「比較することを止めれば真実が見えてきます」(子どもが生きている世界)
人間は「人間は動物の中でも特別な存在だ」と思い込んでいます。「人間以外の動物たちとは比較にならないほど優れている存在だ」と思い込んでいます。個人のレベルでも多くの人が「自分は特別な存在だ」と思い込んでいます。ただし、人間同士の場合は「自分は他の人よりも優れている」という優越感を持っている人はあまりいません。でも、常に他の人と比較して「あの人よりは上だけど,あの人よりは下だ」というように自分の位置を確認しようとしています。人間だけでなくサルもまた群れの中での自分の位置を確認しますが、それは比較によってではなく現実的な戦いによってその順位が決まっています。人間は比較したがる動物です。美醜も、善悪も、収入も、年齢も、身長も、価値も、家柄も、子どもも、何でもかんでも比較しようとします。また、その比較によって群れの中での自分の位置を確認しようともしています。科学もまた「比較する」という方法によって作られています。1<2<3という比較が分からなければ科学は理解出来ないのです。私たちの社会は「文化」と「文明」という二つの要素によって作られていますが、文明の方は比較によって支えられています。高度なシステムに支えられた社会も、貨幣経済も、「比較」という概念の産物です。1円<5円<10円<100円という比較の概念が理解出来なければお金を使うことが出来ません。会社は役職による上下関係で構成されています。そして自己肯定感なるものも、自己嫌悪なるものもみんな「自分と他者の比較」、「現実の自分と頭の中の自分の比較」によって作られています。でもその上下は「客観的に存在しているもの」ではなく、「比較によって作られた概念」に過ぎません。ですから、自己肯定感も自己嫌悪もその比較を行っている人の頭の中にしか存在していません。そして、「文明」はその比較という方法によって構築されています。だから文明においては競争が発生するのです。そして、もっと早く、もっと強く、もっと安く、と競争することでやがて限界にたどり着き崩壊します。実際、そのようにして今まで数多くの文明が消えていきました。私たちが生きている文明も限界が見え始めています。それに対して、「文化」と呼ばれる世界には比較の原理は存在していません。「ピカソとモネとどっちが好き」ということはありますが、「どっちが上」という比較はしません。「和食と洋食ではどっちが好き」ということは聞きますが、「どっちが上」という比較には意味がありません。「赤と青とどっちの方が好き」という話はしても、「どっちの方が上?」という議論はしません。文化の世界は常に自分基準なので、常に「自分にとってはどうなのか」という事だけが問われているからです。他者との比較は意味がないのです。ただし、文明社会ではその本来比較できないものですら、無理矢理比較して価値を決めようとしています。そこで使われているのが「数字化する」という方法です。数字には個性がないので比較しやすいのです。ミカンよりもリンゴの方が好きな人が多ければ「ミカンよりもリンゴの方が上」と判断するのです。また、料理の価値を星の数で決めたり、美女の基準を点数で決めたり、歌の上手下手をカラオケマシンの点数で決めたりもしています。その結果、「三つ星レストランのお料理よりもお母さんのお料理の方が美味しい」というような人は、「料理の味が分からない人」だと評価されてしまうのです。でもそれは、本当の意味での料理の世界のあり方ではないような気がします。私は、食べる人に合わせて料理を作れる人が最高の料理人なのではないかと思っています。今、世の中がどんどんおかしな方向に進んできてしまっています。心や、感覚や、からだの価値が忘れられてきてしまっています。人の命も数字で表されています。文化にも値段が付けられ、比較され、商品として売られています。そして、値段がないものは価値がないものとして扱われています。入場料1万円の歌手の歌は価値があっても、子どもが歌う歌には価値がないと思われています。でも本来、歌の世界には上下などないのです。大人達は、お金を稼げない子どもよりも、お金を稼げる大人の方が偉いと思っていますがそれも間違いです。社会的な価値は確かにその通りかも知れませんが、人間としての価値は子どもも大人も同じなんです。そういう事に気付くためには比較を止めてみればいいのです。そして幼い子どもたちはそういう世界に生きているのです。だから、単なる紙の一万円札よりもキラキラ光るコインの方を選ぶのです。7才前の子どもたちは文明が発生する以前の古代人の感性や価値観の世界に生きているのです。ですから、7才前の子どもたちが生きてる世界を理解するためには、比較で世界を見ることを止めてみるしかないのです。我が子と他の子を比較することを止める。自分と他の人、現実の自分と頭の中の自分を比較すること止める。そうでないと子どもが生きている世界を理解することは出来ません。