2015/05/30(土)17:37
「教えるのではなく伝えて下さい」(子どもは模倣によって学ぶのです)
私はテニスに関しては何にも知りません。もちろんプレイすることも出来ません。でも、本やネットで調べれば、子どもに「テニスについて」教えることは出来ます。
ビデオなどを使って、一人で何十人、何百人に教えることも出来ます。
その時、私自身がやって見せる必要はありません。上手な人のプレーを映像で見せるだけで済んでしまうからです。
そして、生徒達に対しては「出来るか出来ないか」をテストし、出来ない子に対しては「努力不足」を責め、もっと努力するように要求します。
そうすれば、生徒達は少しずつでもテニスが出来るようになるでしょう。
このように「教える」という行為は、大量生産が出来るのです。そのような教育において先生に必要なのは、「知識と情報の扱い方」だけで、先生自身が実際に出来る必要はありません。
また、子どもが出来なければ、「子どもの努力不足」ということで責任を子どもに転嫁することも出来ます。
でも、そこには「子どもを育てる」という発想は全くありません。
生徒と先生の間に「共有するもの」も生まれません。だから、「人間でなくてもタブレットでもOK」ということになってしまうのです。
というか、「知識と情報の扱い方」に関してなら、人間よりも「タブレット」の方が上手です。ですから、「人間」が教えるよりも「タブレット」が教えた方が子どもの成績はアップすると思います。
試験のためだけの勉強なら、「人間」が教えるよりも「タブレット」が教えた方が効率がいいのです。
でも、成績はアップするかも知れませんが、そのような教育を受けた子ども達は「自分の人生を自分のものとして生きる能力」を育てる事は出来なくなります。
「自分の頭で考え、自分の心と感覚で感じ、自分の意志と責任で行動する能力」が育たないからです。
そのような教育を受けた子ども達が学ぶのは、「先生の期待に合わせて行動すること」と、「知識と情報の扱い方」だけです。なぜなら、実際に先生がやって見せたのはそれだけだからです。
子どもは先生が言っている言葉の内容など聞いていません。先生が指さすものも見ていません。子どもたちはただ、先生そのものを見て、先生そのものを真似してしまうのです。
ですから、先生が、「あれを見なさい」と何かを指さすと、子どもも同じポーズを取って同じことを言うだけです。
なぜならそれが子どもの素晴らしい能力だからです。その能力があるから、子どもは大人と一緒に生活しているだけで、特別なことを教えなくても大人と同じことを学ぶことが出来るのです。
犬や猿は教えなければ人間らしい行動をしません。でも、人間の子どもはただ一緒に生活しているだけでいいのです。
でも、だから大学生の論文でも「コピペ」だらけになってしまうのです。
「コピペ」しても自分のためにならないのですが、小さいときから「コピペ」をする能力しか育ててもらってこなかったので、大学生になっていきなり「自分の頭で考えろ」などと言われても、何のことか分からないのです。
これは子育てでも同じです。
子どもは「お母さんが自分に言っていること」など聞いてはいません。子どもが聞いているのは、「お母さんの声や言い方」であり、見ているのは「お母さんの表情やしぐさ」であり、感じているのは「お母さんの感情」だけです。
なぜなら、模倣出来るのはそれだけだからです。「言っていること」を覚えることは出来ますが、覚える以上のことはできません。模倣出来ないからです。
だからお母さんがどんなに立派なことを言っても無意味なんです。
子どもに「優しくしなさい」と怒鳴っても、子どもはその言葉の内容など理解しません。子どもはただ、そんな時のお母さんの声や、表情や、感情を、聞いて、見て、感じて、模倣するだけです。
「なんべん言ったら分かるの」と怒鳴っても、子どもはお母さんがやっていることの模倣は出来ても、お母さんの言葉を理解して行動することは出来ないのです。
そういう能力がないのですから、それはそのまま諦めて受け入れるしかないのです。
子どもの学習方法は基本的に「模倣」です。だからこそ「伝える」ことは出来ても「教えること」は出来ないのです。
子どもに優しい子になって欲しいのなら、お母さんが我が子に優しくするしかないのです。理屈で「優しさ」を説いても全く無意味です。
それが「伝える」ということでもあります。
でも、多くの母さんが「理屈」を説明するばかりで、「手本」を示してくれません。
だから、「なんべん言ったら分かるの」という事になってしまうのです。
子どもはそのようなお母さんから、「自分の要求を相手に押し付ける能力」ばかりを模倣します。
その結果、社会性の育ちが阻害され、仲間作りも困難になります。
そしてだから、お母さんが変わればそれだけで子どもも変わるのです。