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元MONOZUKIマスターの独白

元MONOZUKIマスターの独白

第五篇第三二章~三四章

第三二章 貨幣資本と現実資本3(結び)
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 このようにして資本に再転化するべき貨幣の量は、大量的な再生産過程の結果ではあるが、しかし、そのものとして見れば、貸付可能な貨幣資本としては、それ自身は再生産的資本の量ではない。
 これまでに述べたことで最も重要なのは、収入のうち消費に向けられている部分の膨張(この場合労働者は問題にしない、というのは労働者の収入は可変資本に等しいからである。つまり、貨幣資本の蓄積には、産業資本の現実の蓄積とは本質的に違った一つの契機がはいるのである。なぜならば、年間生産物のうちで消費に向けられる部分はけっして資本にはならないからである。そのうちの一部分は、資本を補填するが、すなわち消費手段の生産者たちの不変資本を補填するが、しかし、その部分が現実に資本に転化するかぎりでは、それはこの不変資本の生産者の収入の現物形態で存在する。収入を表わしており単なる消費媒介者として役だつその同じ貨幣が、通例は、しばらくのあいだ、貸付可能な貨幣資本に転化するのである。この貨幣が労賃を表わしているかぎりでは、それは同時に可変資本の貨幣形態である。また、それが消費手段の生産者の不変資本を補填するかぎりでは、それは彼らの不変資本が一時的にとる貨幣形態であって、補填されるべき彼らの不変資本の現物要素を買うのに役立つのである。この二つの形態のどちらにあっても、この貨幣は、たとえその量は再生産過程の規模につれて増大するにしても、それ自体として蓄積を表わしてはいない。しかし、それはしばらくは貸付可能な貨幣の、したがって貨幣資本の、機能を行なうのである。だから、この面から見れば、貨幣資本の蓄積は、つねに、現実に存在するよりも大きな資本蓄積を反映せざるをえないのである。なぜならば、個人的消費の拡大は、貨幣に媒介されているために、貨幣資本の蓄積として現われるからである。なぜならば、それは現実の蓄積のために、新たな資本投下を開始する貨幣のために、貨幣形態を提供するからである。
 こういうわけで、貸付可能な貨幣資本の蓄積は、一部は、次のような事実のほかにはなにも表わしてはいないのである。すなわち、産業資本がその循環の過程で転化して行く貨幣は、すべて、再生産する資本家たちが前貸しする貨幣の形態をとるのではなく、彼らが借りる貨幣の形態をとるのであり、したがって、再生産過程で行なわれなければならない貨幣の前貸が、実際には、借りた貨幣の前貸として現われるという事実である。じっさい、商業信用の基礎の上では、一方の人が他方の人に、彼が再生産過程で必要とする貨幣を貸すのである。ところが、今ではそれが次のような形態をとるのである。すなわち、再生産する資本家たちの一方の部分から貨幣を借りる銀行業者が、再生産する資本家たちの他方の部分にその貨幣を貸し、そこで銀行業者が福の神として現われ、それと同時に、この資本の処分権はまったく仲介者としての銀行業者の手に握られてしまうという形態である。

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・・・・・一方では、産業資本家の資本は彼自身によって「貯蓄』されるのではなく、彼は自分の資本の大きさに比例して他人の貯蓄を自由に使うのである。他方では、貨幣資本家は他人の貯蓄を自分の資本にし、また、再生産する資本家たちが互いに与え合う信用や公衆が彼らに与える信用を自分個人の致富の源泉にするのである。資本主義体制の最後の幻想も、すなわち、資本が自分自身の労働や貯蓄の生みの子でもあるかのように思う幻想も、これで砕かれてしまう。単に利潤が他人の労働の取得であるだけではなく、この他人の労働を動かし搾取するための資本も他人の所有物から成っているのであって、この他人の所有物を貨幣資本家が産業資本家に用だて、そのかわりに今度は前者が後者を搾取するのである。

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 なおもう少し信用資本について述べておきたい。
 同じ貨幣片が何度貸付資本として役だちうるかは、すでに述べたように、まったく次のことによって定まる。
 (1) 同じ貨幣片が販売や支払で何度商品価値を実現するか、したがって何度資本を移転するか、によって。また、さらに、何度それが収入を実現するか、によって。それだから、それが資本なり収入なりの価値の実現されたものとして何度持ち手を取り替えるかは、明らかに、現実の諸取引の規模と量によって定まるのである。
 (2) これは、諸支払の節約によって、また信用制度の発展や組織によって定まる。
 (3) 最後に、諸信用の連鎖と作用速度によって、すなわち、同じ貨幣片がある点で預金として沈殿してもそれが他の点ではすぐにまた貸付として出て行くということによって。

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 素材的富の拡大につれて、貨幣資本家の階級は大きくなる。一方では、引退した資本家、金利生活者の数と富が増大する。そして第二には、信用制度の発達が速められ、したがって銀行業者や貨幣貸付業者や金融業者などの数がふえる。――自由に利用できる貨幣資本の発展につれて、利子付証券、国債証券、株式などの量が増大することは、前に述べたとおりである。しかし、それと同時に、自由に利用できる貨幣資本にたいする需要もふえてくる。なぜならば、これらの証券を思惑取引する証券仲買業者が貨幣市場で主役を演ずるようになるからである。もしこれらの証券の売買がすべてただ現実の資本投下の表現でしかないとすれば、このような売買が貸付資本にたいする需要に影響することはありえないと言ってもよいであろう。なぜならば、Aが自分の証券を売るときには、彼はBがこの証券に投ずるのとちょうど同じ額の貨幣を引き出すからである。ところが、証券はたしかに存在するが、それが元来表わしている資本は(少なくとも貨幣資本としては)存在しない場合でさえも、その証券はやはりこのような貨幣資本にたいするそれだけの新たな需要を生みだすのである。しかし、いずれにせよ、その場合には、前にBが利用できたもの、いまAが利用できるものは、貨幣資本なのである。

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 商業的利子――商業世界の圏内で割引や貸付について貨幣貸付業者によって計算される利子――の変動について見ても、産業循環の経過中に現われる一つの段階では、利子率はその最低限度を越えて中位の平均高度に達し(その後また利子率はこの高さを越える)、しかもこの運動は利潤の増大の結果であるということ――、これもすでに述べたことであり、またあとでもっと詳しく研究するであろう。
 とはいえ、ここで次の二つのことを言っておきたい。
 第一に。利子率がかなり長い期間にわたって高いとすれば(ここで問題にするのは、たとえばイギリスというような与えられた一国の利子率のことで、そこでは中位の利子率が比較的長期間にわたって与えられており、また、それが、私的利子と呼ぶことのできる比較的長期の貸付に支払われる利子にも現われている)、それは、一見して明らかに、この期間をつうじて利潤率が高いということの証拠ではあるが、しかし必ずしも企業者利得の率が高いということを証明してはいない。このあとのほうの区別は、おもに自分の資本で事業をしている資本家にとっては、多かれ少なかれなくなってしまう。彼らが高い利潤率を実現するのは、彼ら自分で自分に利子を支払うのだからである。高い利子率が比較的長く続く可能性――ここでは本来の逼迫の局面のことを言っているのではない――は、利潤率が高いということによって与えられている。しかし、この高い利潤率から高い利子率を引き去れば低い企業者利得率しか残らないということもありうる。企業者利得率は、高い利潤率が続いても、収縮することがありうる。このようなことがありうるのは、ひとたび着手した企業は続行するよりほかはないからである。この局面では単なる信用資本(他人の資本)で盛んに事業が行なわれる。そして、高い利潤率は場合によっては思惑的見込的でもありうる。高い利子率を支払うということは高い利潤率によってできるが、しかしまた企業者利得の減少によってもできる。高い利子率は、利潤によってではなく、借り入れた他人の資本そのものによって支払われることができる――それは一部は投機の時期に行なわれる――のであり、そしてこういうことがしばらく続くこともありうる。
 第二に。利潤率が高いので貨幣資本にたいする需要がふえ、したがってまた利子率が高くなる、という表現は、産業資本にたいする需要がふえ、したがってまた利子率が高い、という表現と同じではない。
 恐慌時には貸付資本にたいする需要、したがってまた利子率は最高限度に達する。利潤率は、またそれとともに産業資本にたいする需要も、なくなったも同然である。このような時期には、だれでも、借金をするのは、ただ支払をするためでしかなく、すでに背負っている債務を果たすためでしかない。これに反して、恐慌のあとの回復期には、貸付資本が要求されるのは、買うためであり、そして貨幣資本を生産資本や商業資本に転化させるためである。そして、その場合には貸付資本は産業資本家または商人によって要求される。産業資本家はそれを生産手段や労働力に投ずる。
利子率が利潤率によって規定されるかぎりでは、労働力にたいする需要の増大はそれ自体としてはけっして利子率の上昇の原因ではありえない。より高い労賃はけっしてより高い利潤の原因ではない。といっても、それは、産業循環の特殊な局面を見れば、より高い利潤の結果の一つではありうるが。

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 資本主義的生産の基礎は、貨幣が価値の独立な形態として商品に相対しているということ、または、交換価値が貨幣において独立な形態を受け取らなければならないということであって、このようなことが可能なのは、ただ、一定の商品が材料になってその商品の価値で他のすべての商品が計られるようになり、またそうなることによって、この商品が一般的な商品になり、他のすべての商品に対立する特にすぐれた商品になるということによってである。このことは二つの点に現われざるをえないのであるが、ことに、一方では信用操作に、他方では信用貨幣に、大きな度合いで貨幣の代わりをさせている資本主義的に発展した諸国民のもとでは、そうである。信用が収縮するかまたは止まってしまう逼迫期には、にわかに貨幣が、唯一の支払手段、価値の真の定在として、絶対的に諸商品に対立するようになる。そこで、商品の一般的な減価が現われ、商品を貨幣に転化させること、すなわち商品自身の純粋に幻想的な形態に転化させることが困難になり、じつに不可能にさえもなる。しかし、第二に、信用制度そのものが貨幣であるのは、ただ、その名目価値の額によって絶対的に現実の貨幣を代表しているかぎりでのことである。金が流出するにつれて、信用貨幣への転換可能性、すなわちそれと現実の金との同一性は疑わしくなってくる。そこで、この転換可能性の諸条件を確保するために、利子率の引き上げなどの強行処置が行なわれる。これは、まちがった貨幣理論にもとづいていてオーヴァストーンやその仲間の貨幣商人の利害関係によって国民に押しつけられるまちがった立法によって、多かれ少なかれ極端までおし進められることもありうる。しかし、その基礎は生産様式そのものの基礎とともに与えられているのである。信用貨幣の減価(ただ想像的でしかないようなその非貨幣化のことではけっしてない)は、すべての既存の関係を動揺させるであろう。それだから、諸商品の価値は、貨幣におけるこの価値の幻想的な独立な定在を確保するために、犠牲にされるのである。商品の価値が貨幣価値として確実であるのは、まったくただ、貨幣が確実であるかぎりでのことである。それだからこそ、わずか数百万の貨幣のために何百万もの商品が犠牲にされなければならないのである。これは資本主義的生産では不可避であって、その美点の一つをなしている。それ以前の生産用式ではこういうことは現われない。なぜならば、それらの生産様式が運動する狭い地盤の上では信用も信用貨幣も発展するに至らないからである。労働の社会的性格が商品の貨幣定在として現われ、したがって現実の生産の外にある一つの物として現われるかぎり、貨幣恐慌は、現実の恐慌にはかかわりなく、またはそれの激化として、不可避である。他方で明らかなことは、銀行の信用が動揺していないかぎり、銀行はこのような場合には信用貨幣をふやすことによって恐慌を緩和し、信用貨幣を引きあげることによってかえって恐慌を助長するということである。近代産業のすべての歴史が示しているように、もし国内の生産が組織化されていれば、金属は、事実上、ただ、国際貿易の均衡が一時的に変調を呈したときにその決済のために必要なだけであろう。国内では今日すでに金属貨幣は必要ではないということは、いつでも非常の場合にはいわゆる国立銀行の正貨支払停止が唯一の応急手段としてとられるということによって、証明されている。

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 二人の個人の場合には、相互のあいだの取引でどちらにとっても収支差額がマイナスになっていると言えば、おかしいであろう。・・・・・ところが、国と国とのあいだではけっしてそうではない。そして、そうでないということは、すべての経済学者にとって次の命題において承認されているのである。すなわち、一国の貿易収支は結局は均衡しなければならないとはいえ、国際収支はその国にとって順か逆かでありうる、という命題がそれである。国際収支は、一定の時期に支払期限のくる貿易収支だということによって、貿易収支とは区別される。ところで、恐慌がすることは、それが国際収支と貿易収支との差を短い期間に圧縮するということである。そして、恐慌に見舞われており、したがってもはや支払期限がきている国民のもとで展開されるような一定の状態、――このような状態はすでにこのような決済期間の短縮を伴うのである。まず貴金属が送り出される。次には委託商品の投げ売りが始まる。投げ売りのために、または国内で輸出にたいする前貸貨幣を調達するために、商品が輸出される。利子率は上がり、信用は解約を予告され、有価証券は下落し、外国有価証券は投げ売りされ、この減価した有価証券への投下に外国資本が引き寄せられ、最後に破産がやってきてそれが大量の債権を清算してしまう。

第三三章 信用制度のもとでの流通手段
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・・・・・流通手段の単なる節約が最高度に発展して現われるのは、手形交換所においてである。すなわち、そこではただ満期手形が交換されるだけで、貨幣はおもにただ残高の決済のために支払手段として機能するのである。しかし、このような手形の存在は、それ自身また、産業家や商人が互いに与え合う信用にもとづいている。この信用が減少すれば、手形の数、ことに長期手形の数が減少し、したがってまたこのような差額決済方法の効果も減少する。そして、このような節約は多くの取引から貨幣を排除することであり、それはまったく支払手段としての貨幣の機能にもとづいており、この機能はまた信用にもとづいているのであるが、このような節約には(これらの支払の集中についての技術の発達の多少を別とすれば)ただ二つの種類だけがありうる。すなわち、手形や小切手によって代表される多くの相互的債権が同じ銀行業者のもとで差引勘定されて、この銀行業者がただ一方の人の勘定から他方の人の勘定に債権を付け替えるだけであるか、または、この差引勘定が別々の何人もの銀行業者同士のあいだで行なわれるか、である。

P679L2
 一方の場合には、通貨の一時的な移動が生ずるだけで、それをイングランド銀行は、四半期ごとの納税期ややはり四半期ごとの国債利払期の少し前に低利の短期前貸をすることによって、調整するのである。・・・・・
 他方の場合には、通貨が不足か十分かということは、いつでも、ただ、同量の流通手段が現実の通貨と預金すなわち貸出用具とに分かれるその配分の相違でしかないのである。・・・・・
 通貨の絶対量が利子率に規定的に作用するのは、ただ逼迫期だけのことである。このような場合には、十分な通貨にたいする需要は、ただ、信用が与えられなくなったために生じた貨幣蓄蔵手段にたいする需要を表わしているだけである。・・・・・
 このような場合のほかは、通貨の絶対量は利子率には影響しない。なぜならば、この絶対量は――通貨の節約や速度を不変と前提すれば――第一には、諸商品の価格と諸取引の量とによって規定されており(といってもたいていの場合一方の契機は他方の契機の作用を麻痺させるのであるが)また最後に信用の状態によって規定されているが、逆にそれが信用の状態を規定するのではけっしてないからである。また、第二には、商品価格と利子とのあいだにはなにも必然的な関連はないからである。

P695L14
 つまり、手形の流通量は、銀行券のそれと同じに、まったくただ取引上の必要によって規定されているのである。50年代に連合王国では平常時には3900万の銀行券のほかに約3億の手形が流通していたが、そのうちロンドンあてのものだけで1億―1億2000万を占めていた。手形の流通量は銀行券の流通量には少しも影響を与えず、ただ貨幣の不足な時期に後者から影響を受けるだけであって、このような時期には手形の量がふえて質が悪くなるのである。最後に、恐慌時には手形流通はまったくだめになる。だれもが現金支払しか受け取ろうとしないので、だれも支払約束を使うことはできない。ただ銀行券だけが、少なくとも今日までイングランドでは、流通能力を保持している。そのわけは、国民がその富の全体を持ってイングランド銀行の背後に立っているからである。

P701L17
 さらに集中について述べねばならない!いわゆる国立銀行とそれを取り巻く大きな貨幣貸付業者や高利貸とを中心とする信用制度は、巨大な集中であって、それは、この寄生階級に、単に産業資本家を周期的に減殺するだけではなく危険きわまる仕方で現実の生産に干渉もする法外な力を与えるのである――しかもこの仲間は生産のことはなにも知らず、また生産とはなんの関係もないのである。1844年のおよび1845年の諸法律は、金融業者や株式相場師をも仲間に加えたこの盗賊どもの力が増大したことの証拠である。

 第三三章 信用制度のもとでの流通手段
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・・・・・流通手段の単なる節約が最高度に発展して現われるのは、手形交換所においてである。すなわち、そこではただ満期手形が交換されるだけで、貨幣はおもにただ残高の決済のために支払手段として機能するのである。しかし、このような手形の存在は、それ自身また、産業家や商人が互いに与え合う信用にもとづいている。この信用が減少すれば、手形の数、ことに長期手形の数が減少し、したがってまたこのような差額決済方法の効果も減少する。そして、このような節約は多くの取引から貨幣を排除することであり、それはまったく支払手段としての貨幣の機能にもとづいており、この機能はまた信用にもとづいているのであるが、このような節約には(これらの支払の集中についての技術の発達の多少を別とすれば)ただ二つの種類だけがありうる。すなわち、手形や小切手によって代表される多くの相互的債権が同じ銀行業者のもとで差引勘定されて、この銀行業者がただ一方の人の勘定から他方の人の勘定に債権を付け替えるだけであるか、または、この差引勘定が別々の何人もの銀行業者同士のあいだで行なわれるか、である。

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 一方の場合には、通貨の一時的な移動が生ずるだけで、それをイングランド銀行は、四半期ごとの納税期ややはり四半期ごとの国債利払期の少し前に低利の短期前貸をすることによって、調整するのである。・・・・・
 他方の場合には、通貨が不足か十分かということは、いつでも、ただ、同量の流通手段が現実の通貨と預金すなわち貸出用具とに分かれるその配分の相違でしかないのである。・・・・・
 通貨の絶対量が利子率に規定的に作用するのは、ただ逼迫期だけのことである。このような場合には、十分な通貨にたいする需要は、ただ、信用が与えられなくなったために生じた貨幣蓄蔵手段にたいする需要を表わしているだけである。・・・・・
 このような場合のほかは、通貨の絶対量は利子率には影響しない。なぜならば、この絶対量は――通貨の節約や速度を不変と前提すれば――第一には、諸商品の価格と諸取引の量とによって規定されており(といってもたいていの場合一方の契機は他方の契機の作用を麻痺させるのであるが)また最後に信用の状態によって規定されているが、逆にそれが信用の状態を規定するのではけっしてないからである。また、第二には、商品価格と利子とのあいだにはなにも必然的な関連はないからである。

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 つまり、手形の流通量は、銀行券のそれと同じに、まったくただ取引上の必要によって規定されているのである。50年代に連合王国では平常時には3900万の銀行券のほかに約3億の手形が流通していたが、そのうちロンドンあてのものだけで1億―1億2000万を占めていた。手形の流通量は銀行券の流通量には少しも影響を与えず、ただ貨幣の不足な時期に後者から影響を受けるだけであって、このような時期には手形の量がふえて質が悪くなるのである。最後に、恐慌時には手形流通はまったくだめになる。だれもが現金支払しか受け取ろうとしないので、だれも支払約束を使うことはできない。ただ銀行券だけが、少なくとも今日までイングランドでは、流通能力を保持している。そのわけは、国民がその富の全体を持ってイングランド銀行の背後に立っているからである。

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 さらに集中について述べねばならない!いわゆる国立銀行とそれを取り巻く大きな貨幣貸付業者や高利貸とを中心とする信用制度は、巨大な集中であって、それは、この寄生階級に、単に産業資本家を周期的に減殺するだけではなく危険きわまる仕方で現実の生産に干渉もする法外な力を与えるのである――しかもこの仲間は生産のことはなにも知らず、また生産とはなんの関係もないのである。1844年のおよび1845年の諸法律は、金融業者や株式相場師をも仲間に加えたこの盗賊どもの力が増大したことの証拠である。

第三四章 通貨主義と1844年のイギリスの
         銀行立法
P703L1
 {以前の著書十三のなかで、商品の価格にたいする関係における貨幣の価値についてのリカードの理論が検討されてある。それゆえ、ここでは最も必要なことだけを述べればよいのである。リカードによれば、貨幣――金属貨幣――の価値は、その貨幣に対象化されている労働時間によって規定されるのであるが、しかし、それは、ただ、取引される商品の量と価格とにたいして貨幣の量が正しい割合をなしているかぎりでのことである。貨幣の量がこの割合よりも大きくなれば、貨幣の価値は下がり、商品価格は上がる。貨幣の量が正しい割合よりも少なくなれば、貨幣の価値は上がって商品価格は下がる・・・・・「・・・・・このような減価、金にたいする紙幣の減価ではなく、金も紙幣もいっしょにしての減価、すなわち一国の流通手段の総量の減価は、リカードの大きな発見の一つであって、これをロード・オーヴァストーン一派がむりやりに自分たちの役に立たせ、1844年および1845年のサー・ロバート・ビールの銀行立法の基本原理にしたのである。」(『経済学批判』、155ページ。)
   十三 カール・マルクス『経済学批判』、ベルリン、1859年、150ページ以下。
 このようなリカードの説のまちがいも同じ個所で指摘されているので、ここでその指摘を繰り返す必要はない。われわれにとって興味があるのは、ただ、前記のビール銀行法を制定させた銀行理論家たちの一派がリカードの教条を加工したそのやり方だけである。
 「・・・・・経済天気予報学派が出発点としている本来の理論的前提は、じつは、リカードが純粋な金属流通の諸法則を発見したという独断以外のなにものでもないのである。彼らに残された仕事は、信用流通や銀行券流通をこれらの法則に従わせることだったのである。
 商業恐慌の現象で最も目につきやすいものは、商品価格がかなり長く一般的に上がっていたあとで突然それが一般的に下がるということである。商品価格の一般的な低下はすべての商品と比べての貨幣の相対的価値の上昇として表わすことができ、また、価格の一般的上昇は逆に貨幣の相対的価値の低下として表わすことができる。どちらの表わし方でも、現象は言い表わされてはいるが、説明されてはいない。・・・・・言い方を変えても問題は変わらないのであって、ちょうどドイツ語から英語に翻訳しても問題は変わらないようなものである。そこで、リカードの貨幣理論がひどく好都合に現われた。というのは、この理論は同義反復に因果関係の外観を与えるからである。商品価格の周期的な一般的下落はなにから起きるのか?貨幣の相対的価値の周期的な上昇からである。逆に商品価格の周期的な一般的上昇はなにから起きるのか?貨幣の相対的価値の周期的な低下からである。これは正しいなら、物価の周期的な騰落は物価の周期的な騰落から起きる、と言っても正しいであろう。・・・・・同義反復の因果関係への転化が一度認められてしまえば、ほかのことは何でも簡単にわかってしまう。商品価格の上昇は貨幣の価値の低下から起きるが、貨幣価値の低下は、われわれがリカードから聞くところでは、十分すぎる流通から起きる。すなわち、流通する貨幣の量が、貨幣自身の内在的価値と諸商品の内在的価値とによって規定されている水準を越えて増大する、ということから起きる。同様に、逆に商品価格の一般的低下は、不十分な流通のために貨幣価値が貨幣の直在的価値を越えて上がるということから起きる。つまり、物価が周期的に上がり下がりするのは、周期的に多すぎるか少なすぎる貨幣が流通するからである。ところで、物価の上昇が貨幣流通の減少といっしょに起き、物価の低下が流通の増加といっしょに起きたということが指摘されるとしても、それにもかかわらず、たとえ統計的には全然論証できなくても、流通する商品量が減少または増加したために流通する貨幣量が絶対的にではなくても相対的にふやされるかまたは減らされるかしたのだ、と主張することもできるのである。ところで、われわれが見たように、リカードによれば、このような一般的な物価変動は純粋な金属流通のもとでも起こらざるをえないのであるが、しかし、いろいろな変動が入れ替わり起きることによって相殺されるのである。なぜならば、たとえば不十分な流通は商品価格の低下をひき起こし、商品価格の低下は外国への商品輸出を呼び起こすが、この輸出は国内への金の流入を呼び起こし、このような貨幣の流入は再び商品価格の上昇を呼び起こすからである。十分すぎる流通の場合は逆で、その場合には商品が輸入されて金が輸出される。ところで、このような、リカードの言う金属流通そのものの性質から生ずる一般的な価格変動にもかかわらず、その激烈な狂暴な形態、その恐慌状態は、信用制度が発達している時代に属するのだから、銀行券の発行は正確に金属流通の諸法則に従って調節されるのではないということは、まったく明らかになるのである。金属流通は貴金属の輸出入を自分の救急手段としているのであって、貴金属はすぐに鋳貨として流通にはいり、こうしてその流入または流出によって商品価格を低下または上昇させるのである。そこで今度は、商品価格にたいする同じ作用が、人為的に、金属流通の諸法則の模倣によって、銀行の手で生みだされなければならない。もし外国から貨幣が流入するとすれば、それは、流通が不十分で、貨幣価値が高すぎ商品価格が低すぎるということ、したがって新たに輸入された金に比例して銀行券が流通に投げ込まれなければならないということの証拠である。逆に、銀行券は、金が国外に流出するのに比例して流通から引きあげられなければならない。言い換えれば、銀行券の発行は、貴金属の輸出入に従って、または為替相場に従って、調節されなければならない。リカードの間違った前提、すなわち、金は鋳貨でしかなく、したがってすべての輸入金は流通する貨幣を増加させ、したがってまた価格を上昇させるが、金の輸出はすべて鋳貨を減少させ、したがってまた価格を低下させるという前提、このような理論的前提は、ここでは、そのときどきに現存する金と同量の鋳貨を流通させようとする実際上の試みになるのである。ロード・オーヴァストーン(銀行業者ジョーンズ・ロイド)やトレンズ大佐やノーマンやクレーやアーバスナットやその他一群の著述家たち、すなわちイギリスで『通貨主義』学派という名で知られている人々は、このような学説をただ説教しただけではなく、1844年および1845年のサー・ロバート・ビールの銀行法をつうじてそれをイングランドやスコットランドの銀行立法に基礎にしたのである。最大の国民的規模での実験の後にこの立法が理論的にも実際的にも不面目な失敗に終わったということについては、信用論ではじめて述べることができる。」(同前、165-168ページ。)

P713L8
 {・・・・・
1844年の銀行法はイングランド銀行を発券部と銀行部に分ける。前者は、1400万の保証準備――大部分は政府債務――と、最高4分の1までは銀でもよい総金属準備とを与えられて、この両方の総合計額と等額の銀行券を発行する。これらの銀行券は、公衆の手にあるのでないかぎり、銀行部に置かれていて、日常の使用に必要な少量の鋳貨(約100万)とともに銀行部の常置準備金をなしている。発券部は公衆に銀行券と引き換えに金を与え、金と引き換えに銀行券を与える。それ以外の公衆との取引は銀行部によって行なわれる。・・・・・
 ところが、現実には、イングランド銀行を二つの独立した部に分けたということは、理事会から決定的な瞬間にその全可処分資金を自由に利用する可能性を奪ったのであり、したがって、発券部は何百万もの金のほかにその1400万の保証準備をそっくりそのまま持っているのに銀行部は破産に直面するという場合も起こりうることになったのである。しかも、このようなことは次のような理由でますます容易に起こりえたのである。というのは、ほとんどの恐慌でも外国への大きな金流出の起きる時期が現われるのであって、この金流出はおもにイングランド銀行の金属準備によってまかなわれなければならないからである。この場合外国に5ポンドが流出するごとに、国内の流通から5ポンド銀行券が一枚引きあげられるのであり、こうして、流通手段の量は、まさにそれが最も多く最も切実に必要な瞬間に縮小されるのである。こうして、1844年の銀行法は、直接に全商業界をそそのかして、恐慌が起こりそうになるといち早く銀行券の予備を貯えさせ、したがって恐慌を速くさせ激しくさせるのである。この銀行法は、このように貨幣融通にたいする、すなわち支払手段にたいする需要を決定的な瞬間に効果的になるように人為的に増大させることによって、しかも同時にその供給を制限しながらそうすることによって、恐慌期の利子率をかつて聞いたことのない高さにまで追い上げるのである。つまり、それは、恐慌を除き去るのではなく、かえってそれを激しくして、全産業界か銀行法かどちらかが破滅するよりほかはないような点まで至らせるのである。これまでに二度、1847年10月25日と1857年11月12日とに、恐慌はこの頂点までのぼりつめた。そのとき政府は、1844年の法律を停止することによって、イングランド銀行をその銀行券発行の制限から解放したのであって、両度ともそれで恐慌を打開することができたのである。1847年には、今では再び一流の担保と引き換えに銀行券が確実に手にはいるということだけで、4百万から5百万の退蔵銀行券を再び明るみに出させ流通に投じさせることができた。1857年には100万足らずの銀行券が法定量を越えて発行されたが、それはごく短い期間だけだった。・・・・・――F・エンゲルス}





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