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1815年6月18日夜。
ベルギー王国モン ・ サン ・ ジャン高地近傍オーアン・・・。
その痛ましい災害の最期の苦悶が聞こえていたその場所も、 今はすべてひっそりと静まり返っていた。
凹路の断崖は、 ぎっしり積み重ねられた馬と騎兵とでいっぱいになっていた。
恐ろしいもつれであった。
もはやそこには斜面もなかった。
死骸はその凹路を平地と水平にし、 枡にきれいにはかられた麦のようにその縁と平らになっていた。
上部は死骸の堆積、 下の方は血潮の川。
それが 1815年6月18日 の夜におけるその道路のありさまであった。
( 『レ ・ ミゼラブル』 豊島与志雄訳)
ナポレオン麾下のフランス軍と欧州連合軍との間に行われた一大会戦は、 フランス軍の完全な敗北に終わった。
戦場に打棄てられた儘の、 夥しい戦死者の遺体を物色しては、 金品を略奪していた 悪党テナルディエ は、 心成らずも レジオン ・ ドヌール勲章を佩用した一人の騎兵大佐の命を救う事となる。
騎兵大佐は、 途切れ勝の意識の中から、 「ポンメルシー」 と名乗った。
・・・ ポンメルシー大佐 は、 物語の主要人物の一人である 青年マリウス の父親です。
彼は、 デュボア旅団中の胸甲騎兵中隊の指揮官 としてワーテルロー会戦に参加した設定になっています。
ルネブールグ隊の軍旗を奪ったのは彼であった。
彼はその軍旗を持ち帰って皇帝の足下に地に投じた。
彼は血にまみれていた。
軍旗を奪う時、 剣の一撃を顔に受けたのである。
皇帝は満足して叫んだ。
「汝は今より 大佐 であり、 男爵 であり、 レジオン ・ ドンヌール勲章のオフィシエ受賞者 だぞ。 」
ポンメルシーは答えた。
「陛下、 やがて寡婦たるべき妻のために御礼を申しまする。 」
一時間後に彼は オーアンの峡路 におちいった。
( 『レ ・ ミゼラブル』 豊島与志雄訳)
悪党テナルディエについては、 少女コゼット の母親 ファンティーヌ を罠に掛け、 悲惨な境遇へ陥れた張本人として、 すでに読者に認識されています。
そのテナルディエが、 ワーテルローの戦場に在っては、 マリウスの父であるポンメルシー大佐を、 図らずも救っていたと云う皮肉・・・。
この辺りの妙は、 作者ユーゴーの ストーリーテラーとしての才腕 が遺憾なく発揮されている処です。
吉川英治 が 『宮本武蔵』 を執筆するに際して、 この作品を 御手本 にしたと云われるのも、 なんとなく頷けます。
やがて、 成長したコゼットとマリウスは、 革命運動が昂揚を見せ、 物情騒然としたパリで出会い、 互いに惹かれ合う 事となるのです。
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