|
1938 (昭和13年) 12月・・・。
中国との戦争は、 早期和平の道を完全に見失い、 泥沼の様相を呈し始めていました。
伍代家の 次男 ・ 俊介 は、 伍代産業の満洲支社に赴任し、 軍需生産資料の調査 ・ 分析に携わっていました。
支社長である 叔父 ・ 喬介 から、 徴兵回避の方策として、 関東軍特務機関の補佐 (ロシア語通訳 ・ 対ソ情報分析) を務める事を勧められますが、 敢えて拒絶し、 入営を果たします。
予てから、 戦争を餌に肥大化する伍代家の在り方に疑問を抱いていた俊介にとって、 伍代家の庇護に縋って兵役を逃れるのは、 自己矛盾をいっそう深める事に他ならなかったからです。
・・・満鉄も満業も三井三菱住友、 うちの会社なんかも、 みんな、 ・・・陸軍用達だ。
入営の前夜・・・。
俊介は、 幼馴染の少女 ・ 梅谷邦 と新京市内の凍て付いた路上を何処までも歩き続けていました。
時々、 俊介を見上げる邦の眸の中で星が煌いています。
少女 ・ 邦は、 俊介が、 どんな時でも、 気持ちを通わせて語り合える相手でした。
すがすがしく澄んで煌いている邦の一途な眸に、 誠実で多感な青年は自分と同質のものを見出し、 爽やかな共感を覚えたものです。
その後、 俊介も変わりました。
今は、 その眸の中に、 往時の自分の姿を探しているような気がするのです。
思えば、 二人が知り合った時分から、 戦争や軍人が関係した事件の起こらない年は皆無でした。
・・・僕が君にはじめて会った年に、 済南事件が起きた。
それから直ぐに張作霖が爆殺された。
満洲事変から時代が変ったと云うが、 僕に云わせりゃ、 あのときからだな。
日本人の暦には平和の月はなくなったんだ。
無論・・・。
俊介は、 張作霖暗殺の真犯人が関東軍である事を知っています。
柳条湖の満鉄線路爆破を発端とする満洲事変が関東軍の陰謀である事も・・・。
そして、 満洲国が日本の傀儡国家に過ぎず、 王道楽土 ・ 五族協和のスローガンが欺瞞でしかない事も・・・。
真実の全てを知っています。
戦後になるまで、 日本国民の大多数が知り得なかった歴史の真相を、 不幸にして、 知り過ぎてしまっているのです。
知っていながら、 過ちを糾すための行動を何も起こせない自分に科したペナルティでも有るのです。
明日の入営は・・・。
然し、 そんな俊介は、 邦にとって、 真実を語ってくれる数少ない大人で、 心からの尊敬と信頼に値する存在でした。
そして、 俊介への憧憬は、 何時か特別な想いへ姿を変えようとしていました。
・・・僕は平和の仕事がしたい。 どうすれば他国を他民族を侵略せずに、 日本人みんなが豊かに暮せるようになるか。
別れ際に、 初めて握った邦の小さな手の感触を俊介は忘れませんでした。
その感触は邦の可憐さを伝えるばかりでなく、 自由な生活へ復帰する唯一の手掛かりであるかの様に、 後日・・・兵営生活の中で思い起こされる事になるのです。
・・・起床喇叭が鳴る度に、 俊介は跳び起きて、 寡黙で敏捷な兵隊に返ります。
彼は制度の奴隷になり、 優秀な兵士に自らを造り変えました。
・・・肉体的にも恵まれていた。
射撃は、視力が異常なほどによかったし、 銃の単純な機械的性能には理不尽さが微塵もなかったから好きであり、 したがって上達が早かった。
銃剣術は、 闘技としての原理に剣道との違いはなかったから、 習熟にさして困難を感じなかった。
・・・だれも、 彼を、 術科、 学科、 内務で咎めることはできなかった。
無残にひび割れた彼の手が内務の仕事ぶりを保障していた。
その彼の胸の中で、 魂が夜毎に呻いている事などは、 同僚すら気が付きませんでした。
傍目には、 俊介は、 確かに、 一選抜の上等兵候補者の道を黙々と歩いていたのです。
外蒙古との国境地帯で、 いわゆるノモンハン事件が発生したのは、 俊介が初年兵教育を終了した直後の事でした。
1939 (昭和14年) 6月20日。
俊介の所属部隊に出動準備命令が下ります。
一等兵昇進を果たし、 狙撃手教育を施されていた俊介は、 最前線に立たされる事となるのです。
|
|