土曜日の書斎 別室

2011/04/03(日)03:30

本日 (4月2日) の出来事。

  1982年   フォークランド紛争発生。 アルゼンチン陸軍、 英国領フォークランド諸島を制圧。 フォークランド紛争   アルゼンチン沖 500kmの大西洋上の フォークランド (アルゼンチン名はマルビナス) 諸島 の領有をめぐる、 英国とアルゼンチンとの争い。   1982年にアルゼンチン軍が占領、 英軍は機動部隊を派遣し、 2ヵ月余りの激戦の末、 英国が勝利。   双方に約1000人の死者を出した。   両国は89年10月に敵対関係の終結を宣言、 90年2月に国交を回復した。 ・・・ ( 『知恵蔵2011』 から)   1982 (昭和57) 年前半は、 戦争報道がTVニュースの主役でした。   ソ連軍のアフガニスタン侵攻。   イラン ・ イラク戦争。   共に長期化し、 泥沼の様相を呈していました。   更に・・・6月。   イスラエル軍がレバノンへ電撃進攻。   恰も、 中東全域が戦火に覆い尽くされてしまったかの様な印象を受けていました。   そうした情勢下、 南大西洋上・・・。   英国 ・ アルゼンチン間に発生した フォークランド諸島 (アルゼンチン側の呼称はマルビナス諸島) の領有権を廻る武力紛争は、 当初・・・衝撃的と云うよりも、 一種の違和感をもって受け止められました。   新冷戦下・・・。   思想的 ・ 宗教的背景を全く持たない、 純然たる領土問題から生じた、 極めて古典的な性格を有する紛争。   それが本格的な戦争へ発展するなんて事が有り得るのかという思いを強く抱かずにいられませんでした。   要するに、 リアリティが感じられなかったのです。   恐らくは、 国連安保理なり、 米国なりの仲介による和解が成立し、 両国とも鉾を収め、 事無きを得るのではないかという楽観的な観測を抱いていたのも事実です。   然し、 当事者同士。   アルゼンチンの ガルティエリ 軍事政権も、 英国首相 マーガレット ・ サッチャー も、 共に強硬な態度を固守して譲らず、 国際社会の調停は遂に功を奏さず、 開戦に至るわけですが、 それは超大国 ・ 米国の西側世界に於ける指導力の相対的な低下を物語ってもいたのでしょう。

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