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元MONOZUKIマスターの独白

元MONOZUKIマスターの独白

第三篇第十三章~十四章

第三篇 利潤率の傾向的低下の法則
第十三章 この法則そのもの
P265L6
・・・・・とはいえ、すでに見たように、この剰余価値率は、不変資本cの大きさが違い、したがってまた総資本Cの大きさが違うのにしたがって、非常に違った利潤率に表わされるであろう。なぜならば利潤率はm/Cだからである。剰余価値率が100%ならば次のようになる。
     c= 50, v=100ならば p´=100/150=66 2/3%.
     c=100, v=100ならば p´=100/200=50%.
     c=200, v=100ならば p´=100/300=33 1/3%.
     c=300, v=100ならば p´=100/400=25%.
     c=400, v=100ならば p´=100/500=20%.
 このように、同じ利潤率が、労働の搾取度は変わらないのに、だんだん低くなる利潤率で表わされることになるであろう。そうなるのは、不変資本の物量が増すのにつれて、同じ割合でではないとはいえ、不変資本の価値量も、したがってまた総資本の価値量も増してゆくからである。
 さらに、このような資本構成の漸次的変化が、単に個々の生産部面で起きるだけでなく、多かれ少なかれすべての生産部面で、または少なくとも決定的な生産部面で起きるということ、つまり、この変化が一定の社会に属する総資本の有機的構成の変化を含んでいるということを仮定すれば、このように可変資本に比べて不変資本がだんだん増大してゆくということの結果は、剰余価値率すなわち資本による労働の搾取度が変わらないかぎり、必ず一般的利潤率の漸次的低下ということにならざるをえないのである。ところが、すでに述べたように、資本主義的生産様式の一法則として、この生産様式の発展につれて可変資本は不変資本に比べて、したがってまた動かされる総資本に比べて、相対的に減少してゆくのである。このことが意味しているのは、与えられた価値量の可変資本によって動かされる同数の労働者、同量の労働力が、資本主義的生産のなかで発展してゆく特有な生産方法によって、労働手段、機械や各種の固定資本、原料や補助材料のますます増大してゆく量を――したがってまたますます価値量の大きくなって行く不変資本を――前と同じ時間で動かし、加工し、生産的に消費するということにほかならない。このように不変資本に比べて、したがってまた総資本に比べて、可変資本が相対的にますます減少して行くということは、平均的に見た社会的資本の有機的構成がますます高くなって行くということと同じことである。それはまた、労働の社会的生産力がますます発展して行くということの別の表現でしかないのであり、この発展は、まさに、機械や固定資本一般をますます多く充用することによってますます多くの原料や補助材料を同じ数の労働者が同じ時間で、すなわちより少ない労働で生産物に転化させるということに現われるのである。このような不変資本の価値量の増大――といってもそれは不変資本を素材的に構成する現実の使用価値量の増大を表わすには程遠いものであるが――には、生産物がますます安くなるということが対応する。各個の生産物をそれ自体として見れば、それは、労働に投ぜられる資本が生産手段に投ぜられる資本に比べてはるかに大きい割合を占めているところのより低い生産段階に見られるよりもより少ない労働量を含んでいる。・・・・・
 これまでの説明ではこの法則はまったく簡単なようであるが、それでも、後の篇から見てとれるように、これまでの経済学はどれもこれもこの法則を発見することさえできなかったのである。経済学はこの現象を見て、それを解明しようとするいろいろな矛盾した試みをやって苦労した。しかし、資本主義的生産にとってこの法則は大きな重要性があるのであって、アダム・スミス以来の全経済学はこの法則の不可解さをめぐって旋回していると言ってよいのであり、また、アダム・スミス以来のいろいろな学派のあいだの相違はこの解決のための試みの相違にあるともいえるのである。しかし、他方、従来の経済学は不変資本と可変資本との区別を手探りしはしたが、それを明確に定式化することは決してできなかったということ、また、剰余価値を利潤から切り離して示したこともないし、利潤一般をそのいろいろな互いに独立化された成分――つまり産業利潤や商業利潤や利子や地代――から区別して純粋に示したこともないということ、また、資本の有機的構成の相違を、したがってまた一般的利潤率の形成を徹底的に分析したこともないということ、――こういうことを考えてみれば、従来の経済学がこの謎の解明に一度も成功しなかったということも、少しも謎ではなくなるのである。

P271L9
・・・・・可変資本部分も不変資本部分もどちらも絶対的には増大するのに、比率的には前者は減少し後者は増大するということは、すでに述べたように、労働の生産性の増大を表わす別の一表現でしかないのである。

P272L7
 与えられた労働者人口、たとえば200万を仮定し、さらに平均労働日の長さと強度も労賃も、したがってまた必要労働と剰余労働との割合も与えられたものと仮定すれば、この200万人の総労働は、また剰余価値に表わされる彼らの剰余労働も、つねに同じ価値量を生産する。しかし、この労働が動かす不変――固定および流動――資本の量が増すのにつれて、この資本の価値にたいする前記の価値量の割合は下がって行く。というのは、この資本の価値はこの資本の量といっしょに、たとえ同じ割合でではなくても、増大するからである。この割合、したがってまた利潤率は、資本が相変わらず同じ量の生きている労働を指揮し同じ量の剰余労働を吸い上げるにもかかわらず、下がって行く。この割合が変わるの、生きている労働の量が減少するからではなく、それによって動かされるすでに対象化されている労働の量が増大するからである。この現象は相対的であって絶対的ではなく、また、じっさい、動かされる労働や剰余労働の絶対量とはなんの関係もない。利潤率の低下は、総資本の可変成分の絶対的減少から生ずるのではなく、その単に相対的な減少から、不変成分と比べてのその減少から、生ずるのである。
 ところで、与えられた労働量や剰余労働量について言えることは、増大する労働者数についても言えるし、したがってまた、与えられた諸前提のもとでは、指揮される労働一般の、また特殊的にはその不払部分である剰余労働の、増大する量についても言える。労働者人口が200万から300万に増加し、労賃としてこれに支払われる可変資本も以前は200万だったのが今では300万になっており、これにたいして不変資本は400万から1500万に増大するとすれば、与えられた諸前提(不変の労働日と不変の剰余価値率)のもとでは、剰余労働量、したがって剰余価値量は、半分だけ、すなわち50%増大して、200万から300万になる。それにもかかわらず、剰余労働したがって剰余価値の絶対量のこの50%の増大にもかかわらず、可変資本と不変資本との割合は2 : 4から3 : 15に下がり、総資本にたいする剰余価値の割合は次のようになるであろう(単位百万)。
     1. 4c+2v+2m : C= 6, p´=33 1/3%.
     2. 15c+3v+3m : C=18, p´=16 2/3%.
剰余価値量は半分ふえたのに、利潤率は以前の半分に下がった。しかし、利潤は、剰余価値が社会資本にたいして計算されたものでしかなく、したがって利潤の量、その絶対量は、社会的に見れば、剰余価値の絶対量に等しい。そこで、利潤の絶対量、その総量は、前貸総資本にたいするこの利潤量の割合の非常な減少にもかかわらず、つまり一般的利潤率の非常な減少にもかかわらず、50%ふえたことになるであろう。このように、資本によって充用される労働者の数、つまり資本によって動かされる労働の絶対量、したがって資本によって吸い上げられる剰余労働の絶対量、したがって資本によって生産される剰余価値の量、したがって資本によって生産される利潤の絶対量は、利潤率の進行的低下にもかかわらず、増大することができるし、またますます増大してゆくことができるのである。ただそれができるだけではない。資本主義的生産の基礎の上では――一時的な変動を別とすれば――そうならなければならないのである。

P273L17
 資本主義的生産過程は本質的に同時に蓄積過程である。すでに示したように、資本主義的生産が進展すれば、ただ単に再生産され維持されなければならない価値量が、労働の生産性の上昇につれて増大し、しかも、充用される労働力が変わらない場合にさえも増大する。しかし、労働の社会的生産力が発展するにつれて、生産される使用価値の量はそれよりももっと増大し、そのなかには生産手段も含まれている。そして、追加労働、つまりこの追加の富がそれを取り入れることによって資本に再転化することができる追加労働は、この生産手段(生活手段を含めての)の価値によってではなく、その量によって定まる。なぜならば、労働者が労働過程でかかわるところは、生産手段の価値ではなく、その使用価値だからである。ところが、蓄積そのもの、またそれとともに与えられる資本の集積も、それ自身また生産力の増進の一つの物質的手段である。しかしまた、このような生産手段の増大には労働者人口の増大が含まれている。すなわち、過剰資本に対応する、しかもつねにこの資本の全体としての要求を越えている労働者人口、したがって過剰労働者人口の創造が含まれている。過剰資本がそれの指揮する労働者人口に比べて一時的に過剰になっているということは、二重の仕方で作用するであろう。それは、一方では、労賃の引き上げることによって、したがって、労働者の子女を減らし滅ぼす諸影響を緩和し結婚を容易にすることによって、しだいに労働者人口を増加させるであろうが、しかし、他方では、相対的剰余価値をつくりだす諸方法(機械の採用や改良)を充用することによって、もっとずっと急速に人為的な相対的過剰人口をつくりだし、これがまた――というのは資本主義的生産では貧困が人口を生むのだから――現実の急速な人口増殖の温室になるのである。それゆえ、資本主義的蓄積過程――それはただ資本主義的生産過程の一契機でしかない――の性質からひとりでに出てくることとして、資本に転化させられるべき生産手段の量が増大すればそれに対応して増大し過剰にさえなる搾取可能な労働者人口がいつでも手もとに見いだされるということになるのである。・・・・・
 資本主義的生産・蓄積の発展の歩みは、労働過程の規模とともにその広がりがますます大きくなることを必然にし、またそれに対応して各個の経営のための資本前貸が増大することを必然にする。それゆえ、諸資本の集積の増大(それには同時に、といってもよりわずかな度合いで、資本家の数の増大が伴う)は、資本主義的生産・蓄積の物質的条件の一つでもあれば、またこの生産・蓄積そのものによって生産された結果の一つでもある。これと手に手をとって、これとの相互作用のなかで、多かれ少なかれ直接的な生産者たちの収奪が進んで行く。こうして、個々の資本家たちにとっては自明なこととして、彼らはますます大きな労働者軍を指揮する(たとえ彼らにとって可変資本は不変資本に比べて減少するにしても)ようになり、彼らが取得する剰余価値の量は、したがってまた利潤の量も、利潤率の低下と同時に、またその低下にもかかわらず、増大するのである。個々の資本家の指揮のもとに労働者の大軍を集積するその同じ原因こそは、まさに、充用される固定資本の量をも原料や補助材料の量をも充用される生きている労働の量に比べてますます大きくなる割合でふくらませてゆく原因なのである。

P285L6
{利潤率は、充用される総資本にたいして計算されるが、しかし、一定の期間について、実際には一年について、計算される。一年間に生みだされて実現された剰余価値または利潤の総資本にたいする割合を百分比で計算したものが利潤率である。だから、それは、一年ではなく当該資本の回転期間を計算の基礎とする利潤率とは必ずしも等しくはない。この資本が一年間にちょうど一回転する場合にだけ両者は一致するのである。
 他方、一年間に得られる利潤は、その一年間に生産されて売られた商品にたいする利潤の総計にほかならない。いま、利潤を商品の費用価格にたいして計算すれば、利潤率はp/kとなり、このpは一年間に実現された利潤であり、kは同じ期間に生産されて売られた商品の費用価格の総計である。この利潤率p/kが現実の利潤率p/Cすなわち利潤量を総資本で割ったものと一致しうるのは、ただ、k=Cである場合、すなわち資本が一年間にちょうど一回転する場合だけだということは、一見して明らかである。
 一つの産業資本の三つの違った状態をとって見よう。
 1 8000ポンドの資本が一個当たり30シリングの商品を一年間に5000個生産して売り、したがって7500ポンドの年間回転額となる。この資本は、商品一個当たりで10シリング、すなわち一年間に2500ポンドの利潤をあげる。したがって、各一個には20シリングの資本前貸と10シリングの利潤が含まれており、一個当たりの利潤率は10/20=50%である。7500ポンドの回転額については、5000ポンドの資本前貸と2500ポンドの利潤になる。この回転額についての利潤率p/kもやはり50%である。ところが、総資本にたいして計算すれば、利潤率はp/C=2500/8000=31 1/4%である。
 2 資本が10,000ポンドに増大するとしよう。労働の生産力が増大したので、この資本は一年間に10,000個の商品を一個当たり20シリングの費用価格で生産することができるようになったとしよう。この商品をこの資本は一個当たり4シリングの利潤をつけて、したがって一個当たり24シリングで売るとしよう。そうすれば、年間生産物の価格は12,000ポンドであり、そのうち10,000ポンドは資本前貸で、2,000ポンドは利潤である。p/kは、一個当たりでは4/20であり、年間回転額については2000/10000であって、どちらも20%である。そして、総資本は費用価格の総計に等しく、10,000ポンドなのだから、現実の利潤率p/Cも今度は20%である。
 3 労働の生産力はますます増大し、資本も15,000ポンドに増大して、今では一年間に30,000個の商品を一個当たり13シリングの費用価格で生産するようになり、それが一個当たり2シリングの利潤をつけて、したがって一個当たり13シリングで売られるとしよう。そうすれば、年間回転額は30000×15シリング=22500ポンドとなり、そのうち19,500ポンドは資本前貸であり、3000ポンドは利潤である。したがって、p/k=2/13=3000/19500=15 5/13%である。ところが、p/C=3000/15000=20%である。
 以上に見るように、ただ2の場合にのみ、すなわち回転した資本価値が総資本に等しい場合にのみ、商品一個当たりまたは回転額当たりの利潤率は総資本にたいして計算した利潤率と同じである。1の場合、すなわち回転額が総資本よりも小さい場合には、商品の費用価格にたいして計算した利潤率のほうが高い。3の場合、すなわち総資本が回転額よりも小さい場合には、費用価格にたいして計算した利潤率は、総資本にたいして計算した現実の利潤率よりも低い。これは一般的に言えることである。
 商業上の慣行では回転の計算は不正確なのがふつうである。実現された商品価格の総額が充用総資本の総額に達すれば、資本は一回転したものとみなされる。しかし、実現された商品の費用価格の総計が総資本の総額に等しくなるときに、はじめて完全な一回転を完了することができるのである。――F・エンゲルス}

 第十四章 反対に作用する諸原因
P291L1
 最近の30年間だけでも以前のすべての時代に比べて社会的労働の生産力が非常な発展をとげたのを見れば、ことに、本来の機械のほかにも社会的生産過程の全体にはいって行く固定資本の巨大な量を見れば、そこには、これまで経済学者たちをわずらわしてきた困難に代わって、それとは反対の困難、すなわち、なぜこの低下がもっとひどくなるとかもっと速くなるとかしないのかを説明することの困難が現われる。そこには反対に作用する諸影響が働いていて、それらが一般的法則の作用と交錯してそれを無効にし、そしてこの一般的法則に単に一つの傾向でしかないという性格を与えているにちがいないのであって、それだからこそわれわれも一般的利潤率の低下を傾向的低下と呼んできたのである。このような原因のうちで最も一般的なものは次のようなものである。

   第一節 労働の搾取度の増強
P292L7
・・・・・しかし、収得される剰余労働の量を増加させながらしかも充用労働力とそれによって動かされる不変資本との割合を根本的には変えないもの、そして実際にはむしろこの不変資本を相対的に減少させるもの、それは、ことに労働日の延長であり、近代産業のこの発明品である。そのほかまた、すでに指摘したこと――そして利潤率の傾向的低下の本来の秘密をなすこと――であるが、相対的剰余価値を生産するためのいろいろな方法は、だいたいにおいて、一方では与えられた労働量のうちからできるだけ多くを剰余価値に転化させ、他方では前貸資本に比べてできるだけわずかな労働一般を充用するということに帰着する。したがって、労働の搾取度を高くすることを可能にするその同じ原因が、同じ総資本で以前と同量の労働を搾取することを不可能にするのである。これは互いに反対に作用する傾向であって、一方では剰余価値率を高くする方向に作用しながら、同時に、与えられた資本によって生産される剰余価値量、したがってまた利潤率を低くする方向に作用する傾向である。同様に、婦人・児童労働の大量採用も、たとえ家族全体に与えられる労賃の総額はふえる――といってもけっして一般的にそうなのではないが――にしてもとにかく一家族全体が以前よりも大きい量の剰余労働を資本に提供しなければならないかぎりでは、やはりここにあげておくべきものである。――充用資本の大きさは変わらないで農業でのように諸方法の単なる改良によって相対的剰余価値の生産を促進するものは、すべて同じ作用をする。このような場合には、われわれが可変資本を従業労働力の指標と見るかぎり、可変資本と比べて充用不変資本が増大するのではないが、しかし生産物の量は充用労働力に比べて増大するのである。同じことは、労働(その生産物が労働者の消費にはいるにせよ不変資本の諸要素にはいるにせよ)の生産力が、交通上の障害や、任意に設けられた、または時がたつうちに妨害的になった制限から、つまり一般にあらゆる種類の拘束から解放されて、しかもこれによって可変資本と不変資本との割合が直接には影響を受けない場合にも、起きる。

P293L10
 与えられた大きさの一資本が生産する剰余価値は、二つの因子の積、すなわち剰余価値率に与えられた率で働かされる労働者数を掛けたものである。だから、それは、剰余価値率が与えられていれば労働者数によって定まり、労働者数が与えられていれば剰余価値率によって定まり、したがって一般的には可変資本の絶対量と剰余価値率との複合率によって定まる。・・・・・
 この点から離れる前にもう一度強調しておきたいのは、資本の大きさが与えられていれば、剰余価値率は剰余価値量が減少しても増大することがありうるし、またその逆もありうるということである。剰余価値量は、剰余価値率に労働者数を掛けたものに等しい。しかし、この率は、けっして総資本にたいしてではなく、ただ可変資本だけにたいして、事実上ただ各一労働日だけについて計算される。ところが、資本価値の大きさが与えられていれば、利潤率が増減することは、剰余価値量もまた増減することなしにはけっしてありえないのである。

   第二節 労働力の価値以下への労賃引下げ
P295L6
 これはここでは経験的事実としてあげておくだけである。なぜならば、それは、じっさい、ここにあげてよいかもしれない他のいくつかのことと同様に、資本の一般的分析には関係のないことで、この著作では取り扱われない競争の叙述に属することだからである。とはいえ、これも、利潤率の低下への傾向を阻止する最も重要な原因の一つである。

   第三節 不変資本の諸要素の低廉化
P295L10
・・・・・だから、ことに、総資本について見れば不変資本の価値はその物量と同じ割合では増大しないということがこれに属する。たとえば、ヨーロッパの紡績労働者一人が現代の工場で加工する綿花の量は、ヨーロッパの紡績職人一人が以前に紡ぎ車で加工していた量に比べれば、非常に大きな割合で増加している。しかし、加工される綿花の価値はその量と同じ割合では増加していない。機械やその他の固定資本についても同じである。簡単に言えば、可変資本に比べて不変資本の量を増大させるのと同じ発展が、労働の生産力の増大によって不変資本の諸要素の価値を減少させるのであり、したがってまた、不変資本の価値は絶えず増大するにしてもそれが不変資本の物量すなわち同量の労働力によって動かされる生産手段の物量と同じ割合で増加するということを妨げるのである。しかも、個々の場合には、不変資本の価値は変わらないかまたは下がりさえしても不変資本の諸要素の量は増加するということもありうるのである。
 ここに述べたことと関連して、産業の発展につれて起きる既存資本の(すなわちその素材的諸要素の)減価ということがある。これもまた、利潤率の低下を妨げる絶えず作用している諸原因の一つである。といっても、それは、事情によっては、利潤を生む資本の量を減らすことによって利潤の量を減らすこともありうるのであるが。この場合にも、利潤率の低下への傾向を生みだす同じ原因がまたこの傾向の実現を緩和もするということが示されるのである。

   第四節 相対的過剰人口
P296L14
 相対的過剰人口の生産は、利潤率の低下に表わされる労働の生産力の発展と不可分であり、また、これによって促進される。相対的過剰人口は、一国で資本主義的生産様式が発展すればするほどますます顕著に現われてくる。それはまた、一方では、多くの生産部門で労働の資本への多かれ少なかれ不完全な従属が存続し、しかもこの不完全な従属が一見して発展の一般的水準にふさわしく見えるよりもさらに長く存続するということの原因である。それは、利用可能な、または遊離している賃金労働者が安くて多いということの結果であり、また、多くの生産部門では、新たな生産部門、特にまた奢侈消費のための部門が開かれ、これらの部門は、ちょうどあの相対的な、しばしば他の生産部門での不変資本の優勢のために遊離した過剰人口を基礎として取り入れ、それ自身は再び生きている労働という要素の優勢にもとづき、それから後にはじめてだんだん他の部門と同じ経路をたどって行く。どちらの場合にも可変資本は総資本のなかでかなり大きな割合を占めており、労賃は平均よりも低く、したがってこのような生産部門では剰余価値率も剰余価値量も異常に高くなっている。ところで、一般的利潤率はいろいろな特殊な生産部門の利潤率の平均によって形成されるのだから、この場合にもまた、利潤率の低下傾向を生みだす同じ要因がこの傾向にたいする平衡力を呼び起こして、それがこの傾向の作用を多かれ少なかれ麻痺させるのである。

   第五節 貿  易
P298L8
 貿易に投ぜられた資本が比較的高い利潤率をあげることができるのは、ここではまず第一に、生産条件の劣っている他の諸国が生産する商品との競争が行なわれ、したがって先進国のほうは自国の商品を競争相手の諸国より安く売ってもなおその価値より高く売るのだからである。この場合には先進国の労働が比重の大きい労働として実現されるかぎりでは、利潤率は高くなる。というのは、質的により高級な労働として支払われない労働がそのような労働として売られるからである。同じ関係は、商品がそこに送られてまたそこから商品が買われる国にたいしても生ずことがありうる。すなわち、この国は、自分が受け取るよりも多くの対象化された労働を現物で与えるが、それでもなおその商品を自国で生産できるよりも安く手に入れるという関係である。それは、ちょうど、新しい発明が普及する前にそれを利用する工場主が、競争相手よりも安く売っていながらそれでも自分の商品の個別的価値よりも高く売っているようなものである。すなわち、この工場主は自分が充用する労働の特別に高い生産力を剰余労働として実現し、こうして超過利潤を実現するのである。他方、植民地などに投下された資本について言えば、また奴隷や苦力(クーリー)などを使用するので労働の搾取度も高いからである。・・・・・
 ところが、この貿易そのものが、国内では資本主義的生産様式を発達させ、したがって不変資本に比べての可変資本の減少を進展させるのである。また他方では外国との関係で過剰生産を生みだし、したがってまたいくらか長い期間にはやはり反対の作用をするのである。
 このようにして一般的に明らかになったように、一般的利潤率の低下をひき起こす同じ諸原因が、この低下を妨げ遅れさせ部分的に麻痺させる反対作用を呼び起こすのである。このような反対作用は、法則を廃棄しはしないが、しかし法則の作用を弱める。このことなしには不可解なのは、一般的利潤率の低下ではなくて、反対にこの低下の相対的な緩慢さであろう。このように、法則はただ傾向として作用するだけで、その作用はただ一定の事情のもとで長い期間のうちにはっきり現われるのである。

   第六節 株式資本の増価
P301L8
 これまでに述べた五つの点にはなお次の点を加えることができるが、これにはさしあたりはあまり深く立ち入ることはできない。加速的蓄積を伴って進む資本主義的生産の発展につれて、資本の一部分は、ただ利子生み資本として計算され充用されるだけである。・・・・・だから、これらの資本は一般的利潤率には加わらない。なぜならば、これらの資本は平均利潤率よりも低い利潤率をあげるからである。もしこれらの資本が加われば、平均利潤率はもっとずっと下がることになるであろう。理論的に見れば、これらの資本も計算に入れることができるし、その場合には、外観上存在していて資本家の行動を現実に決定する利潤率よりも低い利潤率が出てくる。なぜならば、まさにこのような企業でこそ不変資本は可変資本に比べて最も大きいからである。


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