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テーマ:今日の出来事(287458)
カテゴリ:こどもの頃の思いで
朝、「おばあちゃん(私の母)から電話」という長女の声で起こされました。電話に出ると、叔母が夕べ夜中に亡くなった、と。急遽、予定を変更して車で叔母の家まで往復しました。
お母さん(妻)に告げると、寝ぼけていた顔が急に真顔になりました。こどもたちにもお母さんにもいつも優しくしくくれていた叔母は、(両親をすでに亡くした)お母さんにとっても心をゆるせる存在でした(私の母とは微妙な関係ですが、これは私の母親と妻という関係ですから仕方ないでしょう)。 今日は、一日お父さん塾をする予定でしたが、急遽予定を変更して車で叔母にお別れに行ってきました。とは言え、三人のこどもたちにはまだ実感が湧かないようでした。かろうじて長男が多少わかったぐらいでしょうか。次女にいたっては、楽しいドライブぐらいにしか思っていないようでしたが、4歳児には理解しろと言ってもまだ無理でしょう。 叔母の家に到着したのは、お昼過ぎ。座敷で布団に寝かされている叔母の寝顔は、横から見ていると寝息が聞こえてきそうなくらい安らかなものでした。大好きな美空ひばりの番組を見て、遅めのお風呂にはいったそうですが、なかなか出てこないので叔父が様子を見に行ったら、洗面所で倒れていたとのことです。以前から胸部大動脈瘤があることはわかっていましたから、破裂してしまったのでしょう。手術は、そのリスクと年齢から考えて手術の負荷に耐えられないだろうということで、見合わせるしかないと以前叔母が話していました。これに加えて、このところ自分と同い年の友だちが続けて世を去り、次は自分の番かもと言っていた叔母の不安が的中してしまいました。 こどものいない叔母夫婦は、私だけでなく自分の側、叔父の側の両方の甥や姪を本当に可愛がっていました。なかでも、私は叔母の兄妹の長女だった母の息子だったので、たぶん一番可愛がってもらったと思います。私の父親があまり気兼ねしなくてもいいタイプだったこともあって、結婚してからは職場近くの我が家に朝立ち寄って、姑さんに対する愚痴を吐き出してすっきりしてから仕事に行くという毎日でした。だから、叔母と接した時間でも甥、姪の中で No. 1 だったと思います。私が結婚してからは、お母さん(妻)も可愛がってくれましたし、こどもができてからは、私のこどもたちをトイザらスに連れて行ってはいろいろとおもちゃを買ってやるのを楽しみにしてくれていました。私がこどもを連れて帰省していると聞けば、車で飛んできてくれました。 学生時代の私の母にしてもらったことや私の父親が毎朝叔母が立ち寄っても嫌な顔ひとつしなかったことなどを恩義に感じてくれていたのでしょう、父親が亡くなってからは、頻繁に母を連れ出してくれていました。定年まで工場で女性工員として働いてきた叔母は、番長肌でいつも同僚に気配りをしている人でもありました。仕事前の朝の会話では、職場でのできごとなども母と離したりしていましたので、その会話を毎日聞かされたことは私の人生にも大きな影響を与えてくれたような気がします。番長肌ですから、きっと押し付けがましいと感じる人もいたでしょうが、いつも他人の気持ちを思いやるひとだったと思います。 義母、父、義父に続いて、叔母がまた一人この世を去りました。このところはすっかり叔母に頼っていた母が、そう遠くない将来に後を追うのも覚悟しなければならないでしょう。そういう年齢になったのだと実感しました。 今回は、お母さん(妻)が気持よくついてきてくれました。明後日のお通夜には私だけが参加しますが、その翌日の葬儀にはお母さんもこどもたちを連れて参列してくれると言ってくれました。とても感謝しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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