新潟高校の先輩、猪口孝さんが亡くなられた。
東大名誉教授の猪口孝さんが亡くなられた。享年80歳。11月27日に文京区の自宅マンションで起きた火災によって焼死したと4日後の新聞に出ていた。猪口さんの報道を最初に知ったのは、11月27日夜のニュースだった。その時はマンションが燃えている中継だけだったが、その後二人が助かったと伝えられた。そして報道は、ローカルニュースから全国版に切り替わった。助かったのが猪口邦子参議院議員とその二女の二人と判明したからだ。「え、二人だけ?じゃあ、旦那さんの猪口さんは?」と思ったが、翌日のニュースでもなかなか残る家族のことは言わなかった。で、4日後に警視庁が正式に猪口孝さんとその長女の焼死を発表したのである。猪口さんは私の新潟高校の先輩である。高校の同窓会や新潟出身者の集まりなどで何度かお目にかかることはあったが、ひと回り以上も年上の先輩であり直接話すことはなかった。それが10年以上前だったか、とある論文誌の会合で一緒になったことがあった。私が時々寄稿していた論文誌に猪口さんも寄稿していたのである。私は当日の出席者名簿を見て猪口さんが来られることはわかっていた。その会場で猪口さんと何度か目が合い、私の方からご挨拶に行った。猪口さんは「どこかで見た顔だなと、思っていました。」と言い、その時初めて名刺交換をした。その後また忘年会パーティーみたいなので会ったりして、お話させていただいた。猪口さんは国際政治学者で故郷の新潟県立大学学長もやられたが、数ある功績の中でも顕著なのは、英語の論文数は日本人学者で最も多い中の一人だということではないだろうか。猪口さんに関して一番印象に残っているのは、時々送られてきた長文のメールである。とにかく長かった。私にも送ってくれたということは、名刺交換した人たちのほとんどを対象にしていたのだろうか。毎回メール上に縦横びっしりと並んだ文字数は、私が受信した中で一番多かったと思う。内容は主に、彼の近況やグローバルな時世についてのコメント、そして彼の論文についての解説などであった。特に論文に関しては、引用などで外国人研究者のが多く、とても読み切れるものではなかった。ご自身もご高齢になられても英語で論文を書かれていたのは、本当に凄いなと思った。そういえばここ数年、その長いメールも来なかったように思っていた。「猪口っていう参議院議員知ってる?」と嬉しそうに奥様の話をされた笑顔が懐かしい。「あれは私の妻なんだよ。」合掌。