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映画

2019.04.27
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カテゴリ:映画
初めて観たマーベル映画は、『マイティ・ソー』でした。あの頃はマーベルという単語が何を意味するのかすらも分からずに、純粋に「北欧神話の映画だから」という理由で劇場に足を運びました。『アベンジャーズ』というプロジェクトを知ったのはその後です。劇場公開前、友人と『アイアンマン』『アイアンマン2』『インクレディブル・ハルク』『キャプテン・アメリカ:ザ・ファースト・アベンジャー』をTSUTAYAで借り、来たるべきアッセンブルに備えたことを、今でも覚えています。あの時から、私はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)に魅了され始め、『アベンジャーズ』以降のマーベルの最新作は、必ず劇場で観るようになりました。気付けば「ギリシアの次にマーベルが好き」と断言できるくらい、MCUのファンになっていました。

あの頃はアメコミヒーローと言ったらバットマンやX-MENで、MCUの重要な要素であるアイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティ・ソーは、マイナーなヒーローでしかありませんでした。ネット上の批評家たちの中には、アベンジャーズのことを「所詮は知名度の低い、弱小ヒーローの寄せ集め」と見下す人もいました。
しかし、それがどうでしょうか。多くの人が失敗すると思っていた『アベンジャーズ』は映画史に残る大ヒットを生み出し、それ以降、MCUは破竹の勢いで拡大し続け、『ブラックパンサー』はヒーロー映画史上初となるアカデミー作品賞ノミネート、『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』はヒーロー映画史上初の全世界興行収入20億ドルを突破するなど、今やスターウォーズをも超える伝説的なシリーズとなりました。

それが、今作で終わりを迎えます。厳密に言えば、MCUはまだ終わりません。スパイダーマンやガーディアンズ・オブ・ギャラクシー、ブラックパンサーの続編が既に発表されてますから。しかし、MCUを創造し、支えてきた初代アベンジャーズ――アイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティ・ソー、ハルク、ブラックウィドウ、ホークアイの長い長い戦い(インフィニティ・サーガ)は、エンドゲームで幕を閉じてしまうのです。
※ネタバレ注意!



インフィニティ・サーガ最終作に相応しい、文句無しの最高傑作でした!
ヒーロー結集というお祭り要素の濃いアベンジャーズシリーズにおいて、ここまで各ヒーローの心の機微を捉えた演出をするなんて、良い意味で驚きです!エンドゲーム前半は、まるでヒューマンドラマ系の映画であるように、ヒーローの内面の動きを追う構成になっていました。インフィニティ・ウォーで全宇宙の生命体の半数が消滅し、各国政府は崩壊、絶望のどん底にいるからこそ、それぞれの人間性や心の底が明らかになりやすいのです。そんな中で、適度にコメディ要素が分配され、全体が重く沈んだトーンにならないような配慮がされているのは、MCUならではといったところ。前作のコメディ担当だったガーディアンズ・オブ・ギャラクシーはほぼ全滅状態ですが、代わりにアントマンというお笑い界のニューホープが劇場に笑顔を呼び込んでいました。笑 


◆絶妙なタイムトラベル設定
コメディ要素もそうですが、本作でアントマンが貢献した役割は途方もなく大きいです。アントマンがいなければ、エンドゲームそのものが成り立ちませんでしたからね。タイムマシンを完成させたのはトニーですが、そのアイディアのきっかけを作ったのはアントマンです。インフィニティ・ウォーでは仲間外れにされていましたが、エンドゲームでここまで重要な役目を担うのなら、前作でははぶられて当然でしょう。笑
というか、本作のタイムトラベルもよく考えて作られていましたね。エンドゲームでのタイムトラベルでは、「過去の改変で現実を変える」というSFのお決まりが封印されています。既に築かれた因果関係は変更できず、過去を変えても、今は変わらないという設定になっていました。つまり、時をさかのぼって、赤ん坊のサノスを殺し、現代に戻っても、「サノスがいない世界」は到来せず、依然として「サノスによって半分の人類がいなくなった世界」のままなのです。
量子世界によるタイムトラベルは、厳密には「パラレルワールドへの移動」に近い概念でしょう。過去に戻った時点で、「未来人がやってきた過去」という別の世界線が生まれ、「未来人がやってこなかった過去」とは隔離されてしまうのです。だから、未来人が過去を改変した後に、元の時代に戻ったところで、「未来人がやってこなかった過去」をベースとした世界線に戻るだけなので、何も変わらないのです。「未来人がやってきた過去」をベースとした世界線は救われますが、「未来人がやってこなかった過去」をベースとした世界線は、依然として救われないままなのです。
こうすることで、今作は、タイムトラベルものに付き物の厄介なタイムパラドックスからフリーになれました。過去へのタイムトラベルも、別の世界線での話なので、過去作や物語上の矛盾を恐れることなく自由に動き回ることができました。過去のムジョルニアを持って来てしまったソーには、さすがに「その世界線のソーが困るやろ・・・!」と突っ込みましたが。笑


◆早すぎる死
エンドゲームで予想外だったことの1つが、ブラックウィドウが死ぬことです。しかも完全にMCUから退場します。なぜなら、ソウルストーンへの犠牲は、インフィニティ・ガントレットであっても修正できないからです。(終盤、ブルース・バナーが指パッチンしても「彼女を蘇生できなかった」と言っています)ブラックウィドウの単独映画の話が出ていたので、死なないものだと思っていました・・・。
ソウルストーン入手のため、彼女が命を投げ出そうとするのは明白でした。彼女には「世界のために尽くす」ことが全てでしたから。(純粋な公共善を目指してではなく、己の暗い過去を隠すため)
とはいえ、ホークアイはドラマ化、ブラックウィドウは単独映画化が企画されているので、「策謀に長けた二人だし、別の入手方法を考案するのかな」と思いきや・・・。
エンドゲームの予告編で頻りに唱えられていたフレーズ "Whatever it takes" 「何を犠牲にしようとも」が、ここにきてガツンと降りかかりました。それまではMCUの過去を振り返りながらも、ヒーローたちの葛藤・成長を改めて感じる「さよならツアー」感がありましたが、彼女の死からトーンが変わり始めます。それは、アベンジャーズ側・サノス側含め、己が目的を"Whatever it takes" なんとしてでも成し遂げようとする、最終局面に入ったことを示していました。
というか、ブラックウィドウの単独映画はどうなるんでしょう?過去編になるのでしょうかね。それとも壮大なミスリードだったのか・・・。


◆エンドゲーム到来・究極の総力戦!
未来のネビュラが過去のネビュラと偶然リンクしてしまったことにより(ネビュラが生き残ったのはこのためだったんですね!)、過去のサノスがこのことを嗅ぎ付け、未来の地球に攻撃を仕掛けます。彼も、なんとしてでもアベンジャーズの野望を止めようと必死なのです。迎え撃つはアイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティ・ソーの「ビッグ3」。アイアンマンはインフィニティ・ウォーで一度敗北していますし、ソーは相変わらずのビール腹、キャプテンは明らかに身体的能力が(超人たちに比べれば)劣っており、予想通り苦戦を強いられます。

ところがここで凄まじいサプライズが!なんとキャプテンが、ソーの過去から持ってきたムジョルニアを使えるようになったのです!確かに『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』では、キャプテンはちょっとだけムジョルニアを動かせそうでした。それがまさか伏線となり、ここでムジョルニアを操り出すとは!エンドゲームの極限状態が、ムジョルニアにキャプテンを"Worthy"であると認めさせたのです。
「キャプテンの盾とソーのムジョルニアを両方装備すれば最強じゃね?」というマーベル好きなら誰もが思うことを、ここにきて実現してしまったキャプテンは、ムジョルニアとヴィヴラニウムの盾のコンボ(まさに最強の矛と最強の盾)でサノスを追い詰めます。しかしサノスも強いもので、新武器の大鉈で、宇宙最硬物質であるはずの盾をも半壊させてしまいます。ウルヴァリンもびっくりですね。

この後の展開がMCU史上、いや、映画史上最も熱い展開でした!
盾が壊れ、ボロボロになりながらも、立ち上がるキャプテン。サノスが全軍に攻撃命令を下し、地球侵略を本格化させます。それでも立ち向かおうとするキャプテンに、ふと懐かしい声の無線が・・・。

ハルクの指パッチンにより復活したMCUのヒーローたち・・・それも主演級だけじゃなく、今まで出演した個性溢れる脇役たちも、一斉に救援に駆け付けたのです。最初、ブラックパンサーが光の輪の中から現れた時は、泣きそうになりました。そして、ファルコン、ワカンダ軍、ウィンターソルジャー、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー、ヴァルキリー、ドクターストレンジ、スカーレット・ウィッチ、スパイダーマン、ワスプ…数えきれないヒーローたちが集結し、地球侵略を開始したサノス全軍と対峙します。
キャプテン・アメリカはムジョルニアを力強く握り締めながら、「アベンジャーズ!…アッセンブル」と宣言します。究極の胸熱展開と相まって、映画史に残る名台詞だと思います。
(あまりの光景に感動しながらも、「あれ?キャプテン・マーベルは?」と思ったのは私だけじゃないはず。彼女も遅刻したものの途中から参戦してくれてよかったです笑)

インフィニティ・ウォーで倒された悪役たちも(過去から来てるので当たり前ですが)復活を遂げ、最終決戦はまさに総力戦の様相を呈してきました。焦点は、トニーがナノテクで作り上げたインフィニティ・ガントレットの奪い合いです。サノスに取られて指パッチンされたら、全生命体の半分どころか、今度は全てを原子レベルにまで分解されてしまいます。かといって、皆を復活させるための指パッチンでナノマシンが焼け焦げ、ガントレットがハルクの手のサイズ(サノスとほぼ同じ)に固定されてしまっているので、ヒーローたちが装着し、指パッチンしてサノスを滅ぼすこともできません。(ハルクはもう片腕やられて瀕死なので装着した瞬間死んじゃうでしょうね)
唯一の希望は、量子世界に再び戻すことです。量子世界転送装置までの、インフィニティ・ガントレットのリレー競争が幕を開けました。各ヒーローたちの見せ場がきちんと用意されており、このシーンは見ごたえたっぷりでしたね。ブラックパンサーは持ち前の肉体能力で戦場を駆け、キャプテンとソーは『アベンジャーズ』以来の絶妙なコンビネーションを見せ、サノスに恋人を殺されたスカーレットウィッチは、怒りの念力でサノスを叩きのめします。スパイダーマンも遂に禁断の「即死モード」をお披露目。まさにお祭り騒ぎです。

そんな中で、一番印象に残っている戦いは、キャプテン・マーベルVSサノスです。キャプテン・マーベルは、ワスプ、オコエ、スカーレット・ウィッチ、ヴァルキリー、ペッパーを率い、怒涛のフェミニズム・アタックで、インフィニティ・ガントレットを量子世界へ戻そうとします。しかし、サノスがそれに立ち塞がり、フェミニズム・アタックは無残にも砕け散りました。ここで、ガントレットを巡って、サノスとキャプテン・マーベルが一騎打ちを繰り広げます。
「マーベル最強」「DCのスーパーマンに匹敵」と言われるだけあり、フィジカルのパワーはサノスをも上回っていました。サノスの頭突きに仰け反ることすらしません。しかし、サノスの真の強さは、腕力ではなく知力、言うなればその判断力と機転でした。ガントレットのパワーストーンを毟り取り、その力を借りてキャプテン・マーベルをぶっ飛ばします。いくらキャプテン・マーベルでも、「力」の本質を司るパワーストーンには勝てないようです。
サノスがキャプテン・マーベルに打ち勝ったこのシーンは極めて重要です。なぜなら、いくら他のヒーローたちが頑張っていても「キャプテン・マーベル1人だけで勝てたんじゃね?」というようなことが起こったら、台無しだからです。(「スーパーマンだけでよくね?」となって失敗したのが『ジャスティス・リーグ』です)
キャプテン・マーベルにフィジカル最強という華を持たせながらも、機転の良さでサノスが勝利する。まさに最高の演出ですよ。ドクターストレンジの見た未来では、キャプテン・マーベルがサノスを倒すというパターンは、存在しなかったのです。知力は腕力に勝るというのは、ギリシア神話や旧約聖書にも見られる古代からの伝統的思想ですし、説得力は抜群です!

そしてこの思想は、アイアンマンVSサノスにも受け継がれます。アイアンマンは、知力・そのテクノロジーを持って、サノスを制したのです。今回のガントレットは、インフィニティ・ウォーの時と違って、トニー・スターク自らがナノテクを使って設計しました。ストーンの取り外し方も熟知しているはずです。更に、焼け焦げて固定されているとはいえ、元はナノテク。触れさえすればナノテクの流動性を生かし、サノスの手にガントレットを装着したままストーンを盗むのは造作もないことでしょう。ストーンを盗み、トニーの頭の中にあるガントレットの設計図を元にナノテクで再構築すれば、インフィニティ・ガントレットの完成です。
テクノロジーが、強大な力を制した瞬間です。そして彼は宣言するのです。"I am Iron Man"と。

アイアンマンの指パッチンにより、サノス全軍は消滅。サノス自身も、全てを悟った表情で、静かに消えていきました。ただの人間の身で、インフィニティ・ガントレットを始動させたトニー・スタークは瀕死の重傷です。ハルクですら片腕が不随になるほどのエネルギーですからね。ピーターとペッパーが駆け付けますが、もう遅く、トニー・スタークは帰らぬ人となりました。
彼と共に始まったインフィニティ・サーガは、彼の犠牲と共に幕を下ろしたのです。

インフィニティ・ガントレットを使うことの意味を、彼は理解していたでしょう。それでも、彼は成し遂げました。全ては、家族――ペッパーと娘を守るためです。過去に戻って父と対話した彼は、家庭を顧みず、国防の仕事に明け暮れていた父の真の願いは、息子――トニーを守るためだったと気付かされます。キャプテン・マーベルにも勝利したサノスですから、ここで躊躇していては、地球を、家族を守ることなどできません。ヒーローとしての役割以上に、父としての役割を全うすることで、サノスを打ち倒したのです。そういう意味で、『アイアンマン』、『アイアンマン3』で宣言した "I am Iron Man" とは、重みが違うのです。


◆そして、終幕へ・・・
トニー・スタークの死により、全宇宙は救われました。彼の葬式に集った多くのヒーローたちが、彼の偉大さを証明しています。キャプテン・アメリカはその後、過去から持ってきたインフィニティ・ストーンを元の世界線に戻すため、パラレルワールドへの旅に出ます。
5秒後に戻ってきたキャプテンは、もう老人に。でも、とても幸せそうな表情をしています。
「ふと立ち止まって、自分の人生を歩もうと思ったんだ」
第二次世界大戦で超人兵士計画へ立候補してから、個を犠牲にし、厳格な道徳で公共善を追及してきた彼の、初めての長い長い休暇と言えます。彼は老人になるまで、別の世界線で、平凡で幸せな人生を歩んでいたのです。
ファルコンは彼に尋ねました。「ペギー・カーターとはどうなった?」
キャプテンは静かに「それは胸にしまっておこう」と呟きます。

その後、静かに映し出される回想。キャプテンが、ペギーと幸せそうにダンスを踊っています。戦時中、彼の果たせなかった約束――ペギーとのデートの約束は、異なる世界線で、遂に実現できたのです。

もう泣きそうになりました。これは素晴らしい終幕です。戦時中から現代に叩き起こされ、戦うことの中にしか居場所の無かったキャプテンが、初めて「人生」を持てた瞬間です。『キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー』でMCUデビューしたルッソ監督だからこそできた演出でしょう。スタッフロールに入った瞬間、劇場から自然と拍手喝采が巻き起こりました。こんなの初めての経験です。

MCU初期は、個を重視し、公共善を疎かにしていたトニー・スタークの自己犠牲
MCU初期は、公共善を重視し、個を疎かにしていたスティーブ・ロジャースの幸せな人生

アベンジャーズを代表する2人の、鮮やかな対比がきらりと光ります。ここまで壮大なサーガをまとめ上げ、昇華させた上に、各ヒーローの深い内面にまで掘り下げたルッソ監督の手腕には、脱帽するばかりです。

本作は間違いなく、私が今まで観た全映画の中で最高の作品です。それは、MCUの拡張と共に歩んできたからこそだと思います。私の人生の中で、ここまで興奮でき、夢中になれて、わくわくできる、そんなシリーズに出会えて、本当に幸せだと思います。
MCUが今後どのような展開を迎えることになるか分かりませんが、もうキャプテン・アメリカと、アイアンマンは戻ってこないのです。事実、MCU恒例のポストクレジットシーンは、本作にはありませんでした。でも、だらだら続けるよりは、それで良かったと思います。

"Part of the journey is the end"
――終わりがあるからこそ、物語は美しいのです。







Last updated  2019.05.04 18:02:56
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2018.09.23
カテゴリ:映画
​​​​​​​​実話をベースとした人気ホラー映画「死霊館」シリーズ最新作『死霊館のシスター』を観に行ってきました!
「ホラー映画もマーベルみたいにユニバース化したっていいじゃないか!」というジェームズ・ワンの号令と共に、ナンバリング・タイトルに登場した悪霊を主題としたスピンオフ化が止まらない本シリーズ。呪われたアナベル人形は一旦退場し、今作は​「エンフィールド事件」の黒幕だった悪魔ヴァラク​の誕生秘話が描かれます。
アナベル人形はウォーレン夫妻の博物館に実際に封印されている分、実話も多少なりとも加味されているでしょうが、ヴァラクはエンフィールド事件の完全なる脚色として登場したので、今作は100%フィクションでしょうね。
※ネタバレ注意!



◆あらすじ(公式HPより引用)
1952年のルーマニアの修道院でひとりのシスターが自らの命を絶つ。不可解な点の多い自殺に教会はバーク神父と見習いシスターのアイリーンを修道院へと派遣する。二人はこの事件を追うにつれ、修道院に隠された秘密とともにいまだかつてない恐怖“悪魔のシスター・ヴァラク”と対峙することになる。果たして、この修道院に隠された想像を超える秘密とは?そして悪魔のシスターの目的とは一体何なのか!?

◆ホラー・アトラクション化
​本作は死霊館シリーズとしては初の「完全フィクション」だからか、ホラー演出もやりたい放題で、かなり実験的なことをしています。今までも実話ベースというのが信じられないくらいの脚色っぷりでしたが、今作はなんとゾンビまで出てきます。しかも、祈りや聖水よりも、銃や棒の物理攻撃が有効という、死霊館に初めてバイオハザード要素が足された瞬間でした。

このやりたい放題さが、今作を純粋なホラーからホラー・アトラクションへと変化させています。吃驚・ドッキリはするけど、怖くはありません。死霊館のナンバリング・タイトルでは、多少やりたい放題しても、エンドロールで流れる「実際の写真」を見ると少しぞわっとしてしまいますが、今作はそれもないので、「あー、びっくりした」で終わってしまうんですよね。東京ドームシティのお化け屋敷を終えた時の感覚に近いです。
ドッキリ演出も、今までの死霊館シリーズのどこかで見たことがあるものが多く、ユニバース化が裏目に出ているような気もしないでもありません。それでもホラー「アトラクション」な分、特に何も考えなければポップコーン・ムービー的に楽しめますがね。


​◆ダークファンタジー化​
「アトラクション化」と並行して、「ダークファンタジー化」も本作で急速に進んだ気がします。何せ今回の舞台は9割以上中世風の城塞を持つ修道院で展開され、敵が地獄から呼び出された大悪魔ヴァラクですから。しかもバーク神父が歴戦のエクソシストという渋い出で立ちで、対超常現象用七つ道具が入っているであろう大きな鞄を持ちながら「バチカンの命令で超常現象を狩っていた」なんて言った日には『ヴァン・ヘルシング』『スーパーナチュラル』を連想してしまいます。聖水の付けたボウガンでゾンビを蹴散らすシーンもあってよかったんじゃないかなぁ。笑
(まぁ、このバーク神父、見掛け倒しにも程があり、劇中一切活躍してませんでしたけど・・・)

死霊館シリーズは敵対する悪霊・悪魔が強すぎて、一歩間違えればダークファンタジー路線に入りそうでしたが、今作はもう片足突っ込んでると思います。​「キリストの血」とかいう、悪魔たちにしてみればアルテマウェポン級の最終兵器​も出てきましたし(ヴァラクはこの血を浴びせられただけで瓦解。地獄の門も一緒に粉砕されてしまいました)、今まで「十字架」「聖水」「ラテン語詠唱」というやや頼りない武器が一気に超越化しました。

ちなみに、ホラーとダークファンタジーの線引きは、個人的にですが、

・ホラー:
  日常に起こる異変や超常現象、基本的に無力な主人公


・ダークファンタジー:
  非日常で重苦しい世界観、英雄性がある・もしくは有効な対抗手段を持つ主人公


と思っています。(非日常のホラーもあるので、厳密化はできませんし、この両者の区分は極めて曖昧ですが)今作は中世風の修道院という非日常空間で、なおかつ「キリストの血」という究極の対抗手段(しかもゾンビには物理攻撃有効)があるので、個人的にはダークファンタジーっぽいなと感じたわけでした。
悪魔をも倒す聖遺物を充実させていけば、死霊館シリーズもスーパーナチュラルシリーズのウィンチェスター兄弟サーガみたいになりそうですね。笑


死霊館シリーズはこれで終わりではなく、本作の興行収入次第では、「エンフィールド事件」に登場したヴァラクとは別個の怪物"The Crooked Man"のスピンオフ映画化計画があるらしいです。こいつは完全におとぎ話の怪物風の見た目をしていますし、ますます「ホラー・アトラクション化」「ダークファンタジー化」が加速しそうですね。それでも、死霊館シリーズは見続けると思います。元々、怖さよりも悪霊のハチャメチャさを目当てにしていましたから。笑​​​​​






Last updated  2018.09.24 01:02:10
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2018.06.11
カテゴリ:映画
​​昨夜、劇場公開から45日で​『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』の世界興行収入が19.9億ドル(約2180億円)に到達し、世界興収20億ドル突破が確実​となりました!興収20億ドル突破は、歴史上3作品(『アバター』『タイタニック』『スターウォーズ:フォースの覚醒』)しか達成できておらず、インフィニティ・ウォーはその4作品目に加わることになります。ヒーロー映画史上初の快挙であり、『アベンジャーズ(2012)』『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』がそれぞれ15億ドル、14億ドルであったことを考えると、インフィニティ・ウォーがどれだけ規格外の存在であるかが分かります。



インフィニティ・ウォーが興収20億ドル達成できた理由は、もちろん作品の質が極めて高かったことと(私は劇場に3回観に行きました笑)、衝撃的なラストによる話題性が挙げられますが、環境的要因も少なからずあるでしょうね。
一番の環境的要因は、アメリカで『ハン・ソロ』がコケてしまい、強力な競合になり得なかったことでしょう。『ハン・ソロ』はスターウォーズ史上最低の興行収入になってしまい、スターウォーズ神話を粉々に打ち砕くダークサイドとなってしまいました。公開から17日でまだ世界興収3億ドルにしか到達しておらず、米国に至っては1.7億ドルのみです。このペースだと4億ドルに行くか行かないかというところで、同じスターウォーズ・スピンオフ作品『ローグ・ワン』の10億ドルに遠く及ばない結果となっています。
専門家は『ハン・ソロ』の歴史的失敗について「観客のスターウォーズ疲れ」を指摘していますが、あれだけスターウォーズ・シリーズを短期間に連発していたら、さすがに飽きてくるのは仕方のないことでしょう。MARVELと違い、世界観や戦闘方法も代わり映えしませんしね・・・。

さて、インフィニティ・ウォーの今後の焦点としては、『スターウォーズ:フォースの覚醒』を超えて歴代3位になれるかどうか、でしょうね。『タイタニック』超えは今のペースだと厳しいものの、フォースの覚醒はギリギリ超えれそうなラインにあります。

■世界興収歴代ベスト3
・アバター            27.8億ドル
・タイタニック          21.8億ドル
・スターウォーズ:フォースの覚醒 20.6億ドル 

こう見るとアバターの化け物ぶりが分かりますが、単価がえげつないほど高い3D映画ブームを追い風にしていたので、ドーピングしているようなもんですね。笑

懸念事項は、『ジュラシック・ワールド:炎の王国』が世界各国で順次公開となり、インフィニティ・ウォーの強力な競合となってしまうことです。元々、アベンジャーズシリーズは米国市場よりもグローバル市場への比重が高い作品ですから、同じくグローバル型のジュラシック・ワールドとモロに食い合ってしまうわけですね。どうせなら歴代3位になってほしいですが、難しそうかなぁ・・・?
引き続きBoxOfficeをウォッチしていきたいと思います!






Last updated  2018.06.11 14:23:21
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2018.04.28
カテゴリ:映画
​​​​​​​​​マーベル・シネマティック・ユニバースが誕生してから10年が経ち、その集大成ともいえる映画が遂に公開されました。『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』は、アイアンマンやキャプテン・アメリカと言った従来のアベンジャーズメンバーに加え、スパイダーマン、ドクター・ストレンジ、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー、ブラックパンサーが結集するという、間違い無く映画史で最も壮大な作品でしょう。この一大潮流に乗らないわけには行かず、事前に映画館の座席を予約し、仕事帰りにレイトショーで観に行ってきました!
その結果…今作は​今世紀最大の衝撃作​であることが分かりました。
※ネタバレ注意!



まさかのアベンジャーズ敗北。そして主役級ヒーローが次々と死んでいく。
あのラストは衝撃的過ぎました。誰がこんな結末を予想できたでしょうか。サノスがいかに強くとも、インフィニティ・ストーンが全部揃おうとも、なんだかんだでアベンジャーズが勝利、もしくは引き分けになるに違いない。そんなことを思っていましたが、甘かったです。情け容赦ないサノスの信念は、地球最強のヒーローを完膚なきまでに叩き潰したのです。
先月に一大旋風を巻き起こし、スターウォーズを超え、北米史上歴代3位の興行収入を叩き出したブラック・パンサーでさえ、あっけなく無に消えました。ソニーと協業し、やっとのことでMCUに参戦したスパイダーマンも、虚しく散りました。70~80年代の音楽とユーモアで多くの観客を笑わせたガーディアンズ・オブ・ギャラクシーも、木端微塵になりました。まさか、マーベル10周年記念作品であり、ヒーロー大結集という「お祭り」の側面もあるアベンジャーズシリーズで、ここまでの虚無感・喪失感を感じることになるとは、夢にも思いませんでした。

もちろん、思わず笑ってしまうコメディ要素や、熱く燃え滾るような盛り上がりシーンも沢山ありました。非常に多くの登場人物がいるにも関わらず、どのヒーローも有機的に物語に関係しており、「とりあえず出しておきました」という無駄なキャラクターが1人もいませんでした。アントマンやホークアイが欠けていますが、手持ち無沙汰なキャラクターを敢えて出演させないというのは、良い判断だと思います。アベンジャーズシリーズの魅力である「主役級ヒーロー同士の掛け合い」「コンビネーション技」もバッチリ魅せてくれるので、あの結末を迎えるまでは、非常に爽快感ある映画でした。


ですが、多くのヒーローが命を落とすあの結末こそ、今作を傑作の域に高めていると言えるでしょう。​「勧善懲悪で、善が必ず勝つ」というヒーロー映画の伝統と常識を、粉々に打ち砕いた​のですから。この兆候は『シビルウォー:キャプテン・アメリカ』で既に芽生えつつありましたが、インフィニティ・ウォーでここまで一気に推し進められることになるとは・・・。

それを可能にしたのは、サノスを「単なるボスキャラ」とせずに、宇宙平和のために己の信念を貫き通す裏のヒーローとして描いたことにあると思います。サノスは人口超過によって宇宙の資源が枯渇し、格差社会が生まれることを憂い、あらゆる惑星の人口を半減させることで、それを解決しようとします。あまりにも画一的で乱暴な解決策ですが、それはあくまでも「解決策」です。サノスは自分のやり方で、アベンジャーズが目指しているものと同じ「平和」を創り出そうとしただけなのです。

そして、アベンジャーズは「平和」への覚悟の差で、サノスに敗北したのだと思います。
サノスは自らの理想の実現のために、己の愛する娘を殺すことまで厭いませんでした。最後、サノスは全宇宙の半数の生命体を死に追いやり、彼なりの「平和」を実現しますが、そこに高揚感はなく、「私は成し遂げた。しかし、全てを失った」と切なげに呟くのみです。彼は全てを犠牲にしてまで、平和を追い求めていたのです。

対するアベンジャーズは、その覚悟が足りなかったのだと思います。​「平和」、すなわち最大公約数的な善を選ばず、個人的な善を選びがちだったように見受けられます。​
ソーを守るために、スペース・ストーンを差し出したロキ。
ネビュラを守るために、ソウル・ストーンの在処を教えたガモーラ。
ガモーラを殺された怒りを抑えきれずに暴走し、作戦を台無しにしたスター・ロード。
トニー・スタークを守るために、タイム・ストーンを差し出したドクター・ストレンジ。
確かに、仲間を思いやる美談として、これらは記憶されることでしょう。しかし、MCUはもうそんな単純な世界ではなくなってしまったのです。自分が傷付くこと、愛する者を失うこと、これらを恐れないほどの覚悟があったサノスに負けたことは必然と言えます。もっと砕けた言い方をするなら、腹をくくった者と、くくれなかった者の差は歴然ということです。ガモーラをソウル・ストーンのために差し出したサノスの涙は、これを強く印象付けます。

「命に大小はない」これは劇中で印象に残る台詞のひとつですが、これを踏み外してしまったのは、サノスではなくアベンジャーズの方です。身近な者の命を大とし、その他を小としてしまったのですから。『inFamous』という少し昔のゲームで主人公は、彼女一人かその他多くの市民か、どちらか一方しか助けられない状況で、どちらを助けるかの2択を迫られることになるのですが、アベンジャーズはこれに前者で回答してしまったのです。このゲームはプレイヤーの選択によって善悪ゲージが溜まるのですが、前者は悪ゲージが、後者は善ゲージが溜まることになります。
しかし、これを誰が責められるでしょうか。ヒーローである以前に人である彼らに、その選択はあまりにも酷です。故に、『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』は現代の悲劇であるとも言えます。人間の弱さを炙り出し、人間性の限界を暴露したのですから。

このように、『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』は、単なるお祭り映画で終わらず、時代の最先端を貫く極めてチャレンジングな作品でした。​​​サノスとの因縁はここで終わらないようなので、続編ではどのようにヒーローたちが持ち直すのか、それが今から楽しみですね!






Last updated  2018.04.28 11:53:47
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2018.03.10
カテゴリ:映画
​​​​​​​アメリカで空前の大ヒットを記録している『ブラックパンサー』。ヒーローのオリジンモノとしては、史上最高の興行収入を叩き出しているのではないでしょうか。一世を風靡した『ワンダーウーマン』を軽く飛び越え、あの『スターウォーズ:最後のジェダイ』にも肉薄する成績を打ち立てています。『ブラックパンサー』ブームはもはや社会現象になっており、興行収入10億ドルを超えるのも時間の問題でしょう。これほどまでに大ヒットした『ブラックパンサー』ですから、マーベル好きとしては観ないわけにはいきません!
※ネタバレ注意!


『ブラックパンサー』を一言で形容するなら、まさに「新世代」のヒーローです。それは人種的に新しいというだけではありません。『ブラックパンサー』ほど社会的メッセージが重厚に内包されたヒーロー映画は、今まで存在しませんでした。
この作品のテーマは、現代の複雑な社会情勢を反映しているがために、極めて社会的・政治的なものとなっています。それは、「持つモノ」と「持たざるモノ」の対立です。
ブラックパンサーであるティ・チャラ王の治めるワカンダ王国は、ヴィブラニウムという宇宙的超合金を豊富に保有しており、他国とは一線を画した超高度な文明を保持しています。あらゆる攻撃を弾くキャプテン・アメリカの盾がヴィブラニウム製として有名ですが、それほど強力な金属が腐るほどあるのですから、間違いなく地球最強の国家でしょう。そんなワカンダ王国が取っていた政策は、「国際社会から孤立すること」でした。
ヴィブラニウムは核にも勝る戦略兵器であり、言わばヒッタイト王国における鉄のようなものです。それを使って世界征服することもできますが、頭の良いワカンダ人たちは、拡張政策がいずれ綻びを生むことを知っていました。アリストテレスの理想国家の条件である「自給自足が達成できる程度の大きさ」を従順に守っていたんですね。だからこそ、ヴィブラニウムを国際競争に巻き込まないために、「ワカンダ王国は第三世界の取るに足らない発展途上国」という偽の情報を世界中に流布し、徹底的な情報統制を実施しました。そして、世界中のあらゆる事件から目を背け続けたのです。例え、ワカンダ人たちと同じ「黒人」が、世界中で奴隷として酷使されようとも、差別されようとも、何も手を差し伸べず、ただ隠れながら傍観するだけだったのです。

「難民は面倒ごとを持ち込むだけだ」ウカビの一言は、ワカンダ王国の自国第一主義を、現実の国際社会に適用させます。「黒人が迫害されていた時に、お前たちは何をしていた」キルモンガーの怒りは、決してマーベル・シネマティック・ユニバースだけのフィクションではありません。ナショナリズムか、グローバリズムか。この問いは、トランプ大統領がアメリカ・ファーストを掲げてから、極めてコントラバーシャルな議題と言えるでしょう。事実、ティ・チャラも国王としてこの問いに悩み続けます。

今までのヒーローも苦悩に満ちていましたが、あくまでも「個人」ベースの悩みでした。自らの称号に「アメリカ」の名を刻むキャプテン・アメリカでさえ、『シビルウォー』で国際協定に反したように、国を顧みることは殆どありませんでした。国王として、自国民を幸福にしなければならない責任を背負うヒーローとして、ここまで真っ向から政治にぶつかったヒーローは、ブラックパンサーが初めてではないでしょうか。

ティ・チャラが最後に出した答えは、ナショナリズムではなく、グローバリズムでした。ワカンダ王国は、「持つモノ」としての責任を世界規模で背負うと決意したのです。「賢者は橋を架け、愚者は壁を作る」これほど痛烈で明確な政治批判があるでしょうか。あらゆるものが繋がる社会で、自国だけに目を向けることはできません。全てが全てに連鎖する時代。ティ・チャラはそれを見据えていたのかもしれません。

このように、『ブラックパンサー』はヒーロー映画としては珍しく、極めて社会派の映画でした。「黒人ヒーロー」にばかりスポットライトが当てられている今作ですが、本作が社会現象と化した真の要因は、現代に即した社会的メッセージにあるのかもしれません。​​​​​​​






Last updated  2018.03.10 23:26:42
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2017.11.05
カテゴリ:映画
​​​​​​​あの『エクソシスト』を抜き去り、歴代ホラー映画史上No.1の大ヒット作となった​『IT/イット "それ"が見えたら、終わり。』​を早速観に行ってきました!ホラー作家の巨匠スティーヴン・キングが原作というのもあり、日本公開を今か今かと待ちわびていました。(彼が原作の映画としては『シャイニング』が非常に怖かった記憶があります)まぁ、スティーブン・キングの小説は一冊も読んだことがないんですけどね。笑
※ネタバレ注意!



■"それ"が見えても、終わらない。
副題にもなっている「"それ"が見えたら、終わり」ですが、実際は​それが見えても全然終わりませんでした。​
というのも、主要メンバーは全員生存で、ITに殺される描写があるのも冒頭のジョージーと不良の2人だけ。何度か「あ、さすがに死んだな」というピンチはあったものの、結局大事には至らず、なかなかしぶとく生き残る。ITによって惨たらしく殺されていくパニック系映画を想像していたので(ITが牙を剥きだした瞬間に「あ、これモンスターパニック系だ!」とワクワクしたものですが…笑)、これにはちょっと驚きです。ITが見せる幻覚はなかなか恐ろしいものがありましたが、毎回ピエロがテンション高めなので、むしろ笑える場面も少々ありました。
それで、途中から気付きました。この映画はホラーじゃないな、と。少年たちと少女が、それぞれにそれぞれの問題を抱え、葛藤する――まさしくこれは青春映画です。
ITよりも怖かったのが、主人公たちを取り巻く現実の環境です。過保護な母親に偽薬を飲まされてたり、過激ないじめが横行していたり、父親に性的虐待を受けていたり・・・。閉塞的すぎる現実の空間こそが、ホラーでした。
ITに襲われた時の方が、少年たちは生き生きしていたように思えます。ITと立ち向かう時だけ、少年たちは結束し、現実を忘れ、勇気を胸に行動できたのですから。夏休み中の出来事ということも相まって、ITと戦ったことは、少年たちが現実から目を背けるための一種の逃避行だったんじゃないかとさえ思えてきます。ジョージーも、ITに喰われたのではなく、ただの事故死で、それに納得できないビルが作り出した妄想だったのではないかと・・・。
上記からするに、ITは大人が子供に押し付けてくる身勝手さを象徴しているのではないでしょうか。ITと対峙することを通して、少年たちは自立することができたのですから。


■ITの正体
とはいえ、ITによって大勢の人が失踪しているわけですから、「大人の身勝手さ」を象徴しているにしても、作中では(少年たちの妄想ではなく)確固たる怪物なのでしょう。では、一体ITとは何者なんでしょうか。
ITは自分のことを「ペニー・ワイズ」と名乗っています。ここから、ITは元々は人間だったということも考えられます。ITのピエロは、​ジョン・ゲイシーという実在の殺人鬼(ピエロに扮し、数十人もの少年たちを誘拐・殺害した)がモデルになっている​ことを考慮すると、元人間説(悪霊説)も現実味を帯びてきます。

しかし、90年代版の映画では、ITの正体は邪悪な巨大蜘蛛で、人間の魂を貪りくっていたそうです。確かに、犠牲者が空中に浮いている様は、蜘蛛の巣に絡み取られたかのような光景でした。人の恐怖を喰らい成長する(まるで『学校の怪談』の天邪鬼のような特性ですね)古きから地下に住まう悪魔のような存在なのかもしれませんね。出現前に電灯が点滅するのも、(海外ドラマ『スーパーナチュラル』的に)悪魔っぽい演出でした。
ただ、今作のITが攻撃された時に出る血しぶきは、フワフワと宙に浮いており、まるで水の中にいるかのようでした。ここからすると、巨大蜘蛛よりも水棲生物・地下水に住まう怪物という可能性もありますね。

今回は、少年たちとITのひと夏の冒険でしたが、第二章では大人になった彼らとITとの決戦が見られるそうなので、ITの正体は続編で明らかになるでしょうね。第二章は2019年に公開予定です。どんな結末になるか、今から楽しみです!​​​​​​​






Last updated  2017.11.05 00:10:28
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2017.11.03
カテゴリ:映画
​​​​​​​​​​​​​本日11月3日、待ちに待った映画​『マイティ・ソー:バトルロイヤル』​​が遂に公開されました!朝っぱらから最寄りの映画館でIMAX 3Dの本作を視聴することができたのは、今日という日が運良く祝日に位置していたからです。アベンジャーズで「最強」の名を冠するソーとハルクがタッグを組んだこの映画は、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)ファンにとっては見逃せません!
・・・それにしても、三連休の初日からマイティ・ソー最新作を観れるなんて夢みたいです。笑
※ネタバレ注意!



​■究極のヒロイック・エンタテインメント​
今作は今までのマイティ・ソーシリーズとは一線を画す、言わば異端の作品です。コメディが得意なタイカ・ワイティティ監督がメガホンを取ると聞いた時から、「前作よりも異なった作品になるだろうなぁ」と予想していましたが、ここまでとは。
「アクション映画じゃなくてコメディ映画になるのではないか」「ブロックバスター映画に慣れていない監督だから、失敗したらどうしよう」なんて不安もありましたが・・・全て杞憂でした。
先程言った「異端の作品」「ここまでとは」というのは、全て良い意味でです!今作はマイティ・ソーシリーズ最高傑作であり、まさに「究極のヒロイック・エンタテインメント」と形容するに相応しい作品です。
『シビル・ウォー:キャプテン・アメリカ』のような重苦しさはなく、軽快なステップでストーリーが展開され、コメディで笑いを誘っては、ド派手なアクションで場を盛り上げる・・・これ以上の娯楽大作があるでしょうか。私はどちらかというとシビル・ウォーのような重苦しいテーマの方が好みですが、それでも今作は「複数回劇場で観たい!」と思わせるほどの輝きを放っていました。純粋に見ていて楽しいんですよね。笑 
この「楽しさ」は、単純にギャグが面白いからというわけではなく、コメディ・アクション・ストーリー・テンポが高次元で融合しているからこそ生じたものです。MCUファンなら鑑賞しないという選択肢は無いでしょう!


■帰ってきた「雷神」
今までのソーは、あまりパッしない存在でした。それは、ソーそのものが駄目というのではなく、シリーズ一作目で見せたインパクトが強烈すぎたために、それ以降の尻すぼみ感が拭えなかったからです。
第一作目では、ソーは無敵の雷神でした。ハンマー片手に巨人を薙ぎ倒し、大嵐を軽々と呼び起こし、稲妻の一撃で大地をも崩落させました。それ以降、MCU内で他ヒーローとの交流が活発化する中、ソーの力は徐々に制限されていったような印象があります。『アベンジャーズ』でエイリアンの艦隊をねじ伏せたり、『エイジ・オブ・ウルトロン』でアイアンマンと協力して隕石と化した地盤を砕いたりもしましたが、一作目で見せたインパクトには及びません。二作目の『ダークワールド』でも、アクションそのものはそこまででもなく、「雷神」は鳴りを潜めていました。
おそらく他ヒーローとの兼ね合いもあったんでしょうが、アイアンマンの進化や、キャプテン・アメリカの大飛躍を考慮すると、「ソーだけ微妙だなぁ・・・」となってしまうわけですよ。『アイアンマン3』や『キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー』は評価面でも大成功だったのに、一方の『マイティ・ソー:ダークワールド』は・・・。
ソーは好きなキャラクターであるだけに、「最強」でありながらパッしないという矛盾にヤキモキしたものでした。

それが遂に、三作目にして堂々の「雷神」復活です!!ムジョルニアの束縛から解き放たれ、身も心も自由になったのか、これ以上無いほど大暴れしてくれています!一作目の地盤崩落ほどの大技は、残念ながら今作にもありませんが、稲妻を纏って敵を薙ぎ倒していく様はそれに匹敵するほどのインパクトがあります。今までのソーに失礼ですが、まさかここまでスタイリッシュにアクションができるとは・・・。笑
今までのソーが「優等生」だとすると、今作は「型破り」。どちらがよりクールなのかは明白ですね。


■頼れるビッグガイ
型を破ったのは、ソーだけではありません。ハルクも今作で新たな可能性を提示しています。
ハルクはソーとは違い、アベンジャーズ最強を不動の地位としていますが(ソーに失礼ですが笑)、「強すぎる」ということが逆に足かせになってしまい、暴走すると手の付けられない「諸刃の剣」として描かれていました。アベンジャーズシリーズでは、二作ともハルクの暴走によってチームは大打撃を受けていますしね。
ところが今度のハルクは知性があります。『アベンジャーズ』でもハルクは喋ったことがありますが、それはロキを散々に殴り倒した時の「チョロい神だな」の一言だけ。それが今作で会話し、喜怒哀楽を示し、ソーに「友達なら帰るな!」と懇願する。知能自体は3歳児程度のものですが、ブルース・バナーに戻らなくても、ナターシャに頼らなくても、コミュニケーションが取れるようになりました。それに伴い、今までの諸刃の剣のイメージから、頼れるビッグガイのイメージへと変化。大量破壊兵器から、ヒーローとして、ハルクを見れるようになったのです。
だからこそ、終盤でアスガルド民を護るためにハルクがフェンリルへ挑んだ時は、頼もしさが今までとは段違いでした。インフィニティ・ウォーに向けて、ハルクもソーと同様に、重要な変革の一歩を踏み出したのです。


このように、『マイティ・ソー:バトルロイヤル』はソー、ハルクというMCU二大ヒーローを変革させた、極めて良い意味での型破り作品でした!
今作ではアクションシーンで度々流れるレッド・ツェッペリンの「移民の歌」が重要なテーマであり、それが宇宙のヴァイキングとしてアスガルド民が新たなる故郷を求め放浪することを示唆したものであることは明白ですが、この歌はソーとハルクのヒーロー像そのものにも当てはまるのではないでしょうか。今までの「ソー」「ハルク」から、新天地「雷神」「頼れるビッグガイ」へと、移住したのですから。​​​​​​​​​​​​​






Last updated  2017.11.03 17:42:58
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2017.10.21
カテゴリ:映画
​​​​​​​​​​​​ヤクザの仁義無き戦いを描くアウトレイジシリーズの最新作『アウトレイジ:最終章』を観に行ってきました!
アウトレイジシリーズは「バカヤロー!」「コノヤロー!」という罵詈雑言や、容赦ない残虐描写、そして「下剋上」をテーマとした硬派なストーリーで有名です。ビートたけしが監督と主演を兼務していますが、北野武監督作品としては珍しく、エンターテインメント色が非常に濃い作品になっています。私は第一作『アウトレイジ』をDVDで観てから無常で無情な世界観の虜になりましたが、『アウトレイジ:最終章』はそのアウトレイジシリーズの最後を飾る作品であり、期待通りの傑作でした!
※ネタバレ注意!



​■今回は国際抗争へ
『アウトレイジ』が山王会の内部闘争、『アウトレイジ:ビヨンド』が山王会と花菱会の東西抗争と、アウトレイジシリーズは順を追ってスケールが大きくなっていますが、今作は花菱会VS張グループと、遂に国際抗争にまで発展します。
花菱会には、『ビヨンド』でビートたけし演じる大友と舌戦を繰り広げた西野(西田敏行)と中田(塩見三省)がいますが、張グループのボスである張会長も引けを取っておらず、むしろ西野と中田よりも一枚上手と感じました。張会長演じる金田時男さんは、本業は役者ではなく実業家ですが、ビートたけしがその存在感に惚れ込んで起用をプッシュしただけあって、台詞数が多くないのにも関わらず、場を征圧する圧倒的なオーラを放っていました。花菱会のチンピラ(原田泰造)が張会長を撃てなかったのも分かります。あのシーンはまさに、蛇に睨まれた蛙でした。
花菱会と山王会はギラギラと野望を滾らせ、どちらも大きな問題を抱えていましたが、張グループは終始冷静で達観的であり、ガタガタの花菱会とは対照的に描かれていました。張グループの一糸乱れぬ統率力は、カリスマ性あるトップが率いているからこそ成せる技ですね。

■「下剋上」の輪廻
上記のように、スケールは未だかつてないほどに壮大になっていますが、それでも根幹のテーマである「下剋上」は不動のままです。シリーズ物はスケールが巨大になるにつれてテーマがブレるというのがお決まりですが、そこはさすが北野武監督といったところですね。というのも、今作は日韓全面戦争!という側面は薄く、どちらかと言えば花菱会の内部闘争に主眼が置かれているからです。
先代に指名され会長になったポッと出の野村会長をいかに引きずり下すか。また、いかに若頭の西田を牽制し、会長の座を維持するか。この構図は一作目、二作目でも見られました。そこに張グループのために暴走する大友が絡んできて、権力争いは血で血を洗う大抗争へ。終局は西田が会長の座を確保しますが、因果の輪は常に回り続けます。その争い――下剋上の連続に終わりはなく、西田会長の権力も刹那に終わるでしょう。
ヤクザという暴力とメンツに徹する組織だからこそ、権力争いの醜さは絵になるほどに脚色され、それ自体がエンターテインメントと化していますが、その本髄はあらゆる社会に共通のものです。「出世」や「権力」という概念を持つあらゆる組織は、その呪縛から逃れることはできません。歴史がそれを証明しています。そして、権力の頂点に立っても、決して安泰ではありません。今度は権力の維持に奔走される運命が待っています。賢者ソロンの言うように「死する直前までその人が幸福か否か分からない」というわけです。そして、その果てに待っているのは、「権力」そのものの衰弱です。
山王会が関内会長から加藤に代わり、日本最大勢力になるものの、加藤が失脚し山王会は花菱会の傘下へ。花菱会は野村会長から西田に渡りますが、大友の暴走(パーティ会場での銃ぶっ放し大量虐殺)により、勢力減退へまっしぐら。いずれ山王会と同じ道を辿ることになるでしょう。まさに盛者必衰の構図ですが、アウトレイジシリーズは、シリーズ全体を通して、その体現をしていました。

■大友の最期
この勢力移り変わりの大脈動のキーマンとなったのが、大友です。権力争いの主役ではありませんが、決定的な引き金となっているのは彼です。言い換えれば、権力者たちに利用されまくったとも言えるでしょう。大友自体は、自らの信念に従って行動していますが、それは「古臭い極道」であるが故に行動原理が把握されやすく、簡単に利用されてしまいます。張会長に一目置かれる存在でありながら、山王会であまり出世していなかったのも、それが関係していることでしょう。
今回も御多分に漏れず、西田に利用され、花菱会の勢力交代の一役を担います。そして最期は、勝手に暴走したことのケジメをつけるため、「張会長によろしく伝えといてくれ」と言って自殺するのでした。
アウトレイジシリーズの大多数が自分の利益のために行動する中、大友だけは、この信念(やられたらやり返す、義理堅い、意外と仲間想い)のために行動していたように思います。
それ故に、利用されるだけ利用され、自らの頭を銃で撃ち抜く(しかも一切躊躇せず!)というラストは、物凄く切ないものがありました。
しかし、大友はあれで「幸せ」だったと思います。信念を貫き通し、全ての復讐を果たしたのですから。​​​​​​​​​​​​






Last updated  2017.10.21 00:16:02
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2017.09.01
カテゴリ:映画
​​​​​​​​​ギリシアから帰ってきて、遂に夢のようだった夏休みも終わりか~と溜息を吐いたところで、ふと映画館に貼ってあるポスターを見ると、そこにはスパイダーマンとワンダーウーマンの姿が・・・!ギリシア滞在中に待望の『スパイダーマン:ホームカミング』が公開されていたことを思い出し、更に世界中で『ワンダーウーマン』旋風が吹き荒れてると聞き、早速両作品を観に行ってきました!やっぱり、ヒーロー映画は現代社会の癒しですね!笑 どちらの作品も観ていて非常に楽しむことができました!
※ネタバレ注意!



​■スパイダーマン:ホームカミング​


『キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー』でマーベル・シネマティック・ユニバースに華々しくデビューした気鋭の新人スパイダーマンの単独映画が遂に公開です!今までサム・ライミ版、アメイジング版と活躍してきたスパイダーマンですが、マーベル版ではそれらと一味違い、より未熟な存在として描かれていました。

デビュー戦がVSキャプテン・アメリカなだけあって、ピーターは自分に絶対なる自信を持ち、最初からアイアンマンと肩を並べてアベンジャーズのミッションを遂行できると有頂天に。そんな彼を見透かすように、トニーはピーターに何の指令も出しませんし、スーツも「補助輪モード」で能力を大幅に制限します。子供扱いにモヤモヤするピーター。最初、トニーがあまりにもピーターに無関心すぎると思いましたが、後々考えてみると、この時トニーは、かつての自分とピーターを重ね合わせていたのではないでしょうか。

ピーターが船で失態を演じた時、危うく数百人の犠牲者が出るところだったこともあり、トニーはピーターにスパイダーマンスーツ没収を宣言します。その時、ピーターは「スーツ無しじゃ何もできない!」と悲鳴を上げますが、この状態はまさに『アイアンマン3』以前のトニー・スタークそのものです。
トニーもかつてはアイアンマンスーツ無しじゃ何もできないという葛藤に苛まれており、チタウリという地球外の強大な存在を認知した後は、アイアンマンスーツが無くては発作が起きてしまうほどでした。そのスーツ依存症からの脱却が『アイアンマン3』で描かれており、最終的にトニーはスーツではなく自分こそがアイアンマンであると宣言するわけですが、このようにスーツや「スパイダーマンとしての能力」に頼り切っていたのがピーターなんですね。だからこそ、スーツを取り上げられる際にあんなにも狼狽えたわけです。「大いなる力には大いなる責任が伴う」という名台詞に当てはめれば、ピーターはあの時まだ大いなる力に見合った責任感を持っていなかったのです。

終盤、好きな女性であるリズよりもバルチャーの悪事を止めることを優先し、お手製のスーツで挑んだことは、まさに「大いなる責任」の芽生えでした。ここで、個の幸福のため公を犠牲にするバルチャーと、公の幸福のため個を犠牲にするスパイダーマンが、対照的に描かれています。この戦いを通して立派なヒーローに成長したピーターは、自らの役目を自覚し、地球規模のアベンジャーズよりも、街に根差した「親愛なる隣人」を選びます。名声よりも自分の目的・役割を優先したのです。自分の能力に酔っていた序盤のピーターと比べると、とても成長したことが窺えます。

スパイダーマンは『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』へ参戦が決定していますが、成長したピーターがどのような戦いをするのか、今から楽しみです!



■ワンダーウーマン


『バットマン vs スーパーマン:ジャスティスの誕生』での登場以来、DC・エクステンデッド・ユニバースきってのエースとなった感のあるワンダーウーマン。今作はそんなワンダーウーマンの誕生秘話が描かれています。
彼女は世界から隔絶された孤島セミスキラに住まうアマゾン族の一人で、軍神アレスから世界を守るという使命に燃えた純粋なる乙女でした。「アマゾン族」や「アレス」といったキーワードから察せられる通り、世界観はギリシア神話をベースとしています。

DC・エクステンデッド・ユニバースで神聖なる種族として描かれているアマゾン族は、実際のギリシア神話では「野蛮人」「外敵」の象徴的存在で、ギリシアの英雄たち(ヘラクレス、テセウス、アキレウス、ベレロポンテスなど)と幾度となく戦っては敗れています。この映画でダイアナの宿敵だったアレスも、実はアマゾン族を生み出した先祖であり、崇拝対象でもありました。アマゾン族が「善」であるという構図は古代ギリシアではなかなか見られないので、この映画はある意味新鮮でしたね。

ダイアナがロンドンに初めて足を踏み入れ、現代の慣習が分からず非常識な行動を取ってしまう様は、『マイティ・ソー』のプロットを彷彿とさせます。しかし、今作のそれは、当時の男性中心社会に最強美女が殴り込むとあって、ソーの時よりも強調されています。戦場においても、何もできない男性兵士を尻目に豪快に突き進んで戦況を一変させてしまうという、今までの男性ヒーロー像をぶっ壊してしまうほどの活躍ぶりです。

これを昨今の女性進出の機運として捉えることも可能でしょうか、私は英雄を導く軍神アテナ的存在として理解しました。
終盤、ダイアナはゼウスの娘であることを告げられ、軍神アレスと対峙しますが、その際にダイアナはアレスに対して"brother"と呼びかけています。もうね、アレスに対して"brother"と呼びかける女神といったらアテナぐらいしかいませんよ!ダイアナは女神アルテミスの英語名であり、アルテミスもアレスと腹違いの兄弟ではありますが、やっぱりアレスとの関係性で言えば、アテナの方がしっくり来ますね。
要するに、ダイアナは女神アテナを象徴していると思うのです。

アテナはアレスと同様に戦争を司る神格ですが、アレスが破壊や殺戮といった闇の側面を表すのに対し、アテナは栄光や名誉といった光の側面を映し出しています。ダイアナは純粋無垢ですが、戦争を止めるために「戦う」ことしかできませんし、平和にするために「殺す」ことしかできません。戦場の兵士たちを導き、「世界のため」という光の側面を見据えながらも、結局やっていることは「戦争」なんですよね。​目的は違えど、その様はまさに軍神​です。
光の中に身を置きながらも、結局は戦い続ける。敵が「永遠に戦いは終わらぬ」と劇中で言っていましたが、まさにその通りで、自らが軍神と化し、ペロポネソス戦争のような永久の戦いへと身を投じていくのでしょう。『キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー』でヴィジョンが語っていたように、「力が力を呼ぶ」のですから。​​​​​​​​​






Last updated  2017.09.01 23:56:13
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2017.07.31
カテゴリ:映画
本格的に夏が始まり、海だ祭だと世間が騒がしくなってきました。学生時代は夏はとても楽しみだったわけですが、社会人となった今はただ外回りがしんどくなるだけです・・・。笑 
そんな真夏は映画館に行ってヒンヤリしながら現実逃避に限ります!今回は夏映画として華々しく興行をスタートした『銀魂』『パイレーツ・オブ・カリビアン:最後の海賊』を観に行ってきました!
※ネタバレ注意


■銀魂

私は「熱狂的な銀魂ファン」というわけではありません。ジャンプを買っていた時代には少しばかり読んでましたし、一時期はハマっていましたが、今はそこまで気になる漫画でもなくなっています。しかし、本作の監督を務める福田さんは『勇者ヨシヒコ』シリーズで名を馳せており、私はヨシヒコの大ファンです。したがって、本作における私の評価基準は「原作に忠実」とか「白熱したアクションシーン」とかよりも、いかに「勇者ヨシヒコ譲りのシュールギャグが輝いているか」になります。

「シュールギャグ」に関しては、今作は大いに期待を上回ってくれました!
原作では煌めいていたギャグ(近藤さんがほぼ全裸で蜜を塗りたくっているとか、殴られた後の顔芸とか)も、実写となるとちょっと寒く思えてしまい、少し不安でした。しかし、メタ的なシュールギャグ(シャアザク登場とか、ナウシカとか、敵船上で新八登場後の掛け合いとか)はヨシヒコの遺伝子を存分に発揮し、観客を大爆笑の渦に叩き込んでいました。これぞ福田監督の真骨頂!これだけでも見る価値があったと言えるでしょう。

また、意外と良かったのがアクションシーン。上述の通り、見る前の期待値はシュールギャグに全振りでしたが、この少年漫画風アクションもなかなか見応えがありましたね。CGは時代遅れにもほどがあるほどチープ(このクオリティは、昔の映画『ミスト』を思い出しました)なんですが、白熱した殺陣は結構迫力がありました。残念なのは、終盤の紅桜覚醒後が極めてショボかったこと・・・。ヨシヒコは低予算という前提があったからチープなCGやセットも暗黙のギャグとして楽しめましたが、豪華なお祭り映画でこれをやってもただ残念なだけですね・・・。


■パイレーツ・オブ・カリビアン:最後の海賊

こちらは世界を蹂躙するブロックバスター映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの最新作です。『呪われた海賊たち』『デッドマンズチェスト』『ワールドエンド』の三部作は極めて面白かったことを覚えていますが、四作目の『生命の泉』で失速した感は否めません。
今作では三部作以来のハイクオリティな大活劇を観ることができるのでしょうか。海外大手批評サイトRotten Tomatoesは辛辣に「NO!」と叫んでましたが、実際見てみると思ったよりも楽しむことができました。
なにせ、今回のお宝は「ポセイドンの槍」です。ポセイドンですよ、ポセイドン!古代ギリシア好きの私としてはポセイドンというワードが出る度にニヤリと微笑んでしまいます。無論、ギリシア神話の実際の伝承とは大きくかけ離れていますが、「全ての海の呪いを解除する」というチート性能や、モーゼもびっくりな勢いの海割りなど、ポセイドンの名を冠する宝をパイレーツ界随一の超スーパーアイテムとして扱ってくれただけで嬉しいですね!

「ポセイドンの槍」はさておき、今回のパイレーツも疾走感たっぷりで、ド派手なアクションとユーモアたっぷりのひと時を過ごすことができます。ただ、深みはありませんし、『ワールドエンド』のような興奮もありません。ポップコーンムービー以上でも以下でもない、といった印象です。
登場キャラが多くなって深掘りできなかったからでしょうかね、この楽しさ以外「何も残らない」感は。『生命の泉』でもそうでしたが、余韻があまり無いんですよね・・・。ディズニーのアトラクションを乗って「あー、楽しかった!」で感想が終わってしまうかのような・・・。それなりに楽しかったのは確かなんですが・・・。バルボッサが娘を護る為に死んだのも、なんか取って付けた感があってそこまで感動できませんでしたし・・・。
色々と要因はあると思いますが、一番の要因はジャック・スパロウの魅力を上手く表現できなかったことだと思います。今作のジャックは振り回される一方で、主人公の座はヘンリーとカリーナに明け渡しています。ジャックのクズっぷりと愛嬌は序盤でたっぷりと表現されていましたが、最も重要な英雄性が終始欠けていました。それは運命に翻弄されながらも、自らの意志で道を切り拓く卓越性です。それ失くしては、ジャックの魅力は半減してしまうでしょう。






Last updated  2017.07.31 22:16:09
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