夜は歓迎会でした。
昨日も、午前中はずっと自宅でケーススタディに関する英文のメモを作り、昼過ぎにそれをBさんのオフィスに行ってプリントアウトし、その後大学へ行ってコピーを取るという面倒な行程を行いました。大学内のプリンターは、試してはみました。私の個人パソコンも、デスクにあるパソコンもプリンターとはつながってないので、USBを使ってトライしました。もちろん、日本語表示は不可能です。英文ならなんとかなるだろうと思ったのですが、そもそもバージョンがあまりにも違うようで、ファイルそのものが開きません。今日はパートタイムクラスです。当初、たったの2人(プラスこのクラスを受講している大学の先生1人)を予定していましたが、結局全部で4人となりました。通訳のS先生も参加してくれました。後から来た生徒は、今までの2回を欠席しておりさすがにいきなりはついてこれません。しかもケースを事前に見てないので、議論参加は無理ですが、せっかく来てくれてるから「なんだか面白そうだな」と思ってもらって、次回以降に来てもらわないといけません。事前にケースを渡していた生徒が、意外なほど予習をしてくれていて、これならこのままやれそうだなと思いました。ただ、この生徒は数少ない「英語を少し理解できる」生徒でしたから、今後はどうでしょうか?来週のフルタイムの授業で、おおよそが見えてくると思います。3時間ほどで終わりました。今回から初参加の生徒に「どうでした?私は来週もあなたがここに来てくれと嬉しいです。」というと「はい、絶対に!」と言ってくれました。やはり、ケース読んでないし、議論に参加できないのが残念だったのでしょう。とはいえ、本当に来るかどうかはわかりません。登録者数に対する出席者は、フルタイムの生徒はほぼ9割の出席ですが、パートタイムはそもそも3分の1以下ですから。やる気だけではなく、仕事との時間調整が難しいのでしょう。社会人相手といいながら、午後2時40分から始めたり、クラスの予定を直前(前日の夜!)に伝えたりするやり方では、なかなか出席できる人は限られてしまうでしょう。授業が終わって、今夜は私の歓迎会です。嬉しいですね。経済学部の中には科というか部門が8つか9つあるらしく、私が所属しているのは「経営」(Management)です。他には、Finance, Accounting, HRM(人的資源管理)、マーケティングなどのお馴染みの科のほかに、マクロ経済とか人口統計・数値経済のようなのがあるようです。今日はその「経営(学科)」の先生とスタッフとの食事会です。「経営」には10人先生がいるそうですが、外国人は私一人です。以前聞いた、アメリカ人とスイス人は多分、他の学科なのでしょう。大学の向いにあるモンゴル料理屋さんで始まりました。2人ほど仕事で来れないと言ってました。皆、とても暖かく迎えてくれました。この部門のリーダーが、私と同部屋のBさんです。女性の先生で、いつも私のことを気にかけてくれます。これはBさんが私に注文してくれた羊の茹で肉です。味付けは塩味です。実はこれはもう「半分食べた後」です。この肉の「高さ」は5センチほどです。異常な大きさでした。後で聞いたら、やっぱり2人まだそうです。それでも、でかい!大そう賑やかな宴が始まり、それぞれが自己紹介してくれました。大きく分けて2つのタイプに分けられます。民主化前と後。もっと言えば、社会主義と資本主義。民主化は92年ですから、生まれた時期では全員民主化前ですが、大学教授としてどの辺で迎えたが一つの転換点になるのでしょう。なんといっても経済学部ですから。この道30年のベテラン教授となると、ほぼ半数が社会主義時代です。しかも学んだ時期は100%社会主義で、ソ連の教育だけですから、その後の対応は大変だったでしょう。社会主義時代は、この部門は「計画部」と言われていたそうです。社会主義においては「Plan」が最も大切なのだったそうです。確かに5カ年計画は良く聞きました。それが、最近の大学の組織替えで「経営」に変わり「計画」を担当していた先生が今は「戦略」を担当するといいます。なるほどねー、でもさすがにいくらなんでも、これは無理がありますね。こういう先生が若い生徒に教えるというのは、ちょっと危ない再生産のような気もしました。私が授業の最初に「戦略ってなんですか?」と聞くと、一番多い答えが「Plan」だったのも、この辺に関係あるのかもしれません。もちろん、こういう先生たちはBCGもATカーニーのことも知りません。そもそも資本主義をどこまで理解しているかも、怪しいかもしれません。でも、とても明るく、気さくでいい人ばかりです。こんな雰囲気でした。他にお客さんが来たのですが、多分うるさかったのでしょう。他の部屋に移動し、事実上貸し切り状態になりました。もう一つの世代が、若い世代です。本当に若い30前後の先生たちは、やはり全然雰囲気は違います。ロシア語より英語ですし、考え方も最初から資本主義をベースにしているように感じます。リーダーのBさんは、多分40代?転換期前に教育を受けたでしょうが、当時まだ新しいことを理解できる若さがあったのでしょう。学部長さんが6月に会った時に言ってた言葉を思い出しました。私が、「社会主義の先生は残っていますか?」と聞くと、笑いながら「はい、たくさんいますよ。中には昔のままの授業をやってる先生もいます。国立大学ですから、首にするということはできません。但し、私が学部長になってからは、そういう昔の人は一切意思決定には関わらせません。」と言いました。昨日のメンバーでも、以前、国の文部大臣をやって教授を始め、リーダーのBさんより年配の先生は3人いました。おそらくこの人たちは、大学運営にはほとんど関与してないでしょう。そして、Bさんより年下の若い世代が4人いましたが、こっちの人たちがいろんな意味でリーダーシップを取っている感じがしました。その中で一番元気のいいベテラン先生が、私にいろんな質問をしてきます。「日本の歌手でピンク・・・というのを知っているか?」と聞きました。私が「ああ、ピンク・レディですね、2人組の」というと「いや、2人じゃない。ああ・・・何て言ったかな?ピンクなんとか・・」しばらく悩んでいて、今度は歌を口ずさみながら、振り付けをします。帽子をかぶってひねる仕草です。私が「あああ、ピンキーとキラーズですね!古いねー。私より若い日本人に聞いても、答えられませんよ。(笑)」と答えました。社会主義時代にこの歌が入ってきたのだそうです。もっと若いSさんによると「私も覚えてます、この歌。私の幼いころに聞きました。」だそうです。こうした歌は直接日本からではなく、ロシアから入って来たそうです。もう一つ、ザ・ピーナッツの歌も彼は覚えていました。なるほど、きっと40年も前のことでしょうが、ソ連も日本の歌謡曲をラジオで流していたのですね。ちょっと不思議な気分です。すると若手講師で、私の授業の生徒でもあるOさんが「では、歌います!」と立ち上がって歌ってくれました。モンゴル語の歌ですが、メロディはカントリー調でとてもスムースに耳に入りました。これはヨーロッパ調ではなくアジア調だなと、なんとなく感じました。するとリーダーのBさんも歌ってくれました。そして、何度も「私たちは、貴方を迎えられて嬉しい」と言ってもらいました。みんな、飾り気ない雰囲気で、とても暖かい言葉で歓迎してくれました。ありがたいことです。今度は皆で田舎に行こう!ということで、お開きとなりました。なかなか楽しい一夜となりました。