December 18, 2011

本日 (12月18日) の出来事。

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  1956 (昭和31) 年   日本、 国際連合に正式加盟。

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  われわれ日本人の 国際連合 への期待には、 他国に見られない特殊のものがある。
  それは 平和憲法 のために、 自衛力 のほかは国連による 集団安全保障 以外に自国の安全を保障する方途がないからである。
  日米安全保障条約 の改定にさいして、 自民党が 国連憲章 に即して改定するという原則をわざわざ強調したのも、 国連による安全保障には反対党も黙認しているからである。
  日本の外交政策 に反対がなく、 なんらかの 国民的合意 がえられるものがありとすれば、 それは 国連憲章に即したもの のみといってよい。

(蝋山政道著 『日本の歴史 26 よみがえる日本』 から)



  サンフランシスコ講和条約 が発効し、 日本が国家主権を回復したのは、 1952 (昭和27) 年4月28日の事である。
  主権回復と同時に、 日本は 国際連合 への加盟申請を行なったが、 サンフランシスコ条約への署名を拒否していた (国連常任理事国である) ソ連の反対に遭い、 実現に至らなかった。
  国連加盟を目指す日本の前途には、 ソ連との国交正常化が不可避の外交課題として横たわっていたのである。
  是に着手したのが、 対米一辺倒の外交姿勢を貫いた吉田茂内閣に代わって成立した 鳩山一郎内閣 であった。
  実際、 鳩山内閣が取り組んだ 日ソ交渉 は、 サンフランシスコ体制下の日本が、 その緊縛的状態から脱し、 自主外交の道を希求 ・ 模索していく上での試金石でもあった。


  ・・・客観的立場からみれば、 長く閉ざされていた日本の国際路線をひらき、 その 国際外交の空白を解消する重要な政策転機 でもあったといえよう。
  またソ連側においても、 スターリンからフルシチョフへの政権移動 があって、 平和共存路線の布かれ始めたときでもあり、 ・・・日ソ平和交渉の機熟したといえる。

(前掲書から)


  交渉は北方領土問題をめぐって難航を重ねたが、 国民的利益に深く関わり、 より差し迫った問題である漁業 ・ 通商問題の解決を優先する日本政府の方針の下で、 妥結へと導かれた。
  そして、 1956 (昭和31) 年10月19日。
  日ソ両国の戦争状態の終結 ・ 国交正常化を謳った 日ソ共同宣言 がモスクワに於いて調印される。
  ソ連との国交回復は、 日本の国連加盟を阻んでいた最大の障壁が取り払われた事を意味した。
  それから二ヵ月後・・・1956 (昭和31) 年12月18日。
  国際連合総会は日本加盟案を満場一致で可決。
  1933 (昭和8) 年3月、 いわゆる満洲国に対する不承認決議を不服とし、 国際連盟 を脱退してから二十三年を経て、 日本は、 晴れて国際社会への復帰を果たしたのである。
  時しも、 経済白書が 戦後の終結 を宣言した年の暮れの事であった。





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Last updated  December 18, 2011 10:00:09 PM
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