カテゴリ:セミナー・ワーク
先日お伝えしましたセミナー名が決まりました。 普通はセミナーご案内する時にちゃんと決めておくものよね! ごめんなさい・・・。m(_)m 今月末に開催するセミナーを前に、いろんな出来事が起こり、いろんな気付きが、 私のハートの中に刺激を与えてくれている。 Gnoboから、「みんなのハートを開くセミナーをしなさい。」と言われて数ヶ月。 いつも腰を上げるタイミングが遅い!と友人知人にご指摘・ご指導いただきながらも、 今回も、ハートを開くセミナーねぇ・・・・。とボンヤリ過ごすこと数ヶ月。^^; で、はたと閃いたのが、年明け早々友人N美ちゃんと観に行った「アバター」。 年末年始に掛けてあちこちからアバター情報が入ってはきたものの、 一人で映画鑑賞に行けないし、(根性無し) なんだか世間の流行り物に飛びつくようでいやだわ・・・、(あまのじゃく) とかなんとかこうしゃくたれていたら、妹がアバターを観て来た帰りに乱入してきて、 あれこれ言わずにもう絶対に観に行くべし!と叫ぶ。 その後グッドタイミングでN美ちゃんから連絡が入り、 「アバター観に行くの付き合って!」 「私も観たいと思ってましたー!」 N美捕獲成功!笑 で、早速二人で観に行って、映画が終わっても感動で二人とも暫く立てなかった。 数十年振りに一目惚れを体験した。主人公に・・・。 それは置いといて・・・。 ストーリーはいたって良くある流れの内容で分かりやすかった。 善と悪、神聖と邪悪、光と闇、祈りと怒り、みたいな・・・。 でもこれって、誰もが持つ精神性の中の裏表のような気がした。 N美ちゃんが興味深い感想を言っていた。 「悪の人たちの感情も理解できるし、善の人たちの感情も理解できる。 結局人間は両方を繰り返し体験してるんでしょうね~・・・。」 いつも感受性と洞察力にたけている彼女の感想は深く納得。 さすがはシャーマンN美。 半身不随の主人公が、万能の健康体であるアバターの肉体を持った時、 感動と解放の絶頂で歓喜するシーンは私も鳥肌ものだった。 その一瞬のシーンの中に今の私達が居る・・・。そう思った。 不自由な心の中で、本当は自由で思うままに表現できる人生を切望している。 主人公のように一瞬にして、自由で、思うままに行動できる肉体(人生)を手に入れたいと、 本当は願っているんじゃないかしら・・・。 でも結局は日常生活の中でも、何かと善と悪、光と闇の区別をしている限り、 私達は制限だらけの不自由さを味わうことになるのよね・・・。 そんないろんな感想と感動を与えてくれた映画だった。 で、その時に考えたことがあったのよ。 私達はいつから不自由だと感じるようになったんだろう・・・。 私達はどうして不自由さの中で自分を納得させようとしているんだろう。 あの主人公のように、自由さと神聖さを満喫していた頃はいつだったんだろう・・・。 そこに大きなヒントが隠されているような気がしていた。 喉まで出掛かってる芸能人の名前を思い出せないもどかしさってあるでしょ? あれあれ!う~ん!思い出せない!いいいいいいい~!ってやつ。 そんな感覚のまま時間が過ぎていった。 そしてGnoboに、ハートを開くセミナーと言われても・・・。と躊躇したら、 さつきは出来るよ、さつきがちゃんとハートを開いて観察して観なさい。と言われた。 出来るって言われてもな~・・・って、根性無しの私はそのまま行動することなく、 あれこれ試行錯誤の中瞑想してたら、 今までずっと忘れていた子供の頃の自分の記憶と、 いいいいいい~!ってなってたアバター観賞後の自分の感覚とがリンクしたのよ! みんなも一度はやったことがある遊びだと思うけど、 ガラスのビンに土を入れて、その中に蟻んこを飼って巣を作ってもらう。 そしてガラスに沿って作られた蟻んこの巣を眺める遊び。 私はあの遊びが大好きで、いくつものガラス瓶の中に蟻んこ入れて、 ガラス瓶に名前を書いてた。 このガラス瓶のお家は山田さん、これは島田さんのお家・・・って感じで、 何時間もその山田さんや島田さんのお家の中を覗き見して遊んでた。 それを眺めている時に、神様って、こんな感じで私達を観てるのかなぁ・・・とか、 じゃあこのビンの中の蟻んこたちにとって、私は神様に観えるのかなぁ・・・って、 ぼんやりそんなことを想像していた。 その想像がどんどんエスカレートして、楽しくてしようがなくて、最終的に私は蟻んこたちの神様となっていた。 飽きることも無く長時間眺めすぎて、目がよったまま戻らなくなって、 ばぁちゃんが大騒ぎした、より目の神様・・・。 そんな、ずっと忘れていた幼少期の頃の自分の際限ない想像力や小さな世界に大きな宇宙を感じる感覚を持っていた自分を次から次から思い出していった。 やっぱり真面目に瞑想はするものだわ・・・。改めて実感! そのヒントを得た後、中学の頃にとんでもなくお世話になった、 とんでもなく大好きな先生から電話が入って、一緒に飲みに行って放し飼い状態の動物のようなあの頃の私が顔を出して、 暴言吐きまくり、もうどうにでもなれ!の誰も止められない状態。 次の日二日酔いの苦しみの中酷く反省と後悔をしたり、 十数年ぶりに凄く仲の良かった高校時代の友人から突然電話があって、 昔話が盛り上がり大爆笑の中あれこれお互い思い出しては懐かしがったり、 母が珍しい写真が出てきたと見せてくれたのが小学校の頃の、 純粋極まりない(はずの)私の笑った写真だったりが続いて、 昔々の記憶が映像のように次々再生され、ますます私のエスパー力開花!笑 (いや、アバター制作したジェームスキャメロンが凄いんだって・・・。←娘の一言) 子供のときは大人になるってとても自由になれる気がしてたけど、 本当は、大人に憧れていた時の、逆に大人になりたくない!って抵抗していたときの、 あの頃の自分のハートが一番自由で開いていたのかも知れない。 いろんなあの時に置かれていた環境や学校という組織の中での、 人権を無視した高校の校則の中、私達は必死でもがいていたけど、 それは何に対してもがいていたんだろう・・・。 あの時に憧れていた将来の自分は、今ちゃんと私のハートの中で成長しているかしら。 あの時に信じていた神様の奇跡は、今も変らず私のハートの中で信頼しているかしら。 いろんな知識は増えたけど、あの時の大切な何かは減ってはいないかしら・・・。 私達の居る人生の遊園地は、子供のときのように今も無邪気に楽しめているかしら・・・。 大人のぬいぐるみをまとって、その着ぐるみが本当の自分だと勘違いして、 ぬいぐるみの中に居る純粋な私は苦しんでいないかしら・・・。 また前置きが長くなりましたが、(ごめんなさい・・・。^^;) そんな感じで、ひと時大人の着ぐるみ脱いでみて、 みんなと一緒にいろんな記憶を思い出して、楽しんでみませんか??? (赤信号、みんなと渡れば怖くない!) 純粋性は決して無知ではなく、無垢であるということです。 無垢は、汚れていると認識することが無いので罪悪感が存在しません。 そして純粋性は、不可能を持たない無限の英知を持っています。 それは、ソウル&ボディヒーリングを通して、私はセッションに訪れた方と 深くスピリットと繋がっている状態のときにいつもそう感じるのです。 様々なアドバイスを与えてくれるスピリット達とのコミュニケーションは、 私達は同じ存在なのだということを、いつも思い出させてくれるのです。 題して、「アミューズドセミナー」 スピリチュアルな観点から、自分の純粋性を楽しんでみる、 想い出し解放してみる。 そんなセミナーにしたいと思っています。 「アミューズドセミナー」 若干のお席はまだご用意できますので、 どうぞ皆様のご参加、心よりお待ちしております! P・S 業務連絡・・・歩ちゃん、N美ちゃん、ネーミングアドバイスetc有り難う! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.12 16:12:30
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