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森の声さん

本当の幸ってなんだろう?

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2011.11.05
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現代人に求められているのは、生活の役には立たないような多くの知識と、お金や情報などを使いこなす能力であって、特別な立場の人間以外「何かを創造する能力」は求められていません。

実際、家庭でも学校でもそのようなものを育てようなどとはしていません。また、育て方も分かりません。それにそんなものを育てようとしていたら、競争社会では落ちこぼれてしまいます。

「何かを創造する能力」は他の人と比較することが出来ません。点数を付けることも、言葉で教えることもできません。塾に通わせても、お金をかけて教育しても育てることは出来ません。

昔の人は必要に迫られて、「創造する能力」を身につけましたが、何でも便利なものが揃ってしまっている現代では「創造する喜び」を体験する以外に「創造する能力」を育てようがないのです。

そしてそのためには、急がせない、束縛しない、比較しない、評価しない関わりと、素朴で刺激が少ない生活と、創造を楽しむ大人達に囲まれていることが必要です。

子どもは楽しそうに創造している大人を見て創造することにあこがれ、楽しそうに消費している大人を見て消費することにあこがれるのです。

そして、創造を喜ぶことができる人は消費に依存しません。逆に、消費に依存している人は自分で創造しようとはしません。また、自分で創ることに意味や喜びを感じることもできません。

つまり、「何かを創造する能力は」近代社会が目指してきた方向とは全く異なる方向に存在しているのです。そしてまた、人類がこれから大量生産、大量消費から脱却して目指すべき方向に存在しています。

でも、その近代社会も実際には少数の「創造する人達」によって支えられています。そういう人達がいるから毎日のように新製品が生まれたり、私たちはファッションや音楽を楽しむことが出来るわけです。

ただ、現代社会ではそのような人は少数だけいればOKです。残りの人はその少数の人達が創ったものを買うお金を持っていればいいのです。

現代社会は、少数の人達が創造したものを機械などで大量生産して、マスメディアで宣伝して、様々な媒体を通して消費者に買ってもらうことで成り立っているからです。

ですからむしろ、近代社会の「大量生産」と「大量消費」のシステムを支えるためには、「創造する人」は少数でなければ困るのです。みんなが自分でファッションを考え、自分で音楽を作り、自分で野菜を育て、自分でお料理を創作するような社会になったら、近代的な経済システムは崩壊してしまうのです。

画家は絵を買わないし、農家は他の農家から野菜を買ったりはしないのです。

近代社会を維持するためには、「創造する人」ではなく、大量の「消費する人」が必要なのです。

でも、昨日の話とのつながりで言うと、その状態が長く続くと社会全体の活力が失われ、次第に内部から崩壊していきます。人は消費するだけでは「生きている喜び」を得ることが出来ないからです。


でも、一度「大量生産」と「大量消費」に基づく社会の形ができあがってしまうと、人はその形を維持することだけに一生懸命になります。

消費することに依存している人間は消費することだけが喜びになってしまうからです。

だから、学校教育では子どもたちの「創造する能力」を育てるようなカリキュラムが全く存在していないのです。そういうことは「一部の専門家の仕事だ」というように位置づけているのだと思います。そして、買い物をするために必要なお金を稼ぐための能力ばかりを育てようとしています。

今や、そのような価値観は日本人の多くに浸透しています。そして、「どれだけお金を稼ぐことが出来るか」、「どれだけお金を使うことが出来るのか」ということがその人の社会的ステイタスを計る物差しにもなっています。

子どもたちもまた、「○○のカード(ゲーム)持っている?」「ぼく貯金が○○円あるんだ」「○○買ってもらったんだ」「この前、ディズニーランドに行ったんだ」「うちなんかバリに行って来たんだ」というような「お金に関係するような話題」で盛り上がるばかりで、昔の子どもたちのように群れて遊ぼうとはしません。

それは、遊びを知らないからだけではなく、遊びを創造することができないからでもあるのです。遊び上手な子は、遊びをいっぱい知っている子ではありません。遊びを創り出すことが出来る子が「遊び上手な子」なんです。

これは大人でも同じです。遊びをいっぱい知っている大人が子どもと上手に遊ぶことが出来るのではなく、遊びを創り出すことができる大人が子どもと上手に遊ぶことが出来るのです。

でも、保育園や幼稚園の先生ですらそのことを知らない人がいっぱいいます。
私が公民館などの企画で親子遊びの講座をやる時にも、よく担当の人から「どのような遊びをするのか教えてください」というメールが来ます。

でも、「遊び」には決まった形などありません。形をなぞるのは「作業」であって遊びではありません。講習会で教えることが出来るのは「遊びの標本」であって、「遊びの楽しさ」ではありません。

大人は「標本」でもいいのですが、子どもは「標本」は嫌います。生命が宿っていないからです。だから講習会などで学んできた遊びを、子どもたちに遊ばせようとしてもそっぽを向かれてしまうのです。

「遊び」というものは、それ自体がもともと「創造的な活動」なのです。遊びが楽しいのはそれが創造的だからです。だから形にはこだわらないのです。常識にとらわれる人間には創造は出来ないのです。(でも、常識を知らない人間も創造は出来ません。)

だからいつの時代でも芸術家は常識にとらわれないのです。






Last updated  2011.11.05 10:23:16
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