生きていくことを決める私は大腸癌を患ったことがある。10年前の夏の日。 東京でひとり暮らしをしていた私は、お盆を目の前に仕事に明け暮れていた。 昼も夜もない生活。かなりヘビーな毎日だった。 3日にいちど、3時間くらいの睡眠なんて時も結構あったな。 そんな時だった。 今まで感じたことのない痛みをお腹に感じた。息もできなくなるくらいだ。 直感で、これはただごとではなさそうだと思った。 ちょうどお盆には実家の仙台に帰ることにしていたので、なんとか這って実家まで帰った。 今思えばよく帰ったものだな。 父の知り合いの個人病院に入院。 検査を受けたら「膵炎かなぁ~」とのことで点滴をするがまったくよくならず。 そのうちにどんどん症状も悪化。 大きな病院に転院したほうが良いということになり、紹介状を書いてもらっていったが 「まぁ大丈夫でしょう」とあっさり帰されたのだ。信じられない。 しかし家にいてものたうち回るだけ。 もう痛くて痛くて寝ても立ってもいられない。 もちろん食べ物も飲み物も受け付けず。 また父の知り合いの個人病院に再入院させてもらい、念入りにカメラ検査などをした。 今思えばそこで発覚したのだな~私の癌が。私は知らなかったけど。 しかもその癌が大きく育ちすぎて大腸をふさいでいたのだ。 病名は「腸閉塞」だった。 大きな病院に入院したころにはもうお腹は臨月ほどにふくれあがっていた。 みるみる衰弱し、内臓もちゃんと機能していなかった。 この辺の記憶は実にあいまい。よく覚えていない。 いつ日付が変わったのか、何日間そんな日々が続いたのか、まったくわからない。 そんな中、つらい検査と処置が続いた。 治療として鼻から大腸まで管を通すのに4時間かかった。 これは今後どんな辛いことがおこっても、これ以上に辛いことなんて家族の死意外にはありえないと思う。 どうやってベッドに身をおいたらいいのかわからなかった。 縦も横もわからない。 呼吸ってどうやるんだっけ? 少しでも楽になる方法を探したが、まったく見つからなかった。 「死」しか楽になる方法はないのか。 しかし次の瞬間わかった。 今自分は限りなく「死」に近いところにいるが、私は生きなくてはいけないんだ、と。 死ねないのだ。 こんなにつらいけど、生き続けなくてはいけないんだ。 生きようと決めなければ、次はないんだ、なくなるんだと思った。 そこで私は先生に必死に伝えた。 「どんなつらいことでも受けるから、私を治してくれ。私は生きる。」 先生は私のあまりの迫力に「この子はすごい子だと思ったよ」と後に深くうなずきながら語ってくれました。 この先生は後々、私の一番(唯一)信頼のおけるドクターとなった。 でもこの決心がなければ今、私はいないと思う。 多分あのときダメになっていたと思う。 その後私は心不全をおこし、本当に危険な状態に陥り、緊急手術を受けた。 全身管でつながれ、点滴で生きていた日々。 しばらく寝たきりで全身の筋力も衰え、ベッドの上で身体も起こせなかった私。 ちょっと身体を起こしただけで動悸と目眩がしたときには、私がこのベッドから下りられる日はくるのだろうか、と本気で思った。 ひとりで暮らしたりできる日々なんていうものは、遠すぎて想像すらできなかった。 2度目の手術。 でも、今。 私はこうして、結婚をして子どもを生んだ。 この私から命を生み出したのだ。 妊娠したとき、自然分娩にこだわったのは、どうしても自分が生きるという自信が欲しかったのだと 後からわかった。 医療の介入のないお産。 私も自分の力で命を生み出せる身体なんだ。 もちろん赤ちゃんの力が一番だけど。 そして多くの愛に守られて。。。 子どもを身ごもり、出産したことがどれだけ今の私の自信につながっていることか。 ほんとうにありがとう。 あれからこの夏で丸10年。 私は10年生きた。 あのときの私には考えられなかった、10年後のことなんて。 だっていちにちいちにち精一杯だったもん。 あんなに大変だった日々でさえ忘れてしまいそうなので書くことにした。 記憶もあいまいで、伝えたいことの半分もいかないけれど。 読んでくれた方、ありがとう。 感謝します。 2003/09/03 ジャンル別一覧
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