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土曜日の書斎 別室

土曜日の書斎 別室

戦争と人間

 
土曜日の書斎  ロマン断章


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戦争と人間


 
  五味川純平 の大河小説 『戦争と人間』
  満洲事変前夜から日中戦争を経て太平洋戦争に至る長い戦いの日々・・・。
  当初の構想では、 東京裁判結審までが、 四部構成で叙述される予定でした。

  新興財閥 ・ 伍代家 を中心として・・・。
  歴史の回転軸に乗り、 指導者責任を担った人々。
  そして、 時代の激流に翻弄されながら、 純粋な愛と正義を追求する人々の運命が、 叙事詩的スケールで描かれています。







1939 (昭和14年) 6月20日



 
  1938 (昭和13年) 12月・・・。
  中国との戦争は、 早期和平の道を完全に見失い、 泥沼の様相を呈し始めていました。
  伍代家の 次男 ・ 俊介 は、 伍代産業の満洲支社に赴任し、 軍需生産資料の調査 ・ 分析に携わっていました。
  支社長である 叔父 ・ 喬介 から、 徴兵回避の方策として、 関東軍特務機関の補佐 (ロシア語通訳 ・ 対ソ情報分析) を務める事を勧められますが、 敢えて拒絶し、 入営を果たします。

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  予てから、 戦争を餌に肥大化する伍代家の在り方に疑問を抱いていた俊介にとって、 伍代家の庇護に縋って兵役を逃れるのは、 自己矛盾をいっそう深める事に他ならなかったからです。

  ・・・満鉄も満業も三井三菱住友、 うちの会社なんかも、 みんな、 ・・・陸軍用達だ。

  入営の前夜・・・。
  俊介は、 幼馴染の少女 ・ 梅谷邦 と新京市内の凍て付いた路上を何処までも歩き続けていました。
  時々、 俊介を見上げる邦の眸の中で星が煌いています。
  少女 ・ 邦は、 俊介が、 どんな時でも、 気持ちを通わせて語り合える相手でした。
  すがすがしく澄んで煌いている邦の一途な眸に、 誠実で多感な青年は自分と同質のものを見出し、 爽やかな共感を覚えたものです。
  その後、 俊介も変わりました。
  今は、 その眸の中に、 往時の自分の姿を探しているような気がするのです。
  思えば、 二人が知り合った時分から、 戦争や軍人が関係した事件の起こらない年は皆無でした。

  ・・・僕が君にはじめて会った年に、 済南事件が起きた。
  それから直ぐに張作霖が爆殺された。
  満洲事変から時代が変ったと云うが、 僕に云わせりゃ、 あのときからだな。
  日本人の暦には平和の月はなくなったんだ。


  無論・・・。
  俊介は、 張作霖暗殺の真犯人が関東軍である事を知っています。
  柳条湖の満鉄線路爆破を発端とする満洲事変が関東軍の陰謀である事も・・・。
  そして、 満洲国が日本の傀儡国家に過ぎず、 王道楽土 ・ 五族協和のスローガンが欺瞞でしかない事も・・・。
  真実の全てを知っています。
  戦後になるまで、 日本国民の大多数が知り得なかった歴史の真相を、 不幸にして、 知り過ぎてしまっているのです。
  知っていながら、 過ちを糾すための行動を何も起こせない自分に科したペナルティでも有るのです。
  明日の入営は・・・。
  然し、 そんな俊介は、 邦にとって、 真実を語ってくれる数少ない大人で、 心からの尊敬と信頼に値する存在でした。
  そして、 俊介への憧憬は、 何時か特別な想いへ姿を変えようとしていました。

  ・・・僕は平和の仕事がしたい。 どうすれば他国を他民族を侵略せずに、 日本人みんなが豊かに暮せるようになるか。

  別れ際に、 初めて握った邦の小さな手の感触を俊介は忘れませんでした。
  その感触は邦の可憐さを伝えるばかりでなく、 自由な生活へ復帰する唯一の手掛かりであるかの様に、 後日・・・兵営生活の中で思い起こされる事になるのです。

  ・・・起床喇叭が鳴る度に、 俊介は跳び起きて、 寡黙で敏捷な兵隊に返ります。
  彼は制度の奴隷になり、 優秀な兵士に自らを造り変えました。


  ・・・肉体的にも恵まれていた。
  射撃は、視力が異常なほどによかったし、 銃の単純な機械的性能には理不尽さが微塵もなかったから好きであり、 したがって上達が早かった。
  銃剣術は、 闘技としての原理に剣道との違いはなかったから、 習熟にさして困難を感じなかった。
  ・・・だれも、 彼を、 術科、 学科、 内務で咎めることはできなかった。
  無残にひび割れた彼の手が内務の仕事ぶりを保障していた。



  その彼の胸の中で、 魂が夜毎に呻いている事などは、 同僚すら気が付きませんでした。
  傍目には、 俊介は、 確かに、 一選抜の上等兵候補者の道を黙々と歩いていたのです。

  外蒙古との国境地帯で、 いわゆるノモンハン事件が発生したのは、 俊介が初年兵教育を終了した直後の事でした。
  1939 (昭和14年) 6月20日。
  俊介の所属部隊に出動準備命令が下ります。
  一等兵昇進を果たし、 狙撃手教育を施されていた俊介は、 最前線に立たされる事となるのです。







1939 (昭和14年) 8月20日



 
  ノモンハン戦線の集団殺戮の渦中に身を投じてから数十日・・・。
  俊介は変わりました。
  或る日、 戦友の一人から問われます。

  ・・・お前の眼は怖いよ。
  ・・・槍で突き刺すみたいだ。 何人殺したんだ?


  姉 ・ 由紀子の明眸に良く似ていると評された眼は、 何時しか・・・殺伐とした、 孤独で、 凄惨な光を帯びていました。
  さながら幽鬼の如く・・・に。
  多感で、 ナイーヴな、 理想主義者の青年の面影はもう何処にも有りません。
  痩せこけ、 髭が伸び、 動作は野獣の様に敏捷になっています。

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  ・・・何人殺したか、 算えたこともない。
  狙撃で殺した数は多いが、 これには殺人の意識は伴なわなかった。
  はじめて肉薄戦闘で人を殺したのは、 ・・・曹長に随行を命ぜられて四人で偵察に行き、 砂丘の蔭の機関銃に前進を阻まれて、 まわりこんで銃座を奪取したときである。
  真一文字に銃剣で突き刺し、 抜いた床尾でもう一人の顔面を打ち砕いた。
  曹長は負傷して倒れていた。
  その曹長の刀を拾って、 逃げかかる敵兵を袈裟がけに斬り下げた。
  ほんの数秒の、 無意識の動作であった。
  血ぬられた刀を見たとき、 はじめて、 人を殺したと思った。
  殺す必要はなかったかも知れなかった。
  中学時代から練磨したことが、 このことのためであったような、 後悔とも嫌悪ともつかぬ想いに満たされた。



  軍隊生活は少なからず俊介を変えました。
  そして、 それ以上に・・・。
  惨烈を極める戦場体験は、 彼の人間性に決定的な変化を及ぼさずにいなかったのです。


  ・・・その想いは、 日毎身辺で炸裂する砲弾で吹き飛ばされた。
  戦車の肉薄に対しては些かの感傷も許されなかった。
  転がりまわり、 かじりつき、 振り飛ばされ、 穴に潜って戦車の下で生命を拾った数も知れなかった。
  彼は変った。
  敵と遭遇しても、 やりすごすか、 殺すか、 瞬間の判断で行動した。
  思想は彼を見捨てて久しかった。
  混戦の際には、 彼は冷静で獰猛な猛獣になった。
  生きる!  ただそれだけである。
  生きるために何が必要か!  ただそれだけである。
  何のために?  そんなことは戦争にきくがいい。
  彼は敵と戦ったのではなく、 戦争と戦ったのだ。
  彼は、 もう、 何年間も毎日戦闘しつづけてきた男のようであった。



  そして、 運命の日・・・1939 (昭和14年) 8月20日。
  圧倒的兵力を投入したソ連軍の総攻撃・・・ 八月攻勢 が開始され、 俊介の所属部隊に惨憺たる潰滅の運命が訪れる事となります。







1939 (昭和14年) 8月24日



 
  ソ連軍の総攻撃開始から五日目・・・。
  日本軍は、 第23師団の残存兵力 (小林旅団) に予備兵力 (第7師団の森田旅団) を加え、 左翼方面で反撃に打って出るが、 戦況は最早絶望的でした。
  作戦上の投入兵力は二個旅団と謳われていますが、 その実質は、 歩兵二個連隊+独立守備隊一大隊に過ぎません。
  十分な火力の支援もなく、 圧倒的に優勢なソ連軍の機械化部隊に太刀打ち出来る筈が有りませんでした。
  左第一線 (森田旅団) は集中砲火に前進を阻まれ、 右第一線 (小林旅団) は戦車群に蹂躙されて崩壊しました。
  同日・・・。
  四昼夜に渡ってソ連軍の猛攻に耐えていた、 日本軍防衛線の最右翼拠点 ・ フイ高地が陥落。
  以後、 日本軍陣地は随所で分断 ・ 包囲され、 各守備隊は死守玉砕を余儀なくされていくのです。

  同日夕刻・・・。
  伍代俊介の配属されている部隊 (第23師団隷下・・・恐らく、 歩兵第72連隊でしょう) は、 戦車に蹂躙されて全滅に近い状態となります。
  連隊長重傷。 大 ・ 中隊長殆んど死傷。
  俊介の所属中隊も被害甚大。
  生存者の後退を援護すべく、 一個分隊が捨て駒となって踏み止まる事に・・・。
  俊介は、 その班員の一人でした。

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  ・・・生き残ったのが不思議であった。
  戦車の死角を求めて転げまわり、 砂丘の凹地では白兵戦を演じた。
  悪鬼のような闘争であった。
  銃剣刺突では後方が不自由なので、 壕堀りで研がれて刃物のようになった円匙を刀の代りに縦横に振るった。
  疲れた体にはちょうど手ごろの重量であった。
  何人斬り下げたか、 覚えがない。
  気がついたら、 ・・・敵はいなくなっていた。
  遠くに、 右にも左にも後にも、 敵戦車が小さく無数に宵闇に見えていた。



  ・・・俊介は一人になった。
  茫漠とした、 暗黒のホロンバイルの平原に一人きりになった。
  味方はどこか?
  数日来、 砂漠も草原も空陸ともにソ蒙軍の制圧下にある。
  砲声がする。
  遠く戦車の轟音がする。
  だが何も見えない。
  砂丘に上る。
  ところどころに火が見えるのは、 擱坐した戦車が燃えているのである。
  生きるための目印ではない。
  俊介は歩きつづけた。
  喉が渇いて、 渇ききって、 気管も食道も細い木製の管が詰っているような感じがした。
  ・・・砲声がやんだ。
  静寂が闇を浸した。
  俊介の足の下で、 踏まれた砂が幽かにサラサラと鳴るだけある。
  暗黒の地の涯を幽鬼が歩いている。








1939 (昭和14年) 8月25日



 
  8月25日午前2時30分頃・・・。
  死屍累々たる戦場を彷徨する俊介は、 砂丘の斜面で重傷を負って呻いている一人の日本兵を発見します。
  近寄ってみて、 俊介は驚愕しました。
  その日本兵は、 俊介が少年時代から少なからぬ影響を受けて来たプロレタリア画家の 灰山浩一 だったのです。


  ・・・俊介は、 灰山が、 徐州会戦後転属になって来たことなど全然知らない。
  灰山のような男が兵隊になっていることからして、 甚だしく意外なのである。
  傷は、 左胸部貫通銃創らしかった。
  出血で衰弱がいちじるしい。



  俊介の必死の呼び掛けに・・・。


  灰山は虚ろな眼をあけて、うなずいた。
  聞えたらしかったが、 伍代俊介という兵隊がだれであるかを、 正確に記憶のなかに呼び起こしたかどうかは、 おぼつかなかった。


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  ・・・満身の力を絞って担ぎ上げ、 歩きだしたが、 そう長くはつづかなかった。
  二日二晩、 食っていない、 飲んでいない。
  俊介は灰山を下ろして、 曳きずって歩いた。
  死んではいけない。
  生きるんだ。
  こんなばかげた戦争で殺されてたまるか。
  何のための戦争なんだ。
  ・・・あんたは生き残って、 死んだ男の妻や子供の惨めさや、 流された血で肥えふとった奴らを描かなきゃならんのだ。
  必要なら、 俺のおやじや、 兄貴や、 叔父たちも含めてだ。
  死んではいけない。
  生きるんだ。
  灰山は、 中味のあまりない穀物袋のようにずるずると曳きずられていた。


  俊介は、 昏睡状態の灰山を引き摺りながら、 砂漠の大波状地帯を彷徨する中・・・。
  突然、 兵士達の密集している場所に行き当たりました。
  水を所望しますが、 兵士達は皆、 敗戦で殺気立っていて、 好意的な返事は得られません。
  参謀らしい少佐が俊介と灰山を見掛け、 近寄って来ました。
  俊介は所属部隊を云って、 前日来の戦況を報告するのですが・・・。


  「全滅だ?」

  少佐が聞き咎めた。

  「貴様が生きとるじゃないか。 貴様らの部隊は、 陣地を放棄して無断撤退したな」

  俊介の幽鬼の眼が凄味を増して光りだした。

 「混戦になりましたから、 上級司令部からの命令など、 兵隊にはわかりません。 私の分隊は敵歩兵の侵入を防止して潰滅しました。 陣地は戦車に突破されました。 他のことは何もわかりません」
 「最後の一兵まで踏みとどまって、 なぜ陣地を死守せんか。 弱兵どもめが!  無断撤退などするから、 せっかくの作戦が片端から齟齬を来すのだ」

  参謀少佐は、 云い捨てて、 離れて立っている将校の方へ行った。
  俊介は、 背後から跳りかかって円匙で少佐を斬り捨てたかった。

  作戦の齟齬もへったくれもあるか!  敵の戦車に肉弾突撃するのが作戦か!  何のために陸士や陸大を出やがった!


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  参謀少佐への怨みを呑み込んだ俊介は、 尚も灰山を引き摺りながら、 懸命に繃帯所 (野戦病院) を捜します。
  疲労は限界に達しようとしていましたが、 幸運にも担架兵に行き合い、 繃帯所までたどり着く事が出来ました。


  繃帯所は負傷者で満員であった。
  薬品と血の匂いが鋭く鼻を衝く。
  苦悶の声が幕舎に満ちている。
  衛生兵が忙しく動きまわっている。
  灰山は幕舎の外に寝かされた。
  衛生兵が軍医を呼んだ。



  軍医は、 灰山の患部を診察し、 応急処置を施しました。
  灰山の容態は重篤で、 見通しは悲観的でしたが、 軍医は最大限の努力を約束します。
  結局、 灰山は陸軍病院へ後送されて、 一命を取り留めるのですが・・・。

  軍医の名は 不破学
  応召前の身分は、 新京在住の開業医で、 実は・・・この大河小説の主要登場人物の一人なのです。
  その医院は、 俊介の幼馴染の少女 ・ 梅谷邦 の自宅から至近の位置に在りました。
  邦にとっては、 幼い時からの罹り付けの御医者さんであり、 感受性の強い邦が世の中に対して抱く様々な疑問に親切に答えてくれる、 信頼の出来る大人の一人であったのです。
  然し、 少女 ・ 邦を接点として人間的な輪が成り立っている事など、 不破も、 俊介も、 知る術はなく、 二人の運命が交錯するのは、 ほんの束の間に終わります。
  それでも、 僅かながら俊介と交わした会話は、 不破の胸に強い印象を止めずにいませんでした。

  ・・・随分やられたらしいね。
  ・・・誤算があったのかねえ、 敵を過小評価して・・・


  質問とも独白とも付かぬ不破の言葉に、 俊介は・・・。

  ・・・兵隊の実感から申しますと、 機甲部隊が質量共に決定的に劣勢にあったこと、 火力の懸隔のいちじるしいこと、 展開正面が広大で決戦兵力を分散し過ぎたこと、 要するに 組織的戦闘の構想 が敵に及ばなかったことだと思います。
  無い袖は振れぬということでしょうが、 無い袖を振ったのですから・・・


  ・・・と、 澱みなく、 理路整然と答えたのです。
  コレだけ弁の立つ陸軍一等兵が、 帝国軍隊に実在したでしょうか?
  恐らく、 下士官 ・ 兵の中にはいなかったでしょう。
  将校 (尉官級) の中にすらいなかったでしょう。
  当時の陸軍士官学校は、 前近代的な精神主義と神秘主義の温床・・・一種の 宗教学校 に変わり果てていましたから。
  本来、 軍事と 合理主義 とは不可分の関係に有らねばならないのですが、 昭和期の陸軍に在っては、 士官の養成課程その物が、 合理主義の排除 ・ 圧殺を志向していたかの様な面が有ります。

  もっとも、 俊介は、 決して難解な事を述べているのでは有りません。
  軍事上の専門知識を必要としない、 ごく常識的な見解を、 誰にでも納得出来る様に、 努めて簡明に語っているに過ぎません。
  俊介は、 高等教育を受けて居り、 いわゆる幹候志願有資格者でも有りますが、 その事は差して重要ではない。
  伍代産業で、 軍需生産資料の調査 ・ 分析に携わっていた経験が大きく、 現象を巨視的且つ客観的に捉え、 理性的に検討を加える習慣が備わっているのです。

  ・・・俊介は、 ブルジョア ・ デモクラシーの全盛期に多感な少年時代を過ごし、 合理主義の洗礼を受けています。
  そのセンスは、 実業家の父親から譲り受けた資質でもあるのですが、 溢れるばかりの知識探究熱、 旺盛な批判精神、 鋭敏な洞察力と相俟って、 社会制度に内在する矛盾 ・ 不合理の糾明に向かわずにいませんでした。
  そして、 それが俊介をして受難の道を歩ましめる要因ともなっているのです。

  物語の中では、 俊介の身内に息づく進歩への憧憬 ・ 情熱を象徴するものとして、 ギリシャ神話から プロメテウス の寓話が度々引用されています。
  プロメテウスは、 人類に火 (理性 ・ 知性の象徴) を与えたが為に、 最高神の怒りを買い、 コーカサス山の岩壁に鎖で繋がれ、 永劫の苦痛に苛まれる事となるのですが、 それは俊介のたどる苛酷な運命を暗示してもいるのです。

  ・・・俊介は、 不破医師に別れを告げました。


  俊介は歩きだした。
  戦場に原隊を探すのは、 兵隊は他に行くところがないからである。
  兵隊の悲しい帰巣本能である。
  ・・・また集団屠殺場へ帰る。
  そこで生きのびるために再び殺戮に身を投ずる。
  無人かと見える大平原には、 随所に煙が立っていた。
  砲声は殷々と大空に轟いている。












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