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モノスキー日記

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 中居正郎@ Re:7号食※ を再開しました。(11/07) びっくりのアップ~だれもみんよね。
 よきん@ Re[1]:緊急事態宣言 !!(10/19) 銀線名人ぬかしんぼさんへ (^O^)ア(^○^)ハ(…
 よきん@ Re[1]:緊急事態宣言 !!(10/19) 銀線名人ぬかしんぼさんへ 一年近く返信…

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2007年01月19日
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カテゴリ:掃除に学ぶ会
お掃除仲間からメールが届いた。

読売新聞に掲載された文章だとのこと、転載させていただく。



最優秀賞 「感動する心」が明るい社会を造る 國方 卓(高松市)

はじめに 最近、新聞に凶悪犯罪の記事が載るたびに、「日本はなぜ、こんな風になってしまったんだろう。その原因は何処にあるのか、どうすればこの社会を良くできるのだろう」と考えさせられる。

刑事という仕事柄、「社会の安全」を考えるとき、日本人の持つ倫理観や道徳観を見直し、何がいけないのか、どこが昔と変わったのかと真剣に考えてみる必要があると思った。 そして、自分なりにいろいろ考えた結果、社会のあらゆる人々が人に迷惑をかけない人生を送り、更には「感動する心」を持つことが大切なのではないかと思うようになった。

1 他人への無関心 日本人は、何時からこんなに、他人に無関心になってしまったのだろう。親身になって、他人の子どもに注意している本当の意味での大人の姿を近年見ていないような気がする。昔、近所に居たようなガンコ親父達は、何処に行ってしまったのだろうか。

現在、他人の子どもや若者に注意すれば、オヤジ狩りにでも遭いかねない時代なのかもしれない。それにしても、昔に比べて国民一人一人が、他人に対して無関心すぎると思う。「井戸端会議」という言葉も、核家族化が進んだマンション暮らしの中では死語になりつつあるのではなかろうか。 そんな他人への無関心さが、現在のような社会に変えてしまったのではないかと思う。

フリーターやニートの問題にしても、大人になるまで人から叱られたことがない余り、社会人として上司や取引相手とかかわることを極端に恐れる若者が急増したことによるものではないかと考えてしまう。

時には、嫌われることを覚悟で、他人に注意できる存在の人が近くにいて欲しいと思う若者はいないのだろうか。私達の親父や祖父が、そうであったように近所の子どもの人生にまで口出しをする、おせっかいなガンコ親父に最近憧れる。 自分がオヤジと言われる年になってみて、自分だけでも、他人の人生にかかわっていくようなおせっかいな人間でありたいと思う。

2 家庭教育の低下 私が幼い頃は、田舎の旧家で育ったこともあり、夕食は家族全員が揃って食卓を囲んで食べ、家長である祖父の話を聞かされ、それから家族の話も聞かされた。その中で、箸の使い方とか、食卓に肘をつかないとか、音をさせずに食べるというような食事マナーに始まって、外で歩きながら物を食べるのは恥ずかしい行為である等、「恥を知る教育」を受けた。

それ以外にも、家族が職場であった出来事とか、学校であった出来事を話し合い、それについてどう感じたか、その行為が他人に迷惑をかけていなかったかということを、時間をかけて話し合い教えてくれた。幼かった私は、そうした家族の対話を興味津々で聞いていたものだ。

かくいう私も、現在は、妻と長男の3人でマンション暮らしをしており、私の仕事柄、家族そろって夕食をとることはほとんどない。食事マナーを始め「恥を知る教育」は妻任せであり、私は家庭で仕事の話をすることもなければ、子どもの幼稚園での出来事を聞いてやる余裕もないのが現状だ。

同じマンションにお年寄りが同居する世帯は無く、どこの家庭もよく似た状況ではないかと思う。 こんな現状で、昔のように家庭教育をしろといっても無理なのかもしれないが、今も昔も子どもに社会のルールやマナーを教える一番の責任は家庭にあることに変わりはない。

家庭教育の低下を考える時、私自身、時代の流れや仕事のせいばかりにせず、幼かった頃を思い出し、少ないなりの時間を割いて、できる限り家族との会話の場を大切にしなければならないと反省している。

3 急速な利便性の追求 なぜ、日本人のモラル崩壊現象が起こったのかということを考える時、パソコンやゲーム機を始め、子ども達を取り巻く環境が急速に変化したことも見逃せない。 国民総携帯電話の時代になり、自室でキーボードを操るだけで世界の情報が簡単に入手できるようになった。そのうえゲーム機器も急速に進化し、現実とゲームの世界の区別が付かず、命の大切さすら判断できなくなっている子どもが増えていると言われている。

また、24時間営業の店が全国至る所で立ち並び、昔のように、夜に寝て、朝早起きして行動を起こすという、ごくごく当たり前の生活習慣さえも崩壊しつつある。 今の子ども達から、携帯電話とゲーム機、インターネット(パソコン)、コンビニを取り上げるとパニックを起こすのではないかとすら思ってしまう。

最近はゲームやパソコン等、自室で人と触れ合わずにできる遊びを好む子どもが多くなっていると聞いた。 我々が急激に利便性を追求した結果、子ども達の心や趣味まで変えてしまったのではないだろうか。

4 尊敬する人物 私は現在、香川県高松南警察署の刑事課で勤務している。刑事として日々多忙な業務に追われる毎日だが、過去に機動隊の小隊長をしていた時期がある。「いかに部隊を強くするか」を考えていたその時、麻雀無敗伝説を持つ雀鬼流の桜井章一さんの存在を知った。

桜井さんは麻雀において汚い手を使うことを嫌う。他の日常生活にしても同じだ。そして勝負に負けない。しかし、勝負に勝つことより強さを求める、そんな考え方に私は共鳴し尊敬した。 その尊敬する人物に会う機会を得た。実際に会って話し、その凄さを肌で感じた。 桜井さんは権力者を褒めない。そんな桜井さんが唯一尊敬する企業家がいると聞いた。

大手カー用品会社の創業者である鍵山秀三郎さんがその人で、初めて聞く名前であり、どんな人かと思った。 その2人が講演会をすると知り、東京に行くこととした。そして鍵山さんが大企業のトップでありながら、45年間もの長きにわたり自ら公衆トイレ等の掃除を続ける掃除の達人で、また、その掃除哲学に学ぶ「日本を美しくする会」の相談役と知ることとなる。

講演会を聞き感動し、深夜こっそりと職場のトイレ掃除をしてみたが、その奥の深さに気付いた。そして鍵山さんの凄さに気付き尊敬することになる。 尊敬する桜井さんと鍵山さんの2人の共通点は「汚いこと、卑しいこと」を極端に嫌う点にある。 鍵山さんの人生も学んでみたくなり、著書を読んだ。こんな生き方が存在するのか。目からウロコが落ちる気分になった。

そして、鍵山さんが相談役をする掃除に学ぶ会「日本を美しくする会」のトイレ掃除に、私は参加することとなったのである。 尊敬できる偉人を知り、その人に少しでも近づく努力も規範意識が欠如した子ども達には必要ではなかろうか。

5 「あいさつ」の重要性 私は心や趣味まで変わった子ども達に、どうやって他人とのコミュニケーションをとるべきか教えるとき、本当にありきたりの事ではあるが「あいさつ」からはじめるべきだと思っている。 尊敬する雀鬼会(麻雀道場)会長桜井章一さんの著書である「雀鬼流。」を読んだ時、その中で 雀鬼会では、麻雀そのものを教えることは少ない。

挨拶をする、時間を守る、といった日常の生活態度を仕込むほうが多い。日常生活のだらしなさやいいかげんさが、麻雀に出てくるからです。 との記述に驚いた。 桜井さんは、「麻雀20年間不敗の達人」として有名なのだが、私自身は麻雀をほとんど知らないが、その偉業がどれほどすごいことかは容易に理解できる。

そんな達人が道を極めるうえで「あいさつ」の重要性を著書に明確に記載しているのだ。「あいさつをすること」が、いかに重要なのか考えさせられた。 先日、ある刑事がマンションでの盗難について捜査し、こう言っていた。

「マンションの住民の質は、居住者同士がエレベーター等の共用部分で会った時にあいさつをしているかどうかで判る」 その話を聞いて、プロの意見とうなずいた。マンションという共同住宅に住む人の質をプロの刑事が判断のバロメーターにするほど「あいさつ」は重要なのかと。

また、私の通勤途中にある交番では、毎朝、青年警察官が立番しているが、普通の通勤者一人一人にいつも、大げさなくらいしっかりと敬礼をして、「おはようございます」とあいさつをしている。あいさつをされている人は、皆恐縮しながらも、きちんと返答している。

同じあいさつでも、その目的や声をかける側の態度で相手の対応が変わることに気付いた。
本当に心を込めて、身近な近隣の方にあいさつをすることから始めれば、その地域の質が上がり、更には規範意識も上がるのではないだろうか。

6 他人の子どもに注意の声を 昔のガンコ親父とまでは言わないまでも、近所の子どもに、誰も見ていないところで私達は「あぶないよ」と声を掛けることができるだろうか。相手が女の子だったりした場合、その時と場所で、不審者と思われないかという不安があるかもしれない。

しかし、自分の信念と正義感があれば、そんな不安など吹き飛ぶはずである。通勤者全員に敬礼する青年警察官のような信念と正義感さえあれば、子ども自身も保護者も、その一言に感謝するはずではないか。 それでは、「ポイ捨て」をする若者が相手の時ならどうだろう。

そんな若者に、私達は注意の声がかけられるだろうか。オヤジ狩りのごとく、反撃されてはたまらないと見て見ぬふりになりはしないだろうか。 私は、せめて、その若者が捨てるゴミをそっと拾いたいと思う。それもサラリと嫌味なくだ。それが無言であっても「注意の声」になりはしないだろうか。その態度が真摯であればあるほど、若者の心を打つのではなかろうか。

私をそういう気持ちにさせてくれたのが、鍵山秀三郎さんだ。鍵山さんの著書に「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」があるが、鍵山さんから掃除を学ぶと、その題名のような気持ちにさせられた。

他人の捨てたゴミを拾える勇気を持つ人は、当然「ポイ捨て」をすることも有り得ない。そんな勇気のいる小さな行為で、若者の心を感動させられないだろうか。
他人の子どもに注意の声をかけたり、他人の捨てたゴミを拾ったりする一人一人の勇気が世の中を良くしていくことに繋がらないだろうか。

長くなりましたので、二つに分割します。その2へ続く






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Last updated  2007年01月19日 13時58分25秒
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