森へ行こう(心とからだと子育てと)

2013/09/26(木)10:18

「タブレット教育の問題点」(子どもの時には学力ではなく学習能力を育てるのです)

日向恵さんが あずみさん >武雄市のタブレット配布は、本当に怖い政策だと思います。長い目で見ると、字を書けない子供、本を読めない子供、作ることができない子供を量産してしまうのではないのでしょうか。 我が家のように、文字の認識が難しい子どもには、ありがたい政策です。 学校には二人とも行ってますが、アニメーションで動く画面を指で同じスピードでなぞり書きをさせ文字の書き方を教えました。 できない子には、ものすごく必要な政策です。 と書いて下さいましたので。今日はこの問題を書かせて頂きます。 科学の進歩を肯定する人たちは、必ずその科学によってもたらされる利点を説きます。科学だけでなく、経済や他のことのおいても、それを推進しようとする人たちは必ずそのことの利点を説きます。 そして、欠点は隠そうとします。 でも、どんなことにも利点と欠点はあるものです。それを理解した上で、そのものを使いこなすならそのことがもたらす問題を最小限に抑えることが出来るでしょうが、欠点に目を向けず、利点ばかりを強調してそれを推し進めていると、気付いたときには取り返しのつかないことになってしまっている可能性もあります。 臓器移植で救われる命があります。でも、その一方で臓器売買のために誘拐され、殺される子ども達もいます。 医学や薬の進歩で救われる命もあります。でも、その実験のために殺される無数の動物たちがいます。 子どもや大人の死亡率を減らすことが、食糧問題を引き起こすこともあります。 遺伝子組み換えの技術を使い病害虫や農薬に強い作物を作ることで、食糧を増産することが出来ますが、それを食べる人間の健康が損なわれることもあります。 またそれは多くの環境問題を引き起こすでしょう。 長所だけを見て、そのような欠点に目を向けない社会はやがて自滅していくのです。 でも、欠点だけを見て、何もせず、そこで止まっていては、進歩がなくなり、その場合も自滅していきます。 問題は、そのことに欲や利権や利害が絡むと、推進派の人たちはバラ色の未来ばかりを謳い、欠点を隠そうとすることです。 原発の問題も同じです。 先日も書いたように、ゲーム機にも利点はあります。特殊な能力を育てたり、病気や加齢により機能が低下してしまった人たちの機能回復のためには大きな効果を発揮します。 障害を持っている子ども達の学習や機能訓練にも役に立ちます。 でも、部分的な機能ではなく、心かからだや生命が丸ごとが育たなければいけない時期の子ども達がゲーム機以外の遊びに興味を持つことが出来なくなったら、子どもの成長に偏りをもたらすでしょう。 ゲーム機は人間の「偏った機能」にしか働きかけないからです。 「部分」だけを育てたり、「部分」だけの機能を回復させるためにはゲーム機は有効なのですが、逆にそれに依存してばかりいると「全体」が育たなくなってしまうのです。 その「全体」には「人間性」と呼ばれるものも含みます。 また、最近のタブレット端末は非常に使いやすく出来ているので、乳幼児でも、猿でも、それなりにそれを使って遊ぶことが出来るようになっています。 文字を学んだり、様々な知識を得ることや、絵を描いたり、音楽を演奏することも可能です。 確かにそれは利点です。 でも、何でも出来るということは、他の物を必要としなくなるということでもあります。 絵を描くために、紙や鉛筆や絵の具や画用紙も必要ありません。 アイデアとイメージ力さえあれば絵が描けるのです。もっとも、最近ではそれさえも必要ないかも知れません。 でも若い頃、絵描きになりたくて、毎日油絵の具と格闘していた私としては、タブレットでのお絵描きには違和感を感じます。 タブレットでのお絵描きには、アイデアやインスピレーションを形にする喜びはあるのかも知れませんが、「創造の喜び」や「達成感」といったようなものはないような気がするからです。 それは、山の頂上まで車や、ケーブルカーで乗せてきてもらったようなものです。確かに、頂上までは行けるのですが、「自分の力でここまで登ってきた」という喜びがないのです。 体力がない人や、足が悪い人にはそれでも喜びですが、でも、それを繰り返していても山登りの能力がアップするわけではありません。そのため山登りを通して成長することもありません。 絵だけではありません。最近では3Dプリンターがあるので、イメージさえあれば「作る」という作業をしなくても彫刻さえ作ることが出来ます。 でも、ここで誤解をしてはいけないのは、そのように何でも簡単にできてしまうのは、私たちの能力がアップしたからではなく、機械が手助けをしてくれているからだということです。 それはつまり、機械がなければ何も出来なくなってしまうということです。 小さいときからレゴでしか遊んだことがない子は、レゴでどんなに立派な作品を作ることが出来ても、レゴがないと遊ぶことが出来なくなってしまうでしょう。 キットを組み立てることでしか作ったことがない子は、キットがないと何も作ることが出来なくなるでしょう。 「そんなバカな」と思うかも知れませんが、子どもの能力は子どもの時の環境に合わせて特殊化され、発達するので、大きくなってからいきなり子どもの頃の環境になかったものを与えられても対処できないのです。 子どもの頃に、日本語しか必要がない環境で育てば、他の国の言葉が話せるようにはならないのです。 だから日本人は「L」と「R」の音の区別が付かないのです。 学習においても、学習が効率的に行えるのは、子ども達の学習能力がアップしたからではなく、機械の方が子ども一人一人の学習方法に合わせてくれるからです。 ですから、確かに学力は上がると思いますが、それだけに依存していたら逆に学習能力は低下するでしょう。 そのため、タブレットがない状況では逆に学習が困難になるでしょう。 最初から学習に障害のある子が、タブレットのような道具を使って学習するのはいいと思います。 でも、そうではない子の場合は、「学力」は上がっても「学習能力」は低下するからやめておいた方がいいと思います。 それは、咀嚼能力や胃や腸の消化吸収能力が低い人が点滴によって栄養を取り入れるようなものです。 咀嚼能力や胃や腸の消化吸収能力が低い人が、「点滴」という方法を使うのはいいと思います。でも、咀嚼能力や胃や腸の消化吸収能力を育てなければいけない時期の子ども達にまで、点滴だけで栄養を与えていたら困ったことになってしまいます。 実は「食べる」ということと「学習」には類似点が多いのです。 本来は、「学力」と「学習能力」は別のものなのです。それは「栄養」と「咀嚼力・消化吸収能力」の違いのようなものです。 「学習能力」(粗食力・消化吸収能力)の結果として「学力」(栄養)が取り込まれたのですが、簡単・便利に学習をサポートする道具が生まれたため、学習能力が低くても、学力だけは上げることが出来るようになったのです。 でも、「学力」は学校でしか役に立ちませんが、「学習能力」は学校以外の場でも、自分の人生を生きる場でも役に立ちます。子育てでも役に立ちます。 自分の口で食べることで「食べる喜び」を感じることが出来ますが、点滴には「点滴の喜び」がありません。ただ、栄養が入ってくるだけです。 また、人間は人間と関わりながらでないと生きて行くことが出来ませんが、現実世界で出会う人間はタブレットのようにその人の個性や能力に合わせてはくれないのです。 そのため、タブレットのような機械とのコミュニケーションにばかり依存して育った人は、人間を相手にするより機械を相手にすることを選ぶようになるでしょう。 実際、そのような人が増えてきているような気がします。 大人は子どもの学力にしか関心がないから、タブレットでも何でも使えるものは何でも使って学力をアップさせようとするのでしょうが、「学習能力」が低下してしまったら、生活の場や人間関係の場や、自分の人生を生きるという場で困ったことになってしまうのです。 子育ての場でも非常に困ったことになるでしょう。 だからといって、タブレットなど使っていない今の学校教育の方が優れているということではありません。 日本の学校教育は今の状態でもかなり狂ってしまっているからです。だから、「学力のアップにつながるなら」と、簡単にタブレットや塾に飛びついてしまうのです。 今、大人達は「学力のアップ」だけを目的としていて、「学習能力を育てる」ということには全く関心がありません。 そもそも「学習能力を育てる」という発想自体がありません。 そして、学習能力を育てようとしないまま、学力だけを上げようとしているから、簡単にタブレットに飛びついてしまうのです。 その子どもの「学習能力」の育ちには多様な体験が必要になります。 役に立つこと、意味があることだけでなく、失敗や無駄なことも含め、あれやこれや雑多な体験が必要なのです。 また、見る、聞く、感じる、やってみる、喜ぶ、泣くという体験も必要です。 「子ども」という丸ごとが育つためには、「心とからだ丸ごとに響くような雑多な体験」が必要なのです。 子どもは本能的にそのことを知っていますから、大人の期待を裏切り無駄なことをいっぱいやるのです。 そして、この学びは効率化できないのです。 それは「簡単便利」になれてしまった大人には「無駄なこと」ですが、子どもが一人の人間として成長するためには必要なことなのです。 タブレットでの学習は、この対極にあります。 たしかに、学力はアップするかも知れませんが、その一方で子どもの自己肯定感や、人と人とのコミュニケーション能力や、、状況に合わせた問題解決能力や、精神的自立の成長は阻害されるような気がします。

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