|
カテゴリ:カテゴリ未分類
現代人は慢性的に「原因のない漠然とした不安」を抱えています。
それが、自己肯定感の低さや、自分だけを守ろうとする意識などにもつながり、人々をゴールのない競争に駆り立てているのだろうと思います。 よく、お母さん達は「勉強しないと・・・」と子ども達を脅かし、勉強が出来ない子の末路を語ります。そして、子ども達を勉強に駆り立てます。 以前、駅のプラットフォームを歩いていたら、側にいたお母さんが子どもに向かって、線路の清掃をしていた人を指さして、「勉強しないとあのおじさんのようになっちゃうんだから」と言っていました。 でも、実際には「あのおじさん」が「勉強をしなかった子」かどうかは不明です。 現実の社会では、一流の大学や大学院を出ても、落ちぶれてしまっている人もいれば、学歴がなくても有名になったり、リッチになったり、会社の社長になっている人もいるからです。 勉強が出来ない=>落ちぶれる 勉強が出来る=>社会で成功する という図式は単なる先入観による思い込みに過ぎません。 確かに、平均値としてはそのような傾向はあるのかも知れませんが、それは「平均値」であって、「この子」の未来のことではありません。 それでも不安が強い人は、少しでも確率が高ければ「そうかも知れない」が、「そうに違いない」と思い込みに変わり、子どもを勉強や競争に追い立ててしまうのです。 でも、その「思い込み」が子どもを追い詰め、子どもから「学ぶ楽しさ」や、「仲間と遊ぶ楽しさ」や、「学校という楽しさ」や、しいては「生きる喜び」まで奪ってしまうのです。 「ゴールのない競争を走り続けるだけの人生」に、「生きる喜び」を感じるのは困難なことです。 そして、「生きる喜び」を失ってしまった子が、お母さんの期待通りにこの社会で成功するのは、非常に困難なことだと思います。 と説明すると、必ず「頭では分かるんだけど」と言ってくる人がいます。 そう、上に書いたことは客観的な論理ですが、実際には人は感情で生きているので、正しい論理を説いたからといって、問題が解決するわけではありません。 本質的な問題を解決するためには、お母さんや、現代人が抱えている「不安」を何とかする方法を考えなければならないのです。 そこで、いつものワンパターンですが「からだ」という視点が必要になるのです。 でも、現代人は「心」の方が高尚で、「からだ」を「道具」としてしか見ていませんからなかなか本質的な問題が見えてこないのです。 実際、現代人の多くが、「からだ」を「心の道具」だと思い込んでいます。そして、道具のように使っています。 でも、実際には逆なんです。「心」の方が「からだの道具」なんです。 だから、「心の歪み」の背景には「からだの歪み」があるのです。 「道具」としてしか扱われないことによって「からだ」が歪み、それが「心の歪み」を生み出しているのです。 「からだ」が歪んでいなければ、「心」は歪まないのです。 人は恋をします。それは「心の問題」でもありますが、実は、「心」をそのような状態にしているのは「からだ」の方なのです。 「からだ」が恋をするから、「心」も恋いに目覚めるのです。「からだ」が相手に反応しなければ恋心は目覚めないのです。 「恋」は「からだ」の持つ「生殖機能」の一部なのですから。 「論理的思考」は「意識」の一部です。ですから、お酒などを飲んで「意識」が曖昧になると「思考」も曖昧になります。 そして、「意識」は「無意識」の一部であり、「無意識」は「からだ」の一部です。 「眠い」「お腹が空いた」「疲れた」「飽きた」「楽しい」「嬉しい」、そういうものは全て「からだの状態」の表れです。 道徳教育で何とかしようとしている「イジメ」もまた「からだの状態」の表れです。 そして、昨日書いた「不安」もまた「からだの状態」の表れなんです。 そのことに気付かないと、自分を責めるばかりで「不安」を手放すことが出来ません。そして、競争をやめることも出来ません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|