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「ひとの目」を卒業… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

2009.12.18
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「子どもはなぜ大切なのか」という問いかけに大勢の人からコメントを頂きました。有り難うございます。量が多いので一人一人へのご返事は出来ませんがここでお礼を申し上げます。

「子どもは大切な存在だ」ということに対して異論を唱える人は多くないと思います。でも、「その理由は?」と問うと、こんなにも多くの理由があるのです。

実はみんなが「当たり前」だと思っていることほど、一人一人そのものへの考え方や想いは異なっているものなんです。でも、みんなその「異なっていること」に気付かないまま、それを「当たり前のこと」として話をしているので、話がかみ合わないのです。

幼稚園や学校などで子どものことを話していても、何となく話がかみ合わないことがありませんか。そんな時はその人とあなたの「子どもはなぜ大切なのか」という理由が異なっているのです。

子供はなぜ大切なのか?
それは、自然そのものだから、と思います。

(まいんさん)

という想いを持った人同士は感覚も、意見も合うのです。想いを共有しているからです。

でも、「大切だということは分かりますが、子どもなんか嫌いです」という人とは話が合わないでしょう。理屈では大切だと分かっていても「私には大切ではない」という人もいっぱいいますから。

でも、この「なぜ子どもは大切なのか」という問いに、正解はありません。
皆さんが書いてくださった全ての「想い」や「考え」が正しいのです。
ですから、私はこの中から正解を選ぶなどというようなことはしません。それは「世界で一番うつくしい花」を決めるのと同じように無意味なことだからです。それは一人一人違うのです。

でも、それで終わってしまったら、この問いの続きを楽しみにして下さっている方に申し訳ないので、皆さんの「想い」や「考え」に少し分析を加えてみます。

頂いたコメントを分析してみると「私にとっての意味」「私たちにとっての意味」に分けることが出来ます。

そして「私にとっての意味」はその全てが「私の想い」や「私の体験」から生まれています。

「せいてんさん」の
子どもの澄んだ心・無邪気さは、親や大人にとって、私はご褒美だと思っています。(幼稚園くらいまでは・・ですかね)

とか、「あいあいさん」の
私は、自分が「生きる」ことを映し出す鏡みたいなもの、おかげでたくさんの気づきをもらっていると感じています。もし、こどもがいなかったら・・・今の自分はどんなだったのか?と思うと、想像できません。

などもその「私にとっての意味」です。

この「私にとっての意味」は全く人それぞれです。その人の今まで生きてきた人生そのものがその「私にとっての意味」の中に含まれているからです。当然、正解などあるはずがありません。

それに対して「私たちにとっての意味」という視点もあります。

「亮月庵さん」が書いてくださった
私は一本の糸を想像しています。その糸は血のつながり、家族のつながりの系譜です。
糸はいろいろな色に染められています。一本の長い糸は一族が伝えてきた文化です。その時代時代でさまざまな色を見せます。
たくさんの糸が並ぶ織物、横糸の並びに浮かぶ模様はその時代の文化です。
縦のつながり、横のつながりがやがて大きなタペストリーになって行きます。それが歴史です。


という「理由」は、「私たちにとっての意味」です。
でも、その「私たちにとっての意味」にも二種類あります。

それは「事実」「想い」の二種類です。
「亮月庵さん」が書いてくださったことは一つの「事実」です。ですから、他の人もこれを認めないわけには生きません。

それに対して、
「のりまきターボさん」が書いてくださった、
「子供は神の子だからです。全ての子は神の使命を帯びてこの世に生を受け、その使命の実現が人の社会をより良い方向に動かすから」

ということも「私たちにとっての意味」ですが、その内容は「事実」ではなく、「想い」です。その「想い」を共有している人には「事実」ですが、その「想い」共有していない人に対して証明できることではありません。

そして、「私にとっての意味」と「私たちにとっての意味」の両方において「想い」を共有出来る人たちは「仲間」です。ですから、この「仲間」の間でなら言葉が通じます。

でも、「想い」を共有できない人との間では話し合いが出来ません。
「想いを共有できない人」と話し合うためには、「事実」を基に話し合いをしないことには対立が深まるばかりです。


この三つの視点はどれも大切です。
「私にとって」という意見や感想や考えを持つことは、人が自立して自覚的に生きるために必要なことです。

「私たちにとって」という「想い」を持つことは、仲間とつながり、共同体を支えたり、社会や世界を変えていくために必要なことです。

でも、それだけでは「異なる想いを持つ人たち」との間で対立が深まるばかりです。
だから「平和への想い」が、逆に戦いを生みだしてしまうことがあるのです。

自分とは異なる想いを持つ人たちと対話し、理解し合うためには「私たちにとって」という視点に立った「事実」が必要なんです。自分の想いをその事実とつなげて話をすることが出来る時、人は自分の想いを他の人にも伝えることが出来るのです。

このような視点は、仲間内だけでしか自分の考えを語らない人には必要がないかも知れませんが、幼稚園や学校という場で、みんなで子どものことを話し合うような時には絶対に必要になります。そうでないと、人間的な力関係だけで議論が流れてしまい、子どものためにならない結果につながってしまうことがあるからです。

政治家達もそれぞれ「子どもへの想い」があり、それに基づいて政策を決めているのだろうと思います。でも、その想いは「実際に子どもが生きている事実の世界」とはつながっていません。だから子どもたちが苦しくなってしまっているのです。

「大人の想い」は大人だけのものであって、それにこだわっている限り「子どもの想い」は見えてこないのです。そして時として「こどもの想い」と対立してしまいます。そして、「こんなにもあなたのことを心配しているのに」と子どもに「想い」を押しつけることになってしまいます。

その「子どもの想い」に気付くためには、一度「大人の想い」を忘れて、「実際に子どもが生きている事実の世界」に気付くことから始める必要があるのです。

「ねずみさん」が
私達の未来だから、
そして失った自分=自分がこどもの頃に得られなかった安心を与えることができる(または与えられる可能性のある)希望の存在だと思います。


と書いてくださった「想い」など子どもは理解できないのです。
むしろ時として、子どもはその「大人の想い」に束縛を感じて苦しくなります。

念のために書いておきますが、だからといって、その「想い」が間違っているということではありません。その「大人の想い」が大人の心を支えているのですから。ただ、それは「大人の想いに過ぎない」ということです。


ということで、「なぜ子どもは大切なのか」ということに対する私の考えは明日書かせて頂きます。

私は「子どもの想い」の中に、「子どもはなぜ大切なのか」という理由を探してみたいと思います。

「子どもの想い」は基本的に世界中で共通しています。ですから、「子どもの想い」は「想い」でありながら、個人的なものではなく人類が共有している「事実」でもあるのです。

その事実に目を向ける時、「なぜ子どもが大切なのか」ということに対する、新しい「意味」が見えてきます。






Last updated  2009.12.18 11:48:32
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