アメリカ(1)――米同時多発テロから5年
2001年9月11日の「米同時多発テロ事件」から丸5年が経ちました。昨日10日にはニューヨーク市内各所で犠牲者の追悼式典が行われ、ブッシュ米大統領夫妻を始めとする公人たちが、倒壊した世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」を訪れ献花、数千人の犠牲者たちに黙祷を捧げたとのことです。 ◆◇◆◇◆◇◆このブログのサイト名「A More Perfect Union」というフレーズは、アメリカ合衆国憲法前文の有名な文言から拝借した物ですが、このフレーズには、「かつて様々な困難に見舞われ、そしてこれから先も多くの試練に立ち向かわなければならないであろう人工国家アメリカが、そのような苦難・苦境を乗り越えて、いつの日か『より完璧な国民統合』を実現するのだ」という建国の父たちの決意と希望が込められていると言えます。このフレーズに見られる思想は、そもそも、楽園建設への希望を胸に新大陸へと渡った「ピューリタン」たちが、厳しい現実に打ちひしがれながらも、「それでも自分たちの努力次第で新大陸を神との『約束の地』とすることが出来るのだ」と考えた「宗教的な精神風土」に由来するものです。そして、その「宗教的伝統」は世俗化し、合衆国憲法の前文にも取り込まれ、今日では、アメリカ人全体の精神に深く根ざす「文化的な伝統」となって存在していると言えます。実際、アメリカが育んできたこの「たとえ困難があっても、いつかアメリカはそれに打ち勝つのだ」という「伝統的な論法」は、過去、アメリカ社会が困難に見舞われる度に、アメリカ人を精神的に支える「レトリック」として幾度となく用いられることとなり、時代時代の諸問題をドラスティックに解決する「アメリカ独特の政治文化」を強力にバックアップしてきました。そして、それこそが、わずか建国230年ほどのアメリカが今日世界一の超大国となりえた要因の1つでもあるわけです。◆◇◆◇◆◇◆さて、このようにアメリカは問題解決のための素晴らしい機構をその内部に持っているわけですが、しかし、歴史を紐解けば分かる通り、このシステムが上手く働かなった時も確かにあるのです。それは「ナショナリズム」や「愛国心」が高揚するあまり、問題解決のための冷静な判断力・分析力が失われてしまった時です。5年前の同時多発テロで言うならば、悲しみと愛国心が高じるあまり、「なぜこんな事件が起こったのか?」、「事件を防ぐことは出来なかったのか?」、「そもそもなぜ罪もないアメリカ人がテロの対象となってしまったのか?」といった問題解決のために必要な議論・プロセスを全部すっ飛ばして、いきなり結果、すなわち、「とりあえずテロの犯人、及びその支援者を引き摺り出して、その連中を抹殺すること」が第一に求められたのは、記憶に新しいでしょう。圧倒的な支持率の下、ブッシュ大統領が「アフガニスタンンへの攻撃」を決定し、その戦火はあれよあれよという間に「イラク戦争」へと拡大していきました。2003年も秋頃になって、米兵の死傷者が無視できない数になってきてようやく、アメリカ人たちは気づき始めたのです。――「俺たちは同時多発テロの犯人と戦っていたはずのに、なぜ今は 事件とは直接関係のないイラクにまで来て無駄な血を流しているのだろう?」――と。その後、2004年春になると、国論はブッシュ支持と反ブッシュに完全に二分されます。◆◇◆◇◆◇◆テロから早5年。未だ傷跡が癒えたとは言えずとも、往時に比べれば大分冷静に物事を見つめることが出来るようになった現在、アメリカが経験した未曾有の大事件をどのように捉え直し、どのようにアメリカ史の中に位置づけ、どのように次代へと語り継いでゆくか、アメリカ社会の今後の動向が注目されます。アメリカの学生たちが歴史の授業で「9・11 米同時多発テロ」について学ぶ時、それが「アフガニスタンの基地外イスラム教徒が起こした最悪のテロ事件」とだけ記述されるのか、それとも、「かつてアメリカが蒔いてしまった種が原因の1つとなった事件であり、その後、アメリカは問題の本質的な解決を図るために、政治・外交・経済等の諸分野であらゆる努力、国際協力を惜しまなかった」と記述されるのか。その責任は、「9・11」という日を振り返る1人1人のアメリカ人の肩に課せられているのではないでしょうか。 ◆◇◆◇◆◇◆それでは、また次回の更新でお会いしましょう。See you next time!