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昨日書いたように、私たちは「人と人のつながり」を断ちきって、物やお金に依存させようとする大きな流れの中で生きています。
直接「人と人がつながる社会」ではなく、「物やお金を介して人がつながる社会」の方が経済効果が高いからです。それがアメリカによって象徴される今までの資本主義の姿です。 アメリカは移民の国ですから、言葉も価値観も宗教も異なる人たちが一緒に暮らしています。そんな人たちが一つにつながり、大きな国を作るためには、物やお金という「心とは無関係の物」でつながる必要があったのです。「物」や「お金」に対する価値観を共有する以外に、多様な価値観の人たちがつながる方法がなかったのです。 でもその「資本主義の形」が、「強い軍事力」や「強い経済力」と共に、貧しい国々へ流れて行った時、その土地のそれまでの「人と人のつながり」がアッという間に崩壊してしまいました。アメリカのような豊かさを求めて、アメリカのような資本主義の形を取り入れれば、必然的に人と人のつながりは切れてしまうのです。 その結果、アフリカなどでは悲惨な状況になってしまっています。 でも、日本は積極的にアメリカの真似をしました。そして、アメリカの形を取り入れるために意識的に人と人のつながりを切ってきました。それほどアメリカに対するあこがれが強かったのです。 でもそのお陰で、みんなが物やお金に依存する社会を作ることに成功しました。そして、ものすごい勢いで経済は成長し、アメリカに追いつくことが出来ました。 アフリカやその他のアジアの国が、内戦状態に陥ったり、日本のような急激な経済発展を遂げることが出来ないのは「アメリカに対する強烈なあこがれ」がないからです。日本の場合は、昔から伝わってきた人と人のつながりは切れましたが、アメリカに対するあこがれだけはみんな共有していたのです。だから内戦にはならなかったのです。 私が子どもだった昭和30年代は、そのアメリカへのあこがれが非常に強烈な時代でした。今でもその感覚を覚えています。 でも、近年その「アメリカへのあこがれ」は急速に萎えてきています。それは人々をつないでいた「共通の価値観」と「目標」を失ってしまったということを意味します。でも、人々の「つながり」は失われたままです。 そして、つながりから切り離された「バラバラな人たち」は未来の姿を描くことが出来ずに右往左往しています。 日本はアメリカに近づくことは出来ても、決してアメリカに追いつくことは出来ません。なぜなら、アメリカで生きている人たちは、バラバラな社会で「個」として生き抜くための能力を身につけていますが、日本人にはその能力がないからです。ただの烏合の衆なんです。日本の政治を見ているとそのことがよく分かります。 それが「歴史があるバラバラ」と「歴史がないバラバラ」の国の違いです。 でも、そんな状況の中でもヨーロッパは比較的まだつながりを大切にする価値観、人と人がつながることが出来る社会を維持しています。 それは多くの移民を受け入れながらも、母胎となる歴史や民族や生活や価値観やつながりがしっかりとしているからです。また、アメリカに対して批判的な価値観を持っていることも影響しているでしょう。 古い歴史を受け継いできたヨーロッパでは「バラバラ」は受け入れがたいのです。なぜなら人々がバラバラになることで、自分たちが祖先から受け継いできた宝物が失われてしまうことを良く知っているからです。それが「無」から始めたアメリカとの決定的な違いです。 それは長い歴史の中でバラバラになりそうな危機を何度も乗り越えてきた民族の智恵なのでしょう。ヨーロッパの国々の歴史は、外敵によってバラバラにされないように民族や国を守ってきた歴史なのです。 でも、日本は海に守られてきたので「バラバラになることへの抵抗感」があまりありません。「日本に住んでいれば、みんな同じ日本人」という安心感があるのです。日本に住んでいる限り、日本人は分かり合える、という根拠のない信仰のようなものがあるのです。 日本人は、民族がバラバラになることへの不安など考えたこともなかった、世界的に希有な民族なんです。 だから移民を受け入れたくないのです。その信仰が失われてしまうからです。 でも、現実には今日本人はバラバラになってしまっています。日本人であるというだけではつながり合うことが出来ない時代になったのです。 今私たちには、人と人をつなぐ新しい価値観が必要なのです。私は「言葉」と「自然」がその価値観になり得ると考えています。なぜなら、日本人はまだ「言葉」と「自然」への感受性だけはかなり共有しているからです。 右翼的な人たちは「日本」という国への忠誠心によってつながりを取り戻そうと考えていますが、それは無理です。日本人はもともと「国」という意識自体が希薄な民族だからです。昔から、日本列島そのものが「日本」という国だったのです。それがバラバラになる危機に直面したことのない民族の意識なんです。 だから他の国の人のように、素直に国家や国旗に敬意を払うことが出来ないのです。これは強制しても無駄です。日本人は日本語や日本の自然は大好きですが、近代国家的な意味での「日本」という国にはあまり愛着がないのです。そういう歴史の国なんです。 日本人は「日の丸」より「富士山」の方が好きです。 ********************* さて、ここでみなさんに質問です。 子どもはなぜ大切なんですか。 可愛いからですか。 親の願いを叶えてくれるからですか。 いろいろと親を助けてくれるからですか。 老後の面倒を見てもらえるからですか。 経済活動に貢献しているからですか。 みなさんのお考えをお聞かせ下さい。 もしかしたら私たちは「子ども」という存在の本当の意味を理解していないのかも知れません。だから子どもたちが大切にされていないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
子供はなぜ大切か…
未来だから、パワーだから、まわりを照らすエネルギーだから…?うまく説明できませんが… 森の声さんがあげた理由ではないな、と思いました (2009.12.17 10:01:20)
<子どもはなぜ大切なんですか。
子どもの澄んだ心・無邪気さは、親や大人にとって、私はご褒美だと思っています。(幼稚園くらいまでは・・ですかね) 成長していくにつれて、あの頃の天心が・・・と嘆かないように、今を大切にしたいと思っています。まだ5歳です。 子どもがしっかりした人間に自立させるために、周りの大人たちは、子どもを大切になければならないと思います。 自立した大人に育てることが、人と人へのの大切なつながりを構築できるのではないかと思います。 (2009.12.17 10:17:56)
私も、無駄なことに見えることが実はとても大切だと感じています。でも、それを感覚的、直観的に理解しあえる仲間が、周囲にとても少ないことを痛感しています。ファッションや流行で話題を共有することを好む人がとても多いなと感じます。
「こどもがなぜ大切か?」 私は、自分が「生きる」ことを映し出す鏡みたいなもの、おかげでたくさんの気づきをもらっていると感じています。もし、こどもがいなかったら・・・今の自分はどんなだったのか?と思うと、想像できません。 「生きる」ということを考えること自体が、ダサいと感じる人が多く、今、楽しいことを追求し、やがて誰にでも訪れる「死」に向かっていることは忘れたい、排除したい人が多いのかなと思います。 このブログでも、たくさんの気づきをいただいています。ありがとうございます。 (2009.12.17 10:32:01)
皆さんに比べると、私の考えているこたえは即物的かもしれません。
私は一本の糸を想像しています。その糸は血のつながり、家族のつながりの系譜です。 糸はいろいろな色に染められています。一本の長い糸は一族が伝えてきた文化です。その時代時代でさまざまな色を見せます。 たくさんの糸が並ぶ織物、横糸の並びに浮かぶ模様はその時代の文化です。 縦のつながり、横のつながりがやがて大きなタペストリーになって行きます。それが歴史です。 子どもは私の持っているものを受け継ぐ次の糸。 私の持っている有形無形の文化を次の世代に受け継いでいって欲しい、伝えてくれる器が「子ども」だから、それは私にとって「希望」なのです。 知識も、美意識も(人によってはそれは財産なのでしょう)私限りで終わるものならば、この世に何の喜びもないと思います。 だから、子どもは大切です。 (2009.12.17 11:04:01)
はじめまして。
子供はなぜ大切なのか? それは、自然そのものだから、と思います。 子供を大切に出来ない社会は、 自然も大切に出来ない社会ではないでしょうか。 経済活動ばかりに、目を向けないで、 子供の育ちや教育をもっと大切に大切にしてほしい。 (2009.12.17 11:20:31)
大人は世の中を上手く渡っていくために社会に合わせます。でも、社会の変化に比べて、生物としての人間の変化の速度はずっと遅いです。例えば、人間は感じを味わってから、反応するのが自然なのに、効率を求める余り、感覚を殺して素早く反応しなければならないのが今の社会です。そして、めまぐるしく変わる社会に合わせるあまり、人間の自然界の生物としての性質にとっては無理が生じることをやり過ぎて、心も体も不調になります。不調だと言うことも気付か無い人の方がずっと多いので、不調を感じる人の方が異常である(病気である)という、へんてこな社会になっています。不調を気付かない方が多数派なので、へんてこ社会を人間に、自然に調和させようという方向に行きません。
でも、子どもはまだ、めまぐるしい社会との接触が大人より少ないので、子どもを見れば、人間としての自然な状態に気付くことが出来ます。そして、本当にあるべき社会とはどんなものかをイメージできます。 (2009.12.17 11:24:22)
的はずれな回答かもしれませんが、「子どもはなぜ大切か」と考えていくと、私の場合、大切なのは子どもに限ったことではなく、家族であり、友達であり、自然すなわち地球であり、いろんなものではないかと思いました。
特別に、子どもが大切にされないのではなく、何かを大切に思う気持ちが薄れてきているのではないかと思いました。 よくわかりませんが、それが「つながり」というものですか? (2009.12.17 11:32:33)
子供はなぜ大切か?
・親、周囲を育ててくれる ・未来の宝物 ・周りをつなげる触媒 ・パワーの源("子供のために"で動く事がたくさんある。) 子供がいなくなると廃れていくのだと思います。 (2009.12.17 12:05:37)
「子供は神の子だからです。全ての子は神の使命を帯びてこの世に生を受け、その使命の実現が人の社会をより良い方向に動かすから」
キリスト教の考え方が大きく入った私には、日本では異端でしょうがこのように思えます。 儒教では、目上目下・親子と縦の結びつきが階層を組み立てますが、キリスト教では神の前では親子でも全て神の子としてフラットな関係です。 これが「個」を大切にするベースにあり、神の声である心に浮かんだ「・・したい」を実現する為には、親子などの縦のしがらみが少ない方がいいです。 人の親になりましたが、神からその子の一時期の養育を託されただけだと思っています。だから子供たちに老後の面倒をみて欲しいとはあまり思っていません。神様からのお願いである心の声に従って頑張ってる姿を近くで見れる子とで十分です。 (2009.12.17 12:44:45)
子どもを大切に思うのは「本能」だと思います。
人の「生」に対する思いは、とても強いものです。 だから「無」や「孤独」は怖いのだと思います。 子どもからは強い「生」を感じる事が出来るので安心できるのではないでしょうか。 私は毎日同じ仕事や生活の繰り返しに不安を覚え、自分が年齢を重ねるに連れて出産できる可能性が下がっていく事に対して不安になりました。 その先に待っているのは、孤独だと感じたからです。 家族を持ち、子どもの成長を通して毎日が新鮮で、家族や周囲とつながっている安心を得ることができました。 (2009.12.17 13:14:46)
何事にも全身全霊で向かい合う姿を見ると、大切にしないわけにはいきません。
それは自分の子に限らず、どこの子どもでも同じです。 子どもが私と向かい合うとき、何かに取り組んでいるとき、その純粋で一直線な姿を見ると、大切にしてあげたいと思います。 でもそれは大人相手でもかもしれません。 全ての気持ちを向けてぶつかっていく様を見ると、心に響くのは年齢を問いませんものね。 自分の子どもに限ると、私のことを自分の魂の一部のように感じてくれている子どもなので、大切でないわけがない、状態です。 (2009.12.17 13:20:23)
ちょっとつけたしです。結局は先ほどと同じ事なのですが、
「つながり」に絞って言えば、子どもは人とつながっていないと生きていけないからです。 大人になると、人間関係が希薄でも、生きていけないことはないですが。 (2009.12.17 13:24:47)
もうすぐ、降誕祭(クリスマス)。
救い主が、筋肉隆々&饒舌な成人でなく、おさなごの姿で現れたことを 心に刻みたいと思います。 「子ども」という存在の本当の意味を、私は理解していないかもしれません。 ちょっと怖いです。 (2009.12.17 15:10:00)
私にとってなんで大切なのかな?って考えました。
正直、「大切」って考えたことがありません。 というか、当たり前に 無条件に愛を感じる存在。 子供がいつ、何時でも楽しく笑顔ですごしていける人生が願いです。 (2009.12.17 15:16:00)
私達の未来だから、
そして 失った自分=自分がこどもの頃に得られなかった安心を与えることができる(または与えられる可能性のある)希望の存在 だと思います。 こどもを大事にすれば、私達大人の社会も文明的にレベルアップできるからだと思います。 (2009.12.17 20:17:02)
森の声さんからの問いかけが、心からはなれません。
ので、再び・・・。 親は子どもの世話をしていますが、子どもが親を 親にしてくれます。 子どもは、私たちにとって愛の対象・愛そのもの・授かりものであり、唯一無二の存在・・・かなぁ。 今の私は 自信なく、本当の意味を理解していないから、子育てが苦しい時があるのかもしれません。 考える機会をくださって、ありがとうございます。 (2009.12.17 23:40:15)
神さまからの あずかりものだからです☆ (2009.12.18 00:18:24)
たくさんのコメント有り難うございました。
みなさんの子どもに対する温かい「想い」を感じ、幸せな気持ちになりました。 (2009.12.18 09:26:32)
さっき、なんで大切なのか?って又頭の中に浮かんじゃいました(笑)
愛を感じる、大切って「今」感じてるのと、赤ちゃんの頃に感じているのと違うなって再確認しました。 特に主人は今が本当に楽しそうです。赤ちゃんのときは「あ~なんか小さいのが寝てるな」とか「動きがおもしれー」とか、今とは本当に違いますね。 「存在そのもの」が愛おしいみたいです。 愛の中の大切って感じれるのは 今まで一緒に色んなものを「感動」した(喜怒哀楽)事から生まれてきたものなんだと先ほど思いました。 (2009.12.18 10:10:05)
ぐりぐりさん
>愛の中の大切って感じれるのは >今まで一緒に色んなものを「感動」した(喜怒哀楽)事から生まれてきたものなんだと先ほど思いました。 ----- 特に男性の場合はそうですよね。 お腹を痛めていませんから。 (2009.12.20 10:46:27) |