7718430 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

この夢には、何か意… New! かめおか ゆみこさん

Comments

森の声@ Re[3]:「苦しみから抜け出す方法」(08/24) New! 残暑見舞いさんへ 動けば、何かが始まる…

Freepage List

Profile


森の声

全5120件 (5120件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >

2019.08.26
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
「健康法」(病気になりにくいからだを作る方法)と「治療法」(病気の治し方)は基本的に違います。

また、「健康法」は誰にでも実践出来ますが、「治療法」を実践するためには専門的な知識と技術が必要になります。

だからこそ、普段から、心とからだが病気にならないような生活が必要になるわけです。

これは子どもの育ちにおいても同じで、「子どもの心とからだを健康に育てる方法」はそれほど難しくありません。

「子どもの心とからだの成長に必要なもの」を、親や周囲が子どもの生活環境の中に整えてあげれば、子どもは自分の力で、「自分の成長に必要なもの」をそこから吸収し、健康に成長していきます。

親や先生が、しつけや教育を無理矢理強要しなくても、子どもは自分の成長に必要なものを自分で選んで取り込んでいくから大丈夫なんです。


そこで必要になるのは、生活の多様性と、手本と、自由と、見守りと、安心と、仲間です。

ところが、それらのものが与えられない状態で育っている子は、いわゆる「栄養失調」状態になってしまいます。

そして、心とからだの成長に歪みを生じます。

その結果、子どもの心とからだの状態や、行動に様々な問題が表れるようになってきます。

そうなってから、様々なところへ相談に行くのですが、その歪んだ状態を、健康な状態に戻すためには、専門的な知識や技術が必要になります。

そのため、お母さんやお父さんだけではなかなか手に負えません。時には、お母さんやお父さんが頑張ることで状況をさらに悪化させてしまいます。

「子どもの育ちに必要なもの」が分からないため、力ずくで治そうとしてしまうことが多いからです。

シュタイナー教育には「治療教育」という分野がありますが、一般的にはそのような発想は全くありません。

そのため、タンパク質が足らないから筋肉が育っていないのに、無理矢理「筋肉を付けるための運動」をさせようとします。
ひどい時は精神論で何とかしようとします。

食べ物が足らないからヨロヨロしているのに、「だらしないぞ、もっとガンバレ!」などと追い立てたりしています。

でも、この世界を動かしているのは「因果の法」なので、それを無視して精神論を押しつけても決して状態は良くならないのです。むしろ悪くなります。

それなのに、多くの大人が子どもに精神論を押しつけています。そして状態を悪化させています。

「学校に行きたくない」という時には、ちゃんとその理由があるのです。
単に「怠けたいから」ではないのです。

「子どもの成長に必要なもの」が学校にあれば、子どもは学校に行きたがるのです。


だから、子どもが学校に行きたくないという時、その原因は親や教師や学校にあるのに、なぜか大人達はその責任を子どもに押しつけようとしています。

学校は親を非難し、親は子どもを非難しています。
で、末端にいる子どもは、自分で自分を非難するようになります。
そして、自己肯定感の低い大人になっていきます。

そして、自分の子どもに対しても同じことを繰り返そうとします。

それもまた「因果の法」の結果です。

その苦しみの繰り返しから逃れるためには、「子どもの心とからだの成長に必要なものは何なのか」、「人間が人間らしく生きるために必要なものは何なのか」ということを知る必要があるのです。

「気質の学び」はその中の一つです。

なぜなら「気質」によって「心とからだの育ちに必要なもの」が異なるからです。

「憂鬱質」の子の育ちに必要なのは、静かで安心できる環境と、追い立てないで見守る関わり方です。

「胆汁質」の子の育ちに必要なのは、自由に行動することが出来る、時間と場と、仲間です。

「多血質」の子の育ちに必要なのは、一緒に笑い、一緒に行動してくれる仲間です。

「粘液質」の子の育ちに必要なのは、静かで多様な環境です。

そしていずれの気質の子も、他の気質の子と関わり、一緒に活動する必要があります。

そのことで「自分」が見えてくるからです。

自然の中での仲間との群れ遊びには、この全ての要素が含まれています。

また、「素敵な大人」との出会いも必要です。

「素敵な大人との出会い」が、自分の人生の方向性を決めてくれるからです。
ただし、お母さんやお父さんが「素敵な大人」でなくても大丈夫です。

そういう大人の人と出会わせてあげればいいのです。

「自己肯定感が低くなってしまった大人を治す方法」はかなり難しいですが、「子どもを自己肯定感が低い大人にしないように育てる方法」は、それほど難しくはないのです。






Last updated  2019.08.26 08:09:48
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.25
カテゴリ:カテゴリ未分類
親子合宿から帰ってきました。
この合宿は、普段から一緒に遊んでいる仲間で毎年やっているものですが、いつも夜は表現遊びで盛り上がります。
今年は「かぐや姫」をテーマに遊びました。
ものすごく盛り上がりました。

昼間は川で遊んだり、炊きジャンプをしたり、ドラム缶風呂に入ったり、ダブルダッチで遊んだり、流しそうめんをしたり、盛りだくさんでした。

この会にはプログラムがないので、みんな自由に行動しています。
食事のメニューも決まっていません。
各自で勝手に作って、みんなでバイキング方式で食べます。

一般的なこのような合宿では「子どもたちにこのような体験をさせたい」ということが決まっていて、それに沿ってプログラムを考えたり、役割を考えたりするのですが、私は出来るだけ「ゼロからの体験」をさせたいので、敢えてプログラムは決めていません。

与えられた自由の中でプログラムに沿って遊ぶのではなく、自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の判断で行動することで、自由を創り出して遊ぶことを体験して欲しいのです。

でも、そういう遊びは誰にでも出来ることではありません。
また信頼できる仲間がいるから出来ることです。

ありがたいことに私の周りには、子どもも大人も、そのような仲間がいっぱいいるのです。









もっともっと素敵な写真が山のようにあるのですが、みんな顔がばっちり写ってしまっているのでお見せできません。
「かぐや姫」




普通の合宿と違って色々な種類の料理が並びます。
私はパエーリャを作りました。








Last updated  2019.08.25 18:33:17
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.24
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日はこれから毎年やっている親子合宿に行きます。
それで明日の朝はブログが書けません。帰って来てから書くつもりではいますが、もしかしたらお休みになってしまうかも知れません。ご了承下さい。
************

昨日、

また、「憂鬱質的な不安」は「正しい知識」と「正しい考え方」を身につければ消すことが出来ますが(知識だけでは余計に不安が増えます)、「体験によって身につけた不安」は、ちゃんとした体験がその不安の背景にあるので、なかなか抜け出すことが出来ません。

と締めたら、「その後が気になる」という人が何人かいたのでちょっと書かせていただきます。

「体験によって学習した不安」が消えにくいのは、脳と、心と、からだの中にその不安を学習した時の記憶が残っているからです。

憂鬱質の人は、「食わず嫌い」と同じように、先入観で「体験したことがないこと」にも不安を感じますが、気質に関わらず一般的には、実際の痛みや苦しみの体験によって、「それにつながること」に対して不安を感じるようになります。

「痛かった体験や苦しかった体験をした時と共通する何か」を感じた時、人は不安を感じるのです。

部分的な記憶の合致が無意識のうちに記憶の全体を掘り起こしてしまうのです。

例えば、大きな事故に遭った時に何か特別な匂いがしていたような時、匂いと事故は何にも関係がないのに、その匂いを感じると、その事故のことを想い出してしまうというようなことです。

これは「不安」の時だけに起こる現象ではなく、人は「出来事の記憶」と、その時の「感覚的記憶」をセットにして記憶してしまうので、嬉しいことや、懐かしいことを想い出す時にもこの現象は現れます。

私は秋風が吹き始めると、なぜかスペインにいた時のことを瞬間的に想い出します。街の中で、ジャスミンの匂いに触れるとインドのことを想い出します。

虐待を受けていた人の中には、大きな声を聞いた時や、からだに触れられた時に、急に不安を感じて固まってしまう人がいます。

我が子の顔を見るだけで自分の子ども時代のことを想い出してしまう人もいます。

そういう感覚的な体験が、過去の痛みや苦しみを想い出させる「鍵(キー)」になっているのです。

その状態から抜け出すには、「何が過去の苦しみを想い出させるキーになっているのか」ということを冷静に考える必要があります。

苦しくてもちゃんと想い出そうとすることで、「感覚の働き」を感情ではなく、意識の働きで処理するようにするのです。

一般的には、「苦しいことは想い出したくない」でしょうが、想い出さないようにしているからいつまでも消えないのです。

東北の大地震の後、大人達がまだ悲惨な状態の中にいる時、「地震遊び」をする子がいたそうです。

それで大人は、「なんて不謹慎な」と叱っていたそうです。大人はもう想い出したくないのに、子どもは「地震」で遊んでいるのですから。

でもそれは子どもの自己治癒行為なんです。

無意識下に入っている痛みや苦しみの記憶を、意識化に出して遊ぶことで、その記憶に振り回されなくなるのです。

心理学でも、同じような理由で「箱庭療法」という治療法を使ったりします。

それで、そのことを知っている何人かの人たちが現地に入って、子どもたちに自由に地震のことを語らせたり、地震の絵を描いたり、地震遊びをさせたりしたそうです。
(プレイパークの人も行きました)

すると、押さえ込んでいた苦しみを吐き出すことが出来たので、次第に子どもが生き生きとしてきたそうです。

「苦しみ」を吐き出すことで「苦しみ」を消すことが出来るのです。

押さえ込んでいるから、いつまでも苦しいのです。

便秘と一緒です。

ただし、その時その「苦しみを吐き出す作業」に寄り添ってくれる、プロの技術を持った介助者が必要になります。吐き出し方にも技術が必要だからです。

また、感情の苦しみはからだの緊張として記憶されているので、からだの緊張を解くことで、不安を消すという方法もあります。でも、その場合も特別な技術が必要になります。

また、自分の人生の目的を持つことで、相対的に苦しみの大きさを小さくすることも出来ます。自分の人生を自分の人生としてちゃんと生きようとせず、苦しみのことばかり考えているから、いつまで経っても苦しみの束縛から抜け出せないのです。

この場合は「苦しみ」を消そうとするのではなく、背負って生きようとするのです。その苦しみから何かを学ぶことが出来る人はさらに強くなることが出来ます。

苦しみから逃げようとするから束縛されてしまうのです。遠ざけようとするからいつまでたっても目の前から消えないのです。
背負ってしまえば、視界からは消えてしまうのです。
重さはありますが、目標があれば、その重さが気にならなくなります。

大事なのは「苦しみを消す」ことではなく、「苦しみに束縛されなくなる」ことなんです。
過去に起きた苦しみのせいで、自分の現在と未来の人生を台無しにしないことです。

そのためには、目の前にある「今の自分にでも出来ること」を見つけてそれを一生懸命にやることです。

多分これが、プロの手助けを必要としない唯一の方法かも知れません。






Last updated  2019.08.24 09:23:31
コメント(4) | コメントを書く
2019.08.23
カテゴリ:カテゴリ未分類
憂鬱質の特徴の一つに「不安が強い」ということがあります。

だからといって、「不安が強いから憂鬱質だ」ということではありません。

気質とは無関係の「不安」もあるからです。

私は「不安」には二種類あるのではないかと思っています。

一つは「未来のことを色々と考えることで発生する不安」です。

例えば、
旅行に行く予定なのに天気が不安
蓄えが少ないので老後の生活に不安
試合に勝てるかどうか分からない不安
あおり運転で車をぶつけられてしまうのではないかという不安
勉強しないと落ちこぼれてしまうのではないかという不安
ちゃんと手を洗わないと病気になってしまうのではないかという不安

のようなものです。

そして、憂鬱質の人はこのようなタイプの不安に囚われやすいです。

なぜなら、憂鬱質の人は思いがけないことが起きると、心も、からだも、頭も固まってしまって身動きが取れなくなってしまうので、あらかじめ頭の中で色々な状況を設定してシミュレーションしておくことで、「いざというときの不安」を減らそうとするからです。

ただ問題は、未来のことをシミュレーションしておくことである程度の安心は得ることが出来るのですが、同時に、「未来に対する不確定要素によって、新しい不安も増えてしまうことが多い」ということです。

「安心」を得るために色々と考えるのですが、色々と考えることで新しい「不安」が生まれてしまうのです。
だからさらに色々考えるのですが、考えれば考えるほど不安も増えてしまうのです。


そのループにはまってしまうと不安だらけになってしまいます。
そして憂鬱質の人はこのループにはまりやすいのです。

これが「憂鬱質の人の不安」です。

もう一つのタイプの「不安」は「経験によって学習した不安」です。

つまり、「未来」ではなく「過去」に原因がある不安です。

砂浜を裸足で歩いていてガラスを踏んでしまってケガをした人は、砂浜を裸足で歩くことに不安を感じるかも知れません。

子どもの頃に父親に虐待された育った人は、男性の声や、男性が近くに寄ってくるだけで不安を感じるかも知れません。

電車に乗っていて事故に遭った人は、電車に乗るたびに不安を感じるかも知れません。

牡蠣を食べて食中毒を起こした人は、牡蠣を食べることに不安を感じるようになるかも知れません。

夜道を歩いていて怖い体験をした人は、夜道を歩くことに強い不安を感じるようになるかも知れません。

幼児期に虐待されて育った人は、「自分らしさ」を否定されながら育っているので、自分の気持ちを表現したり、自分らしく行動すること自体に不安を感じるようになってしまうこともあります。

子どもの頃、学校で集団的なイジメに遭った人は、人がいっぱいいるだけで不安を感じるようになってしまうかも知れません。

これらは、「体験によって学習した不安」です。

そして、このような「不安」は、「気質」に無関係に誰でもが持つようになる可能性があります。

で、本来は「憂鬱質」ではないのに、こういう不安が強いために「憂鬱質のような状態」になってしまっている人がいっぱいいます。

とくに、虐待やイジメのような「生活全般を否定されるような体験で不安を学習してしまった人」は、色々なことに不安を感じるようになってしまう可能性があります。

でもそのような人は本来の憂鬱質ではないので、憂鬱質に特徴的な「心に対する感受性」や、「美に対する感受性」や、「光や音に対する感受性」は持っていません。

また、「憂鬱質的な不安」は「正しい知識」と「正しい考え方」を身につければ消すことが出来ますが(知識だけでは余計に不安が増えます)、「体験によって身につけた不安」は、ちゃんとした体験がその不安の背景にあるので、なかなか抜け出すことが出来ません。






Last updated  2019.08.23 10:21:36
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.22
カテゴリ:カテゴリ未分類
日本語では「気質」を「気の質」と書きます。
そして、「気」という言葉は、「気分」、「天気」、「気になる」など様々な使われ方をしています。
気功などでは「気」を操っています。

それに対して、英語では「temperament」や「disposition」などという言葉が使われているようです。

その意味は
「temperament」
  気質, 気性, 機嫌, 為人, 気色, 気立て
「disposition」
  気質, 処理, 性質, 配置, 気性


ですから、日本語の「気質」という言葉とは大分言葉のニュアンスが違います。シュタイナー教育も含め、ヨーロッパの人たちはこのような感覚で「気質」を理解しているのでしょう。

ちなみに語源を調べたら、

temper 「混ぜる、調節する」
 ラテン語で tempus が「時間」で、それに -are という「反復を示す不定詞語尾」がくっついて、「(適切に)混ぜ合わせる、組み合わせる、調節する」などという意味の動詞 temperare になり、それが語根となったもののようだ。


と書いてありました。
https://shuminogo.exblog.jp/15587681/

ここに「混ぜる」と出てきますが、昔のギリシャ人は気質を人間の中の四種類の体液の割合によって決まると考えていたようです。

以下はウィキペディアの「四体液説」の説明からの引用です。

「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」の四体液説と「気・水・火・地」の四大元素との対応、「熱・冷・湿・乾」の4つの基本性質の関係。
四体液説(よんたいえきせつ、英: Humorismまたはhumoralism)とは、「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類を人間の基本体液とする体液病理説(英: humoral pathology)である。体液病理説(もしくは液体病理説)とは、人間の身体には数種類の体液(ラテン語: humorは古代ギリシャ語: χυμός、chymosの訳語で、そのまま「体液」を意味する)[1]があり、その調和によって身体と精神の健康が保たれ(Eucrasia)、バランスが崩れると病気になる(Dyscrasia)とする考え方で、古代インド(アーユルヴェーダ)やギリシャで唱えられた。インドからギリシャに伝わったとも言われる。


気質を表す「多血質」「胆汁質」「粘液質」「憂鬱質」という言葉も、この体液との関係で付けられた名前です。

その四つの体液は黄・赤・緑・青などの「色」で表現されています。

黒胆汁が強いと憂鬱質で、黄胆汁が強いと多血質です。
ちなみにこのウィキペディアのページには
  脾臓の機能が悪い場合には、黄胆汁は煮詰まったように黒胆汁となる
と書いてあります。

つまりこれは調子が悪いと多血質は簡単に憂鬱質のようになってしまうということでもあります。

でも、東洋における「気」の考え方はこれとは全く別のものです。

西洋の「気質」は体液の組み合わせによって決まるのですから、当然その対象は「人間」だけに限られます。

でも、東洋においては「人のからだの中の気は天地の気と共鳴し合っていて、人の気の状態は天地の気の状態と密接につながっている」と考えられて来ました。

東洋では、「人間」と「自然」の境目がなかったのです。

実際、「天気」の状態が人の「気分」、つまり「気の状態」に影響することは誰でも知っています。明るいところにいる時と暗いところにいる時とでも「気分」(気の状態)は異なります。

自然や周囲の状態が人の「気の状態」に強い影響を与えているのです。そしてそれは「一時的な気質」の変化として表れています。
これは経験的な事実でもあります。

気質を「四つの体液の組み合わせ」として考えているだけでは、こういう現実が見えてこないのです。

その場合の「気」とは動的なエネルギーのことです。そして「気」は上昇したり、下降したり、拡散したり、集中したりします。

「気が散る」とは「気」が拡散してしまう状態です。そして多血質の人は「気が拡散しやすい」という特徴を持っています。それはその人の「からだの状態」とつながっています。

また「気」は、共鳴したり、反発したりもします。「気が合う」という時には共鳴しているのでしょう。「気が合わない」時には反発しているのでしょう。

胆汁質と憂鬱質は相性が悪いですが、粘液質と憂鬱質は相性がいいです。

ギリシャ人は、体の中で起きているこのような変化の原因を四つの体液の組み合わせによって説明しようとしたのでしょうが、東洋人は、これを「天地の運行を支えている気(エネルギー)の働きの表れ」として考えたのです。

ちなみに2000年前の中国にも「気質」の考え方はありました。

「体液」が関係しているとしても、その「体液」を「天地の気を受け取るアンテナとして機能している」と考えれば矛盾はありません。
もっとも現代医学ではその「四体液説」自体が否定されていますけど。

また、「四体液説」に基づく「気質」は、黄・赤・青・緑などの色に例えられていますが、東洋的な「気質」は「色」というよりも「音」(音楽)に近いものです。

その人の「気質」は、「その人の命のエネルギーが奏でる音楽」なのです。

だから「気が合う」とか「気が合わない」という状態が生まれるのです。

そして私が考え、皆さんに伝えている「気質」はその「音」の方です。西洋的な「色」の方ではありません。

ただ、「色」は言葉で説明できますが「音」は言葉では説明が出来ないので、便宜的に気質の勉強会などでは「色」で説明したりしています。






Last updated  2019.08.22 07:12:46
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.21
カテゴリ:カテゴリ未分類
明日(22日)の横浜(Umiの家)での気質の勉強会への参加者募集です。
午前午後と通しです。「専門家向け」と書いてありますが、専門家でなくても大丈夫です。
ご興味にある方は是非。
詳細は
https://coubic.com/uminoie/140679?fbclid=IwAR3m4SkY7s_ANYqGmBINRM6PvSdICzDN0ffxXMGFgdh6eqSp5z1PlDQ6z6I
でご覧になって下さい。

*************

気質には多血(たけつ)質、胆汁(たんじゅう)質、憂鬱(ゆううつ)質、粘液(ねんえき)質の四つがあるとされていますが、私は、胆汁質と憂鬱質の二つが、動物にとってはより根源的な気質なのではないかと思っています。

なぜなら、自然界ではこの二つの気質が自分の命を守ってくれるからです。

胆汁質は、戦って獲物を得たり、困難を乗り越える時に必要な気質です。

生きようとする「意思の力」とも関係しています。

それに対して、憂鬱質の方は危険から身を守る時に必要な気質です。

相手が自分よりも弱ければ戦ってやっつければいいのですが、自分よりも強い時には逃げるしかありません。

そして、自然界には絶対強者などいないのですから、どんな生き物でも、この二つの気質は必要になるのです。

ちなみに「弱肉強食」という言葉がありますが、あれはウソです。
それは、オオカミやライオンのような「強い生き物」と、ウサギやネズミのような「弱い生き物」の個体数を比べてみればすぐに分かることです。

人間がオオカミやライオンを殺さなくても同じ状態だったはずです。
弱い生き物の方が圧倒的に多数だったからこそ、強い生き物は食べ物を得ることが出来たのですから。

自然界はジャンケンの世界と同じで、絶対強者はいないのです。

数学的論理で考えれば、
AはBよりも強い。
BはCよりも強い。
じゃあ、AとCはどちらが強いでしょうか

という問題の正解は、「Aの方が強い」になるのですが、自然界では「Cの方がAより強い」ということが普通に起こるのです。

ですから、強い動物であろうと、弱い動物であろうと、自分の命を守るためには、この二つの気質が同時に必要になるのです。

ただ、強い動物の方が弱い動物よりも胆汁質に優れ、弱い動物の方が強い動物よりも憂鬱質に優れているということはあります。

男性と女性を比べたら、筋力的には男性の方が強いです。そのため。(例外もありますが)女性よりも男性の方が胆汁質が強いです。実際、一般的には男性と女性が力ずくで戦えば男性の方が勝ちます。

そのため、男性が一方的に女性を支配しようとする時には暴力や威圧が使われます。それしか方法を知らないからです。

(女性はもっと多様な「相手を支配する方法」を知っています。その方法を使って子どもや男性を支配しようとしている女性は多いです。)

すると女性は憂鬱的な気質を強くして身を守ろうとします。

よく、虐待やDVなどのニュースに接すると、「逃げればいいのに」と思うのですが、一度「憂鬱モード」に入ってしまうと、心とからだが固まってしまうので、動けなくなってしまうのです。

「逃げればいいのに」というのは憂鬱モードに入っていない人の発想です。

でも、そんな男性でも「絶対的に自分の手に負えない相手や状況」と向き合わなければならない時には、憂鬱質が強くなります。

そして、保身を考えます。
心を病んだり、自殺を考える人もいます。

自分よりも弱い相手を支配したり、暴力を振るったりして、自尊心を守ろうとすることも多いです。

(ただし、全部の男性がそうなるわけではありません。そこで幼児期の体験が大きな意味を持ってくるのです。)

妊娠・出産・子育て中の女性は男性よりももっと日常的に憂鬱質的な状態になりやすいです。

妊娠・出産・子育て中の女性は、身を守る能力が低下します。「子ども」という「守るべきもの」を守らなければなりません。

そのため、女性は、そのような状態の時には憂鬱質が強くなりやすいのです。


でも、女性のみんなが憂鬱質になるわけではありません。
「自分と同じような状態の仲間」や「自分を支えてくれる人」に守られていれば、憂鬱質状態にならなくて済むのです。

「安心」が人を憂鬱質状態に陥ることから防いでくれるのです。

でも、ひとりぼっちで子育てをしている人は簡単に憂鬱質のようになってしまいます。
(ただし、この場合も幼児期の体験が大きな意味を持ってきます。)

そして身を守ることばかり考えるようになります。子どもを守らなければならない立場なのに、子どもからも身を守ろうとしてしまう人も多いです。

すると「虐待」が発生します。

ちなみに男性は目的を共有することで群れを作りますが、女性は安心を得るために群れを作ります。そのため時にお互いに束縛し合ったりします。

一人の自分勝手な行動がみんなの不安をかき立ててしまうことがあるからです。

胆汁質が強い女性は、この「束縛し合う群れ」を嫌い、群れからは適当な距離を取ろうとします。

でもそのことで、イジメの対象になってしまうことがあります。






Last updated  2019.08.21 07:25:11
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.20
カテゴリ:カテゴリ未分類
最初にちょっと連絡です。
茅ヶ崎での気質の勉強会にお問い合わせ下さったAさん。不思議なアドレスのためメールの返信が出来ません。
ということで、茅ヶ崎での勉強会の案内をこの最後に載せておきました。

********************

胆汁質の人は目標を決めてから行動することが多いです。

そのため、スポーツのような「目標が立てやすい活動」を好みます。政治家も胆汁質の人が多いです。
表現活動のような「結果が曖昧になるような活動」は楽しめません。

ただし、表現活動などでもコンクールがあるような活動では燃えます。目標に向かって頑張るのが好きなのでリーダーになったりもします。

頑張れば結果を積み重ねることも出来るので、他の人の評価も得やすいです。
「成長」より「上達」の方が好きです。というか、「成長」と「上達」の違いがよく分かっていません。

また、絵本などでも結果がはっきりとしている絵本が好きです。結果が曖昧な絵本や、感性に訴えるような絵本は苦手です。

過程を楽しむとか、味わうという感性が乏しいので、そういう絵本を読んでも何が楽しいのか分からないのです。

胆汁質にとって重要なのは、過程ではなく結果なんです。

また胆汁質の人は、常に「自分は正しい」と思い込んで、それを疑いません。そのため、人の意見を受け入れません。

自分の意見と同じ意見の人はすぐに「仲間」として受け入れますが、自分の意見を否定する人は「敵」として戦いを挑みます。さらに困ったことに、自分の考えや目標を平気で他の人にも押しつけたりもします。

その時、もともとあまり自分の考えがない多血質の人は、素直にそれを受け入れます。

粘液質の人は自分の感性に従って判断します。表だって抵抗はしませんが言いなりにもなりません。無言でマイペースで行動するのです。

ですから、胆汁質の人は粘液質の人が苦手です。粘液質の人は胆汁質の人を「面倒くさい人だな」程度にしか感じていません。

一番強く胆汁質の影響を受けるのが憂鬱質です。

なぜなら、一見正反対に見える胆汁質と憂鬱質ですが、本質的なところでは似ているからです。写真で言うところのネガとポジのような関係なんです。

まず、両者とも頑固で柔軟性がありません。からだも固いです。(頭の固さと、からだの固さはリンクしています。)

そのため、両者とも自分の意見と異なる意見の人の話を聞こうとはしません。

ただし、胆汁質の人は自分と異なる意見の人がいれば戦いを挑みますが、憂鬱質の人は心を閉ざして寡黙になります。

そして、両者とも「自分の世界」を守ろうとするのです。
ただ、胆汁質と憂鬱質とでは「守りたいもの」が正反対なので、反応が逆になるのです。

胆汁質の人が守りたいのは「行動の自由」です。それは、英語圏の人たちが考えている「自由」でもあります。

行動の自由がないことには目標が達成できないからです。

それに対して憂鬱質の人が守りたいのは「心の自由」です。「自分らしさ」を守りたいのです。

それは、日本語本来の「自由」という言葉の意味に近いものです。

でも、結果が全ての胆汁質から見たら、何の結果も生み出さない「自分らしさ」には全く意味がありません。

そのため、「そんなことに囚われていないで行動しろ」と追い立ててきます。
「自分らしさは行動で創り出せ」、「あなたの行動が、あなたの、あなたらしさを創っていくんだ」ということです。

それもそれで事実です。

でも、憂鬱質の人は、どうしても、「行動」よりも、「行動の背景にある心」の方に意識が向いてしまうのです。

ですから、他の人の行動を見ても、胆汁質の人は「何をしたのか」しか見ませんが、憂鬱質の人は「どういう気持ちでやったのか」ということの方を見てしまうのです。

子どもが親の言うことを素直に聞けば、胆汁質の人は素直に褒めます。でも、憂鬱質の人は「子どもの気持ちを否定していないか」「自分の心を大切にする感性を潰してしまったのではないか」などと考えます。

だから身動きが取れなくなってしまうのです。

また、お母さんが子どもを褒めてもそこに下心があれば、憂鬱質の子はすぐに気付きます。
「褒める」という形での価値観の押しつけに違和感を感じるのです。

一方、裏を読まない胆汁質の子はすぐに乗せられ喜びます。そしてさらに頑張るかも知れません。
多血質の子も喜びますが、喜ぶだけで行動にはつながりません。
粘液質の子は褒めてもあまり喜びもしません。
嬉しくないことはないのですが、でも、自分がやりたいからやっているだけのことなので、人の評価は関係がないのです。

ただし、私がブログで書いていることは、話を分かりやすくするため、それぞれの気質の特徴を強調し、パターン化しています。

実際にはもっと多様性があります。

***************

気質の勉強会は茅ヶ崎で月一でやっています。

9月は7日(土)です。

<会場>
 JR茅ヶ崎駅の改札(一つしかありません)を出て、右側に行き、階段を降りず
にそのまま外に出て、左に曲がる道をそのまま行き、突き当たったビルです。
 壁に「市民ギャラリー」と書いてあるビルの5Fの創作室Aです。
部屋は「ポランの広場」という名称で取ってあります。

<参加費> 
2000円 当日お支払い頂きます。

子育ての勉強会は今年はお休みしています。

あと、「からだの会」というのも月一でやっています。






Last updated  2019.08.20 08:47:07
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.19
カテゴリ:カテゴリ未分類
「気質のワーク」、呼んでいただければどこへでも行きますよ。
詳しくは
http://www002.upp.so-net.ne.jp/nenemunomori/mokuji5.htm
をご覧になって下さい。

***************

気質の本などを読むと、胆汁質の特徴として「怒りやすい」と書いてあります。私が昔読んだシュタイナー系の気質の本にもそう書いてありました。

私も、胆汁質の特徴として「怒りやすい」と書くこともあります。

そのためか、気質のワークをすると「私は怒りっぽいので胆汁質かも知れない」というようなことを言ってくる人がいます。

その一方で、「胆汁質はリーダーに向いている」とも書いてあります。

でも、「私は怒りっぽいので胆汁質かも知れない」と言ってくるようなお母さんは、とてもリーダーに向いているようには見えません。

そもそも、「怒りっぽいリーダー」なんてイヤでしょ。

実は「胆汁質は怒りやすい」というのは誤解なんです。

さらに、もう一つの誤解も加わっています。それは「私は怒りっぽいので胆汁質かも知れない」と言ってくるような人の怒りは本当の意味での「怒り」ではないということです。

そのような人が「怒り」だと思い込んでいるのは、単なるイライラに過ぎないからです。
そしてその「イライラ」の原因は心とからだがいっぱいいっぱいだという状態の現れに過ぎません。

ほとんどの人は、心とからだがいっぱいいっぱいになってしまったら、イライラしてくるのです。そしてこれは、動物としての自然な生理現象であって「気質」の表れではありません。

そして、イライラしている人はちょっとしたきっかけがあれば「怒り」を爆発させるのです。

「子どもにとっては当たり前の行為」であると頭では分かっていても、子どもが言うことを聞かない、子どもが洋服を汚した、子どもがご飯をちゃんと食べないなど、「子どもが自分に対してさらなる負荷を押しつけるような行為」をすると、理性を超えて「もうやめて」という感情が「怒り」として爆発してしまうのです。

これは「怒り」ではなく「悲鳴」です。もちろん、胆汁質の特徴としての「怒り」でもありません。


胆汁質の特徴としての「怒り」にはちゃんと原因があります。そして、その原因を取り除けば解決することが出来ます。
からだがいっぱいいっぱいの時の「イライラ」は子どもが泣いて謝っても収まりませんが、「原因のある怒り」は問題が解決すればスッと収まるのです。

それと胆汁質の特徴としての怒りは、「理不尽なこと」に向けられることが多いです。

人をいじめる人、社会ルールを守らない人、自分勝手な人、責任感のない人、言い訳をする人、何かを押しつけてくる人、自分の自由を奪おうとしてくる人、に対して強い怒りを感じる傾向があるのです。

ですから、子どもが洋服を汚してきてもそれだけでは怒りません。でも、そこで子どもが言い訳をすると怒ります。

でも、子どもが素直に謝れば即座に怒りは収まります。ニコッとして、「分かればいいんだと」と言うこともできます。胆汁質の人は感情を引きずらないのです。

また、このような特徴があるから、リーダーにも向いているのです。

(ただし、だからといって胆汁質の人が「正義の味方」だということではありません。あくまでも自分の価値観を基準にして「理不尽」と感じたことに対して怒るだけだからです。ヤクザの親分だったら警察の理不尽なやり方に腹を立てているかも知れません。)

その点、憂鬱質の人は負の感情を引きずります。一度怒ったら、しばらくは「怒った顔」が元に戻りません。

そして、胆汁質の人はそんな憂鬱質を見ているだけで腹が立ってきます。胆汁質の人には感情を引きずる感覚が理解出来ないからです。

またそれとも関係していますが、憂鬱質の人は失敗した時のことをいつまでも忘れません。そして、また失敗するのではないかといつも不安を感じています。

成功したことがあっても、成功した時のことは「まぐれ」として処理してしまい、失敗した時のことだけをちゃんと覚えているのです。

それに対して、胆汁質の人は「失敗した時」のことはすぐ忘れて、「成功した時」のことしか覚えていません。

だから危機管理能力は低いです。ギャンブルでの「たった一度の勝ちの喜び」を忘れることが出来ずに泥沼にはまってしまうこともあります。

一度勝った後はズーッと負け続けているのに、勝った時のことしか覚えていないので止められないのです。






Last updated  2019.08.19 08:04:23
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.18
カテゴリ:カテゴリ未分類
一般的に、ものを作る時には、木や鉄や石などを使うことが多いです。そして、それらの特性は全く異なります。

でも、それらがどのような形になるのかは作り手次第であって、全く異なった材質なのに、同じものを作ることも出来ます。

たとえば、木でも、鉄でも、石でも、イスは作れます。スプーンも、カップも、家も作れます。

でも、同じ用途のものであっても、そのものの材質が異なれば扱い方が異なります。使い方も、使い心地も違います。

木のスプーンは湿気を吸いやすいです。汚れやすいです。ちゃんと手入れしないとすぐにかびたり腐ったりします。また、強度は弱いです。
でも、軽くて、風合いがあって、手になじみやすいです。色を塗ったりもしやすいです。

漆を塗れば何百年も持たせることが出来ます。

これは「木」という材質自体の持つ特性なので、木が、スプーンでなくて、イスや、カップや、家になっていても同じことが言えます。

鉄のスプーンは強いです。水に濡れたままにしておくと木と同じように腐りますが、油を塗ったりして表面を保護すれば、これも何百年も持ちます。
強度があるので多少乱暴に扱っても壊れにくいです。ただ、木のように装飾するのはなかなか困難です。色を塗っても塗料を吸い込まないので、すぐに剥がれます。
また重いです。

一番手入れに気を遣わないでいいのが石のスプーンです。湿気があるところに置いておいても腐りません。でも壊れやすいです。

餅つきの臼には木のものと石のものがありますが、木の臼はちゃんと手入れをしておかないとすぐにカビが生えたり腐ったりしてしまいます。でも、石の臼は野ざらしにしておいても、使う時に洗えば大丈夫です。

このようにそれぞれの素材にはそれぞれの特性があります。そしてその特性に合わせてそれらの素材を使うのなら、その素材の能力を最大限に生かすことが出来ます。


そして、「気質」はこの「素材」のようなものです。生まれつきの心や、感覚や、からだの特性を分類したものです。

「素質」や「個性」と呼ばれるものともつながっています。

子どもはみな同じ状態で生まれてくるのではないのです。
オギャーと産まれた時点で、もっと言えばお腹の中にいる時から、一人一人みんな「特別な個性を持った存在」なんです。

それは子育ての結果ではないし、子育てでどうこうできることでもないので、それはそのまま肯定して、受け入れるしかないのです。

親の役割は、子どもが自分の気質や、個性や、特性を生かせるような生き方が出来るように支えてあげることです。



何人かの職人に同じ木を与えて何かを作ってもらったとしても、実際に何が作られるかは職人さん次第です。
家を作る人もいるかも知れませんが、パルプにして紙を作る人もいるかも知れません。

そして、その職人さんにあたるのが親や成育環境になります。

ですから、親は気質を変えることは出来ませんが親の役割は非常に大きいのです。

実際、同じ気質の子でも、親や成育環境が異なれば、見かけ的には全く異なった状態の大人に育ちます。

「憂鬱質」という材質の特性を無視して「強い子に育て」と願い、鉄を鍛えるように鍛えようとしたら、簡単に折れてしまうでしょう。

でも、同じ憂鬱質の子でも、強さを求めるのではなく、そのデリケートさや優しさを生かすような育て方をすれば、自分に自信があり、思慮深く、優しい人に育つでしょう。

素材の特性を無視して「自分が作りたいもの」を無理矢理作ろうとすれば、何かの形になる前に壊れてしまうこともあります。

子どもが「どういう大人に育つのか」という点において親の影響はものすごく大きいですが、親がどんな育て方をしても、子どもが持って生まれた材質自体を変えることは出来ないのです。

そして変えようとしてはいけないのです。

そんなことしたら子どもは「自分が否定された」と感じるだけです。
自分が否定されていることを感じながら育った子が自分を肯定できる大人になることが出来るわけがないのです。






Last updated  2019.08.18 06:59:20
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.17
カテゴリ:カテゴリ未分類
「憂鬱質の子は臆病だ」という印象がありますが、これは誤解です。

「憶病」なのではなく「デリケート」なんです。

その背景にあるのは「他の気質の人との感覚の違い」であって、「憶病」というような「性格の違い」ではないのです。

人はどの気質の人でも、自分の許容できる範囲内の刺激ならイライラしないし、不安や恐怖も感じません。でも、どの気質の人でも、自分の許容量を超える刺激に対してはイライラしたり、不安や恐怖を感じます。

ですから、この点に関しては気質の違いはありません。

問題はその許容量が気質によって大きく違うということなんです。

一番強い刺激に弱いのが憂鬱質です。そして、一番強いのが胆汁質です。

そして、理解して欲しいのは、この「気質の許容量の違い」は「感受性の違い」でもあるということです。

憂鬱質の人は単に刺激の許容量が少ないのではなく、かすかな刺激も感じ分けることが出来る感性を持っているのです。


私たちは、音などの刺激が変化していった時、その変化を感じ取る能力を持っていますよね。だから、「音が小さくなった」とか、「大きくなった」ということを認識できるわけです。

その時、憂鬱質の人は胆汁質の人には感じ分けることが出来ないような小さな刺激の変化でも感じ取ることが出来るのです。

なぜなら、感受性のメモリが細かいからです。
でも、それを感じ取れない人には「憶病だ」とか「神経質だ」と言われます。

また、メモリが細かい故に大きな刺激は量れません。
ミリグラムという重さまで正確に測ることが出来る秤では、何トンという重さのものは測れないのです。
そんな重さのものを載せたら、秤が壊れてしまいます。

重いものを量る時には重いもの用の秤が必要になるのです。そしてそれが、胆汁質の人の感覚です。

ですから、この違いは用途(適性)の違いに過ぎません。

でも、胆汁質の人は自分の「鈍さ」を「強さ」だと思い込んでいます。そして、自分にとっては大して重くもない物にヒーコラ言っている憂鬱質に、「なんだこれくらいで音を上げて、だらしないぞ、もっとガンバレ」などと発破をかけます。

でも、憂鬱質の人には頑張るという能力があまりありません。「頑張らなければ」という気持ちを持っても、実際には胆汁質のように頑張れないのです。

なぜなら、感受性がデリケートなので、無理して頑張るとその感受性が傷つくからです。


憂鬱質のそのデリケートな感受性は「頑張るためのもの」ではなく「味わうためのもの」なんです。

逆に、強い刺激が心地いい胆汁質の人は、頑張ることを楽しむことが出来ます。

でも、胆汁質の人も憂鬱質の人もそのようなことを知りません。
そして、胆汁質の人も憂鬱質の人も、憂鬱質のデリケートさを「弱さ」だと思い込んでしまっています。

そのため、憂鬱質の子を見ると、「もっと鍛えて強くしなければ」と子どもを追い立てます。

強い刺激が苦手で恐怖なのに、「慣れなさい」と無理に強い刺激のところに連れ出します。

でも、感覚の特性はその子の命の働きと密接につながっているので、叱っても、叩いても、説得しても変えようがありません。

でも、そのことを知らない大人は「もっと無理強いすれば・・・」と考え、子どもを追い立て、子どもを変えようとします。その繰り返しで、子どもは憶病に、そして恐がりになっていくのです。

憂鬱質だから憶病で恐がりなのではなく、周囲の大人が憂鬱質の子のデリケートさを理解しないから、憶病で恐がりな子に育っていくのです。

ですから、憂鬱質の子でも、9~10才頃までそのデリケートな感受性を守られて育った子は憶病でも恐がりでもありません。

ちなみに、憂鬱質の子にとっては人工的な機器が作り出す刺激は強すぎます。刺激の強いゲームで遊ぶだけで憂鬱質の子の感受性は傷つくと思います。

そして、憂鬱質の子のよさが失われます。






Last updated  2019.08.17 08:00:02
コメント(0) | コメントを書く

全5120件 (5120件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.