森へ行こう(心とからだと子育てと)

2011/04/16(土)09:21

「科学の進歩は兵器の進歩」

今日はちょっと中途半端な文章になってしまいましたがお許し下さい。 ***************** 人類にとって科学の進歩はそのまま兵器の進歩と直結していました。これは分離することが出来ません。 人間は最新技術が発明されると、すぐにそれを兵器に利用してきたのです。逆に、最新兵器の研究が生活につながる最新技術へとつながることもあります。 私たちは「科学技術の進歩」を喜びますが、それは同時に「兵器の進歩」と同じ意味なのです。ですから、科学というのは人類を救うことも、滅ぼすことも出来る「両刃の剣」なのです。 ボタン一つで大量に物を作ることが出来るシステムに使われている技術は、同時に、ボタン一つで確実に大量の人を殺すことが出来る兵器を作る技術と本質的には同じなのです。私たちはそのことを忘れてはいけないと思います。 実際、電子レンジのボタンを押すことと、核ミサイル発射のボタンを押すことの間に何ら物理的な違いはないのです。そこにはただ、意識の違いがあるだけです。 時には、そのボタンを押す人に罪悪感を持たせないような仕組みまで考えられています。それは例えば、朝、ご飯を温めようと電子レンジのボタンを押したら、核ミサイルが発射するようなシステムです。 赤ちゃんがガラガラを振るたびに爆弾が破裂するシステムも作ることが出来ます。 このようなシステムでは誰も「人を殺す事への罪悪感」を感じなくて済みます。実際、このシステムは死刑執行でも使われています。 死刑執行のボタンは複数(5個?)あって、どれか一つだけが機能しています。それを5人で押すのですが、誰が押したボタンが死刑を執行したのか分からないような仕組みになっています。 そのようにして、「殺す人」の心理的負担を減らそうとしているのです。 もし、この「死刑執行のボタン」があなたの家の電子レンジとつながっていたらどうしますか。技術的には不可能な話ではありません。 地球温暖化の問題では実際にそれに近い状態になっています。 また、ちょっとしたミスで多くの人が死んでしまうこともあります。技術者が原発の配線をちょっと間違えただけで大勢の人が死んでしまうこともあるのです。 この際、その技術者はミスをしたかも知れませんが、人を殺したわけではありません。じゃあ、死んでしまった人は誰が殺したのかというと、その当事者がいないのです。

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