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森の声

2011.09.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類
この世界には「善なる世界」と「悪なる世界」があります。「人間の世界」はこの二つの世界の間にあります。そして、「善」に向かう人もいれば、「悪」に向かう人もいます。また、「善」と「悪」の間でフラフラしている人もいます。

その「善」や「悪」の具体的内容はそれぞれの時代や文化によって、また個人個人でも異なりますが、でも、心の中にこの相反する二つの働きがあるというのは全ての人に共通なのではないでしょうか。

でも、幼い子どもの心の中にはまだ「善」も「悪」もありません。心がまだ二つに分離していないのです。

だから、「善」と「悪」の間で悩むこともありません。

でもそれ故に、仕付けなどで幼い子どもに善悪を教えようと思っても無駄なんです。また、「反省しなさい」とか「こういうことは悪いことなんだよ」などという言葉は理解することが出来ません。

子どもたちが滑り台などに並んでいる時に、平気で横入りする子に対して「並ばない子は悪い子なんだよ」と言って仕付けようとしても無駄だと言うことです。

そういう時は「善悪」で説明するのではなく、ただ「みんなが待っているから並びなさい」とだけ言えばいいのです。

「こんな事をするのは悪い子だ」というような叱り方をしていると、子どもはその「行為」ではなく、「自分の存在そのもの」が否定されていると感じてしまいます。

そのため「行為」が直らないばかりか、自己肯定感まで失っていきます。

ではどうして子どもの心には「善」も「悪」もないのか、どうして大人になると心の中に「善」と「悪」という二つの世界が現れるのかと言うことです。

人間にとって「善なる世界」とはみんなを大切にする世界のことです。その反対側に存在しているのが「悪なる世界」です。

それが人間における「善悪」の基準です。ですから、日常的に大切な仲間達と群れ遊びをしている子どもたちは、この「善悪の感覚」がちゃんと育っています。でも、仲間と群れることなく一人で遊んでばかりいる子は、この感覚がなかなか育ちません。

ただし、この「善悪」は一般的な大人の「善悪」の感覚とは同じではありません。仲間だけが基準だからです。

反社会的なことをやっている暴走族の子どもたちでも「仲間を大切にする」というレベルでの「善悪の基準」は持っています。

でも、仲間以外の人に対しては平気で困ったことをやってしまいます。

子どもたちが平気で虫などを殺すのも、虫は「仲間」ではないからです。ですから子どもに、「虫を殺すことは悪いこと」と言っても無駄です。

大人になると「虫も生き物だから」と、「虫も人間も仲間なんだ」ということが分かってくるから虫を殺さなくなるのです。それでも、ゴキブリなどは仲間扱いされないので平気で殺しています。


でも、さらに大人になると「社会的な善悪」というものも現れます。それは法律や社会的なルールを守ることで生まれる「善」です。

この「善悪」の感覚は、思春期が訪れ「社会の仕組み」というものが理解出来るようになってようやく目覚める感覚です。

それまでの「仲間を大切にする」という善悪の感覚は、感情の働きによって生まれていましたが、この「社会的な善悪」の感覚は、感情ではなく知性によって生まれます。ですから、教育の影響が非常に大きいです。

ただし、これは思春期になって「善悪の基準」が変わったのではなく、「仲間」の範囲が変わったことによって生まれた変化なのです。

子どもたちにとっては自分の「お友達」だけが仲間ですが、大人になると「同じルールを守っている人全て」が仲間になるからです。

ですから、上に書いた
人間にとって「善なる世界」とはみんなを大切にする世界のことです。その反対側に存在しているのが「悪なる世界」です。

という「善悪の定義」には変化がありません。

でも、人によってはさらに上の「善」を求める人もいます。

それは、人間だけでなく全ての生き物まで「仲間」と考えている人です。仏教における「善」とはそのようなものです。

それに対してキリスト教における「善」は人間だけを「仲間」として考えています。だから、仏教では牛や豚を殺すことは「悪」ですが、キリスト教ではそれは「悪」ではないのです。

そして、一般的な現代人もまた人間だけを「仲間」として考えています。だから平気で山を崩し、川を汚すのです。

ただし、「人間」以外でも、ペットなどのように人間に愛されているものも一応「人間の仲間」として扱われています。

ですから、山でイノシシを殺しても悪人にはなりませんが、ペットを殺すと悪人になります。

でも、それらは「自然」をも仲間として考える人々にとっては「悪い行為」なのです。でも、その感覚は自然を仲間と考えない人には分かりません。






Last updated  2011.09.02 06:50:28
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