ソクラテスの日記

2010/05/06(木)22:01

「こげんた」に寄す

動物愛護(8)

今日、「こげんた」のサイトを覗いた。 9年前の話だが、酷いとしか言いようの無い悲惨な事件であった。 以来、ネットでのモラル向上や事件関連のサイトでは法の手も届きつつあるが、昨今、また虐待される動物の話が時折聞かれるようになったことは、「こげんた」の事が風化しつつあるのではないかと危惧する。 約1年半前、「こげんた」をなぶり殺しにしたM・Jは判決以降、福岡に住む事が出来なくなり、広島市内の引越し先の自宅で爆発事件を起こし重症を負った。 市内の人は記憶に残っている方もおいでかもしれない。が、爆発事件の負傷者があの虐待で起訴されたM・Jであったと知る人は少ないのではないだろうか。 当時は「こげんた事件」から7年後の話しである。 爆発については何でも「金属を抽出しようとした」と弁明したらしいが、虐待の次は爆発物騒ぎであり、普通に就職していたことと同時に、その父親は教育者であり小学校の教頭をしていたことを知り更に驚いた。 人は喉元過ぎれば忘れる生き物である。 時が過ぎ、あのM・Jが引越し先で普通に勤め人として生計を立ていることを、どれ程の周辺の住民がご存知だろうか。 今、世田谷を騒がせている事件がある。 特に猫好きの人には耐え難い事件であろう。 当屋敷の周辺でも窃盗騒ぎが時折耳に入るが、犯行日や犯行時刻は驚くほど似ている。 田舎ゆえ、被害と言っても栽培している野菜だとか、庭先の鉢植え程度だが、確信犯であることに違いは無い。 恐らく同一人物と推察されるが、この世田谷の犯人も過去にも似たような被害があったことを鑑みれば、また今後、猫ではなく人に危害を加える確立は統計的に見ても高いことは否めない。 日本は法治国家であるが、周知の通り犯罪被害者には冷たく、加害者には寛容なお国柄である。 殊に動物に対しては物扱いの要素がまだまだ強い。 法改正で「命あるもの」と明記されようが、日本の法律は動物虐待者について野放し状態としか思えないのである。 動物が好きだと明言する人は飼い方を徹底してほしい。 猫に限ったことではない。 動物が好きだと言うからには立派な飼い主になって欲しいと思う。 昨今、ペットトラブルは右肩上がりである。 ペットを飼う人が増えたことも理由のひとつであるが、無知な飼い主が増えたこともまた確かである。 ペットの管理者は飼い主に他ならない。 躾一つ取ってもそうである。 飼い主の質がペットの行動に全て出る。 それを犬が、いや猫が悪いと言われても、迷惑するのはペットである。 無知な飼い主を持ってしまったペットの不運としか言いようが無い。 挙句に「飽きた」「躾けられない」「大きくなって可愛くなくなった」「引越しで転居先がペット不可だから」等等、保健所に引き取られて殺処分されるペット達は、全く「物」の域を脱していないではないか。 そう言う飼い主を鴨にして一儲けしているブリーダーがいることもまた事実である。 彼女なり彼氏が「犬が好き」「猫が好き」と言ったら是非聞いてもらいたいことがある。 「年間、どのくらいのペットが殺処分されているのか知っているのか」と。 「その処分が税金で賄われていることを知っているのか」と。 例え「老犬や汚れた野良猫を見ても飼いたいと思うか」と。 「ペットショップに並べられている生後2ヶ月未満の犬猫が居ても不思議に思わないのか」と。 帰ってきた返事が拙い物であったなら、本当に好きであるはずは無い。 異性にカワイイ、優しいことを単にアピールしたいだけの上っ面だけのニンゲンである。 先ずは現状を知ってほしい。 動物実験を。 毛皮製品が如何にして作られているかを。 「安楽死です」と謳っているガス室が決して安楽で無いことを。 そして「こげんた」のことを。

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