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土曜日の書斎 別室

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December 28, 2010
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  1904 (明治37) 年   旅順攻囲軍、 二竜山永久堡塁を占領。 旅順要塞開城へ・・・。

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  二百三高地 占領と同時に、 (日本軍は) その山頂に観測所を設け、 旅順港内の敵艦隊に対して、 28糎榴弾砲による猛射を浴びせ始めた。
  山頂からの誘導に基づく、 その砲撃は、 驚異的な命中率を示した。
  昼夜を分かたず、 飛来する巨弾によって、 ロシア戦艦群は次々と爆発 ・ 炎上していった。
  僅か数日の間に港内から堅艦は姿を消し去り、 第三軍は、 遂に、 その責務を果たした。
  戦争指導層にとって、 開戦以来の宿願であった 旅順艦隊撃滅 が成し遂げられたのである。

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  一方、 虎の子の艦隊の悉くが炎に包まれる、 凄愴な光景を目の当りにしては、 要塞守備隊の士気も消沈せざるを得ない。
  更に・・・数日後。
  守備隊随一の闘将で、 兵士からの信望が厚い ロマン ・ コンドラチェンコ少将 は、 幕僚達を伴い、 日本軍の猛攻に曝されている 東鶏冠山 永久堡塁を視察中、 28糎砲弾の直撃を受けて戦死した (東鶏冠山は、 同日夕刻・・・陥落する)
  コンドラチェンコ少将の死が、 守備兵に与えた衝撃は大きく、 その戦意は急速に低下していくのである。

  一方、 東鶏冠山と並んで、 攻囲開始時から日本軍の前進を頑強に阻んでいた永久堡塁である 二龍山 に対しても、 攻略準備が着々と進められていた。
  同堡塁に向かって掘進されていた坑道は、 胸墻を越えて、 外岸窖室の奥壁にまで到達。
  坑道内の全薬室に爆薬が装填され、 胸墻爆破の準備は完了する。
  第一次総攻撃以来、 無慮数万に上る日本軍将兵の血を吸飲し続けた伏魔殿 ・ 旅順 は、 今や・・・断末魔の苦悶に喘いでいた。
  そして、 是の日・・・1904 (明治37) 年12月28日午前9時、 二竜山攻撃の火蓋は切られる。


  ・・・十時四分、 工兵隊が五条の坑道の薬室に点火、 二竜山胸墻は地軸をゆるがす轟音とともに天空に噴きとばされた。
  土砂や石塊が、 あられのように大地をたたき、 外壕を埋め、 斜面一帯に粉塵が降りつもった。
  一瞬あたりに静寂が流れた。
  この静寂をまず二十八サンチ砲の轟音が引き裂き、 土砂で埋まった突撃壕から兵たちが這い出し、 つづいて、 漏斗状に口をあけた爆発孔から突撃隊が喚声をあげておどり出し、 まだ朦々と爆煙の立ちこめている堡塁に向かって突貫した。
  白兵戦になった。
  ロシア守備隊は必死に抵抗した。
  日露両軍は、 手榴弾を投げ合い、 銃床で殴り合い、 果ては文字通り血みどろの格闘となった。

(笠原和夫著 『二百三高地』 から)





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Last updated  December 31, 2010 12:30:46 AM
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