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元MONOZUKIマスターの独白

元MONOZUKIマスターの独白

第七篇第二四章~二五章

第二四章 いわゆる本源的蓄積
第一節 本源的蓄積の秘密

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・・・・・資本主義的生産はまた商品生産者たちの手のなかにかなり大量の資本と労働力とがあることを前提する。だから、この全運動は一つの悪循環をなして回転しているように見えるのであり、われわれがこの悪循環から逃げ出すためには、ただ、資本主義的蓄積に先行する「本源的」蓄積(アダム・スミスの言う「先行的蓄積」[”previous accumulation”])、すなわち資本主義的生産様式の結果ではなくその出発点である蓄積を想定するよりほかないのである。
 この本源的蓄積が経済学で演ずる役割は、原罪が神学で演ずる役割とだいたい同じようなものである。アダムがりんごをかじって、そこで人類の上に罪が落ちた。この罪の起源は、それが過去の物語として語られることによって、説明される。ずっと昔のあるときに、一方には勤勉で賢くて分けても倹約なえり抜きの人があり、他方にはなまけもので、あらゆる持ち物を、またそれ以上を使い果たしてしまうくずどもがあった。とにかく、神学上の原罪の伝説は、われわれに、どうして人間が額に汗して食うように定められたかを語ってくれるのであるが、経済学上の原罪の物語は、どうして少しもそんなことをする必要のない人々いるのかを明かしてくれるのである。

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・・・・・資本関係は、労働者と労働実現条件の所有との分離を前提する。資本主義的生産がひとたび自分の足で立つようになれば、それはこの分離をただ維持するだけではなく、ますます大きくなる規模でそれを再生産する。だから、資本関係を創造する過程は、労働者を自分の労働条件の所有から分離させる過程、すなわち、一方では社会の生活手段と生産手段を資本に転化させ他方では直接生産者を賃金労働者に転化させる過程以外のなにものでもないのである。つまり、いわゆる本源的蓄積は、生産者と生産手段との歴史的分離過程にほかならないのである。それが「本源的」として現われるのは、それが資本の前史をなしており、また資本に対応する生産様式の前史をなしているからである。

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 本源的蓄積の歴史のなかで歴史的に画期的なものといえば、形成されつつある資本家階級のための梃子として役だつような変革はすべてそうなのであるが、なかでも画期的なのは、人間の大群が突然暴力的にその生活維持手段から引き離されて無保護なプロレタリアートとして労働市場に投げ出される瞬間である。農村の生産者すなわち農民からの土地収奪は、この全過程の基礎をなしている。この収奪の歴史は国によって違った色合いをもっており、この歴史がいろいろな段階を通る順序も歴史上の時代も国によって違っている。それが典型的な形をとって現れるのはただイギリスだけであって、それだからこそわれわれもイギリスを例にとるのである。

第二節 農村住民からの土地収奪

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 教会領の横領、国有地の詐欺的譲渡、共同地の盗奪、横領と容赦ない暴行によって行なわれた封建的所有や氏族的所有の近代的私有への転化、これらはみなそれぞれ本源的蓄積の牧歌的な方法だった。それらは、資本主義的農業のための領域を占有し、土地を資本に合体させ、都市工業のためにそれが必要とする無保護なプロレタリアートの供給をつくりだしたのである。
第三節 15世紀末以後の被収奪者にたいする血の
        立法 労賃引き下げのための諸法律

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 イギリスではこの立法はヘンリ7世の治下で始まった。
 ヘンリ8世、1530年。老齢で労働能力のない乞食は乞食免許を与えられる。これに反して、強健な浮浪人にはむち打ちと拘禁とが与えられる。彼らは荷車のうしろにつながれて、からだから血が出るまでむち打たれ、それから宣誓をして、自分の出生地か最近3年間の居住地に帰って「仕事につく」(to put himself to labour)ようにしなければならない。なんという残酷な皮肉だろう!ヘンリ8世の27年には前の法規が繰り返されるが、しかし新たな捕捉によっていっそう厳格にされる。再度浮浪罪で逮捕されればむち打ちが繰り返されて耳を半分切り取られるが、累犯3回目には、その当人は、重罪犯人であり公共の敵であるとして死刑に処されることになる。

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 革命のあらしが荒れ始めると、ただちにフランスのブルジョアジーは、労働者がやっと獲得したばかりの団結権を再び彼らから取り上げた。1791年6月14日の布告によって、ブルジョアジーは、いっさいの労働者団結を「自由と人権宣言との侵害」だと宣告し、500リーヴルの罰金と1年間の公権剥奪とで処罰されるべきものだとした。この法律は、資本と労働とのあいだの競争戦を警察権によって資本に好都合な限界内に押し込むのであるが、それは、いくつもの革命や王朝交替を乗り越えて存続した。恐怖政治でさえもこれには手を触れなかった。それは最近やっと刑法典から抹消されたばかりである。このブルジョア的クーデタの口実以上に特徴的なものはない。親告者ル・シャブリエは次のように言う。「労賃が現在よりも高くなることによって、労賃を受け取る人が生活必需品の欠乏に起因するほとんど奴隷的従属にも等しい絶対的従属から脱することは望ましい」とはいえ、労働者が彼らの利害について協定し、共同的に行動し、それによって彼らの「ほとんど奴隷状態にも等しい絶対的従属」を緩和しようとすることは許されない。なぜならば、彼らはまさにこうすることによって「自分たちの以前の親方[cidevant maîtres]である今の企業家の自由」(労働者を奴隷状態に維持する自由!)を侵害することになるからであり、また、以前の同職組合親方の専制に対抗する団結は――なにを言うことやら!――フランス憲法によって廃止された同職組合の再建だからである!

第四節 資本家的借地農業者の生成

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 16世紀には一つの決定的に重要な契機が加わる。当時は借地契約が長期で、99年にわたるものも多かった。・・・・・穀物や羊毛や肉類など、要するにすべての農業生産物の価格の継続的な上昇は、借地農業者がなにもしないでも彼の貨幣資本を膨張させたが、他方、彼が支払わなければならなかった地代は以前の貨幣価値で契約されていた。こうして、彼は、彼の賃金労働者と彼の地主とを犠牲にして、富をなしたのである。だから、16世紀末のイギリスに当時の事情から見れば富裕な「資本家借地農業者」という一階層があったということは少しも不思議ではないのである。

第五節 農業革命の工業への反作用 産業
資本のための国内市場の形成

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・・・・・つまり、農村民の一部分が遊離させられるのにつれて、この部分の以前の食料もまた遊離させられるのである。この食料は今や可変資本の素材的要素に転化する。追い出された農民は、この食料の価値を自分の新しい主人である産業資本家から労賃という形で買い取らなければならない。国内で生産される農産工業原料についても、事情は生活手段の場合と同じだった。それは不変資本の一つの要素に転化した。・・・・・農村民の一部分を収奪し追い出すことは、労働者といっしょに彼らの生活手段や労働材料をも産業資本のために遊離させるだけではなく、それはまた国内市場をつくりだすのである。

第六節 産業資本家の生成

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 産業資本家の生成は、借地農業者のそれのようにだんだんに進行したのではなかった。疑いもなく、多くの小さな同職組合親方や、もっと多くの独立の小工業者たちが、あるいはまた賃金労働者さえもが、小資本家になり、そして、賃金労働の搾取の漸次的拡大とそれに対応する蓄積とによって、文句なしの資本家になった。中世都市の幼年期には、農奴奴隷のなかのだれが主人になり、だれが下僕になるかは、たいてい彼らの逃亡に時日が早いかおそいかによってきまったが、資本主義的生産の幼年期にもしばしばこれと同じことが見られた。・・・・・しかし、中世はすでに二つの違った資本形態を伝えていた。すなわち、非常にさまざまな経済的社会構成体のなかで成熟して資本主義的生産様式の時代以前にも資本一として認められている二つの形態――高利資本と商人資本とがそれである。・・・・・高利と商業とによって形成された貨幣資本は、農村では封建制度によって、都市では同職組合制度によって、産業資本への転化を妨げられた。このような制限は、封建家臣団が分解され、農村民がしゅうだつされてその一部分が追い出される同時に、なくなった。

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 いまや本源的蓄積のいろいろな契機は、多かれ少なかれ時間的な順序をなして、ことにスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスのあいだに分配される。イギリスではこれらの景気は7世紀末には植民制度、国債制度、近代的租税制度、保護貿易制度として体系的に総括される。これらの方法は、一部は、残虐きわまる暴力によって行なわれる。たとえば、植民制度がそうである。しかし、どの方法も、国家権力、すなわち社会の集中され組織された暴力を利用して、封建的生産様式から資本主義的生産様式への転化過程を温室的に促進して過渡期を短縮しようとする。暴力は、古い社会が新たな社会をはらんだときにはいつでもその助産婦になる。暴力はそれ自体が一つの経済的な潜勢力なのである。

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 公的信用制度すなわち国債制度の起源を、われわれはジェノヴァやヴェネツィアではすでに中世に見いだすのであるが、それはマニュファクチュア時代には全ヨーロッパに普及していた。植民制度は、それに伴う海上貿易や商業戦争とともに、国債制度の温室として役だった。こうして、この制度はまずオランダで確立された。国債、すなわち国家――専制国であろうと立憲国であろうと共和国であろうと――の譲渡は、資本主義時代にその極印を押す。いわゆる国富のうちで現実に近代的国民の全体的所有にはいる唯一の部分――それは彼らの国債である。それゆえ、ある国民の負債が大きければ大きいほどますますその国民の富は大きくなるという近代的学説は、まったく当然なのである。・・・・・
 公債は本源的蓄積の最も力強い梃子の一つになる。それは、魔法の杖で打つかのように、不妊の貨幣に生殖力を与えてそれを資本に転化させ、しかもそのさいこの貨幣は、産業投資にも高利貸的投資にさえもつきものの骨折りや冒険をする必要がないのである。国家の債権者は現実にはなにも与えはしない。というのは、貸し付けた金額は、容易に譲渡されうる公債証書に転化され、それは、まるでそれと同じ額の現金であるかのように、彼らの手のなかで機能を続けるからである。しかし、このようにしてつくりだされる有閑金利生活者の階級や、政府と国民とのあいだに立って仲介者の役を演ずる金融業者たちの即製に富は別としても――また、いつでも国債のかなりの部分を天から降ってくる資本として利用する徴税請負人や商人や私的工場主の即製の富は別としても――国債は、株式会社や各種有価証券の取引や株式売買を、一口に言えば、証券投機と近代的銀行支配とを、興隆させたのである。

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 国債とともに国際的な信用制度も発生したが、それはしばしばあれこれの国民のもとで本源的蓄積の隠れた源泉の一つになっている。たとえば、ヴェネツィアの略奪制度のいろいろな卑劣行為は、滅びゆくヴェネツィアから巨額の貨幣を借りていたオランダにとっては、その資本的富のこのような隠れた基礎になっている。同じ関係はオランダとイギリスとのあいだにもある。すでに18世紀の初めには、オランダのマニュファクチュアははるかに追い越されて、オランダは支配的な商工業国ではなくなってきた。それゆえ、1701-1776年のオランダの主要事業の一つは、巨大な資本の貸出し、ことに自分の強大な競争者であるイギリスへの貸出しになるのである。同様なことは、今日ではイギリスと合衆国との関係についても言える。今日合衆国で出生証明書をもたずに現われる多くの資本は、やっと昨日イギリスで資本化されたばかりの子供の血なのである。

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 国債は国庫収入を後ろだてとするものであって、この国庫収入によって年々の利子などの支払がまかなわれなければならないのだから、近代的租税制度は国債制度の必然的な捕捉物になったのである。国債によって、政府は直接に納税者にそれを感じさせることなしに臨時費を支出することができるのであるが、しかし、その結果はやはり増税が必要になる。他方、次々に契約される負債の累積によってひき起こされる増税は、政府が新たな生活手段にたいする課税(したがってその騰貴)を回転軸とする近代的財政は、それ自体のうちに自動的累進の萌芽をはらんでいるのである。過重課税は突発事件ではなく、むしろ原則なのである。それだから、この制度を最初に採用したオランダでは、偉大な愛国者デ・ウィットが彼の箴言のなかでこの制度を称賛して、賃金労働者を従順、倹約、勤勉にし・・・・・これに労働の重荷を背負わせるための最良の制度としたのである。

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 保護貿易制度は、製造業者を製造し、独立労働者を収奪し、国民の生産手段を資本化し、古風な生産様式から近代的生産様式への移行を強行的に短縮するための、人口的な手段だった。ヨーロッパ諸国は先を争ってこの発明の特許を取ろうとし、そしてひとたび利殖家に奉仕するようになってからは、間接には保護関税により、直接には輸出奨励金などによって、この目的のためにただ単に自国民からしぼり取っただけではなかった。属領ではあらゆる産業が暴力的に根こぎにされた。

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 資本主義的生産様式の「永久的自然法則」を解き放ち、労働者と労働諸条件との分離過程を完成し、一方に極では社会の生産手段と生活手段を資本に転化させ、反対の極では民衆を賃金労働者に、自由な「労働貧民」に、この近代史の作品に、転化させるということは、こんなにも骨の折れることだったのである。もしも貨幣は、オジエの言うように、「ほおに血のあざをつけてこの世に生まれてくる」のだとすれば、資本は、頭から爪先まで毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくるのである。

第七節 資本主義的蓄積の歴史的傾向

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 資本の本源的蓄積、すなわち資本の歴史的生成は、どういうことに帰着するであろうか?

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 労働者が自分の生産手段を私有しているということは小経営の基礎であり、小経営は、社会的生産と労働者自身の自由な個性との発展のために必要な一つの条件である。たしかに、この生産様式は、奴隷制や農奴制やその他の隷属的諸関係の内部でも存在する。しかし、それが繁栄し、全精力を発揮し、十分な典型的形態を獲得するのは、ただ、労働者が自分の取り扱う労働条件の自由な私有者である場合、すなわち農民は自分が耕す畑の、手工業者は彼が老練な腕で使いこなす用具の、自由な私有者である場合だけである。
 この生産様式は、土地やその他の生産手段の分散を前提する。それは、生産手段の集積を排除するとともに、同じ生産過程のなかでの協業や分業、自然にたいする社会的な支配や規制、社会的生産諸力の自由な発展を排除する。それは生産および社会の狭い自然発生的な限界としか調和しない。この生産様式を永久化しようとするのは、ペクールが正しく言っているように、「万人の凡庸を命令する」ことであろう。ある程度の高さに達すれば、この生産様式は、自分自身を破壊する物質的手段を生みだす。この瞬間から、社会の胎内では、この生産様式を桎梏と感ずる力と熱情が動きだす。この生産様式は滅ぼされなければならないし、それは滅ぼされる。その絶滅、個人的で分散的な生産手段の社会的に集積された生産手段への転化、したがって多数人の矮小所有の少数人の大量所有への転化、したがってまた民衆の大群からの土地や生活手段や労働用具の収奪、この恐ろしい重苦しい民衆収奪こそは、資本の前史をなしているのである。・・・・・自分の労働によって得た、いわば個々独立の労働個体とその労働条件との癒合にもとづく私有は、他人のではあるが形式的には自由な労働の搾取にもとづく資本主義的私有によって駆逐されるのである。
 この転化過程が古い社会を深さから見ても広がりから見ても十分に分解してしまい、労働者がプロレタリアに転化され、彼らの労働条件が資本に転化され、資本主義的生産様式が自分の足で立つようになれば、それから先の労働の社会化も、それから先の土地やその他の生産手段の利用される生産手段すなわち共同的生産手段への転化も、したがってまたそれから先の私有者の収奪も、一つの新しい形態をとるようになる。今度収奪されるのは、もはや自分で営業する労働者ではなくて、多くの労働者を搾取する資本家である。
 この収奪は、資本主義的生産そのものの内在的諸法則の作用によって、諸資本の集中によって、行なわれる。いつでも一人の資本家が多くの資本家を打ち倒す。この集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪と手を携えて、ますます大きくなる規模での労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用、共同的にしか使えない労働手段への労働手段の転化、結合的社会的労働の生産手段としての使用によるすべての生産手段の節約、世界市場の網のなかへの世界各国民の組入れが発展し、したがってまた資本主義体制の国際的性格が発展する。この転化過程のいっさいの利益を横領し独占する大資本家の数が絶えず減ってゆくのにつれて、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取はますます増大してゆくが、しかしまた、絶えず膨張しながら資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され統合され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大してゆく。資本独占は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。
 資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた、資本主義的私有も、自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし、資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は、私有を再建しはしないが、しかし、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共有と労働そのものによって生産される生産手段の共有とを基礎とする個人的所有をつくりだすのである。
 諸個人の自己労働にもとづく分散的な私有から資本主義的な私有への転化は、もちろん、事実上すでに社会的生産経営にもとづいている資本主義的所有から社会的所有への転化に比べれば、比べものにならないほど長くて困難な過程である。前には少数の横領者による民衆の収奪が行なわれたのであるが、今度は民衆による少数の横領者の収奪が行なわれるのである。
第二五章 近代植民理論

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 すでに見たように、民衆からの土地の収奪は資本主義的生産の基礎をなしている。これとは反対に、自由な植民地の本質は、広大な土地がまだ民衆の所有であり、したがって移住者はだれでもその一部分を自分の私有地にし個人的生産手段にすることができ、しかもそうすることによってあとからくる移住者が同じようにすることを妨げないという点にある。これが植民地の繁栄の秘密でもあれば、その癌腫――資本の移住にたいするその抵抗――の秘密でもあるのである。

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 では、植民地の反資本主義的な癌腫はどうすればなおるだろうか?・・・・・かりに、政府の力で処女地に需要供給の法則にはかかわりのない価格をつけ、この人為的な価格のために、移住者は土地を買って独立農民になれるだけの貨幣をかせぐまでには今よりももっと長く賃金労働をしなければならなくなるとしよう。他方、政府は、賃金労働者にとって相対的に禁止的な価格で地所を売却することから生ずる財源、つまり神聖な需要供給の法則の侵害によって労賃からしぼり取られるこの貨幣財源を、それが大きくなるのと同じ割合でヨーロッパから植民地に貧民を輸入して資本家さまのために彼の労働市場をいっぱいにしておくために、利用するとしよう。こういう事情のもとでは、最善の世界では万事が最善の状態にあるということになるであろう。これが「組織的植民」の大きな秘密なのである。


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