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全焼という最悪の事態は免れたにせよ、数百年にわたって、フランスの精神文化を育んで来たノートルダム大聖堂が炎を噴き上げる光景は、多くの人々に言葉に出来ない衝撃を与えた模様です
今回の事態を日本に引き寄せて、先ず思い浮かぶのは、1950 (昭和25) 年7月に起きた金閣寺焼失事件ですが、その衝撃は、いわゆる文化人・知識人の範囲に留まっていた様に思われます。 焼け跡に建ち並ぶバラックも闇市も姿を消し、深刻な食糧難も解消されて居り、また朝鮮戦争の勃発によって特需景気が巻き起ころうとしていましたが、いまだ国民の大半は目先の生活に追われている状態で、実の所···それ程の関心は示さなかったのではないでしょうか? 無論、文化的背景が異なり、国情・国民性もまるで異なるので、当然の事なのですが···。 ノートルダム大聖堂の様に、動乱の幾世紀を一般国民と共に見つめ続けた建造物を日本に求めるのは、ちょっと困難な様です。 ペスト禍と百年戦争。 (中世) 断続しつつ四十年余に及んだ宗教戦争。 (近世) 大革命とナポレオン戦争 七月革命と二月革命。 普仏戦争とパリ・コミューン。 君主制と共和制の目眩く交替劇が演じられ、民衆が主役の座に躍り出た··· (近代) そして、今日のヨーロッパの枠組みを決定した、二つの世界大戦。 戦後の五月革命。 (現代) 栄光と悲惨の交錯する歴史の中で、絶えず民衆の苦難に寄り添い、精神的な支えと成って来たのがノートルダム大聖堂でした。 私達は、ついつい【世界遺産】の枠に括って捉え勝ちなのですが···。 仏国民にとって、それ以上に、揺るがせに出来ない重味を持って、その精神史の上に息づいている存在であるらしく、その被災がもたらした衝撃の深さには、私達日本人の想像も及ばないものが有る様に思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 30, 2019 11:45:28 AM
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