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リュンポリス

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古代ギリシア

2019.06.12
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テーマ:海外旅行(5658)
カテゴリ:古代ギリシア
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​平成から令和へと年号が移り変わり…、​平成最後の海外旅行はギリシアでしたが、令和最初の海外旅行もギリシアです!​GWはあらゆる航空券が高騰していたのもあり、時期を少しずらして6月初週にギリシアへ1週間ほど行ってきました。というのも、今所属中の会社には「5の倍数の年齢になった時、自分の好きな時期に有休を5連続で取っていい」というリフレッシュ休暇制度があり、今年で満25歳になる私は、年末年始・GW・夏季休暇とは別に、9連休を確保できたわけですね。

今までのギリシア旅行は(親友と一緒だった第2回ギリシア旅行を除いて)基本的に一人旅でしたが、今回は彼女と休みを合わせて一緒に旅行してきました!彼女は私のようにギリシア好きでも研究家でもないため、内陸部のマイナー遺跡巡りのようなことはせず、一般旅行客に人気の高いエーゲ海諸島を中心に選定しました。その結果、​アテネ、ナクソス島、サントリーニ島​というチョイスとなりました。
メインは何と言っても「新婚旅行で行きたい欧州の島 第1位」を獲得したフォトジェニックの帝王・サントリーニ島です。サントリーニ島はそのあまりの美麗さ故「一人旅では行かず、恋人と行く」と心に決めていた場所なので、超が付くほど有名な島ながら、今回初めての上陸となります。ナクソス島はややマイナーですが、サントリーニのようにバカンスの島であることに加え、第一次ペルシア戦争の一因となった島でもあり、個人的に行ってみたかったので立ち寄ることにしました。



​​​アテネ:6/2~6/3​​​
格安航空のScootを使い、シンガポール乗り継ぎでアテネへ。エンタメも何もない深夜バスみたいな座席に長時間拘束されるのは結構しんどかったですが、アマゾン・プライムでたんまりオフライン保存しておいた海外ドラマ『スーパーナチュラル』や『松本人志のドキュメンタル』で事なきを得ました。関空発で良い条件の航空券がこれしかなかったんや・・・。


​★アテネで主に訪れたスポット​
①リュケイオン
②ミトロポレオス大聖堂
③アクロポリス(パルテノン神殿他)
④プシリ区のエルム―通り


▶アクロポリス周辺
基本的にアテネはギリシア旅行時に必ずアクセスする場所なので、アクロポリス周辺はもはや実家のような安心感です(アクロポリスはこれで5回目の入場です)。さながらツアーガイドのように、今回が初のアテネとなる彼女を主要観光スポットへと案内していました。彼女は、パルテノン神殿には行きたがっていたものの、遺跡には全く興味がないタイプなので、楽しんでくれるか心配でしたが、アクロポリスとその上に聳え立つパルテノン神殿の壮大さに感無量のようでした。嬉しいものですね。私の解説は8割ほど聞き流されましたが。笑


▶リュケイオン
歩き慣れたアテネ市内ですが、リュケイオンだけは今回初の入場となります。リュケイオンは、古代アテナイの郊外にある体育場であると同時に、​「万学の祖」とも呼ばれる大哲学者アリストテレスが自らの哲学を教えた地​でもあります。ここでアリストテレスを始祖とするペリパトス派が逍遥しながら真理について議論していたかと思うと、感慨深いですね。アリストテレスはスコラ哲学を通して中世ヨーロッパにも多大な影響を与えており、学問のみならずキリスト教の理論化にも貢献しました。
リュケイオンはアクロポリスと比べると地味な遺跡のため(その歴史的意義はアクロポリスにも比肩しますが)、彼女が休憩中に一人でちゃちゃっと行ってきました。笑


▲最早跡形も残っていませんが、リュケイオンは、「エフェベイオン」と呼ばれる講義室や、レスリングなどで体を鍛える「パライストラ」、汚れた体を洗い流す公衆浴場などの複合施設でした。このような設備が発展する前は、アポロン・リュケイオス(牧畜を守る権能を持つ)を祀る神域でもありました。



ナクソス島:6/3~6/4
エーゲ海のキュクラデス諸島で最大の島であり、アルカイック期(前7~6世紀頃)に周囲の島々を従えるほどの絶大な力を誇った都市国家がナクソスです。光明神アポロン信仰の一大拠点・デロス島に、印象的なライオン像を奉納したのも、古代ナクソス人でした。
ヘロドトスによれば、ペルシア帝国から支援を受けたミレトス僭主アリスタゴラスはナクソスを4か月間包囲したものの、その頑強さに撤退せざるを得なくなりました。この失敗でペルシア帝国からの信頼を失ったアリスタゴラスは、「やられる前にやる」精神でペルシアから離反し、マラトンの戦いで有名な第一次ペルシア戦争が勃発したのです。ナクソスの強さが、世界史に大きな影響を与えた瞬間でした。


★ナクソス島で主に訪れたスポット
①ナクソス・タウン
②パラティア島のアポロン神殿
③ヴェネツィアン要塞と旧市街
④考古学博物館
⑤グロッタ・ビーチ
⑥ミトロポリス遺跡博物館
⑦ナクソス・ポート


▶パラティア島のアポロン神殿
ナクソス島のランドマークは、何と言ってもパラティア島のアポロン神殿でしょう。もはや神殿の門と基礎部分しか残っていませんが、それが逆に印象的な建造物になるのに一役買っており、​「ポルタラ(門)」​とも呼ばれています。この神殿は、同時代に着工中だった他国の壮麗な神殿(アテナイ僭主ペイシストラトスによるゼウス・オリュンピオス神殿など)に対抗意識を燃やしたナクソス僭主リュグダミスによって作られました。結局未完成のまま終わり、今ではその面影は殆ど消え去ってしまいましたが、当時のナクソスの繁栄ぶりを偲ぶには最適な場所と言えるでしょう。
この独特の非現実感は彼女の心も捉えたようで、太陽神ヘリオスの輝きと風の神々アネモイの息吹、そしてポセイドンの美麗な海に満喫しているようでした。


▲この神殿は、入り口がデロス島の方角を向いているので、アポロン神へと捧げられたと広く信じられています。しかし、ギリシア神話が示す通り、パラティア島は酒神ディオニュソスとの結びつきが強い島でもあるので、ディオニュソス神殿だったとする説も存在しています。


▶旧市街とグロッタビーチ
ナクソス・タウンはこじんまりしており、1泊2日という短い期間でしたが、思う存分堪能することができました。白亜の街並みを残す旧市街は、あらゆる場所がフォトストップになるほどの美麗さを誇っており、晴天の蒼穹と相まって、さながら絵画の世界に迷い込んだかのようでした。しかも、ふと海に目を向ければ古代の栄光であるポルタラのシルエット。以前旅行したミコノス島もこのような街並みを有していましたが、すぐ近くに古代遺跡が聳え立っているのがナクソスの特筆すべき点であり、異なる時空が隣り合わせになっている町と言えます。モダンなグロッタホテルのウェルカム・ワインを彼女と飲みながら、白い町・美しいエーゲ海・古代のポルタラを眺め、心が現実の鎖から解き放たれたかのような、途方もなく贅沢な時間を過ごすことができました。


▲右手に見える小さな島がパラティア島で、その上にポルタラが聳え立っています。パラティラ島へは歩いて上陸することができ、その道中ではヨーロピアンズが海水浴を満喫していました。

ちなみに、グロッタビーチ周辺には、キュクラデス文明/ミケーネ文明の住居跡や、アルカイック期のアゴラ跡も確認されており、ここが古代世界の活動の中心部だったことを示しています。古代人たちも私たちのようにパラティア島と海を眺めながら生活していたかと思うと、時空を超えた親しみを感じますね。(ミケーネ文明崩壊後、時代が下るにつれて、住居地域はヴェネツィアン要塞の方へ移行しましたが)
夕暮れ時に、パラティア島とポルタラに向かって夕陽が沈んでいく様をビーチから眺めていましたが、古代人たちも我々現代人のように、夕陽を特別な想いで見つめていたことでしょう。



サントリーニ島:6/4~6/7
ナクソス・タウンを堪能した後は、遂にバカンスの帝王・サントリーニ島へ向かいます!ナクソスとサントリーニは非常に近い位置にあるので、フェリーに乗って上陸しました。港は大量の観光客と客引きで溢れ返り(さすが最も有名な島…!)、早くも静かなナクソスを懐かしむ気持ちでいっぱいでしたが、なんとかフィラ市内へと到着することができました。サントリーニ島は青銅器時代の度重なる大噴火によって形作られたこともあり、断崖絶壁の岩がちな土地が特徴的です。眺めは最高ですが、こんな険しい島に一大バカンス拠点を作るなんて…人間の逞しさは凄まじいですね。


★サントリーニ島で主に訪れたスポット
①フィラ
②先史博物館
③考古学博物館
④カマリと黒砂ビーチ
⑤古代ティラ遺跡
⑥オールド・ポート(ロバ乗り)
⑦ネア・カメニ島とカルデラ
⑧パレア・カメニ島と聖ニコラス教会
⑨ティラシア島
⑪イア(夕陽)
⑫アクロティリ遺跡
⑬サント・ワインズ・ワイナリー


バカンスでまったりどころか、かなり活動的なガチ観光となってしまいました…!サントリーニ島は「バカンス」や「フォトジェニック」といった表面を一枚剥がすと、歴史的・神話的・地理的に極めて興味深い深層が現れるため、知的好奇心の赴くままに行動せざるを得ませんでした。こんなにアクティブな旅に、文句も言わず付き合ってくれた彼女には本当に感謝です。


▶古代ティラ遺跡
サントリーニ島は古代スパルタ人が前8世紀頃に入植した地として知られ、そのリーダーだった伝説上の人物テラスの名前を取り、当時は「テラ島」と呼ばれていました。その活動跡が色濃く残るのが、古代ティラ遺跡です。カマリ・ビーチ近くの小高い山の上にあり、観光客でごった返すビーチとは対照的に、世俗と切り離された静穏なる隠遁地のようでした。日頃のビジーさに少し疲れていた私たちは、この無窮の時を刻む太古の頂に癒しを見出し、心を空に投げ出していました。(ほぼ登山なので肉体的には疲れていましたが笑)
それにしても…、平成最後の海外旅行としてスパルタに行き、令和最初の海外旅行としてスパルタ人の入植地サントリーニ島に行ったとなると、次の旅行は北アフリカのキュレネ(古代テラ人が入植した地)ですかね?笑


▲主にヘレニズム期とローマ期の遺構が広がり、住居・アゴラ・神殿の遺構を確認することができました。意外だったのはプトレマイオス朝守備隊駐屯地の遺跡があったことで、当時のエジプトがエーゲ海にどれだけの影響力を持っていたかが推察できますね。


▶ネア・カメニ島(カルデラ)~パレア・カメニ島(温泉)
前述した通り、サントリーニ島は紀元前の大噴火によって大きく地形が変形しました。そのインパクトは計り知れず、キュクラデス諸島を始めとするエーゲ海全域に大激震を与えたのは確実で、これが後のアトランティス伝説の元となったとする説もあるほどです。このような地球規模の大破壊は、古代人に神々の怒りとして記憶されたでしょうから。
サントリーニの内海にポツンと佇むネア・カメニ島は、度重なる火山活動によって海上にまで隆起したカルデラです。自力で行くことは難しいですが、ネア・カメニ島やその近くのパレア・カメニ島の温泉に連れて行ってくれるお手頃な船上ツアーを現地旅行会社が企画していたので、それに参加してサントリーニの雄大な火山活動を探求してきました。
「温泉に行くっていうし、サンダルかな~」と、フィラで購入したハンドメイドの革サンダルを装備して意気揚々とネア・カメニ島に上陸しましたが…すぐに後悔しました。ネア・カメニ島の上には見渡す限りの岩山と荒れ地が広がっており、サンダルとの相性が最悪なのは火を見るよりも明らかだったからです。カルデラまで到達するには、至る所に転がる岩を乗り越えて行く必要がありますが、購入したばかりで履き慣れないサンダルでスイスイ行けるはずがありません。足首をグリングリン捻るわ、サンダルの革がはち切れそうになるわで、折角のハンドメイド品が引き裂かれるかと思いました…。
ただ、眺めは最高で、怪物の鱗のような岩肌と蒼穹のエーゲ海の組み合わせは、神話的な壮大さでした。ツアーなので時間は限られていましたが、できることならもっとゆっくり見て回りたかったですね。


▲大自然の厳しさと美しさを体現したかのような景色。下部に広がる黒い岩はその一つ一つが非常に鋭利に尖っており、少し押し付けるだけでペットボトルが真っ二つになりました。

それでお目当ての温泉ですが、これが史上最高にアドベンチャラスな温泉でした。日本にある温泉のように整備されておらず、水深十数メートルを超える海を泳いだ末に到達できるという海中温泉だったのです。
というのも、温泉のあるパレア・カメニ島の近海にツアー船が停泊し、「接岸するのかな?」と思いきやそんなことはなく、「温泉はここから海に飛び込んで泳いだ先にあるよ!ただし水深は十数メートルあるし水温も低いから"Only for Good Swimmers"だよ!」というアナウンスが。("Only for Good Swimmers"を連呼するものだから覚えちゃいました)
な、なんて高いハードルなんだ…!バカンス慣れしているヨーロピアンズは躊躇なく飛び込んでましたが、私はというと九十九里浜の近くに実家があるというだけのただの元千葉県民。海の恐ろしさを幼少の頃に叩き込まれており、水深十数メートルもある海に浮き輪も無しに飛び込むなんて、サメの口にダイブするも同然…!
ということで、無邪気に海を泳ぎまわりアドベンチャラスな温泉に続々と到達するヨーロピアンズを船上で眺めながら、彼女と談笑するに留めました。というか、事前に温泉がアドベンチャラスだと教えてくれていれば、サンダルじゃなくて運動靴で行ったのに…。笑


▲白い聖ニコラス教会周辺の、茶色になっている海域が海中温泉です。陸上から行けば簡単でしょうが、港がないので船から泳いで行く他ありません。入ってみたかったなぁ・・・。


​▶イア​
火山ツアーの後は、世界的に有名な夕陽を観るためにイアへと旅立ちました。サントリーニは小さい島なので、フィラからローカルバスを使えば2ユーロ以下で遠くても30分前後で行けるのが便利ですね!ローカルバスは混雑の極みでしたが、運良く座ることができ、1.8ユーロで30分足らずでイアに到着できました。
イアの町並みはフィラと似ていますが、明らかに雰囲気が違っていました。なかなか言い表しづらいですが、フィラをウォーマシンとするなら、イアはアイアンマンです。​つまり、美しい町並みを揃えながらも、綻びがちょこっと出ているフィラとは違って、イアは洗練されているんです。​まさにザ・サントリーニ!よく絵や画像で見かける「蒼穹の海、白亜の壁、藍色の屋根」が完璧に表現されているのがイアなんです。フィラよりもイアのホテルが高騰していた理由が今分かりました。これはここに宿泊したくなるわなぁ・・・。
イアに到着した時点で19:00を過ぎていたので、写真を撮りまくりながらも夕陽絶景スポットのアギオス・ニコラオス要塞へ。(夏のギリシアは日本よりも日の入りが遅く、20:30頃に日が沈みます)バスが激混みだった時点で予想はしていましたが、みんな考えることは一緒らしく、ありとあらゆる観光客が要塞付近へ陣取っていました。その様はまるで自撮り棒とスマホを夕陽の女神に奉納しに来た巡礼者の行列のようで、自撮りの大群そのものがある意味スペクタクルでした。笑

イアの夕陽は​「世界一美しい夕陽」​とも呼ばれています。実際、それは誇張抜きでそうだと思います。ザ・サントリーニなイアの町並みを背景に、静かで壮大なエーゲ海へ真っ赤な太陽が少しずつ沈んでいく…、まるでおとぎ話の1ページのような、そんな瞬間。その刹那だけ太陽は巨大な恒星から太陽神ヘリオスの馬車となり、海の果てへと着水して黄金の杯の上に乗り込むのです。現実から幻想世界へと精神を解き放つ、そんな美しさがイアの夕陽にはありました。


▲赤い太陽は光り輝く円いポータルのようでもあり、その中から神々の王ゼウスが地球を祝福するために歩いて出てきそうなほど神秘的でした。(アベンジャーズ:エンドゲームのブラックパンサー登場シーンのように。笑)その神々しさと美しさは、写真や動画では決して伝わりません。

イアの夕陽を、あらゆる国籍の人々がみんな眺めていました。
19世紀頃、イアは海運業で栄えていました。エジプトからロシアの中間貿易拠点として、繁栄の絶頂を謳歌していたのです。しかし、蒸気機関の発明によって中間地点が不要になると零落が始まり、競合となるピレウス港の躍進とマグニチュード7.8の大地震の影響もあり、20世紀後半には住民数はたったの300人前後にまで減少してしまいました。しかし、​復興作業によって美麗な外観を取り戻したイアは、"Picture Perfect"な一大観光スポットとしてその地位を不動のものとし、全盛期に肉薄するほどの復活を遂げた​のです。
一時は落ちぶれるも、不死鳥の如く復活し、世界中が注目する場所になる…これぞ、ギリシア共和国の望んでいる姿ではないでしょうか。元財務大臣バルファキスが告発したように、EUの構造的欠陥と権威主義的政策がギリシアの不況を未だに長引かせています。しかし、いつかその軛から解き放たれ、イアの如く復活し、国際的な威信を取り戻せると信じています。イアの夕陽の幻想的な光景を眺めながらも、ふとそう思いました。


▶アクロティリ遺跡
「火山灰に埋もれた遺跡」というワードで、おそらく多くの人が真っ先に思い浮かべるのはイタリアのポンペイ遺跡だと思います。​アクロティリ遺跡はまさにそのギリシア版で、ポンペイ(紀元後79年)よりも遥かに古い時代(紀元前17世紀頃)に起きた大噴火の悲劇を現代まで伝えています。​
アクロティリの古代都市は、頻繁に発生する大地震に苦しめられてきましたが、被災する度に並々ならぬ努力で復興してきました。地震で崩れる度に、瓦礫の上に新しい道路や建造物を作っていたので、都市の地面が徐々に高くなっていったほどです。東日本大震災で震度7弱の揺れと津波(実家の庭が浸水し少し地割れする程度でしたが)を経験した私としては、古代アクロティリ人の自然災害にも挫けないその努力に感銘を受けました。


▲アクロティリ遺跡は、その歴史的重要性故に、屋内に守られています。今から約3700年くらい前の遺跡だというのに、もう3階建てがあったり、トイレ(パイプによって下水まで流す)の遺構があったりと、極めて高度な技術を有する文明でした。

しかし、地震では決して折れなかった古代都市も、地形を変形させるほどの大噴火には勝てませんでした。天から降り注ぐ火砕流と火山灰は、小さな島の小さな都市国家を滅ぼすにはあまりにも充分すぎる量だったのです。サントリーニが白と青に彩られた幸福の島だという評判は、紀元前からなる歴史という分厚い本からしたら、ほんの1ページにも満たない数行の話でしかありません。バカンスの帝王・サントリーニ島の本質は、抗いようのない大自然によって、理不尽に奪われていった数え切れない命の物語なのです。
前述のネア・カメニ島の火山ツアーで、ガイドさんが言っていました。「サントリーニ島の教会は、全てこのカメニ島を向いている。それは、ここで大噴火がかつて起きて、多くの愛する者が死んでいったからだ。だから残された人々は、もう二度とこの悲劇が起こらないように、このカルデラの方角に教会を立てて祈っているんだ。サントリーニ島は幸せの島?冗談じゃない。ここは死の島だよ


▶レッドビーチ
アクロティリから少し歩くと、まだあまり開発が進んでいない秘境的ビーチが現れます。赤砂の絶壁が特徴的なため、レッドビーチと呼ばれていますが、ガイドブックにも掲載されているのでもはや隠れ家ではなくなっていました。笑


▲ガイドブックには「人が少ない静かなビーチ」と書かれていましたが、結構な人がビーチでエンジョイしていました。レッドビーチ近くのアクロティリに向かうローカルバスが混みまくってたのも納得です。

水着も持参し、気温も25℃とこの旅行中では一番の暑さですし、これはエーゲ海で泳ぐには絶好のチャンス!意気揚々と波に浸かりましたが・・・めっちゃ冷たい。外気温がめっちゃ暑いこともあり、そのギャップが凄まじい。氷水に足を突っ込んでいるかのようです。第3回ギリシア旅行時(8月)のミコノス島の海水もめっちゃ冷たかったし、エーゲ海は基本冷たいもんなのだろうか・・・。(それに比べてコリントス湾は冬でも温かかったし、寒さに苦手系男子はコリントス湾へ行けということか・・・?)
その冷たさに彼女は早くも泳ぐことをギブアップ。​私は意を決して平泳ぎをしてみたものの、数分で歯が鳴りそうなレベルにまで体温が低下。​痩せ型なので元々寒さは苦手でしたが、ここまでとは・・・。ヨーロピアンズが寒さをものともせず泳いでいるのは、地中海の冷たさに慣れてるからなのか、筋肉量が多いからなのか・・・。日光で体温を回復しながらも、そんなことを考えていました。笑


​▶サント・ワインズ・ワイナリー​
サントリーニ最後の夜(と言ってもまだ明るかったですが)は、偶然同じ島に居合わせた新婚旅行中の同期と、眺めの素晴らしいワイナリーでディナーです。(部署も業界も大きく異なりますが、私と彼女はいわゆる職場恋愛なので、同期は共通の友人でもあります)
サントリーニ島の雄大な景色を眺めながらワインの飲み比べをし、談笑に花を咲かせます。同期の奥さんがコミコンに参加したことがあるほどの大のMARVELファンだったのもあり、会話はかなり盛り上がりました。笑
同期は開発職ということもあり、営業職の私とは仕事上での交流はありませんでしたが、新婚旅行という人生の絶頂期にギリシアを選んでくれたことは本当に嬉しかったですね。


▲サントリーニはワインも非常に有名で、あまりお酒が得意でない私でも、美味しいワインであることが分かりました。こんなに美しい景色を眺めながら飲むワインは何でも美味しく感じるのかもしれませんが。笑



​そして…帰国​:6/8~6/9
楽しい時間は一瞬で過ぎ去り、気付けばアテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港に。Scootに乗り込んで、トランジットのシンガポールまでひとっ飛びです。そして、ただいま日本…。家に着いたのは日曜日の深夜で、月曜日からは普通に仕事です。この幸せに満ちた旅行も、日々の忙しなさに、徐々に埋もれていくのでしょうね。(というか、真っ黒に日焼けしすぎて月曜日は上司・先輩・後輩から総ツッコミを喰らいました。笑)

言うまでもなく、とても楽しく、幸せで、学びに満ちた旅となりました。ギリシアに限りませんが、現地でしかわからないことは多いので、それを紐解いていくのは無上の喜びですね。今回は一人旅ではなく、彼女との二人旅でしたが、その場で喜びを好きな人と共有できるのは、非常に素晴らしいことですね。彼女とは、国内旅行に加え、香港・台湾・ベトナムと、ギリシア以外にも様々な場所を訪れてきましたが、今回がトップクラスに楽しかったです。ギリシア補正も絶対あるでしょうけどね。笑
彼女もギリシアのことを好きになってくれたようで、彼女お気に入りのナクソス島には一緒に再訪するかもしれません。​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

高橋優の歌詞にもありますが、「辛いことの中にちょっとある最高のために僕らは歩く」。まさにその通りです。ギリシアの文豪ニコス・カザンザキスが生み出したキャラクター・ゾルバは、お金のことを「翼」だと表現していました。普段はコツコツと翼を養って、ここぞという時にそれを脈動させ、最高の瞬間へと羽ばたく。また次の飛翔を夢想しながら、しばらくは翼を養うことにします。​​






Last updated  2019.06.18 00:11:39
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2019.01.07
テーマ:海外旅行(5658)
カテゴリ:古代ギリシア
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします!
時が過ぎるのは早いもので、あっと言う間に2019年へと突入してしまいました。平成最後の年末年始は、いつも通りまったり実家・・・ではなく、ギリシアへ一人旅に行っていました!今回はコリントス、エギナ島、そしてスパルタという、ドーリア人の主に定住した地を中心に巡って行きました。
最大の目玉は何と言っても「スパルタ」で、かつてペロポネソス戦争の末に海洋帝国アテナイを破り、テーバイが台頭するまでギリシアや小アジア地域で覇を唱えた無敵の都市国家に初めて足を踏み入れることになります。

2018年の12月29日深夜に、アエロフロート・ロシア航空によってモスクワ経由でアテネへ到着し、翌日から活動を開始しました!


◆コリントスへ上陸!(2018/12/30-12/31)
午前中にアテネのアクロポリスやパルテノン神殿を参拝した後、早速コリントスへ向かいました!
6年前に人生で初めてギリシアを訪れた際、メジャーな遺跡を巡るアメリカ人向けのツアーでコリントス運河だけはフォトストップとして観光できましたが、現代コリントスの町、そして古代コリントス遺跡には今回が初となります。KTELバスというギリシャの長距離バス(イギリスで言うメガバス)を利用し、コリントスへ上陸です!

★コリントスで主に訪れたスポット
①ベニゼル広場(ペガサス像)
②ペリアンドロス像
③コリントス湾(ポセイドン通り)
④ディオルコス遺跡
⑤コリントス運河とイスミア橋
⑥古代コリントス遺跡
⑦アクロコリントス遺跡

滞在一日目は①~⑤までを観光しましたが、特にコリントス湾は感動的でした!これはディオルコス遺跡※​に向かうまでの道(ポセイドン通り)で偶然にもコリントス湾を一望できたのですが、あれは良い意味で青天の霹靂でしたね。美しすぎます!夕暮れ時、水色の絵の具で海面をそのまま塗りつぶしたかのような、あの淡い神秘的な光景は、まさに美の女神アフロディテの祝福そのものでした。心を奪われるとはああいうことなのでしょう。ディオルコス遺跡に行った帰り、近くのベンチに座り、ギリシャの音楽を聞きながら辺りが暗くなるまで眺めていました。

​※​
古代ギリシアの時代は、地峡に運河がまだ出来ていなかったので、船を一度陸に上げて反対側の沿岸部まで引っ張り、地峡を渡っていました。地峡は重要な物流ルートだったので、古代コリントスはこれを管理し税を徴収することで、膨大な資金を入手していました。その跡地がディオルコス遺跡です。


▲ディオルコス遺跡へ後1kmというところで偶然見つけた浜辺。淡いコリントス湾の美しさに脱帽です。

2日目は古代コリントス遺跡へ向かいましたが、ここで大失態・・・。なんと古代コリントス遺跡と考古学博物館がクローズ!しかも年末だからとかいう特殊要因ではなく、定休日の月曜日だから・・・!orz
なんという初歩的なミスでしょうか。柵から辛うじて遺跡を眺めることはできますが、中に入ることができないなんて・・・!グラウケの泉の遺構やアポロン神殿は柵からも見えますが、肝心のペイレネの泉​※​は全く見れない・・・!

​※​ペイレネの泉は、コリントスの英雄ベレロポンがペガサスを捕まえた場所とされる伝説の泉です。ベレロポンはペガサスに跨ることで無敵の力を得ますが、傲慢になりすぎたことで最終的にゼウスの怒りに触れ、飛行中にペガサスから落ちて死にます。(もしくは下半身不随)

ここまで来てこんな結末なんて嫌だと思ったので、代わりに古代コリントス遺跡の背後に聳え立つ山の頂上にあるアクロコリントス遺跡へ向かおうと決意。グーグルのオフラインマップによると4~5km山道を登らないと行けないとありますが、まぁヘーキヘーキ!
と、当初は軽い気持ちで行きましたが・・・まぁ地獄でしたね。笑


▲巨大な岩塊のような山の頂上にあるのがアクロコリントス遺跡です。標高は575メートルとそこまで大きい山ではありませんが、徒歩で登るとなると大変です・・・!

というのも、途中で雨が降ってきたんです。傘は現地調達しようと思ってたので持ってきてませんし、近くの店で買おうにも、年末だからかどの店も閉まってました。仕方なく雨に打たれるがまま山道に行きましたが、真冬の雨で体温は奪われるわ、ずっと上り坂で体力は消耗するわ、果てしない山道(なにせ4km)で心折れそうになるわで、この時点では控えめに言って最悪でした。笑 景色は良かったんですが、それを楽しむ心の余裕がありませんでした。笑
雨が強くなってきた時は、林の中に入り、オリーブの木の下で雨宿り&休憩。雨が弱まってきたらまた山道に戻って登るということを繰り返していました。

残り1km!というところで、人通りゼロだった山道にも車が通りかかり、私の近くに止まりました。同じくアクロコリントス遺跡観光に訪れていたアメリカ人ご夫婦で、「君大丈夫?遺跡まで車に乗ってく?」という温かすぎるお言葉!!!(忘れもしません、レイチェルさん!)二つ返事でOKし、残り1kmは「ありがとう!あのままだったら死んでたよ、ハハハ」なんて冗談を言いながら優雅に遺跡までGO!
得体のしれないびしょ濡れのアジア人を乗せてくれるなんて・・・、人の温かさに感謝すると同時に、感動しました。

で、ここからが本題のアクロコリントス遺跡なんですが、地獄の試練を乗り越えて来ただけあって、感動もひとしおですよ!古代コリントス時代の重要なアフロディテの神域である上に、ビザンティン時代は難攻不落の要塞として活躍しました。現在残る遺構はビザンティン時代のものが大半を占めますが、奥地には第二のペイレネの泉(The Upper Peirene Spring)があります。こちらはペガサスが蹴って湧き出た、もしくは河神アソポスがコリントスの創始者シシュポスに与えたという2つの異なった伝説があります。ともかく、古代コリントス遺跡で見れなかったペイレネの泉を、アクロコリントス遺跡で見ることができたんですから、もう大満足ですよね!!!


▲アクロコリントス遺跡からの眺め。神話では、アクロコリントスの領有を巡って海の神ポセイドンと太陽神ヘリオスが争ったとされています。例の如く、ポセイドンはこのアクロポリスを手に入れることができませんでした。(代わりにコリントス地峡の守護神となりましたが)


▲ペイレネの泉の遺構。ここから水分補給できるので、アクロコリントスは敵に包囲され籠城戦になっても長期間持ちこたえることができました。

行きの山道であれほど体力消耗したにも関わらず、いざ遺跡に着いてみれば、不思議と活力が漲り、常時ランナーズハイのような状態で2時間以上観光できました。遺跡内部も、急斜面や崖と隣り合わせの狭い山道など、危険な山地であることに変わりはありません(手すりや柵なんてものはありません。落ちたら自己責任です)が、もう楽しいのなんのって!靴、コート、ズボン下部が総じて浸水するという客観的に見れば悪夢のような状態でしたが、重要な神域にいるという事実だけで最高の気分になれました!

さて、一通りアクロコリントス遺跡を堪能し、問題は帰りです。親切なアメリカ人ご夫婦はとうの昔に帰ってしまっています。まぁ、今回は下り坂だし、大丈夫だろうとまた徒歩で下りることを決意。1kmぐらい進むと、今度はコリントス在住のギリシャ人のお爺さんが車で拾ってくれました!しかも、向かっている先が偶然同じ方向だったのもあって、ホテル近くまで送ってくれるという最高の優しさ!おかげでコリントス行きのバスを待つ時間を短縮でき、アクロコリントスへの大冒険にも関わらず、想定より早めに戻ることができました。本当に感謝してもし切れません・・・!人の優しさに触れることのできたコリントスでした。


◆アテネで平成最後の年越し!​(2018/12/31-2019/1/1)
コリントスのホテルで一旦体勢を整えた後、年末の夜はアテネへ!アクロコリントス登山で心底疲れ切っていましたが、年越しカウントダウンは見ようと深夜はシンタグマ広場に佇んでいました。年越しの瞬間は、多くの人が派手にライトアップされた広場に集まり、皆でギリシャ語でカウントダウン。年越しした直後はアクロポリスから花火が上がりました!(残念ながら、広場からだと建物が邪魔してあまり見えませんでした笑)ロンドンの年越しのように派手で長いセレモニーはありませんでしたが、一刻も早く眠りにつきたい私としてはその方が好都合でした。笑
ちなみに、どさくさに紛れて腕時計を盗もうとしてきた不届き者もいましたが、なんとか死守しました。彼女からもらった大事な腕時計だったので、盗まれてたら悲憤の年越しになっていたところでした。笑


▲年越し直前、続々とシンタグマ広場に集うギリシャ人たち。深夜にも関わらず、小さなお子さんも年越しカウントダウンに参加していました。

年が明け、元日の午前は、​以前から言語交換SNSでギリシャ語でやり取りしていた現地女子大生のカリオペさんと初めて会ってきました!​(あれだけびしょ濡れになったのに風邪をひかなかったのは奇跡ですね笑)ケルキラ島の大学に通っているそうですが、実家はアテネとのことで、年末年始は帰省しているようです。まだ私のギリシャ語はスピーキング・リスニングが不十分なので、基本的には英語での会話となってしまいましたが、ギリシャ語もちょっとだけ話すことができました。私がギリシャ大好きであるのと同様に、カリオペさんも日本が大好きであり、日本の文化やギリシャの文化を教え合うという、非常に楽しい一時を過ごすことができました!(古代ギリシャに関しては私の方が詳しく、「大学の教授みたい!かっこいい!」と言われて鼻高々でした笑)


◆これがスパルタだ!!!(2019/1/1-1/3)
カリオペさんとの談笑の後は、KTELバスでスパルタへ!移動に4時間かかるという長丁場でしたが、車窓を眺めていると全然飽きませんね。夕暮れに照らされたアルカディアの景色は、まさに黄金の理想郷でした。
さて、スパルタと言えば、あの映画『300 スリーハンドレッド』の舞台であるのみならず、ゲーム『ゴッド・オブ・ウォー』の主人公クレイトスの生まれ故郷でもあります。『ゴッド・オブ・ウォー』は私がギリシャ好きになったきっかけでもあるので、スパルタは言うなれば私のギリシャ愛のルーツです。そこに初上陸ともなれば、興奮しないわけがありません!着いた時にはもう夜でしたが、すぐさまレオニダス像に初詣へと向かいました!!!笑

▲現代スパルタの町を見守るレオニダス像。下の石碑には、王の有名な言葉「モーロン・ラベ (ペルシア軍に対して言い放った言葉で、「投降してほしくば、武器を奪い取ってみよ!」という意味)」と、彫刻家パノスの弔辞が刻まれています。

★スパルタで主に訪れたスポット
①レオニダス像
②レオニダス王の墓
③リュクルゴス像
④スパルタ考古学博物館
⑤古代スパルタ遺跡
⑥アルテミス・オルティアの神域
⑦エウロタス川
⑧名も無き古代神域
⑨ミストラ遺跡
⑩オリーブとオリーブオイル博物館

何と言っても最高だったのは古代スパルタ遺跡です!特に、古代スパルタ遺跡のアクロポリスに残るアテナ・カルキオイコスの遺構は、スパルタの守護神アテナを祀る最も重要な神域で、スパルタ軍の集合地点でもありました。ペルシア戦争のプラタイアの戦いで勇名を馳せたスパルタ将軍パウサニアスが、裏切りの罪で追われた時に逃げ込んだのもこの神域です。この神域にはパウサニアスだけでなく、あのレオニダス1世や、歴史家クセノポンに称賛されたアゲシラオス2世、そしてメガロポリスの戦いで壮絶に散ったアギス3世も訪れていた​※​でしょうから、そこに立つことができたというだけでもう最高です!!!クレイトスも史実だったならば「スパルタの亡霊」と化す前には訪れていたであろう場所ですからね!笑 遺跡を歩きながらクレイトスのテーマ「Rage of Sparta」を歌ったことは、決して忘れません!(この曲はギリシア語でかなり過激な歌詞なので、周りに人がいなくてよかったです笑)

​※​レオニダス1世は、言うまでもなく『300 スリーハンドレッド』の主人公でもあり、テルモピュライの戦いにおいて、たった6000人(内、スパルタ人は300人)を指揮して、ペルシア軍200万人(実際は10~30万人程度)を数日間足止めしました。その際に言い放った数々の名言は、現代のギリシア軍やアメリカ海軍のモットーにもなっています。
アゲシラオス2世は、スパルタの最盛期と凋落期の両方を生き抜いた王で、最盛期においては小アジアでペルシア帝国に戦いを挑み、連戦連勝でペルシア帝国の太守ティッサフェルネスを死刑に追い込みました。凋落期においては、エジプトで現地の王位争奪戦を支援し、その報酬を得ることで祖国の資金繰りを助けました。
アギス3世はアレクサンドロス大王と同時代の王で、マケドニアの支配からギリシア諸ポリスを解き放とうと反乱を起こし、強大なマケドニア軍に対して緒戦で勝利しましたが、メガロポリスの戦いで圧倒的な数の差に押され、部下を逃がし自らは死ぬまで戦い続けました。


▲アテナ・カルキオイコス神域。カルキオイコスとは「青銅の家」という意味です。ここから古代のレオニダス像や、スポーツ競技会での優勝を記念した奉納品が出土しています。

そして、忘れられない出来事と言えば、この古代スパルタ遺跡の劇場跡地で、鳥のフンが頭に直撃しました。笑
劇場跡地のオルケストラで写真を撮ってると、天から水飛沫みたいなものが突如ブシャーと降ってきました!あまりにも突然のことでカメラを守るので精一杯でしたが、恐る恐る頭を拭ってみると、謎の緑色の半透明の液体がっ!周りに人はいませんし、最初は劇場跡地の斜面上部から謎の生物が威嚇としてコブラみたいに毒を吐きつけたのかと思いましたが、まぁ冷静に考えたら鳥のフンが妥当ですよね…笑
アテナの祝福を受けたんだと言い聞かせながら、ティッシュで頭を拭った後、何事もなかったかのように観光を続けました。笑(もちろん、遺跡からホテルに帰った直後にシャワーを浴びましたが笑)


▲雄大なタイゲトス山脈に見下ろされた古代スパルタの劇場遺構。ヘレニズム後期かローマ初期に作られたとされています。ペロポネソス半島の劇場の中では最大のもので、悲劇や喜劇の上演に加え、宗教儀礼の会場や集会所としても利用されました。

アテナから洗礼を受けた次の日は、世界遺産のミストラ遺跡へ!こちらもアクロコリントス同様、山の上にある遺跡ですが、今回はちゃんと折り畳み傘を購入して持参し、タクシーで山道を楽々上って遺跡まで行きました。笑 
チケット売り場のおばちゃんとギリシャ語で仲良くなり、ウキウキ気分で遺跡を巡りましたが、アクロコリントスに負けず劣らず素晴らしい景色でした!所々に設置してある説明パネルでビザンツ帝国の勉強もできますし、ラコニアを一望しながらビザンツ帝国へと思いを馳せていました・・・!


▲ミストラ遺跡にあるパンタナッサ教会。教会内部ではお賽銭を入れ、蝋燭に火を灯してお祈りをしてきました。


◆エーゲ海クルーズ(2019/1/4)
スパルタ観光を終え、興奮冷めやらぬ内にアテネへと帰還し、エーゲ海クルーズに参加してきました!今回の旅は基本的には全て個人手配ですが、効率的にサロニコス湾の島々を巡れるということで、旅行会社にクルーズのみアレンジしてもらっていました。エーゲ海クルーズは人気が高いのか、参加者の半数以上が日本人の団体観光客であり、今まで現地ギリシャ人や英語圏観光客との交流を主にしていたので、一気に現実に戻った感がありました。笑

そんな中、一人旅中の日本人3人の方々と親しくなり、ギリシャトークで盛り上がりました!年齢も職業も住んでいる県もバラバラで、ギリシャでエーゲ海クルーズに参加することがなければ決して出会わなかった3人と考えると、なんだか素敵ですよね。日本でも、日本ギリシャ協会の活動やギリシャ系アクティビティを通し、大学教授、ギリシャ料理屋のオーナーシェフ、ギリシャ正教徒、翻訳家、現役大学生、ベンチャーCEOなど、様々な出会いがありましたが、社会人になって社外の出会いが減っている中で、ギリシャは本当に素晴らしい機会を提供してくれているなとしみじみと感じました。

★エーゲ海クルーズで主に訪れたスポット
①サラミス島近海(サラミスの海戦の起こった近く)
②イドラ島(イドラ・タウン、歴史博物館、時計塔)
③ポロス島(ポロス・タウン、考古学博物館)
④エギナ島(エギナ・タウン、アファイア神殿、聖ネクタリオス修道院、アポロン神殿)

さて、エーゲ海クルーズでは、​あの歴史的なサラミスの海戦​※​のあった海域の近くを通る​など、ルートも素晴らしかったですが、何と言っても最高だったのはアファイア神殿です!古代アゴラのヘファイストス神殿に次いで保存状態が良く、最も美しい神殿の一つだと称賛されている通り、雄大な景色を背景に聳え立つそれは、アテナイと競い合っていた古代エギナの威光を充分に感じ取れる傑作でした。
ツアーの特性上、どの島やスポットでもゆっくり観光はできませんでしたが、冬で船便が激減している中、一日の内に3島を一気に回れるのはクルーズの最大の魅力ですね。

​※​世界史でもトップクラスに有名な大海戦です。ペルシア戦争の折、アテナイの将軍テミストクレスがギリシア連合海軍を束ね、サラミス島近海でペルシア海軍に戦いを挑み、歴史的大勝利を飾りました。この海戦で戦局が覆り、ギリシアの反撃が始まると共に、ペルシアのギリシア征服という夢は破れました。古代エギナの海軍も30隻ほど参加し、ヘロドトスによればエギナ海軍が最も活躍したとされています。


▲この辺りの海で、海戦前にペルシア海軍が停泊していました。左手に見えるプシッタリア島の影の向こう側のサラミス島近海で、伝説的な大海戦が勃発しました。


▲アファイア神殿は、パルテノン神殿と同じくドーリア式の神殿です。神殿の破風はトロイア戦争を表象していましたが、ドイツによって持ち去られ、ミュンヘンのグリュプトテーク博物館に収蔵されたままになっています。

エーゲ海クルーズの後は、仲良くなった3人とアテネで飲み会です!通りすがりの気さくなギリシャ人のお爺さんに教えてもらった美味しいレストランに入り(ギリシャ語で話したところ、「ギリシャ語喋れるの!?難しい言語なのに凄いね!」と感激され、近辺で最も美味しいお店に案内してくれました笑)、ギリシャ料理と談笑を楽しみました。
このお店のムサカは最高クラスに美味しく、かつてロドス島で食べたパスタや、デロス島で飲んだヘレニックオレンジジュースに匹敵するほどの味でした!!!しかも値段もお手頃で、さすが地元のお爺さんが最高だとオススメするほどのお店です!


◆そして、帰国…(2019/1/5-1/6)
楽しい時間はすぐに過ぎ去り、とうとうお別れの時がやって来ました。午前中はシュリーマンの邸宅を改造して建てたアテネ貨幣博物館で貨幣について学び、午後イチのフライトでモスクワへ・・・。
モスクワでは、30分ほどフライトが遅れたことに加え、空前絶後の大混雑で、乗り継ぎのセキュリティチェックの前はディズニーランドも真っ青の長蛇の列&満員電車クラスの人混み!「搭乗時間あと5分しかないんだけど!」「早くしろよ!」なんて怒号も飛び交う始末・・・。乗り継ぎ時間はあと1時間ほどしかなく、「あ、ドーハの悲劇、台北の悪夢に続き、モスクワの絶望か・・・」なんて思ってましたが(ドーハは第2回ギリシア旅行時、台北はベトナム旅行時に乗り継ぎをミスった場所です笑)、ぐいぐい前進する人に着いていったら奇跡的に間に合いました!
そして、何とか帰国です・・・!

今回は内陸部の遺跡を中心に一人で回りましたが、古代コリントス遺跡がクローズしていたこと以外はこれといったトラブルも無く、平成最後の年末年始に最高の一時を過ごすことができました。特に古代スパルタ遺跡は、今回のハイライトです。アテネのアクロポリスと比べると、確かに派手さはないかもしれません。ですが、タイゲトス山脈を背景に佇むスパルタのアクロポリスは、確かに「最強のスパルタ人」の面影を現代にまで残していました。

更に、今回は出会いがいつもより多い旅となりました。アクロコリントスで私を救い出してくれたアメリカ人ご夫婦とコリントス在住のお爺さん、ギリシャ語や現代文化について教えてくれた現地女子大生のカリオペさんや、クルーズ中に様々な情報交換と談笑を楽しめた一人旅組、最高のお店を紹介してくれたアテネ在住のお爺さんなど、一人旅だったんですが、人の温かさに触れることのできた旅でした。
第5回ギリシア旅行の時には、もっとギリシャ語でコミュニケーションを取れるように、リーディングやライティングのみならず、スピーキングとリスニングも頑張りたいですね!​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​






Last updated  2019.01.07 21:17:21
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2018.06.24
テーマ:ギリシャ(35)
カテゴリ:古代ギリシア
​​6月15日、日本ギリシャ協会の2018年度総会・懇親会に参加してきました。​総会に参加するのはこれで2回目ですが、日本全国のギリシア好きが集う会合ですから、少し緊張しますね。当日は金曜日で、私は東京在住ではないのですが(総会は六本木の住友会館にて開催)、ちょうど運良くその日は仕事で東京出張があり、参加することができました。まぁ、東京に用がなくても有休を使って行ってたでしょうけどね。笑


総会・懇親会に出席した時に毎回思うことが、「まだまだ勉強不足だなぁ」ですね。
大学教授や外務省などの錚々たるメンバーが集う会ですから、古典ギリシア語や現代ギリシア語をマスターしている人も少なくなく、在日ギリシア人とギリシア語で流暢に会話している人たちを見ると、「私もいつかはああなりたいなぁ」と思ってしまうわけですよ。最近になって現代ギリシア語も学び始めていたので、私もギリシア語で会話することをトライしてみましたが、まだまだてんでダメで、結局英語での会話に落ち着きました。笑
駐日ギリシア大使館の臨時代理大使とは英語で多くを話し合うことができましたが、これがギリシア語でだったらもっとカッコよかったのになぁと思わない日はありません・・・。

日本ギリシャ協会に入会した最大の成果は、現代を含めた全時代のギリシア​を好きになれたことですね。入会前は、「古代」ギリシアのみに熱意を注いでいました。(実際、日本ギリシャ協会会報にて連載している記事も、古代のギリシア神話をテーマにしたものです)
確かに、ギリシアを通史で見ると、一番輝かしい時代が古典期であることに疑う余地はありません。ギリシア文学者のコライスは古代以後のギリシアを「キリスト教により堕落した」と切り捨てており、フィルヘレニズムに熱狂した多くの人々も同じ思想だったでしょう。現代ギリシアの右往左往を見ていると、その行く末にハラハラしてしまうのも事実です。オスマン帝国からの解放を目指して立ち上がった独立戦争時でさえ、各勢力の利害が対立し、遂に挙国一致で団結することはありませんでした。(外的脅威よりも内的な利害関係を優先する傾向は古代にもありましたが)
しかし、古代ほどの派手さは無いものの、中世・近代・現代のギリシアもそれに劣らぬ魅力を持っていると思います。それぞれの時代にそれぞれの顔があり、それぞれの英雄がいます。「古代以後は堕落した」というイメージを払拭するに足る、波乱万丈の歴史と文化です。栄光と苦節の時代を経て、ポリス古典文化とキリスト教文化の融合を達成した現代のギリシアは、世界中のどの国よりもユニークで色鮮やかな国なのです。

・・・願わくば、このまま現代ギリシアの経済が回復し、欧州随一の産業と市場を誇る経済大国に成長してくれれば、ギリシア勤務の夢も現実味を帯びてくるのですが。笑
今、ギリシアでは空前のベンチャーブームらしいので、第二のイーロン・マスク、あるいはペリクレスの再誕を願うこととしましょう・・・。​​






Last updated  2018.06.24 18:26:39
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2018.01.04
カテゴリ:古代ギリシア
​​​​明けましておめでとうございます!2018年になり、もう正月3が日が終わってしまいましたが、皆様はどのようにお過ごしでしたでしょうか。私はと言えば、久しぶりに会った地元の友人たちと親睦を深める傍ら、実家でダラダラしながらも本の虫になっていました。笑
正月に読んでいたのは、書店で見つけた『オデュッセウスの記憶:古代ギリシアの境界をめぐる物語』(フランソワ・アルトーグ/著、葛西康徳・松本英実/訳)という書籍です。新品だと5000円を超える高めの本なのですが、中古で購入したため費用は半分程度に抑えることができました。
やはり、フラリと大型書店に立ち寄ると、思いも寄らなかった「収穫」がありますね。特にこれと言って購入する目的もなかったのですが、題名と表紙(イタケー島から望む地中海)に魅かれ即決!実家に持ってきてじっくりと読んでいました。



この本では、副題が指し示す通り、古代ギリシア人たちの「境界」について語られます。空間的なものだけではなく、自己と他者、「ギリシア人」とバルバロイ(外人)、人間と非人間の「境界」です。古代ギリシア人がどのように自己を定義し、世界の中で自らをどのように位置付けたか。それをホメーロスの英雄叙事詩で有名なオデュッセウスを案内人としながら論じていきます。
つまり、古代ギリシアを学ぶ者にとって自明の法則である「ギリシア人」とバルバロイの二項対立が、どのように形成され、変遷していくかにスポットが当てられています。古典最盛期を通して培われたこの二項対立は、古代ギリシア人の誇りと驕りが凝縮されている概念なだけに、非常に興味深い内容になっています。

オデュッセウスの時代には、まだその二項対立は存在せず、ギリシア人は「ギリシア人」ではなく、トロイア人もバルバロイではありません。考えてみれば、今日のような国民国家が存在しない古代において、「ギリシア人」たる概念が無いのはおかしいことではありません。むしろ、あそこまで「ギリシア人」であることが称揚されたことの方が異常であると言えるでしょう。ペルシア戦争という未曽有の危機に対する団結によって、ペルシア帝国とは決定的に異なり、なおかつ各ポリスとの共通点である「国制」が、地中海世界におけるギリシアの卓越性として、明確に打ち出されることになったのです。この「国制」こそ、ギリシア人がバルバロイ(ペルシア人)よりも優れている証左になりました。

この二項対立は、マケドニアとローマの出現によって揺らぎ、その形態を変えていきます。
ローマに関しては、強大なかの国を「ギリシア人」/バルバロイの関係にどう組み込むか、当時のギリシア人が苦慮した様子が非常に詳細に書かれており、読みごたえがありました。やはり、ローマをバルバロイと一蹴するにはあまりにも重すぎたようで、いかにギリシア人側に引き込むかに主眼が置かれていました。「ギリシア人」たる概念は、イソクラテスの思想をバネにし、その礎を「国制」から「知」へと飛躍させ、最終的にはアポロニオス的な普遍性に昇華します。ローマが全世界を支配しようとも、その世界を「知」っていたのはギリシア人であり、その古さに決して勝てないようにしたのです。エジプトが、かつてギリシアに対してそのように振舞ったのと同様に。(プラトンの術策によって、古さにおいてもエジプトはたちまち敗者になりましたが)
これは、ローマに対するギリシアの優越・卓越性を決定付けました。『アエネーイス』を通じてヴェルギリウスが提案したローマ人のアイデンティティと重ね合わせると、ギリシア人の知がいかに強大な存在であったかが分かるでしょう。

このように、ローマに対しては充分に論じられているのですが、マケドニアに対するギリシア人の苦慮には、あまりページが割かれていません。二項対立を真っ先に揺るがした存在であるマケドニアは、ギリシア人の「境界」を語る上で欠かせないはずです。なぜなら、ギリシア語を話し、ヘラクレスの血統に連なるマケドニア人は、その他ギリシア人とは異なる国制「王政」を有していたからです。王政はペルシア帝国と同じ制度であり、自由のギリシア人とは縁のない国制、バルバロイの象徴とされていました。民族的にギリシア人ではありますが、「ギリシア人」ではない、そんな矛盾を孕んだ存在がマケドニア人なのです。
確かに、ペロポネソス戦争の消耗でギリシア人たちがポリスの脆弱性に気付いたことや、法に従う王のモデルで、バルバロイと「ギリシア人」の距離が縮まったことは事実でしょう。しかし、それだけで「ギリシア人」のマケドニアに対する苦慮が消え失せたとは考えにくいです。イソクラテスとデモステネスという、お互いに全く正反対なマケドニア観を語る弁論家もいるぐらいですから。アレクサンドロス大王も、ローマ時代から見た概念しか本書では語られませんし、この非ポリス的で神的な大王を当時のギリシア諸ポリスがどう「ギリシア人」側に位置付けたか(もしくはそうならなかったか)を詳細に論じてほしかったですね。​​​​






Last updated  2018.01.04 23:35:00
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2017.08.19
テーマ:海外旅行(5658)
カテゴリ:古代ギリシア
会社の夏季休暇を利用し、8泊10日のギリシア旅行に行ってきました!去年、大学の卒業旅行としてギリシア渡航した際は「社会人になってからはそう簡単には行けないよなぁ・・・」と絶望していましたが、社会人2年目で無事ギリシアの地を踏むことができました。とはいえ、多様な職に就く友人たちと予定を合わすのは至難の業でしたので、一人旅としての決行です。
今回で3回目となるギリシア旅行ですが、古代の遺跡を求めてアテネ、ミコノス島、テッサロニキを巡りました!前回の旅行では、ドーハで飛行機の乗り継ぎをミスるいう悲劇が起きてしまいましたが、今回はモスクワ経由に変更したおかげかそのようなこともなく、無事計画通りに到着しました。笑

■アテネ(8/10-8/12)
アテネは3回目の来訪になりますが、まだまだ見所は盛り沢山でした!観光客でごった返すアクロポリスやオリュンピア=ゼウス神殿を巡礼してからは、「プニュクスの丘」「ケラメイコス遺跡」へ行ってきました。これらの遺跡はアテネでもあまり有名ではなく、アクロポリスのチケット購入窓口が長蛇の列を成していたのに対し、殆ど人がいませんでしたが、その歴史的意義はどちらも極めて重要なものです
特に、プニュクスの丘は古典民主政が地球上初めて完成した場所であり、エピアルテスの改革による民衆の政治的権限拡張以後、テミストクレス、ペリクレス、アルキビアデスなど世界史教科書レベルの名立たる偉人たちが演説・舌戦を繰り広げた場所でもあります。ヘレニズム時代に入ると、収容人数の都合から民主政の舞台はアクロポリスにあるディオニュソス劇場へと移行してしまいますが、古代アテネの全盛期を支えたのはまさしくプニュクスの丘であり、その弁論をゼウスの雷霆に例えられるほどの名政治家ペリクレスが活躍したのもここだったのです。


現在プニュクスの丘に残る遺構は紀元前4世紀後半に改装されたものです。ペリクレスが登った演壇はもはや跡形もありませんが、それでもここで歴史を左右する民会が開かれていたと思うと、心の底から興奮しました!


ケラメイコス遺跡にあるポンペイオン。ここに古代アテネ人の国民的大祭パンアテナイア祭に用いる様々な道具が収容されていました。


■ミコノス島(8/12-8/14)
青いエーゲ海に、浜辺に立ち並ぶ白い町。人々が憧れるエーゲ海の代名詞的存在がミコノス島です。その美しさはまさに海に浮かぶ白い宝石であり、あのサントリーニ島に比肩するほどの人気を誇っています。砂浜はバカンスを楽しむ観光客で溢れ、タウンから少し離れたところにはヌーディスト・ビーチもあり、まさに天国のような島です。


浜辺に隣接するセント・ニコラス教会。ミコノス島の浜辺は潮風が心地よく、真夏でも涼しく快適に過ごせます。

しかし、私はヌーディスト・ビーチで金髪美女の裸を鑑賞しようというドスケベ根性でこの島に上陸したわけでは決してありません!目的はただ一つ・・・ミコノス島から約4km離れたところにあるデロス島へ行くことです。島そのものが世界遺産に登録されている無人島デロスへと上陸するには、ミコノス島のポートから発着しているフェリーに乗る以外ありません。
ミコノス島は、この地でヘラクレスがアルキュオネウスという巨人を殺していたり(アルキュオネウスを巨岩で押し潰してそれがミコノス島になった or アルキュオネウスの死体が石化しミコノス島となった)、トロイア戦争でカッサンドラをレイプして女神アテナの怒りを買った小アイアスが流れ着いていたりと、わりとギリシア神話に出てくるんですが、本土に遺跡はほぼ無いので、私の心は終始デロス島へと飛んでいました。笑

デロス島と言えば、古代ギリシア好きなら誰もが一度は憧れる場所です。その重要性はデルポイやオリンピアに勝るとも劣りません!神話においては、古代で超人気な神様アポロン(アポロン神殿の遺構が地中海世界で一番数が多い)の誕生した地であり、世界史においては、古代アテネを盟主とするデロス同盟の金庫が置かれていた地でもあります。(まぁ、アテネの帝国主義政策の途上でその金庫はアクロポリスへと移管されてしまいましたがね笑)海上交易の中継地や奴隷貿易拠点として発展し、紀元前1世紀末頃に衰え始めるまで、イタリアを始めとする地中海各地からやって来た商人たちで賑わう国際的な島でした。


前6世紀に古代アテネの僭主ペイシストラトスによって建造されたポロス石のアポロン神殿跡。その内部に、デロス同盟の金庫が置かれていました。

デロス島を行き来するフェリーは日に3便しかありません。私は始発(と言っても午前10時)の便に乗って上陸し、15:00の便で帰ろうと思っていたんですが、金庫跡やキュントス山(ホメロスのアポロン讃歌によれば、アポロンの生まれた山。山頂からは紀元前3千年紀の住居跡とトロイ式土器が発掘されており、その由緒は極めて古い)に興奮しすぎて長居しすぎた結果、15:00便を乗り過ごし、結局最終便出発の19:30まで島に居続けていました。笑
デロス島は遺跡の宝庫であり、海や山も相まって、古代ギリシア好きにとってはまさにディズニーシーのようなもの!休憩のためのカフェ(Free Wi-Fi完備!)も設置されており、9時間近くデロス島を隅々まで散策していましたが、全く苦ではありませんでした!遺跡とエーゲ海を眺めながら飲んだヘレニックオレンジの生搾り果汁ジュースは今でも忘れられません。あれほどに美味いジュースを未だかつて飲んだことがない・・・!まさにネクタル(神々の飲む不老不死のお酒)のよう・・・!


キュントス山山頂からの眺め。右端に埋め立てられた聖なる湖が僅かに見えますが、神話ではこの湖の水を女神レト(アポロンの母)のお産に使いました。

ただ、遺跡を歩く度に大小様々なトカゲが岩場から這い出てきますので、爬虫類が苦手な方は少し注意が必要ですね。棘が強烈なアザミも群生してますので、うっかりしていると皮膚を切ってしまうこともあるかもしれません。キュントス山登山中、山道から外れたところにあるヘラクレスの神域に行こうとした際、不注意からアザミの茂みに足を突っ込み、チクチク地獄になりました。笑


■テッサロニキ(8/14-8/18)
ギリシア第二の都市テッサロニキは、アンティパトロス朝マケドニアの初代国王カッサンドロスが、自らの妻テッサロニケの名前を取って建設した都市です。今でこそギリシア北部の首都となってますが、アルケラオス王の遷都からアンティゴノス朝に至るまで、マケドニアはテッサロニキではなくペラを首都としていました。テッサロニキへ遷都したのはローマの命令であり、アンティゴノス朝が滅ぼされ、マケドニアがローマの支配下に落ちた後の出来事でした。

今まではギリシア南部のポリス系遺跡に偏っていましたが、ここテッサロニキに足を踏み入れることで、遂にギリシア北部の王国系遺跡も射程圏内に入りました!ギリシア北部はあのアレクサンドロス大王を生んだ地(彼はペラの宮廷で産声を上げました)として名高く、エジプトからインドに至るまでの広大な領域を支配したヘレニズム諸王国発祥の地とも言えます。
テッサロニキ到着直後に道に迷い、ホテルが見付からないという壁にぶち当たるも、ポテチを食べながら散歩していた親切なおばちゃんのおかげで何とか事なきを得えました。笑
市内観光では、考古学博物館やビザンティン様式建造物(ホワイトタワー、アギオス・ディミトリオス教会、ロトンダ、城壁など)を巡り、非常に楽しむことができました。しかし、テッサロニキ滞在の真の目的は、市内から離れた遺跡群・・・ディオン、ペラ、ヴェルギナです。さすがにこれらの遺跡は徒歩ではいけないので、ディオンはチャータータクシーで、ペラとヴェルギナは現地のバスツアーで行ってきました!


叢雲を頂くオリュンポス山と、ディオン遺跡内にあるゼウス・オリュンピオスの神域。左の岩場がかつては祭壇として機能しており、ここで牛などの動物がゼウスに捧げられていました。

ディオンはオリュンポス山の麓にあるゼウスの神域で、ポリス文化受容に熱心だったアルケラオス王の号令により、ペロポネソス半島オリンピアの古代オリンピックを模倣した「ディオンのオリンピック」がここで開催されました。強大なる神々の住まう最高峰オリュンポス山と、詩歌女神ムーサイの聖地ピエリア山脈が背景に聳え立っているので、こと景観に関しては本家オリンピックよりも壮大だったでしょう。
ディオン神域には、アレクサンドロス大王の軌跡が深く刻み込まれています。なぜなら、アレクサンドロス大王は東方遠征出陣前に、無数の豪華なテントを張ってディオンに宿営して、劇場で音楽競技祭を開催し、その後にゼウス・オリュンピオスの神域で壮大な犠牲式を挙げたんですから!
彼が立っていたかもしれない場所に立っているなんて、その喜びたるや天をも貫かんとする勢いですよ!ディオンの劇場に関しては、ペラに招かれた悲劇作家エウリピデスが「バッコスの信女」「アルケラオス」を上演した場所でもありますし、感動が二乗も三乗もされました!!ここでエウリピデス悲劇を是非鑑賞してみたいものです!


ディオンの劇場は、自然の傾斜を利用する通常の劇場と異なり、人工的な盛り土で作られています。

バスツアーで行ったペラヴェルギナ(ペラ遷都前のマケドニア首都アイガイの別名)は、どちらもすこぶる感動したことを覚えています。ペラはもはや貴族の邸宅跡やアゴラぐらいしか残っていませんでしたが、ここが世界を制圧したマケドニアの首都だったという事実は変わりません。バスガイドが英語で「ペラ遺跡はあんまり見所ないよ」とか言ってましたが、見所とかそういう問題じゃないんですよ!例え何もない荒れ地であったとしても、そこに「在った」という事実が重要なんです!むしろ何もない方が想像力を掻き立てられてなおさら没入できるってもんですよ!!!
・・・ペラ遺跡に没入しすぎてバスに遅れそうになり、灼熱の太陽の下でペラ遺跡を全力疾走する羽目になりました。笑


ペラ遺跡に広がる貴族邸のモザイクと、邸宅中庭を取り囲むイオニア式の列柱。モザイクはおそらくシュンポシオン(饗宴)を開く宴会場の床として使われていたと思われます。

ペラの次に訪れたヴェルギナは、劇場跡と王宮跡が修復中で立ち入り禁止になっていることを告げられて愕然としましたが(ヴェルギナの劇場は、アレクサンドロス大王の父親ピリッポス2世が暗殺された歴史的名所です。見たかった・・・その場に立ちたかった・・・orz)、第二墳墓に眠るピリッポス2世のラルナクス(骨箱)や甲冑を見た瞬間に、その絶望感は消し飛びました。カイロネイアの戦いでアテネ=テーバイ連合軍を破り、スパルタを除くギリシアをコリントス同盟によって束ねたあのピリッポス2世が、すぐ近くに・・・!内部は撮影禁止だったので写真は撮れませんでしたが、その感動は言語に絶するもので、ラルナクスの前でずっと立ち尽くしていました。
・・・とはいえ、第二墳墓に眠る人物がピリッポス2世だというのは、賛否の分かれるところで、「ピリッポス2世ではなく、ピリッポス3世(アッリダイオスのこと。大王の弟で、知的障害のため名目上の王に過ぎなかった)ではないか」という説も根強く支持されています。ギリシア政府の公式見解はあくまでも「ピリッポス2世の墳墓」であり、墳墓発掘者アンズロニコスも2世だと断定してますが、墳墓の諸々の特徴から(妻が埋葬されている前室が異例に大きい、前室に武具がある、など)被葬者はピリッポス3世だと断ずる研究者も少なくありません。こればっかりは未だに結論が付いていませんし、やっぱり傀儡の王ピリッポス3世よりは、マケドニアを地中海世界随一の強国に押し上げたピリッポス2世の方が感動が大きくなるので、ピリッポス2世だったということにしておきましょう。笑



こうして楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去り、気付けば帰国の日に。18日にギリシアを発ち、モスクワと機中泊を経て、19日午前に日本に到着しました。
この10日間は、これ以上ないほどのリフレッシュ期間となりました。仕事でのストレスなんて一瞬で消し飛び、後はひたすら古代へと想いを馳せる、素晴らしく充実した日々でした。午前8時頃には外に出て、夜9時ぐらいまで観光する(夏のギリシアは夜9時まで明るい)という、もう1年分歩いたんじゃないかというくらい歩きっぱなしで、非常に健康的でもありました!笑
一人旅でしたが、Free Wi-Fiスポットに立ち寄っては友人や彼女と連絡を取り合っていたのもあって、寂しさはあまり感じませんでした。さすがにミコノス島の砂浜で凄まじいほどにイチャイチャするカップルを見た時は「彼女と来たいな」なんて思いましたがね。笑

さて、3回目のギリシア旅行も終わりましたが、まだまだギリシア遺跡は行き足りないですね。今回で念願のデロス島やマケドニア遺跡などを巡ることができましたが、テーバイやスパルタ、コリントスといった古典期強国の遺跡はまだ行けてないですし、世界遺産で有名なサモス島、バッサイも観光できていません。ミコノス島と同等の美しさを誇るサントリーニ島も何だかんだで行ったことがありません。・・・これは早くも4回目のギリシア旅行を計画せねば・・・!!笑
もうすぐ夏季休暇も終わり、仕事に戻らねばなりませんが、ギリシアからのお土産を眺めつつ、次なる旅に向けて頑張りたいと思います!






Last updated  2017.08.20 20:57:37
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2017.06.18
テーマ:ギリシャ(35)
カテゴリ:古代ギリシア
6/16に泉ガーデンタワーの住友会館にて開催された日本ギリシャ協会の第44回総会に参加してきました!私は去年の夏頃に入会したため、これが初の総会になります。
総会では昨年度収支報告や行事紹介などを行いますが、メインイベントは総会後に行われる懇親会であり、ギリシア好きの会員たちと立食パーティー形式で交流することができます。ギリシア仲間を作る絶好のチャンスというわけで、期待と不安に胸を膨らませながら六本木へと足を運びました。


住友会館のオシャレっぷりに気圧されながらも(窓から東京タワーが見れる!)、ここぞとばかりにコミュ力をMAXにし、色んな方に声をかけてみました。日本ギリシャ協会は住友グループが運営しているだけあって、住友商事や住友生命など、法人会員として参加した住友系企業の方が多かったように思います。更には外務省や駐日ギリシャ大使館の方もおり、普段の生活・仕事では決して交流する機会の無い方々と知り合いになれて非常に刺激的でした。

また、大学教授の方々と古代ギリシアについて思う存分語り合うこともできました!今までギリシア知識をフル活用して会話できる友人はいなかったので、専門用語を言っても普通に通じるというのは本当に楽しかったです!先方は私なんかよりも知識も経験も豊富でしたので、非常に勉強になりました。


駐日ギリシャ大使(特命全権大使)のカラツォリスさんにもご挨拶できたので、もう感無量です!私は拙い英語でしたが、なんとかギリシア愛を伝えることができたと思います。とても丁寧にお話してくださり、非常に優しい方でした。いただいた名刺は額縁に飾ります!笑

このように、総会では様々な形でギリシアに携わる方々と交流でき、本当に良い刺激となりました。近辺に住むギリシア人留学生とも知り合いになれましたし、実りある懇親会でした。誠に光栄なことですが、会報に連載記事を寄稿することにもなりました!今後も個人会員として、諸活動に邁進していきたいと思います!






Last updated  2017.06.20 19:34:09
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2017.06.09
カテゴリ:古代ギリシア
歴史家クセノポンの著した書物『アゲシラオス』を、古典ギリシア語で読んでみました。古典ギリシア語に関しては語彙力がほぼゼロなので、分厚い辞書をパラパラめくりながらゆっくりと解読した結果、読破するのに3ヶ月ほどもかかってしまいました。笑


本書のタイトルにもなっているアゲシラオス2世は、史上最も有能なスパルタ王の一人です。部下の育成に競争原理を持ち込んで精鋭部隊を作り上げ、サルディス太守のティッサペルネスを叩き潰し、騎兵対決では優秀なテッサリア騎兵を敗走させました。
スパルタ滅亡の危機に際しては、エジプト王に仕えて資金を調達し、スパルタ再建に尽力しました。そのエジプト遠征中にアゲシラオスは死亡してしまいましたが(84歳という大往生でした)、亡骸は稼いだ資金と共にスパルタへと帰還し、死後でさえも祖国に貢献したと讃えられました。
欲に溺れて道を踏み外したパウサニアスとは違い、アゲシラオスは自らの野望よりも祖国スパルタのことを考え、敬神的で礼節を重んじました。アナバシス後にスパルタ軍入りした傭兵クセノポンはアゲシラオスの名指揮官ぶりや人柄に魅せられ、彼を心酔するようになり、その賞賛のために著した本がこの『アゲシラオス』です。

本書では、クセノポンがこれでもかというほどアゲシラオスを絶賛します。伝記の要素もありますが、機能としては祝勝歌に近いですね。クセノポンは自分に都合の悪い事柄を無視する傾向があるので、本書だけでアゲシラオスの功績や人柄を判断しては事実を見誤ると思いますが、彼にクセノポンを熱狂させるだけのカリスマ性があったことは確かでしょう。
アゲシラオスの伝記はプルタルコスも書いているので、是非読み比べてみたいですね。

クセノポンの原語はアッティカ方言ですし、哲学書ほど難解な表現が無かったため、なんとか読み進めることができました。古典ギリシア語版と共に英訳版も載っていたので、どうしても訳せなかった場合は英訳を参照しました。それでも腑に落ちない表現や文法があったので、「独学じゃなくて講義だったら、すぐ質問できるのになぁ」と大学時代に学びたかったとちょっと後悔・・・。文法書や辞書を読み漁って不明点をできるだけ無くすよう努力はしましたが・・・。仕事終わりに地道に解読していたので、大学院で思う存分専門的に学習できる学生が少し羨ましくなりました。笑

次は、古典ギリシア語でクセノポンの『ラケダイモン人の国制』でも読み解こうかなと思っています。ホメロスやヘシオドスなどのイオニア方言解読も考えましたが、イオニア方言を体系的に網羅した文法書を今のところ発見できておらず、Perseus Digital Library頼りになるのが目に見えているので(Perseus Digital Libraryでヘシオドス『神統記』の原文を読んだことがありますが、やはり自分で辞書を使って解読しないと原語で読んだ気がしませんね・・・)、今後もアッティカ方言を中心に読んでいく予定です。
・・・『ラケダイモン人の国制』は読み終えるのに何ヶ月かかるのやら・・・。笑






Last updated  2017.06.10 10:52:00
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2017.05.22
カテゴリ:古代ギリシア
古典ギリシア語を勉強するようになってから、「古代ギリシア語の各方言にはどのような特徴があり、なぜそのような違いができたのだろうか」と思うようになりました。そこで、古代ギリシア語に関する学術書を検索したところ、出てきたのがこの書籍『歴史言語学の方法:ギリシア語史とその周辺』です。お値段が約6000円もする代物でしたが、即決で購入。最近あんまりお金が貯まらないなーなんて思ってましたが、こんなにも高い本をポンポン買い、ギリシア旅行の前払いや土日を利用した国内旅行も加われば、そりゃ貯金できませんよね・・・笑


さて、この『歴史言語学の方法』ですが、大学で言語学をまともに勉強してこなかった私にとっては、極めて難しい書籍でした。本というよりは論文集に近く、専門用語が解説無しにバンバン出てくるという鬼仕様です。大学では「言語学概論」なる講義を受けたことがありましたが、あの講義が生温く思えます。
各章では、*s消失による二次的長音(代償延長や母音縮約によって生じた長音)発生や、イオニア=アッティカ方言でεの長音がなぜηと表記されるように至ったのかなど、かなりマニアックな論が展開されます。正直、気軽に読める内容では毛頭なく、赤線と付箋で整理してやっとぼんやり分かるレベルでした。

しかし、そこから導き出される結論は非常に壮大なものでした。アイオリス方言をミュケーナイ時代の第3の方言圏由来とする説や、ホメーロスとアイオリス方言の関連性、ギリシア先住民原語における印欧語要素など、従来の学説を覆すものも少なくなく、読んでいて非常に刺激的でした。今まで史学や神話学からの知見に偏っていたのもありますが、言語学からの視点だとここまで見方が変わるものなのですね・・・!頑張って読み込んでも100%理解はできませんでしたが、分かる部分だけを切り取っていても、実りのある情報を得ることができました。

線文字Aに関しても論説が収録されており、未解読ながらも現在分かっていることがまとめられていました。5母音のギリシア語に対して、線文字Aは3~4母音の可能性があるというのは衝撃的でしたし、日本語と同じくrとlの区別が無いというのも驚きでした。ここまで研究が進んでいて、線文字Bと整合することで90%も「読める」のにも関わらず、未だに解読できていないとは、言語学の世界は奥が深すぎます。

このように、『歴史言語学の方法:ギリシア語史とその周辺』は、極めて難解な専門書ですが、それを読み解けば、古代ギリシアの深層に切り込んでくれる非常に壮大な書物でした。私は読むのに苦労しましたが、言語学者ならば楽しく読めること間違いなしの良著です。






Last updated  2017.05.24 18:33:49
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2017.03.05
テーマ:ギリシャ(35)
カテゴリ:古代ギリシア
先週、NHK文化センターにて開催された講座「古代ギリシャのリアルにせまる Part2」に参加してきました!この講座では、今ネット上で話題のギリシャ神話研究家藤村シシンさんが、古代ギリシア人たちのリアルな生活や慣習を面白おかしく紹介してくれます。


藤村シシンさんの書籍『古代ギリシャのリアル』を一読した時も思ったことですが、彼女は小難しい古代ギリシアの話を万人向けのライトなストーリーに変換するのが上手いですね。
冒頭はルキアノス『イカロメニッポス』の紹介で始まりましたが、シシンさんの軽妙な語り口と、時折挿入されるポップな絵によって観客たちの心を鷲掴みにしていました。私としても、ルキアノスに関する書籍は短編の『ヘラクレス』しか知らなかったので、『イカロメニッポス』の概要を知ることができて大変面白かったです。

現代人にとってはなかなか概念の把握しづらい神託所のことも、「古代のGoogle」として紹介し、非常に分かりやすく解説されていました。
現代人が調べものをする時は大抵ググりますが、インターネットの無かった古代ギリシア人は、情報を得るために神託所へ赴きました。それ故、神託所を「古代のGoogle」として紹介したというわけでしょう。あらゆる情報の交錯する神託所が、ある意味においては検索エンジンのような役目を果たしたのも事実ですし、「古代のGoogle」という現代人に馴染みやすいタイトルを用いて、古代ギリシアへの敷居を低くしている点は、流石と言えます。
神託所の説明も、メジャーなデルポイ、ドドナだけではなく、死霊神託として名高いネクロマンテイオンも紹介していたのが印象的でした。ネクロマンテイオンはその特異性(ギリシアで唯一のハデス神殿)もあるので、一度現地に行って見てみたいものですが、辺鄙なところ(エペイロス地方)にあるのでいつになるやら・・・笑

このように、この講座では、初心者であっても楽しめるように、様々な工夫が凝らされていました。かと言って、初心者向けに特化するのではなく、ある程度専門的な情報も所々に挟まれていたので、実りあるひと時でした。

個人的にこの講座で一番驚いたことは、ネット上で開かれたオリュンポス総選挙の1位がハデスだったことですね。ハデスは浮気の神話が少なめですし、ペルセポネへの純愛さが評価されて1位になったのでしょうかね。
そして、私の一押しであるゼウスが10位という微妙な結果なのはなぜなんでしょうか・・・。あれほど強大で全知全能でカッコいい神様が、10位って・・・。『ゴッドオブウォー』のゼウスの強さに惹かれてギリシア神話に興味を持った私としては、残念な気持ちでいっぱいです。みんな、ヘシオドスの『神統記』とか、クレアンテスの『ゼウス讃歌』とか読めばゼウスのカッコよさの虜になるはずなのに・・・!笑

講座中にオリュンポス総選挙の投票用紙が渡されましたが・・・、もちろんゼウスに投票しました。笑






Last updated  2017.03.06 21:19:52
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2017.02.12
カテゴリ:古代ギリシア
最近、寒い日が続いていますね。私は寒さが苦手なので早く春になってほしいんですが、未だに雪がぱらぱら降ってくるので、暖かい春はまだ先のようです・・・。
そんな寒い日は暖房をつけて部屋でまったり読書に限ります!というわけで、最近読み終わった本二冊、クセノポンの『ギリシア史』アリストパネスの『ギリシア喜劇』を紹介したいと思います。どちらも非常に興味深く、楽しく読める作品でした!


■クセノポン『ギリシア史1』『ギリシア史2』
ペロポネソス戦争の終盤と、それに続くコリントス戦争、そしてテーバイの台頭について詳述されている歴史書がクセノポンの『Ελληνικα(ヘレーニカ:ギリシア史)』です。
トュキュディデスの書いた『戦史』には、ペロポネソス戦争の終結までは書かれておらず、スパルタの勝利を決定づけた名高い「アイゴスポタモイの海戦」も勿論収録されていませんでした。トュキュディデスは何らかの理由でペロポネソス戦争終結まで書き終えることができなかった(構想自体はあった)というのが通説です。
そのトュキュディデスの無念を晴らしたのが、クセノポンというわけです。(クセノポンがトュキュディデスを意識して執筆したかどうかは、研究者によって見解の分かれるところですが)

クセノポンはソクラテスの弟子であり、『アナバシス』においては、一万人のギリシア傭兵を束ね、敵だらけのアジアを6000kmも横断し、ギリシアに帰還するという偉業を成し遂げた名指揮官でもあります。また、アテナイ人でありながらスパルタ贔屓としても有名で、スパルタの国制やスパルタ王アゲシラオス2世を絶賛する書物も著しています。当時、アゲシラオス2世は全アジアを征服せんという野望を抱いていたので、そのリーダーシップに惚れ込んだのでしょう。

『ギリシア史1』『ギリシア史2』の最大の魅力は、クセノポンが惚れ込んだアゲシラオス2世の軌跡だと思います。
彼はスパルタの隆盛と凋落、両方を同時に味わった王でもあります。アイゴスポタモイの海戦の立役者であるリュサンドロスの支援を得て王位を継ぎ、小アジアに渡ってペルシア帝国サルディス太守のティッサペルネスを圧倒。ペルシア帝国征服の野望も滾らせていましたが、ギリシア本土でコリントス戦争が勃発するにあたって帰還。コリントス戦争には無事勝利(スパルタ優位な条件で和平実現)しますが、テーバイのエパメイノンダスがレウクトラの戦いでスパルタ軍を破り(ちなみに、この時の指揮官はアゲシラオスではなく、クレオンブトロスでした)、スパルタの天下は終焉を迎えてしまいます。テーバイはアルカディア同盟と連携してスパルタに攻め入り、スパルタは宿敵だったアテナイと手を結ばざるを得ない状況になってしまうのです。

アゲシラオスは「スパルタの王」と聞いて思い浮かべるような(映画『300 スリーハンドレッド』のレオニダスのような)筋骨隆々な体型ではなく、小柄で片足が不自由だったという伝承が残っています。しかし、性格は誠実かつ謙虚であり、優れた知略でスパルタの最盛期を築き上げ、もしかしたらアジア全土を征服していたかもしれないほどの名将でもあったのです。彼の軌跡を歴史の内に辿ることができるのが、『ギリシア史』を買ってよかったと思えた一番の理由です。


■アリストパネス『ギリシア喜劇1』『ギリシア喜劇2』
悲劇に関しては、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの現存作品は全て読んだことがありますが、喜劇に関しては全く手つかずだったので、思い切って購入してみました。『ギリシア喜劇』の1と2には、アリストパネスの現存作品全てが収録されています。早速一読してみると、悲劇とは似ても似つかぬ作品群であることに気が付きました。

まず下ネタが非常に多いですね。俳優の股間に男根の模型をくっつけて登場させるほど露骨でした。解説が豊富なので、喜劇を読んでから、古代ギリシアの性事情に詳しくなりました。笑 
例えば、古代ギリシアの婦人は下の毛を剃ることがお洒落だったとか、「仔豚」は女性のあそこの隠語だとか、子無しの妻が他所から赤ん坊をもらって自分で生んだふりをするとか・・・。
そこには叙事詩や歴史書には決して書かれていない、生々しい古代ギリシアのリアルが広がっていました。

政治を痛烈に批判しているのも喜劇の魅力の一つです。古喜劇は風刺が激烈であったことで知られており、面白おかしく下ネタの衣を被ってはいますが、その裏には凄惨な歴史の真実が隠されています。当時、アリストパネスの生きたアテナイはペロポネソス戦争期であり、絶対的なリーダーだったペリクレスの死後、扇動政治家デマゴーゴスによる人気取り政治の影響で、アテナイは混乱に陥っていました。政治家は国のことを真剣に考えずに目先の人気ばかりを追い、市民たちはそんな政治家に振り回され、現実離れした過激な思想が民会で跳躍跋扈していました。
こんな現状を憂い、純粋に古き良きアテナイと平和を追い求めたのが、アリストパネスでした。彼の作品には、主戦派のクレオンや、新しい思想を持ち込んだソクラテス(彼の中では、ソクラテスはデマゴーゴスの一派でした)、人気取り政治に惑わされる市民たちを痛烈に批判する内容のものがあります。特にクレオンへの批判は激しく(彼は主戦派であることに加え、民会の日当を市民の支持率を得るためだけに1オボロスから3オボロスに引き上げたりするなど、デマゴーグの典型でした)、彼がどれだけ戦争を嫌っていたかが分かります。

アリストパネスの想いは、現代社会においても共感できるほど、普遍的なものです。信念などなく、人気取りのために過激な発言を繰り返す政治家は、現代社会においても蔓延っています。アリストパネスはまた、戦争をビジネスチャンスと捉える商人(武具商人など)も皮肉っていますが、現代においても戦争は「特需」になりかねません。
彼の作品を読めば、政治や戦争に付き纏う問題が、何千年の時を経ても解決できなかったことに気付くでしょう。だからこそ、アリストパネスは平和を賛美し、平和こそ幸福と信じて、それを追い求めていたのです。






Last updated  2017.02.12 16:21:14
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