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土曜日の書斎 別室

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ゲティスバーグ会戦

戦史断章  米国戦史編

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ゲティスバーグ会戦




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ゲティスバーグ会戦二日目 (1863年7月2日)

リトル ・ ラウンド ・ トップの戦闘。


 

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  米国ペンシルバニア州アダムズ郡。

  ゲティスバーグ市内から撤退した 合衆国政府軍 は、 市南方の丘陵地帯に布陣し、 態勢の立て直しを図っていた。
  そして、 新たに司令官に任じられた ウィンフィールド ・ S ・ ハンコック少将 陣頭指揮の下に、 4kmに渡る長大で堅固な防衛線の構築に成功する。
  併せて、 友軍の来援を得て、 戦力の補完 ・ 強化が進められていた。
  是に就いては 南部同盟軍 の方も同様で、 精鋭部隊が続々と集結しつつ有った。
  ゲティスバーグ周辺の両軍兵力は、 総計で十万名以上に膨れ上がっていた。
  前衛部隊同士の遭遇戦から発展した戦闘は、 今や・・・ 主力決戦 の様相を呈していたのである。

  何れも結果論であるが・・・。
  南軍司令官ロバート ・ E ・ リー は、 ゲティスバーグに所要兵力を押さえに残し、 軍主力を北進させるべきで有った・・・と云われている。
  又、 南軍としては攻撃の手を弛めては成らなかった。
  丘陵地帯に拠る合衆国軍に防備を整える間を与えず、 一気呵成に攻め立てて、 完膚なきまでに叩きのめして置くべきで有った・・・とも云われている。
  敢えて攻撃を急がなかったのは、 前衛部隊指揮官が慎重過ぎたから。
  敵情が不明な上に自軍の蒙った損害も大きく、 追撃を躊躇したから・・・とされる。

  何れにしても、 丘陵地帯の合衆国軍の存在を、 北部侵攻作戦に破綻をもたらす程に差し迫った脅威と捉えていなかったのは確かで有ろう。

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  是の日・・・早朝。
  敵情視察を行ったリーは、 合衆国軍防衛線最左翼に位置する リトル ・ ラウンド ・ トップ と呼ばれる丘陵の攻略を決断する。
  流石に・・・リーの戦術眼は、 同丘陵が敵防衛線の要になっている事を看破したのである。
  この頂上を制すれば、 防衛線の中央部・・・ セミタリー ・ リッジ を砲の射程内に収める事が出来る。

  リーの命令に基いて、 攻撃軍がリトル ・ ラウンド ・ トップに向かって前進を開始したのは、 午後4時を回ってからの事。
  担当は ジョン ・ B ・ フッド少将 麾下師団で、 リトル ・ ラウンド ・ トップ攻略に、 当初・・・ 歩兵五個連隊 が差し向けられた。
  攻撃準備に随分時間を費やした感が有るが、 余りに慎重過ぎたからか。
  当然、 敵も十分な兵力を配備して守りを固めているとの予測に立っての事か。
  実は、 丁度その頃・・・。
  信じ難い過誤 (詳述するのは些か煩瑣である) によって合衆国軍の陣容に大きな乱れが生じており、 攻撃目標のリトル ・ ラウンド ・ トップ周辺は無防備に近い状態に置かれていたのである。
  敵失に乗ずる格好で、 攻略部隊は難なく目標を確保出来る筈であった。
  合衆国軍は絶体絶命の危機を迎えていた・・・と云える。

  然し、 将に・・・紙一重の差で、 その危機は回避されるのである。
  司令部から派遣され、 リトル ・ ラウンド ・ トップを視察中であった G ・ M ・ ウォーレン准将 は、 南西斜面から迫って来る攻略部隊を視界に認める。
  愕然としたウォーレンは、 直ちに援軍を要請。
  歩兵4個連隊がリトル ・ ラウンド ・ トップに急派される。
  その最終配備が完了したのは、 実に・・・攻撃部隊が姿を現わす十分前の事であった。

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( 『ゲティスバーグの戦い/南北戦争運命の三日間』 )


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  その直後、 両軍の間に戦端が開かれ、 同丘陵南西斜面一帯に於いて、 凄絶な攻防戦が繰り広げられる事となる。
  南軍の攻撃は熾烈を極め、 各守備隊は度々崩壊の危機に立たされたが、 頑強に抗戦を継続し、 敵の前進を阻んだ。
  取り分け、 最左翼に配置された ジョシュア ・ L ・ チェンバレン大佐 指揮下の 第20メイン連隊 は、 獅子奮迅の活躍を示した。
  銃弾をほぼ撃ち尽くしてしまうと、 果敢な銃剣突撃を敢行し、 攻撃軍を圧倒した。
  斯くて、 死闘数時間・・・南軍は遂に撃退されるのである。

  同日・・・。
  南軍の攻撃は、 合衆国軍防衛線最右翼・・・ カルプス ・ ヒル に対しても行われたが、 猛反撃を受けて退却した。
  苦境に立たされていた合衆国軍は、 次第に勢いを盛り返し、 防衛線の各所で南軍を圧倒しつつ有ったのである。







2


ゲティスバーグ会戦最終日 (1863年7月3日)

南部同盟軍敗退。


 

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( 『ゲティスバーグの戦い/南北戦争運命の三日間』 )

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  合衆国政府軍南部同盟軍 が、 互いに死力を尽くした戦闘は、 三日目を迎えていた。
  当初苦境に立たされた合衆国軍は、 能く退勢を挽回し、 各所で南軍を圧倒しつつあった。
  南軍総司令官ロバート ・ リー は、 合衆国軍防衛線の中央突破を企図し、 セミタリーリッジ に対する総攻撃を下命する。

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  然し、 セミタリーリッジ強襲は、 明らかな 暴挙 であった。
  攻撃軍は、 掩蔽壕は愚か遮蔽物とて存在しない、 見通しの良い平原を、 1km以上も前進しなくてはならないのである。
  有力な敵砲兵隊陣地からの猛射に曝され、 兵力の大半が粉砕されてしまう事は、 自明の筈であった。
  ロングストリート中将 は異論を唱えたが、 聞容れられなかった。
  リーが、 是の暴挙を思い立った時点で、 南軍の敗北は決定していたと云える。

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  ピケット少将 指揮下の歩兵師団を主力とする攻撃軍の進撃が開始された。
  是に先立って、 敵陣地に対する大規模な砲撃が実施されていたが、 弾薬の補給が続かず、 思わしい成果を挙げる事は出来なかった。

  果たして・・・。
  2km正面に展開し、 整然たる 密集隊形 を堅持して前進する一万数千名の歩兵部隊に対する、 敵陣地からの砲撃は熾烈を極め、 精鋭軍は見る間に兵力を減少させていった。

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  彼らは戦闘に投入されたのではなく、 屠殺場へ駆立てられたに等しかった。
  アーミステッド准将 を先頭とする歩兵の一部は、 遂に敵砲兵隊陣地の一角に突入したが、 敵歩兵が是を制圧するのに差したる時間は要しなかった。
  塁上に身を躍らせた途端・・・アーミステッドは、 飛来する銃弾を受けて斃れた。

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  翌7月4日。
  南軍は、 総退却を開始。
  東部戦線 の大攻勢は、 ゲティスバーグ会戦 の敗北を以って頓挫したのである。
  三日間の戦闘による犠牲者は、 両軍合計で五万名を数える。

  同日・・・。
  西部戦線 では、 合衆国軍の攻囲に耐えていた要衝 ヴィックスバーグ が陥落。
  合衆国政府は、 ミシシッピ川の支配権を確立 した。
  是の結果、 南部同盟は 地理的に分断 される事となる。

  戦局が南部優勢へ傾く日は、 最早来なかった。








3


ゲティスバーグ会戦最終日 (1863年7月3日)

イースト ・ キャバルリー ・ フィールドの戦闘。


 

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(ラオール ・ ウォルシュ監督作品 『壮烈第七騎兵隊』 )

  主戦場ゲティスバーグに於いて、 ピケット少将麾下の精鋭軍が壊滅的損害を蒙った同日・・・。
  南軍最強兵団と謳われる J ・ E ・ B ・ スチュアート少将 麾下の騎兵師団 (騎兵三個旅団基幹) は、 合衆国軍の背後を衝くべく迂回機動中であったが、 ゲティスバーグ東方5km・・・ルメル農場付近で、 有力な合衆国軍騎兵団と遭遇。
  騎兵団同士の激戦が繰り広げられる事となる。
  いわゆる イースト ・ キャバルリー ・ フィールドの戦闘 である。

  スチュアート師団を迎え撃ったのは、 ディビッド ・ グレッグ准将 麾下の第2師団と ジョージ ・ アームストロング ・ カスター准将 率いるミシガン騎兵旅団であった。
  カスターが将官に昇進し、 新設のミシガン旅団 (騎兵四個連隊基幹) の指揮を任されたのは、 僅か数日前の事。
  然し、 弱冠23歳の青年将軍が戦闘間に発揮した勇猛果敢さは、 敵味方将士を瞠目させるモノであった。
  陣頭に身を置いたカスターは、 南軍騎兵団の精鋭に対して、 二度に渡って突撃を敢行する。

  一度目は、 第7ミシガン騎兵連隊を率いて・・・。
  リー騎兵旅団中の一個騎兵連隊と渡り合い、 撃退した。
  戦闘指揮中、 カスターは乗馬を失った。

  二度目は、 第1ミシガン騎兵連隊を率いて・・・。
  怒涛の様な勢いで押し寄せるハンプトン騎兵旅団の正面に突っ込んだ。
  双方サーベルを閃かせての、 壮絶な白兵戦が演じられた。
  敵将ハンプトンは頭部に刀傷を負い、 カスターは二頭目の乗馬を失った。
  死闘の最中、 友軍が敵の両側面を攻撃。
  三方向から攻め立てられたハンプトン旅団は退却を余儀なくされる。

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(ロバート ・ シオドマク監督作品 『カスター将軍』 )

  スチュアート騎兵団は撤退に移り、 40分に渡る戦闘は終了した。
  南軍の戦死者 181名。
  合衆国軍の戦死者 254名。
  ・・・その中 219名は、 カスターの指揮下で戦ったミシガン騎兵旅団の兵士達であった。

  スチュアートの作戦企図は、 カスターの猛攻によって阻まれた格好となった。
  合衆国軍の後方撹乱という所期の目的を達する事が出来なかったのである。









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