでも、こちらからもっと説明してどこにあるのか聞くと、何事もなかったかのように「無視」します。これには驚きました。客が目の前で困っていても、何の関心も持たずに無視するのです。話しかけても無視を続けるのです。日本ではまずお目にかかれない光景です。

今日も文房具屋で「封筒はどこですか?」と聞いたのですか、すぐに「ない」と言います。いくらなんでも、文房具屋に封筒がないはずないだろうと、英語で説明するのですが「そういうのはない」と簡単に答えます。

誰かに聞いてみるとか(その店は店員が10人以上いました)そういうことはしません。仕方なく、店内をくまなくうろついてやっと探し当てましたが、それを見てもその店員はなんの反応もしません。

まあそんな光景にも慣れては来ましたが、さすがにモンゴルで一番大きなデパートととなれば、とりあえずは聞くふりはしてくれます。ですが、ここでも以前似たような経験がありました。

友人のBさんのオフィスでプリントアウトしていたら、コピー用紙がなくなりました。仕方なく、私が外に買いに出ました。近所に文房具屋がなく、そのデパートに行くことにしました。コピー用紙を買うだけでデパートに行くのですから、なかなか大変です。

途中、Bさんに電話したときのアドバイスからです。「あると思った店に用紙がなかったんだけど、この辺はどこに売ってるのかな?」と電話すると「じゃあ、もうデパートへ行ってください。あそこなら確実にありますから。」と言われ行きました。

一階のインフォメーションセンターは英語のできるお姉さんが座っています。私が「コピー用紙を買いたいのですが、どこに売ってますか?」と聞くと、問い合わせるでも、探すふりをするでもなく「当店では、コピー用紙は扱っておりません。」とあっけなく言います。

さすがに私も事前にBさんからここにあることを確認していたので、食い下がったのですが、調べるわけでもなく、にべもなく「ここではそういうものは扱っていないのです。」と言います。

私が再度Bさんに電話すると「何言ってるんですか、あるに決まってますよ。そんな受付なんかに聞いたってわかるはずないでしょう。」と言います。私は「???」でした。

デパート一階のインフォメーションセンターってそのためにあるんじゃないの???でも、Bさんは「だって、モンゴルですよ。受付なんて何も知らないんですよ。」と鼻っから信じてないのです。

で、結局携帯片手にBさんから具体的なその売り場への行き方を聞きながら、文房具屋さんに辿り着きました。「あー、あったよ!」と喜んで電話を切りました。

文房具屋さんで「コピー用紙ください。」と言っても通じません。コピーの仕草をするのですが、全然通じません。仕方なく「英語を話せる人いますか?」と聞くと「ああ、イングリッシュ!」と言われて連れていかれたのが、「英語学習の教材コーナー」でした!!??

結局は、そのやりとりを聞いていた英語のできるモンゴル人がいて、通訳してもらったら簡単に見つかりました。一体、あの受付はなんであんな自信満々に「このデパートではコピー用紙は扱っていません。」とちゃんと英語で話したのか、不思議です。

(続く)






Last updated  2019.05.19 10:48:25
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2019.04.28
「昔の面白いブログシリーズ」の第11回目です。引き続き、2010年9月23日付けの「ウランバートル、タクシー事情。(2)」を載せます。

以下、再掲します。

先日、日本留学組のモンゴル人のTさんと約束していたら「すいません、待ち合わせの時間にいけません」と携帯にメッセージが入りました。

結局、待ち合わせ時間の3時間後に会えたのですが、その理由を聞くと、タクシーに乗っていて、事故に巻き込まれたというのです。

彼の乗っていたタクシーが、交差点で対向車とぶつかり、彼はそのまま病院に行ったそうです。私と会った時には、足を引きずっていました。

「モンゴルのリスクというものを、初めて実感しました。やっぱり日本よりは怖いですね。」と、日本から戻ってからまだ半年のTさんは言ってました。

私は普段は自分の車を運転していますから、タクシーを使うことは少ないです。が、飲みに行く時は、タクシーで行きます。

昨日もそうでした。アパートの前でタクシーを拾って、待ち合わせ場所に向かいました。

前の車が青信号でも動かなかったので、かなり興奮して警笛を鳴らした後、赤信号(?)だったかどうかは知りませんが、勢いよく飛び出して右折すると、そこには警察官が待っていました。

運転手は降りて、警察官と話しています。「こりゃあ、時間がかかるな」と見切りをつけて、私はさっさと降りました。

もちろん、「すいません、ここまでの料金はおいくらですか?」なんてことを言う気にもなれません。なんせ荒っぽい運転でしたから。そして、別なタクシーを止めて、目的地へ向かいました。

実際、ルール違反やり放題のタクシーが多いので、警察官に止められているタクシーはよく見ます。

で、飲んで良い気分で帰ることになり、またタクシーを拾いました。ですが、このタクシー元気がありません。

随分低速走行です。見ると、燃料計はゼロを指しています。ガソリンが無くなるのを恐れているのでしょうか?

案の定、アパートまであと50メートルという交差点で、ついにストップしました。エンジンもかからず、動かないのです。

私はここまで来れたんだからと、料金を払って降りました。が、その交差点では、当然のごとくその車に対して警笛が鳴り響いてます。なんせ、交差点の真ん中でしたから。

タクシードライバーは、ほとんど現金を持っていません。ちょっと大きいお金を出すと、必ず全部取られます。お釣りは期待できません。

彼らも、少しでもお金を稼いだら、ガソリンスタンドへ行って10000トゥグルグ分(7リットルくらい?)のガソリンを入れて、また営業に出かけるのです。

モンゴルのタクシーの良いところ、それは安さです。日本人にとってはもちろん安いですが、地元の人にとっても安い交通機関なのです。しかも白タクの方が、政府の決めた料金をちゃんと守っています。

悪いところは、正規のタクシーがインチキということです。あとは、壊れる、ガス欠、警察に止められる、などの確率が、日本で考えられる確率の100倍以上はあるということでしょう。

ちなみに、日本にいた時は、私は仕事上かなりタクシーに乗る機会が多かった方ですが、これらの問題は当たり前ですが、一度もありません。

これからのタクシー事情が、今後のモンゴルの経済発展に伴って、どう変わっていくのか興味があります。

香港のように、昔は「信じられないくらい安かった」タクシーが、あっと言う間に先進国並みになってしまうのでしょうか?

(完)






Last updated  2019.05.02 17:22:16
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