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田崎正巳のモンゴル徒然日記

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モンゴル2008

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島田隆の天職相談室 しまりゅう52さん

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モンゴル2008@ Re[4]:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) 七詩さん、ありがとうございます。今の中…
七詩@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) 社会主義体制下のモンゴルではジンギスカ…
モンゴル2008@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) じょんたのおばあちゃんさん、ありがとう…
じょんたのおばあちゃん@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) 追伸です。 Facebookに私の自分の言葉で訴…
じょんたのおばあちゃん@ Re:ジンギス・カン料理の名前は変えられるのか?(08/16) おはようございます。 確かに「ジンギスカ…

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日本滞在(一時帰国)

2010.09.10
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東京の自宅の郵便受けに、母校の大学から基金のお願い郵便が来ていました。

これは多分どの大学でもあることでしょう。創立135周年とありますが、130年でも140年でもいつだってOBからの寄付金は欲しいのです。

もちろん、名目はいろいろあります。研究の充実とかカリキュラムの改善などです。その中で、留学生支援なども含まれています。

その資料の中に、2009年10月1日現在の留学生数というのが掲載されていました。

一橋大学はそもそも各学年の定員が全学部合わせても1000人にも満たない小規模大学ですが、留学生は積極的に受け入れてきたようです。現在は、総在籍学生数の約1割が留学生のようです。

その留学生数は632人とあります。そのほとんどがアジアからの留学生です。

私がモンゴルに行く前にモンゴル語を教えてくれたモンゴル人のAさん、いつもこのブログに登場するBさん、同じくモンゴルで投資などを仕事をしているEさんら、確かにモンゴルから一橋大学への留学生は多いようですが、全員国費留学です。

文部科学省の国費留学制度は、お金がない国の学生でも、学費、生活費全て日本国政府が払うのです。

その分、試験は競争がものすごく厳しく、モンゴル国内のみならず、アジアの学生らと競争しなくてはならないと聞きました。

その国別内訳が載っていたました。

1位中国198人、2位韓国159人とこの2国で過半を占めます。3位は台湾の33人ですが、4位になんとモンゴルの26人が入っています。

続くのは、5位タイ25人、6位ベトナム18人などとなっています。あとは、アメリカ、インドネシア、ウズベキスタン、ドイツ、フィリピンと続いています。

世界中にたくさんの国があるのに、モンゴル人留学生が4位というのはすごいです。中国は人口がケタ違いですし、韓国も多いし。

というわけで、割り算してみました。国の人口100万人当たりの一橋大学への留学生数です。

対象がたった一つの大学、しかもマイナーな小規模校なので、データとしてはほとんど意味ないですが、とにかくやってみました。

すると・・・アメリカやドイツを除いてアジアに絞ると、留学生数トップ9カ国の結果は?

第9位はインドネシアで、人口100万人当たり一橋大学への昨年10月時点での留学生数は、0.05人です。つまり1億人当たり5人ということです。

第8位はフィリピンの0.1人。つまり1千万人当たり1人ということ。

第7位は中国で、人口100万人当たり0.15人、第6位ベトナム0.2人、第5位タイ0.38人、第4位ウズベキスタン0.44人と続きます。

そしてこれより多いトップ3は、人口100万人当たり1人を超すのです。

第3位は台湾の1.43人、第2位は韓国の3.3人となります。そうです、第1位はもちろんモンゴルです。

その数字は、人口100万人当たりの一橋大学への留学生数はなんと9.7人とダントツ1位なのです!韓国の3倍、中国の65倍近いのです。


「だから何?」という声が聞こえてきそうですが、もちろんなんにもありません。ただ「モンゴル凄いねー」しかありません。

モンゴルのような人口小国にとっては、絶対数のランキングではいかなる切り口でも、世界上位には行けません。

ですが、割り算なら、人口比でなら、場合によってはこうした特徴が出てくるのです。東大ではどうなのか?早稲田ではどうなのか?全く想像もつきませんが、多分、早慶は少ないでしょう。

詳細の仕組みは知りませんが、文部科学省の国費留学制度は国立大学がメインなような気がしています。一部に例外はあるのでしょうけど。

多分、こんなマイナーな統計でもない限り、モンゴルが日本でNO1というデータは、そうは存在しないでしょうが、なんでも構いません、とりあえず1番なんですから。







Last updated  2010.09.12 13:32:34
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2010.09.09
モンゴル在住の皆さま、あの「BBQ」が日本にもありました!もしかして、一部の方はもうご存知かもしれませんが、私は知りませんでした。

飲み会に行くので赤坂を歩いていたら、あのお馴染のマークの店があったのです。



BBQ



懐かしい(?)BBQのマークでした。店舗はウランバートルよりもはるかに小さかったです。

調べてみると、2009年9月に渋谷でオープンしたのを皮切りに、今では赤坂、五反野、世田谷などにあるようです。日本上陸後、ちょうど1年ということです。

ウランバートルには私の知る限りでは、チキンの店は2店舗あります。

3・4地区の方は結構歴史がありそうな外観(要は古い)ですが、メトロモールの近く方の店は立派なファミレスのような店で、かなり目立ちます。





日本の皆さま、いきなり「BBQ」なんて言われてもわからないことと思います。

食生活事情が厳しいモンゴルには、ファーストフード店もインターナショナルな店はほとんどありません。マックもない、ケンタもない、ましてやスタバもありません。


もちろん、それっぽいローカルなハンバーガーショップやコーヒーショップはあります。で、チキンとなるとこのBBQが有名なのです。

味はケンタッキーには負けますが、「ウランバートルで」と考えると、納得のいく味です。

日本語のHPを見ると、3 つの基本価値‐「商品品質」「サービス品質」「店舗品質」を掲げています。が、当然ですが、モンゴルでは簡単には実現できません。

特にサービス品質は、無理な話です。呼んでも来ない店員、愛想のない店員、客をそっちのけで、携帯やおしゃべりに熱中している店員がほとんどです。


確か値段は1人前700円から1000円程度ですから、モンゴルでは「お手軽ファーストフード」ではなく、「ちょっとご馳走」って感じです。

BBQが韓国資本というのは有名で、ブランドは結構浸透しています。そのためか、このBBQブランドのしゃぶしゃぶ屋もできました。

確か、BBQしゃぶしゃぶは13地区の方だったと思います。(サンデープラザの近く?)



更にはなんとBBQブランドの化粧品まで登場しています。

フライドチキンの化粧品って、私には理解できませんが、せっかく有名なブランドはなんでも使っちゃえということなのでしょう。




モンゴルで馴染みになったブランドを東京で見るとは、ちょっと感慨深いです。この韓国発の「BBQチキン」はなんと世界55カ国に3750店舗を有するそうです。

そういうグローバルチェーンで、しかもお隣韓国発なのに、モンゴルの方が日本より先にできたのは驚きです。


ここが新興国やニッチ狙いの韓国らしいところです。ヒュンダイやサムソンもかつては「先進国よりも途上国でしか売れない安物」と見られていた時期がありましたが、今や堂々の世界ブランドです。

この両ブランドは、多分世界の主要国の中で日本のみが「売れていないブランド」となっているのでしょう。


BBQの日本の店での味はわかりませんが、もしウランバートルと同じままだとしたら、さすがに日本で人気を得るのは難しいでしょう。

が、品質を含め日本に来るからにはかなり向上しているものと思います。

次回の来日の際には、食べてみようと思います。モンゴルで馴染んだ韓国ブランドが、どんなふうに日本で成長していくのか、ちょっと楽しみです。もちろん、応援モードです。









Last updated  2010.09.10 10:54:04
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2010.09.07
仕方なく、翌日土曜日に電話してみました。さすがにコールセンターほどいい加減な対応ではありません。

支店の人は「目に見える存在」なので「目に見えない存在」であるコールセンターの人よりはずっと丁寧な対応をしてくれます。

ですが、「土曜日なので予約の確認はできません」と言い、更には「1週間で発券できるかどうかわかりません。」とまで言います。

私が「お金とかパスポートのことなら、今すぐにでもそちらへ参りますから大丈夫ですよ。」と言うのですが、どうもそうではなさそうです。



HISから見ても、モンゴル航空だけはどうにも扱いづらい航空会社のようです。

確か以前にも有楽町支店の人から「マイレージもないし、どこの航空会社とも提携してないし、価格は高いし、予約システムも扱いにくいし・・・世界中たくさんの航空会社の切符を扱ってきましたが、正直言ってこんな航空会社はMIAT以外知りませんね。」とまで言われたこともあります。


電話に出た人は「是非、当飯田橋支店からご購入いただきたいのですが、仕入れ担当に聞いてもモンゴル航空は発券できるかどうかもわからないというのです。申し訳ありません。」と謝っていました。

私は「発券?だって印刷するだけでしょ?印刷に1週間もかかるの?」と聞くと「モンゴル航空はどうも普通の航空会社さんとは違うようなのです。・・・」としどろもどろです。


私は1週間後のチケット買いたいだけなのですが、「たった1週間」では難しいとのことでした。

不思議なのは「席は空いてます。それは大丈夫です。」というのです。つまり空席確認で手間を取るのではなく、まさに発券で1週間以上かかるというのです。


これ以上言っても、できないものはできないのでしょう。私は、なんとなく利権制度かな?と思いました。


モンゴル航空は、日本の大手旅行会社には直代理店として認めず、身内(知り合い)などにのみ発券機能を与えて、そこを通させることで利益を落とすということです。そういう前提でネットを見てみると・・・

都内や大阪にいくつか「モンゴル航空代理店」を名乗る聞いたことがない旅行代理店があります。

それらの会社概要を見ると「代表者」がモンゴル人の名前になっているのです。やっぱりそうなんでしょう。名前だけ貸しているのも多そうです。


大手のJTBやモンゴルに熱心なHISさえ代理店とは認めず、自社の息のかかった人だけに発券機能を与えて、そこに利権を落とす仕組みにしているのでしょう。

その利益の一部が・・・どこへ行くのかはわかりませんが。


うーん、いかにもモンゴル人なら考えそうなことです。彼らにとっては、日本のお客さんの利便性はもちろんどうでもいいのです。

日本からもっと旅行客を増やしたく、今年からビザなし観光が可能になりましたが、そんな国の政策とは無関係に、日本人には不便を強いてでも利権作りの方が重要なのです。


ただ、ほとんどの日本人観光客はパックツアーで行くので、そういう企画品はHISでも簡単に発券できるのではないかと思いました。

個人が半年オープンのチケットを買うとなると、値段は5割以上も跳ね上がり、買える場所も限定されてしまうということなのです。

今どき、アジア方面でエコノミーチケットが15万円もする国なんてあるんでしょうか?パリでもNYでも行けそうです。


結局、月曜日になっていくつかあるうちの在京代理店の一つに電話してみました。結果は?なんともあっさり、簡単でした。

HISのコールセンターや飯田橋支店の対応とは全く違います。「調べてから折り返します」とか「空席はありますが、予約はできません」とか「発券には1週間以上かかります」などという返事は全くなかったです。

ごく普通に対応し、電話して1時間半後には自宅にいたままチケットを手にできました。やはりこれは明らかに「大手代理店経由を超不便にし、できるだけ無名の利権代理店に集めるための方策」ではないかと思いました。


月曜日の午後、心配したHIS飯田橋支店の担当者が電話してきました。私はてっきり「なんとか今週中に間に合いますので、チケットをお求めください」という催促かと思っていたら、答えは全然違ってました。



「やはりHISでは今週中に発券はできないとのことです。残念ですが、日程を変更するか、他社でお求めください。」というものでした。


海外渡航経験のある多くのモンゴル人が、必ず言うことがあります。「早く、MIATを民営化して、まともな航空会社にして欲しい!」

全くその通りです。

「完」






Last updated  2010.09.09 11:43:56
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2010.09.06
先月下旬に日本に来てから、ずっと暑い日が続いています。ウランバートルからの便りでは、もうあっちはすっかり秋で、朝晩は寒いくらいのようです。

私もそろそろ帰らねばなりません。これ以上日本に滞在したら、体重がどこまで増えるかわかりません。何を食べても美味しいものですから。


過去の日本帰りでは、ほとんど航空券はモンゴル発での往復券をモンゴルで買ってました。ですが、今回は日本で日本発を買う必要があります。

モンゴルと日本(東京)でのチケットの違いは?まずは価格が違います。

同じ条件のチケットでも、東京で買う方が大体30-40%は高いです。これは市場価格が日本の方が高いというより、もともとモンゴル航空が日本発の方を高く設定しているのではないかと思います。

国内線も、外国人向けを意図的に高く設定してますから、日本発を高くするのも十分あり得るでしょう。


価格はまあ仕方ないですが、問題は買いやすさです。ウランバートルでなら、たくさんあるチケット代理店に行けば、その場で予約確認もでき、急ぎであればその場で発券、購入もできます。もちろん、クレジットカードでも買えます。


しかるに、東京では・・・


初めてモンゴルに行った8年前には、モンゴル人の友人のBさんに新宿にある「アジア専門」の旅行会社のモンゴル人スタッフを紹介してもらい、比較的簡単に買うことができました。

ですが、その旅行会社は、大手に吸収され今はもうありません。

定番の大手であるJTBなどは、そもそもモンゴル行きの切符など扱ってないようで、問い合わせても「買えるかどうかわかりません」というやる気のない返事をします。

大手の中でもっともモンゴルに積極的なのがHISです。以前(2-3年前)のHISは良かったです。

私は有楽町支店で購入してました。スタッフもモンゴル行きに慣れているとまでは言いませんが、モンゴル航空などのことも理解はしていました。

それでもクレジットカードは使えないというものでした。10万円以上もする買い物で、しかもITを駆使して経営しているのに、クレジットカードが使えないとは驚きです。



ですが、昨年あたりから、なんだかおかしくなりました。


買いに行っても「予約が取れるかどうかわからない」「発券がいつになるかわからない」という場合ができてきました。

更に「発券手数料」なる名目で数千円徴収するようになったのです。どうもモンゴル航空からのHISの位置づけが変わったようです。

恐らく以前は「直代理店」、つまりモンゴル航空から直接チケットを買えたのですが、ある時点でそれを解除されたらしく、自社で発券できなくなったようなのです。

しかも、直代理店がどこかはわかりませんが、そういうところのHISへの対応が鈍いというか、やる気がないようなのです。

HISはウランバートルにも支店を持っているほどで、しかもHIS会長の澤田さんはモンゴルの大手銀行であるハーンバンクの会長もしているので、他の旅行会社よりも圧倒的にモンゴルを重視しているはずです。

でも、モンゴル航空に関しては、残念ながらかなり退歩してきたようです。


とはいえ、今回もHISで買おうと考えていました。ですが、HIS有楽町支店が無くなってしまったのです。

担当者もどこに行ったのか、もちろんわかりません。仕方なくHP見て、コールセンターに電話しました。

ですが、これがなんともやる気のない対応で「これじゃあ、まるでモンゴルの会社みたいだ」と思ってしまうほどでした。

「予約できるかどうかわかりません」「そもそも発券できるかどうかわかりません」「6か月オープンのチケットは、返答に数日かかるかもしれません」とか言うのです。


有楽町支店でも、そこまではひどくなかったです。で、最終的には「支店に直接行って聞いて下さい」とまで言われました。

これでは一体、なんのためのコールセンターなのかわかりません。で、自宅に近いHISを調べてみると、飯田橋にありました。

早速電話してみると、営業終了ですとの録音テープが。まだ午後6時半なのに!


「続く」






Last updated  2010.09.08 09:10:51
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2010.09.04
伯母の家の裏手に「黒木御所」というのがあります。




kuro1




これは順徳天皇の墓とされています。佐渡は確かに流人の島ではありますが、京の都からは貴族や文化人らがたくさん流されてきました。

その中には、天皇もいたのです。その順徳天皇が滞在した場所として、この御所が残されています。


島内には、こことは別に真野御陵というのがありますから、本当の墓がどっちなのかは私は知りませんが、私の祖母は昔からこの黒木御所を守ってきました。

守って来たというのは、私財を投げうって守って来たということです。




kuro2





御所の献灯にも祖母の名が刻まれています。長年、天皇の墓を守って来たからでしょうか、祖母の晩年に右翼の大物(笹川なにがし)から帝国ホテルに呼ばれ表彰されていました。


天皇以外にも、日蓮宗の日蓮聖人や能の大成者である世阿弥などが佐渡に流され、佐渡の文化に大きな影響を与えてきました。

ですので、佐渡文化の基本は「上方文化」であり、越後とはほとんど縁のない文化になっているのです。



母方の実家は、いかにも田舎という場所ですが、父方の実家は佐渡としては「街中」にありました。




kawaharada




今ではすっかり落ちぶれてしまった商店街ですが、昔はもちろんもっと活気がありました。私もこれらの商店主の家に遊びに行ったものです。

行ってみると、ここもやはり老人ばかりの街になっていました。でも、近所のおじいさんらに声をかけると、快く話してくれました。



でも、こうした自分のルーツというか、田舎とのつながりは近々途絶えてしまうのだろうと思います。

私らの代は、かろうじて佐渡での思い出がたくさんありますが、その次の世代にとっては、「幼い頃に一度だけ連れて行ってもらったことがある」という程度のようです。

自分のルーツが佐渡だというアイデンティティはほとんどないのです。




私の祖父は8人兄弟の末っ子で、婿養子でした。その祖父の実家方面にも行ってみました。


その中で、有名な街があります。宿根木(しゅくねぎ)というのですが、江戸時代は廻船業で栄えたところで、巨大な千石船が往来していたそうです。




shu1




これは観光用に柵を作ったのではなく、元々海岸近くにできた集落なので、風よけにこうした防風柵があるのです。







小さな海岸沿いの敷地に、寄り添うように100棟ほどの民家が密集しています。





shuuraku





この写真で見える家が全てです。








ですので、中は狭い通路だけしかありません。





shu2




両手を広げると、家の壁に届く狭さです。











これはまるで船のような家です。






fune





船大工が作った家なので、狭い敷地でも船を作るように建てたのだそうです。






この狭い敷地では無理ですが、ちょっと丘を上がったところには田んぼがありました。






kome





ここも狭い敷地を目一杯使って、稲作をしていました。黄金に輝くイネは本当に美しいです。



新潟は「魚沼産コシヒカリ」で有名ですが、佐渡産も負けてはいません。私も子供のころから佐渡のコメの美味しさは実感していました。

今では新潟コシヒカリとは別ブランド「佐渡コシヒカリ」が認められ、東京のコメ市場でも、魚沼産に次ぐ全国第二位の高値で取引されています。




短い佐渡滞在でしたが、自分のルーツに触れることができ、とても楽しい帰郷となりました。

当然ですが、佐渡前のうまい寿司、新潟のへぎ蕎麦とは全く違う美味しい生蕎麦(きそば)は、堪能しました。

また来ます。

「完」







Last updated  2010.09.07 01:34:56
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2010.09.03
佐渡訪問は、10数年ぶりです。

佐渡は私の両親が出身ということで、幼いころから中学生くらいまでは毎年夏休みの1カ月を、祖父母の家で過ごしていました。

また、私がこの世に出生したのも、佐渡総合病院というこの島の病院です。

私が生まれた時から両親は新潟市にいたので、私が育った場所は新潟市なのですが、子供の頃に海、山、川などに慣れ親しんだ佐渡の風景こそが私にとっての「ふるさとの風景」なのです。

「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・♪♪」という父が好きだった歌にある日本の原風景そのもののようでした。


ですが、時を経るとともに、佐渡へ渡る回数は減り、特にここ10年は全くのご無沙汰でした。

今年になって、佐渡の伯父が亡くなったこともあり、今回日本に帰る時から「今年は佐渡に帰るぞ!」と決めていました。




佐渡の位置づけは、時代とともに微妙に変わっています。私の子供の頃は、佐渡は「日本一の島」でした。

教科書的にも「本州など4島を除く日本最大の島」となっていました。ですが、沖縄返還後は、日本第二位の島になりました。

更に、今佐渡を調べると、日本第四位になっています。いつのまにか北方4島のうち、国後島と択捉島が入っているのです。

沖縄も北方4島も日本であることには異論はありませんが、「日本一」で育った私には、なんとなく寂しいものがあります。



佐渡について語る場合、佐渡を全く知らない人には「あなたが思っているより、ずっと大きいです。」と言います。

離島には違いないですが、離島と聞けばだれもが小島と思うでしょう。

子供の頃友達に「佐渡で野球ができるのか?」と聞かれたことがあります。ホームランを打ったら、球が海に入ってしまうのではないかということです。

これは極端にしても、離島イコール寂れた小島と思うのは、一般的な反応でしょう。

離島というと、小さな村や町があって、中学校までしか学校がなく・・・なんてイメージの人もいると思います。

2004年の平成の大合併で「佐渡市」というなんとも奇妙な市に統合されましたが、それまでの佐渡は1市、7町、2村の10市町村からなっていました。

明治維新の廃藩置県の時には、佐渡は新潟県から独立していただけでなく、なんと2県から成り立っていました。

つまり今の新潟県は3つの県が合併したもので、そのうちの2つが佐渡だったのです。



中学を終えると、本土の高校に・・・というのは全くなく、島の中に県立高校が7校あります。

今は一つの市になってしまいましたが、一つの市の中に県立高校が7つもあるのは、地方の中核都市レベル並といえるかもしれません。

面積は東京23区の1.4倍ですから、さすがにホームランで球が海に出てしまうこともなければ、島の一周を「お散歩で」というわけにはいきません。

人口は、私の子供の頃は「10万人」と言われていましたが、実際にはそれよりは少なかったでしょう。今では6万3千人にまで減少しています。



久しぶりに、母方の実家を訪ねてみました。




izumi1




蔵やら、車置き場やら、必要なものは空いてる土地にどんどん建て増しするので、今となっては無駄に大きいだけの家です。

4月に旦那さんを亡くした伯母さんは「家が大き過ぎるのは、お金がかかっていいことは何もない!」と言ってました。

確かに築100年も超え、建坪100坪どころではない家は、家を維持するだけでも大変なお金がかかるのだそうです。

去年の屋根や壁の修理、もろもろの設備更新などで、「新しい家一軒分近く」かかったそうです。





道路側は、昔の店です。



izumi2




5-6年前まで店をやっていましたが、もう止めたそうです。

私が子供の頃は、お酒、食品、日用品から文房具、更にはテレビなどの電気製品や呉服に背広まで売っていた、まさに「何でも屋」でした。

が、島外からのスーパーなどの進出で、徐々に営業品目を減らし、とうとう全て止めてしまったというわけです。




何より嬉しかったのは、伯母さんが元気だったことです。もう85歳になるというのに、頭は昔のままです。

最初は「年寄りだから、なんとなく簡単な話し方で・・・」なんて、今の世の中に疎い「おばあちゃん」と話すような感じで話しましたが、とんでもないです。


話は明晰、最近のこともよく知っているし、昔のことも記憶力抜群。そして何と言っても、話していて楽しい、面白いのです。年寄りと話すから気を使う、という必要が全くないのです。


もちろん、この「本家」の伯母さんと二人っきりで話したのは、初めてのことでした。最初は、仏壇にお参りして、ちょっと挨拶だけして帰ろうと思っていましたが、あっと言う間に2時間も話し込んでしまいました。

話していて嬉しいのは、本物の「佐渡弁」が聞けることです。私は新潟市育ちなので、佐渡弁はネイティブではありませんが、佐渡弁は好きです。

新潟市は東日本の言葉ですが、佐渡は西日本の言葉が基本なので、全く違います。

そろそろ帰ろうとすると、近所の奥さんが遊びに来ました。そしてまた延々と話すのです。私に気を使うことなく、地元話に花を咲かせていました。

私は「これぞまさに本物の佐渡弁」と聞き入っていました。幼い日の記憶を刺激して、とても心地いいのです。

「あんたらは若いからいいけど・・・」という相手は、70代です。70代はまだ若いのが佐渡です。

それくらい高齢化が進んでいます。確かに、見かけるのはほとんど老人と言ってもいいでしょう。

結局、3時間もいました。その晩の宿はまだ決めていませんでしたが、街へ出れば泊まるところはいくらでもあります。



「続く」










Last updated  2010.09.06 18:02:06
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2010.09.01
8月下旬から日本に一時帰国しています。

昼間は暑くても、朝晩はかなり涼しくなっているウランバートルとは違い、東京は連日の猛暑です。帰国すると、近所を散歩することが多いのですが、とてもそんな気にはなれません。

およそ半年ぶりの帰国です。いつものように友人らと会ったり、関係している会社の取締役会に出たりして過ごしています。

今回は、それらに加えて「帰郷」を目的にしていました。とはいえ、モンゴルに来てからも、正月は実家のある新潟市に帰っていました。

ですがこの半年で、伯父や伯母が他界したこともあり、今回は佐渡も含めて帰郷することにしたのです。







ここでは、新潟市やその近郊でのちょっとした「観光風景」をご紹介します。




新潟県北部にある村上市が鮭で有名なのは知っていましたが、こんなに古いお店があるとは知りませんでした。




kikkawa




創業は江戸時代の寛永年間で、味噌醤油づくりを経て江戸の後半から造り酒屋を行い、戦後、鮭の製品造りを始めたという「喜っ川」というお店です。

鮭製品を作るということ自体は、昔からの村上での伝統料理だそうです。






店内、奥に行くと無数の鮭が天井から吊り下げられています。




shake1





三面川(みおもてがわ)の鮭は有名ですが、こんな風に加工されているとは知りませんでした。








鮭は「顔が命?」かどうかは知りませんが、顔はそれぞれ違います。






shake2





これはまさにドラゴンです。








1年もかけて干すのだそうです。干すことで保存食になり、うまみも増すのでしょう。




namashake




写真中央右にあるのは、まだ生の鮭です。これが1年かけて締まって行くのです。








さすがに古いお店です。戦時中の面影もあります。




kuushuukeihou




こんなのが壁にかけられてました。多分、これを見てすぐに意味がわかる人は・・・40代以上の方ではないでしょうか?









モンゴル・ゴビの朝日や夕陽は東も西も地平線から見えます。ですが日本では水平線となると、朝日は太平洋側、夕陽は日本海側となります。


新潟の夕陽は、モンゴルにも負けません。





yuuhi1





日本海に沈もうとしている太陽です。夕陽の下に見える陸地は、佐渡です。日本海と佐渡ヶ島に沈む夕陽は、新潟市の人にとっては「定番」のふるさとの風景です。

私にとっても、ふるさと佐渡が見えるこの景色は特別です。






昼間、南の空の軌道に乗っている時は、あまり気づきませんが、日が沈む時の太陽は、かなりのスピードで動いています。





yuuhi2





カメラを構えていると、あっと言う間に水平線に到達します。







そしてついに「点」になりました。





yuuhi3





この写真の数秒後に完全に沈んでしまいました。






新潟と言えば、お米やお酒、そしてお寿司が有名です。もちろんどれも最高です。


ですが、麺類も人気があります。



fukuraitei




これは「洋食器の街」で有名な、燕市にある「福来亭」というお店のラーメンです。麺に乗っているのは、長ネギではなく玉ねぎのみじん切りです。

あっさり系が多い新潟市のラーメンと違って、太麺でこってりです。


東京でいえば、昔人気のあった「環七ラーメン」に似ています。もちろん、歴史は燕の方が古いです。ラーメン好きの方には「背脂チャッチャ系」と言えば、ピンと来るでしょう。






もう一つが蕎麦です。





soba




これは私が蕎麦好きとなった原点の店である小千谷市「わたや」のへぎ蕎麦です。


もちろん、美味しいです。でも、残念ながら随分変わってしまいました。私の舌が「贅沢になったから」というのではありません。



へぎ蕎麦は、新潟県の名産で、十日町や小千谷はもちろん、いろんなところで名店と言われるお店があります。学生の頃から、そのほとんどを食べていました。

どこも美味しかったのですが、やはりこの「わたや」だけはぶっちぎりで美味しかったのです。具体的には、締め方が違っており、コシと冷え方が他店とは全然違いました。


ですが、代替わりをしたり、小千谷市内に大型店舗を出店したからというわけではないのかもしれませんけど、今では小嶋屋でも須坂屋でも角屋でも、もう変わりありません。

10年程前から気づいてはいましたが、残念ながら今回も前と同じことを感じました。

車で帰郷の度に、小千谷で高速道路を降りていましたが、もうその必要はないかもしれません。

新潟市内で食べられるお蕎麦と変わりませんから。もちろん、美味しいのです。ただ、特別ではなくなったということです。




中学時代の同級生らと会って、とても楽しい時間を過ごせた新潟でした。








Last updated  2010.09.05 12:04:19
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2010.03.08
今日8日月曜日にモンゴルへ戻ります。

昨日は大阪日帰りでしたが、10年ぶりの再会を楽しんできました。

今回の短い滞在で感じたのは、日本がどんどんつまらない国になって行っているような気がするということです。

投資家と会っても、経営者と会っても、中小企業の社長も、若いビジネスパーソンも皆なんとなく不安を抱えているように見えました。

おかしな言い方ですが、嫉妬の対象すらないような、うまい話、面白い話もないようです。

特に、これから社会人になろうという人たちには、最初のチャンスさえ与えられるかどうかという状況です。

もちろん、日本の良さは今も健在です。なんやかんや言っても、まだまだ安全な国ですし、交通秩序も保たれています。食べ物に至っては、ミシュランもびっくりのように水準が高いです。

ですが、こういう日本の良さは、既に安定的な生活に入った昭和生まれの大人たちには魅力的ですが、チャレンジの場がどんどん消えて行っている中での若い人たちにどれほど魅力的かとやや疑問に思います。

バブル前後で、バブル前に管理職になったような人たち(多くは現在の幹部層)とその波には乗れなかった層との間で、世代間の違いを感じたことがありますが、今後はもっと深刻な差が生まれ、社会的な対立軸にもなりうるのではないかとも思います。

生まれてから、一度も経済成長を経験しないまま成人した日本人は、明治以来過去100余年の歴史を見ても、いないのではないでしょうか?そういう世代の世界観は、私たちとは決定的に違うような気がしました。

モンゴルには、日本に当たり前にあるものは、ほとんど何もありませんが、日本に欠けているものはまだまだあります。

ビザ問題は一体どうなるのか?私も当事者でありながら、客観的な一人の観客のようにこの結果を見守って行こうと思います。

東京も思ったよりは寒いですが、ウランバートルの昼間の「最高気温」はマイナス17度だそうです。やっぱり遠い異国であることは間違いありません。

これから成田です。






Last updated  2010.03.08 13:29:13
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2010.01.08
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

またしてもビザ問題で終わった昨年末でした。結局、根本的な解決はなく、「入国ビザ」という入国だけのビザをもって今日モンゴルに戻ることになりました。

大学側の対応は、「日本で普通に考えられる」態度や状況では全くなく、ひどいものです。

今までも何度も感じてきたことですが、多くのモンゴル人は自分たちのミスを直視せず、子供でも言わないような言い訳や責任転嫁、更には無視(店の店員などもそうですが、結構これが多い)などで対応しようとしますが、今回も責任ある人たちもほぼ全員がこんな感じでした。

どこからこういう習慣というか認識が生まれてきたのか不思議なほどです。個人レベルの問題であれば、どこの国でもある話でしょうが、モンゴルの場合は明らかに国レベルというか、国民レベルでしょう。

が、友人のBさんがいろいろサポートしてくれるということで、戻ることにしました。まだやりかけたことや、途中の仕事もありますし。

日本での滞在は、20日間近くにのぼり、今までで一番長い一時帰国でした。おいしいもの(何を食べてもおいしい)をたくさん食べ、友人や旧友らと楽しく語り、いい滞在でした。

ですが、多くの人々から出てきた現状についての話や実際に見える日本が、何やら老大国化しているのがわかるような気もしました。

何事もきれいでスムースに行く生活レベルと、ほとんど刺激のない生活や経済の中で、ゆったりと時間が流れているようです。

これは私が初めてヨーロッパへ行った時の先進国と呼ばれていた老大国に近い姿なのかな、と思いました。

ですが、このまま落ち組んでいくシナリオもあるでしょうが、いくつかのヨーロッパの国々のように、再び成長軌道に乗せるシナリオもあるでしょう。

モンゴルは正反対で、やることなすこと、ひどい話ばかりですが、成長に向かっている実感はあります。国も生活も毎日エキサイティングです。

今後、このとんでもない国と私はどう付き合っていくのか、まだわかりませんが、必要としてくれる人がいる現実がある限りは、前向きに進もうと思っています。

無事に極寒のウランバートルにたどりつけるといいのですが。






Last updated  2010.01.08 08:27:15
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2009.08.23
今回の衆議院議員選挙、23日日曜日に行ってきました。

以前、このブログで書いたとおり、モンゴルにて「在外選挙人名簿登録」というのを済ませてあったので、いよいよ外国での投票という初体験をすることになりました。こういう制度は、選挙権を大切にするという意味でいい制度だと思います。

私はてっきり、日本と同じ8月30日にするものだと思っていました。ですが、在モンゴル日本大使館からの連絡を見ると、それより早く、24日までに済ませないといけないのです。私は「え!困った」と思いました。

8月中に1度日本へ帰国する用事があるかもしれないとは思っていましたが、急遽日本行きが決まったのです。

その日程では、モンゴルでの投票可能期間は日本におり、モンゴルへ帰ると、もう投票期間は終わっている、ということになります。

「つまり私は今回は実質的に選挙権がないのと同じの?」との疑問を在モンゴル日本大使館に伺うと、この「在外選挙人名簿登録票」を日本へ持っていけばできるでしょう、と言われました。

早速、先週日本に帰国するなり、近所の区役所の出張所に出かけました。すると、その登録票を持っていけば、日本で期日前選挙ができるとのことでした。

ですが、場所はこの出張所ではなく、区役所だと言われました。更に「選挙はすぐにでもできますが、裁判官の信任投票は23日からですので、23日から行かれたほうがいいですよ。」とアドバイスを受けました。

というわけで、23日日曜日を待って区役所に出かけました。さすがに日曜日、都心はがらがらで区役所の駐車場も簡単に入れました。案内に従って、投票所へ行きました。

そこで「実は在外なんですが・・・」と説明すると、「はい、大丈夫です。」との返事。私の名前も、まだ区民名簿にありました。ちょっと安心です。

「まず小選挙区をやって、次に比例区を・・・」と説明を受け、私が「裁判官のはどこですか?」と聞くと「すいません、在外の方は裁判官の信任投票権はないんですよ。」と意外な答えが返ってきました。

私が「区役所の出張所で、裁判官向けをやるには、23日からですよと言われてきたのですが・・・」と言うと「すいません、実は区役所の人間でもまだこの在外の取り扱いルールは良くわかってない人が多いんですよ。」と言ってました。

確かに新しい制度だからそうなんでしょう。ただ、なぜ衆議院議員選挙への選挙権はあるのに、裁判官のはないのか、その理由がわかりません。まあ、どっちでもいい話ですが、裁判所が嫌がったんでしょうかね?

とにもかくにも、無事選挙を終えました。今回の選挙は「歴史的な」選挙になるかもしれないので、やはり参加しておきたかったです。

ですが本当は、今後経験できるかどうかわからない、在外での国政選挙に参加してみたかったです。

今回感じたのは、私は東京都の住人ではありますが、選挙人としては在外扱いなのです。なので、東京で投票するのに、在東京の人とは異なるルールが適用されるのだということです。

私のような「在外選挙人なんだけど、このほんの数日間に偶然帰国して、期日前投票をした人」って一体何人いるんだろうと思ってしまいました。

選挙結果は、モンゴルにて来週日曜日夜にネット中継で見ることになりそうです。







Last updated  2009.08.24 13:12:51
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