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1944 (昭和19) 年 マリアナ沖海戦。 日本機動部隊惨敗。
日本本土防衛の最後の拠点 である サイパン島 の戦況が悪化の一途をたどる中・・・。 連合艦隊は、 マリアナ沖の米機動部隊を撃滅し、 劣勢を挽回すべく、 機動部隊の全力を投入しての あ号作戦 を発動。 日 ・ 米両機動部隊の間に、 開戦以来最大規模の空母決戦である マリアナ沖海戦 が生起する事となる。 日本機動部隊は、 艦載機の航続力の優位性を生かした、 敵攻撃圏外からの遠距離攻撃・・・いわゆる アウトレンジ戦法 によって必勝を期すが、 搭乗員の練度不足を度外視して強行した攻撃は、 米機動部隊の完成度の高い要撃網に阻まれ、 完全に失敗。 全搭載機の約九割が失われた上、 母艦群も甚大な被害を蒙り、 海戦は日本側の惨憺たる敗北に終わる。 連合軍による欧州本土進攻作戦・・・ノルマンディー上陸作戦が決行された、 1944 (昭和19) 年6月6日。 是に呼応して、 中部太平洋方面に於いても、 米海軍第五艦隊総司令官 レイモンド ・ スプルーアンス大将 総指揮の下・・・機動部隊 ・ 上陸部隊艦艇総数七百数十隻という空前の海上兵力による マリアナ諸島 攻略作戦が開始された。 マリアナ諸島は、 いわゆる 絶対国防圏 の内南洋方面に於ける要であり、 日本本土防衛の最後の拠点 として認識されていた。 同諸島を失う事は、 日本列島の大半の地域が 米戦略爆撃機の航続圏内 に入る事を意味している。 太平洋の戦局もまた最終段階に突入しようとしていたのである。 同11日。 サイパン ・ テニアン ・ グアム 各島が米艦載機群の猛空襲を受け、 日本軍の基地航空兵力は壊滅状態に陥った。 同15日。 米軍は、 サイパン島に上陸を開始。 サイパン島は、 予てから 東条英機首相 (兼務 陸相 兼務 参謀総長 ) が 永久陣地 と豪語していた要衝であったが、 実際には、 補給上の問題から十分な防御態勢を構築し得て居らず、 圧倒的物量を誇る米上陸軍を阻む力はなかった。 (舛田利雄監督作品 『大日本帝国』 ) 米軍はたちまち同島の飛行場を占領し、 日本軍守備隊と多数の民間人は島内北端へ圧迫されつつ有った。 米軍のサイパン島上陸に先立つ、 6月13日。 連合艦隊は あ号作戦 を発動。 小沢治三郎中将 麾下の第一機動艦隊 (空母九隻基幹) は、 マリアナ沖の米機動部隊 (空母十五隻基幹) 撃滅を期して、 フィリピン諸島南西端の泊地を進発した。 そして、 是の日・・・1944 (昭和19) 年6月19日早朝。 米機動部隊に先制攻撃を加えるべく、 第一次 ・ 第二次攻撃隊三百数十機を発進させた。 日本艦載機の航続力の優位性を生かし、 敵機動部隊の攻撃圏外から遠距離攻撃を仕掛ける、 乾坤一擲の作戦であった。 然し、 米機動部隊は、 高性能レーダーと有機的に組み合わされた、 高度の要撃態勢を布いて居り、 日本攻撃隊の来襲を事前に察知し、 迎撃戦闘機を大挙発進させる。 攻撃隊は、 この迎撃網に正面から突っ込む格好となった。 大半の機は、 敵輪型陣の遥か手前の洋上で撃墜され、 迎撃網を突破し、 輪型陣に肉迫した機も、 熾烈な対空砲火によって粉砕された。 戦況は全く一方的展開に終始した。 米側の迎撃機は最新鋭機で格段に性能が優れている上、 日本側は搭乗員の技量からして未熟であった。 戦闘と云うよりも、 日本艦載機の屠殺に近かった。 二日間の戦闘に於いて、 日本側は395機の作戦機を喪失。 機動部隊の艦船被害も甚大であった。 米潜水艦の放った魚雷を受けた旗艦 ・ 大鳳 は、 数時間後・・・大爆発を起こし、 猛火に包まれて海中に没した。 被雷時の衝撃で漏出した燃料が気化し、 格納庫内に充満し、 それに引火したものとされているが、 機動部隊に在って開戦後建造された唯一の制式空母で、 不沈艦と呼ばれた大鳳の呆気ない最期であった。 真珠湾奇襲以来の歴戦の空母である 翔鶴 もまた米潜の雷撃によって沈んだ。 更に、 翌20日。 改造空母 ・ 飛鷹 が米雷撃機隊の攻撃を受けて沈没。 その他、 制式空母 ・ 瑞鶴 を始め四隻が損傷を被った。 日本機動部隊は最早・・・作戦の主体としては行動し得ない、 惨憺たる状態に陥ったのである。 米艦載機の損失は (日本側と比較して) 僅少で、 艦船被害も極めて軽微であった。 世界戦史上最大規模の空母決戦となった マリアナ沖海戦 は、 日本機動部隊の惨敗に終わったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 25, 2011 02:30:27 AM
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