2012/09/01(土)20:15
母親はずっと息子のことを考えていただろう
きのうNHKの「クローズアップ現代」で特攻隊千人の遺書が見つかったという話題をとり上げていた。当時特攻隊を指揮した人たちにとっては忘れてしまいたいことだろうから、その遺書は倉庫の奥にしまいこんであったのだろう。
息子の遺書をとりあげられた母親の悲しみはどれ位だっただろう。
1959年リヴァプールにはたくさんのビート・グループが発生していた。
夏休み、ピート・ベストとその仲間たちは母親のベスト夫人に相談して自宅の地下室を10代のためのコーヒークラブにすることにした。会員制のクラブにしたのはベスト夫人のアイデアだ。
クオリーメンが呼ばれたのは一人の少女がケン・ブラウンの演奏の腕前を知っていたからだった。
後に彼はピートのバンド、ブラックジャックスに加入する。
そしてジョンとポールの登場です。ジョンはシンシアまで連れてきた。
開店前ジョンとポールは店の掃除や飾り付けをした。
ベスト夫人は開店の前になってもそのクラブの名前をまだ決めていなかった。
ジョンとポールの飾り付けはべスト夫人には映画「アルジーアス」(カスバの恋)のカスバのシーンを思い起こさせたらしい。
ベスト夫人は店の名前を映画から思いついた。そういえば、ビートルズという名前も映画からジョンたちがとったのを思い出した。
自分の息子の活躍の場の名前のもとになった映画ってどんな映画だったんだろう?
Rumikoさんのブログを参考にさせてもらいました。
この1938年の映画でシャルル・ボワイエの相手役になったへディ・ラマーは黄金期のハリウッドで最も美しい女性と言われたほどだった。
そして彼女のヘアスタイルを真似たのが映画「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーだったそうだ。
その活躍は女優だけにとどまらず発明家として周波数ホッピングスペクトラム拡散を音楽家で発明家のジョージ・アンタイルと1942年に共同開発。この発明は20年後の1962年にアメリカ軍によって実行された。
この技術は携帯電話やGPS(カーナビ)、無線LANに応用されているというから驚きだ。
Celebrity Art Prints
ジョージ・アンタイルは
1926年の「バレエ・メカ二ーク」の「機械が踊る」というコンセプトで
坂本龍一のアルバム「未来派野郎」に影響を与えたという。
インド出身のベスト夫人は店の名前をカスバ・クラブにした。
店は8月末に開店しクオリーメンは2カ月ほど出演した。