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1941 (昭和16) 年10月18日。
神奈川県横浜市。 奇しくも、 東条内閣が成立した是の日・・・。 警視庁特別高等警察は、 治安維持法違反の容疑によって、 ドイツ国籍の日本在住外国人 リヒァルト ・ ゾルゲ の身柄を拘束した。 ゾルゲは、 表面上・・・ドイツの有力紙フランクフルター ・ ツァイトゥングの東京特派員を装っていたが、 その正体は、 ソビエト赤軍参謀本部第4局に所属する諜報員であった。 ゾルゲを中心とする諜報団は、 八年間に渡る日本での諜報活動を通して入手し得た、 日独両国の政治 ・ 軍事上の最高機密情報を、 本国政府へ送信し続けていたのである。 独ソ開戦と同時にソ連侵攻を企図し、 関東軍の大増員を実施した日本が、 最終的に侵攻を断念した事実を探知 ・ 通報したのは、 最大の功績とされている。 ソ連指導部は、 この報告に基づいて、 精鋭軍を極東から西部戦線へ転進させ、 モスクワ防衛に成功したのであった。 (東宝 『スパイ ・ ゾルゲ』 ) ゾルゲ諜報団の摘発は、 日本の支配層に甚大な衝撃を与えた。 ゾルゲが、 同盟国ドイツの駐日大使付情報官で、 大使から絶大な信頼を得ている人物であった事。 事件に連座して逮捕された日本人ジャーナリスト ・ 尾崎秀実 が、 近衛文麿内閣の嘱託の一人であった事。 更に、 彼らへの情報提供者として、 前年物故した元老 ・ 西園寺公爵の血縁者や、 五 ・ 一五事件で非命に斃れた故犬養総理の子息の名が浮上した事にもよる。 然し、 真に驚嘆すべきは・・・。 政権中枢まで巧妙に浸透させた諜報網も然る事ながら、 ゾルゲ個人の卓越した分析能力と深い洞察力であろう。 二 ・ 二六事件以後の、 日本の国内政治の動向。 対外的国家戦略の行方について。 豊富な情報資料に的確な分析 ・ 検討を加え、 極めて正確な推論を導出していたのである。 不幸な事に・・・。 日本は、 ゾルゲの予見の正当性を、 自らの手で実証するかの様に、 無謀な戦争への道を突進んで行く事となる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 26, 2011 07:00:27 PM
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